随時更新いたします。上にあるほど新しい日付のものとなります。
若き声優の悩みは「恋」ではなく、酒席であつた。酒の飲めない彼は、番組の打ち入り・打ち上げはもちろん、仕事終了後の飲み会に参加したときなど、ウーロン茶でその場にいるのは肩身が狭くて辛いという。されどデイレクター・プロデューサーに、かような席においてでも自分をよく知ってもらいたいし、また参加しないと次の仕事がもらえないような強迫観念にも襲われるという。またこういう飲み会は、たいてい全員ワリカンであるから、まだそれほど高くないギャラの彼にとってはこれもツライ。さてムギヒトさんは若い頃、僕のような悩みはありませんでしたか?とオノレに問うてきたわけだ。で、しばし答えに窮したオノレであった。 今でこそ酒も弱くなり、酒席に参加するのも時々、参加してもマイペースで、ほどほどに飲んで退散しとる。しかし若かりし頃のオノレは酒も強かったし、酒席もタイヘンキライではなかったので、彼のごとく深く悩んだ記憶はあまりナイ。が、デイレクター・プロデューサーとより懇意になりたい、それによって今後もドンドン仕事に起用してもらいたい…、という下心がマッタクなくして酒席に座ったかといえば、マッタク下心はアッタのであった!おかげで付き合ったディレクター、プロデューサーからドンドン仕事が…、コナイのであった!(いや、少しはキテイタのかもしれんがネ。) ただし若い頃のオノレは、まことにナマイキで傲慢であったから、お付き合いして懇意になるつもりのデイレクター・プロデューサーに、酔ってカミツイタリ、暴言を吐いたりはチョクチョクであった。酒が醒めて後、「もうカミツイタ奴からは仕事がもらえんのだろうナ…。」という脅迫観念に襲われたりもしたのだが、それでもカミツイタ奴から仕事がキタリしたこともアツタのであった!つまりオノレの若い頃、かような口喧嘩や暴言が飛び交う酒席は日常茶飯事、それほど大したことではなかったのである。そう、使う側も使われる側もオオラカというか、あんがいノーテンキで、恨みがましく陰湿な奴はあまりいなかったような気がする。(そりゃ、何人かはおりましたがネ。) では今日においてはどうなのであろうか?最近それほどひんぱんに酒席に付き合わぬオノレの印象であるから、オノレの知らぬところではあるのかも知れないが、少なくとも自分が参加した酒席において、もう何年も、ひどい喧嘩や暴言をオノレはまったく経験してない。皆和やかに、おとなしく飲んで解散しているようである…。それがヨイ傾向か否か、オノレにはヨクわからんがネ。 けだし、若き声優君の悩みも理解できぬわけではないが、あまり神経質にならんほうがええ。心ならずも、いや心命じるままに酒席へ参加した際は、ウーロン茶でもええから擬似酔いをして、おおいに盛り上がり、言いたいことを言えばエエ。リラックスして暴言吐きたきゃ…、オヤメナサイ。財布が寂しければ、遠慮せずに参加拒否して帰ればエエ。それで仕事をくれんようなディレクターやプロデューサーは、ゴエンがなかったと思ってアキラメなさい…。そうもイカンか。 ま、偉そうにオノレの経験からいわせてもらうと、上戸であれ下戸であれ、酒席に参加しようがしまいが、それによって生活が一変するほど仕事が増えたり減ったりはせんヨ。タタカイの現場において、声優として良い仕事を積み重ねれば、若き君の悩みは、必ずやドウデモヨイこととなり、霧散霧消するするであろう…。 さて、今週はあのプロデューサーと懇意になるため、オノレの今後のタメに、一杯ヤッカ!
今年の五月、オノレは「津軽の鉄道」という記録映画のナレーションをした。その試写会が大井町で催されヤマノカミと観に行く。 この映画はメディアや企業の製作した映画ではない。社団法人「日本ミニクラブ」という、鉄道マニアというか、鉄道を愛する人々が集うクラブがつくったアマチュア映画である。しかし撮影されたフィルムの映像はとても素人の域ではない。そのほとんどは、もと新幹線の運転士をされていた御高齢の方が撮ったらしいが、昔の国鉄時代からコツコツ撮ったというその映像は、大変貴重で美しい。 またこの制作をされ、クラブの会長でもあるお方も、八十半ばを過ぎたチョー元気なオジイサン!このお方の鉄道に対する、そして今回の「津軽の鉄道」に対する入れ込みと情熱は、二回り年下のオノレもタジタジになるほど燃えておった。 映画は全編一時間のホンマ大作記録映画なのであるが、オノレのナレーションはさておき、味わい深い津軽の風景や、去り行く列車の哀愁を目にするだけで、ごらんになった方は退屈しないであろう。 試写会のあと宴席に呼ばれ、何人もの「鉄ッチヤン」(鉄道マニアをどうもこう呼ぶらしい。)や、鉄道に関わって生きてきた人たちと楽しいひと時を過ごした。で、その宴席に参加した多くの人が、七、八十代ばかりの元気なジイサン!ふだんモノオジしない図太いオノレも、さすがに敬意を払って小さくなっておりましたデス。 かような方々に刺激され、新たなエネルギーを頂戴し、うまいタダ酒を飲んで酩酊した昨日のオノレであった。
明日は終戦記念日。なぜか「敗戦記念日」とはいわないようである。日本だけで300万人を超える戦争での犠牲者。この愚かな歴史の教訓を、この日だけ思い出すのではあまりに虚しい。 中東では、金と武器で白黒をつけようとする大国の思い上がりによって、悲惨な日々を余儀なくされ、命を失う無辜の民がたくさんおる。かような人々の今日を思うと、あまりに辛くて言葉もない。そんな現状を知りつつ、まことに無力なオノレが歯がゆい。 そして我が日本では、憲法九条の精神を歪め、その改正を声高に叫び始めた連中が跋扈しとる。歴史の教訓を省みない、こんなヤカラの姿をみると、日本の未来が空恐ろしい。かような連中が何を企んどるのか知らんが、これからオギャーッと生まれる赤子のためにも、オノレが持てる最大のブキを使って、オノレはヤツラに抵抗抗戦しつづけたいと思っとる。そう、オノレの役者としての表現活動こそ、人を殺戮せずに日本が平和な国であるための最大のブキである! アラ、大した武器ではないかしら?
夜、趙博(親愛をもって敬称略)の、反・非・不戦ライヴ&トーク、「をんな唄つづら折り」を視聴に門前仲町へ。 タイトルのごとく「をんな」をテーマにした幾つもの唄を通して、生け贄にされたというか、翻弄され犠牲になりつつ、なお強く波乱の時代を生きた女たちの世界が透けて見えてくる。 オノレはおよそ1時間40分、その世界にドップリ浸かって、何人もの女たちの哀しみ、喜び、生きるタクマシサを感じながら、ときにこの胸を熱くしとった。 オノレはタブン音痴で、音楽を理解する能力にまるで自信がない。が、趙博の骨太でエネルギッシュな声は、その感情移入の激しさと相俟って、人の世界の不条理に対するオノレの抑えがたい感情を十分昂揚させてくれた。さらに抑制された表現から生まれる深い味わいに磨きがかかれば鬼に金棒、オンチのオノレはエラそうにそう思ったな。 いずれにせよ、音楽に疎いオノレが退屈もせず、趙博の味のある声から、ヒシヒシとイロイロなメッセージを感じとり、主役と競演しとるような気分にもなった、楽しく切ない時間であった。趙博の今後の活動に、オノレはいよいよ注目していきたい。 趙博は今は亡きマルセ太郎と親しく関わり、マルセが我々に残してくれた大きな遺産、「スクリーンのない映画館」を継承できる器の表現者だ。 趙博がはじめた「歌うキネマ」のシリーズは、マルセの残した表現の容(カタチ)を、彼なりの技と主張で受け継ごうという意思表示であろう。残念ながらこの「歌うキネマ」の舞台を観る機会に、オノレはまだ恵まれておらん。しかし昨夜のライヴには、その舞台が垣間見えるところがあって、オノレは思わずワクワクし、はやくその舞台を観にゃアカンな…、という意をますます強くしたのである。 ところで昨夜のライヴでビックラしたことがある。オノレの独談「タイチャン」や「アカシアの町」にある世界が、唄われた歌詞にもトークにもいろいろあってドキリとした。もっとも「反戦」がテーマにもなっとるライヴである。戦争がテーマにもなっとるオノレの独談とオーバーラップする状況が、チラホラあっても当たりまえなんだよナ。とくに朝鮮人慰安婦の、「♪ 満鉄の、何トカノ、パカヤロー…。」という詞を耳にして、なぜかオノレの胸は早鐘を打ったのであった!(そのわけは、オノレの「タイチャン」を観ると、キットよくわかりますデス。) 明日からオリンピックが始まる。タブン金と利権と薄汚い政治の駆け引きにまみれた現在の五輪に、オノレはアマリ興味はない。(五輪に興味はなくても興味のある競技はあって、TVで観る競技はありますデス。) 未来を見すえて平和を希求するのは大切である。しかしその平和を勝とるには、過去の歴史を真摯に振り返り、そこから人の為してきた罪悪をみつめ、その事実を教訓として学ばない限り、「平和」というコトバがただただ天空に虚しく響くばかりであろう。 趙博の「をんな唄つづら折り」ライヴは、オノレにかような思いを一層強く感じさせてくれたのである。 趙博HP http://www.fanto.org/
38日間連続真夏日、記録更新だそうな。いろいろな世界において記録更新は数々あるが、ふと、オノレの人生においての記録更新はナンジャと考えた。 あるわアルワ、現在もカガヤカシク更新されつつあるオノレの新記録。いや、その余りの多さに目をむいたナ。さらにその記録更新リストの余りに輝かしくない内容に、ムイタ目から目ン玉まで飛び出そうになッちまった。 借金の記録更新、忘れ物紛失数の記録更新、ついでにいえば物忘れの記録更新、対水虫長期闘争継続期間の記録更新。(ちなみにこの二つの記録更新は死ぬまで毎日更新されるであろう。) その余りの内容の酷さにこれ以上オノレの恥をさらすのは、今後のオノレの人生に悪影響を及ぼすオソレがあるのでヤメテおくのだ。 では、オノレに自慢できるカガヤカシイ記録更新はないのか!いくらアホなオノレでも、一つや二つありそうなものであるが、これがなかなか思いつかんのヨ…。「アッタゾ、まさに輝かしい記録の更新が!」 スキンヘッド継続期間の記録更新。これぞ現在も日々更新中のカガヤカシイ記録。ナニ?「カガヤカシイ記録かもしれないけど、人様に自慢できるような記録更新ではナイデショ…。」とヤマノカミ。 エイ、ママヨ…、もうヤケクソでこれならどうじゃ。一日何回も記録更新しとる、オナラ放出回数。これならオリンピックもんだわい。ブーッ! 本日の日記帳は虚偽と冗談にミチ満ちておりますデス。
先週、サッカー・アジア杯で日本優勝! オノレにとってはイロイロ考えることの多い中国での大会であつた。 TVを通して観戦した日本の何試合かに、オノレは思わず手に汗握るほど興奮したが、それらのスタンドには、日本チームに対しオノレより興奮し、強烈なブーイングや行為で敵意をムキダシにした中国の観客がいた。それはオノレにとってあまり気持ちのよい映像ではなかったが、不愉快というより、大きな問題である日中関係の近い将来の姿を、「小さなサッカー場」の中に感じてゾッとしたのである。 この現象に対して日本の某大知事さんは、「民度が低いんだから、しようがないね。」とオッシャッタ。おやまあ、オノレを含め我が日本の国民はどうも民度が高いようで、アリガタイというか、恐縮というか…。 そこで、かように民度の高いヤマト民族の一員であるオノレは、その評価に恥じぬよう、過去の日本国の歴史を、チャント再検証せにゃならんと改めて思った。あの第二次世界大戦で、我が民度の高い国は世界に対して、アジアに対してどんな国策をとって敗戦しちまったのか、もう一度正しくキチンと学ばにゃイカン…、そう思ったナ。そうなのである。この大知事さんのゴニンシキされとる戦中の日本史は、オノレが認識しとるそれとイロイロ異なっておる。で、あるからして大知事様が大いに正しいのか、オノレが大いにマチガットルのか、芥川賞サッカー、いやいやサッカになるほどの頭はないが、オノレの認識がサッカクでないか深めるため、さらに勉強せにゃアカン。もっとも正しい認識をフカメれば深めるほど、日本の将来に対する不安もフカマリそうな悪い予感がするのデス。 それにしても他民族を、「民度が低い」やら「支那人」なんぞと、未だ軽々に言い放つ芥川賞サッカの大知事様である。(オノレはこのお人の発言を聞くたび、「大東亜共栄圏」というナツカシイ言葉をいつも思い出してしまうのです。)さらに懲りずに靖国を参拝し、憲法9条を蔑ろに、「軍国日本」を望んでいるかのようなお方が総理大臣の日本である。そういう民度のタカイ高い、オノレのような日本人なのである! オノレは思わず、またまたナツカシイ軍人勅諭の一部を諳んじとったナ。 「一ツ、軍人ハ礼儀ヲ正シクスベシ。」 「一ツ、軍人ハ武勇ヲ尊ブベシ。」ナンテネ…。 「歴史にかつてない数の新しい死者を背負うようにして、戦後の日本人が作った再生のための原理を、それを打ち崩した後、日本とアジアに何が起こりうるかを考えず、改憲にのめりこもうとする政界、財界の実力者、けしかけるアメリカの高官に、私は倫理観も想像力も未熟な、危ういタイプを見ています。」(2004年8月10日・朝日新聞・朝刊。「伝える言葉」大江健三郎。) 芥川賞サッカの大知事様や総理大臣様の、カミ風船のごとき軽々なコトバと対照的に、さすが芥川賞作家でありノーベル賞作家の、深くオノレの胸を抉った重い言葉であった。
昨夜の「CSI科学捜査官」第3シリーズの打ち上げは、暴力沙汰もシカトもなく、和気藹々と無事終わった。 宴席において、難しい漢字の正しい読みを書くというか、学ぶようなゲームをし、オノレはミットモナクナイ程度には読めてホットした。それにしても漢字のドエライ難しさと奥深さを改めて認識したオノレであった。 打ち上げの疲れからか、少し虚脱状態で体に力が入らぬまま、小田急ロマンスカーに揺られて帰京。 新宿の喫茶店「ルノワール」でしばし時間をつぶし、正気をとりもどす。それからアニメ「ー流星戦隊ー ムスメット」の収録スタジオへ。 オノレの役はジョルジュという、怪しげなフランス語を使うアヤシゲな役。第5話から登場するのであるが、本日が最初のスタジオ入りであった。 この番組、レギュラーに若い娘さんが多く、スタジオ内は彼女たちの青春真ッ盛りの香りでムンムン。打ち上げの酒が微かに残るオノレの体は、その甘酸っぱい香りで、二たびホンワカ酔ッチマッタ! 13回完結の短いシリーズアニメであるが、あと七週・七日間、オノレはこの若きオトメタチの香りというか、匂いを嗅ぎつつ仕事をするのであろうか…。シアワセッ! ー流星戦隊ー ムスメット HP http://www.wonderfarm.co.jp/musume/
今日は「CSI科学捜査官」の第3シリーズ、最終回の収録。収録後、湯河原の温泉宿で一泊の打ち上げ。半年後、第4シリーズの収録開始までブラス警部としばしのお別れ。 この番組の声優・スタッフの多くは酒好き、宴会好き。週に一度のレギュラー日も、音声収録後、欠かさずその日の打ち上げをしとる。 近ごろすっかり酒に弱くなったオノレもチョコチョコ参加しとるが、CSIの科学捜査班同様、実にチームワークのよい雰囲気で、皆ワイワイガヤガヤ飲んどる。暴力沙汰はもちろん、ギロンやアブナイジョークはあっても、喧嘩になるようなギロンはなく、和気藹々の雰囲気である。もっともCSIは第7シーズンまで続く予定らしい。とすれば後4年も続くのである。今の時点で関係者の中で険悪なことが起きては、今後の仕事がやり辛くなる。 4年後の完全なる最終回の打ち上げまで、恨みや憂さをじっと内に抑え込んどる関係者はおらんであろうナ…。 あら、スタジオ入りに遅刻しそうだ。最後の収録で遅刻なんぞしたら、それこそ今夜の打ち上げでシカトされてしまうがナ! 「行ってまいりますッ!」
オノレの誕生日である。海で遊んどる友からの電話で、冗談のように「誕生日でしょ?」と言われ、オノレもハタと思い当たったオノレの誕生日である。同居しておるヤマノカミも、知ってか知らずかナニモ言わない。つまりオノレにとってもヤマノカミにとっても、誕生日は特別な日ではないのだ。365日のたった一日に過ぎない。そうなのである。オノレが「人生の意味」を真面目に考えたのが40歳半ばだとすれば、オノレは未だ十代の「青春真ッ盛り」なのである。であるからして、役者として、芝居へかけるオノレの情熱は、いよいよこれから、タブン、燃え盛るのではないか? オノレの辞書に「還暦」なんぞという文字はナイ!(あまりエエカッコしないほうがラクヨ…、とヤマノカミ。)
大塚にあるスタジオVARIOというスペースで、オフィス・サエ公演、「お藤」という舞台を観劇。広島の被爆をテーマにした重いテーマの作品であつた。原作は山本真理子「広島の友」。この作家は戦争を題材にいろいろ書いとる作家らしい。 舞台は原作を脚色せずにそのまま上演したようだが、原作のもつ強い訴求力、メッセージが、ひしひしと客席に伝わり、その試みは失敗ではナカッタ…、とオノレは思った。 とにかくオノレの涙腺は、舞台の後半、被爆した娘たちの青春と悲惨に目薬状態であった。 それから出演した若い女優さんたちの真摯な熱演にも心うたれた。彼女たちの演技には、上手いとか下手だとか、そんなレベルの感想を蹴散らすほど、作品と己の創造的役割に、一人ひとりの思いをこめた情熱を感じた。 久しぶりに期待をしないで観に行き、「観てヨカッタワイ!」と嬉しくなった舞台であった。
ヤハリ! 秋のアニメ新番組、レギュラーのお話を二つばかり頂戴しとったが、その一つがやはりキャンセルされた。ガックリ…。オノレのナニがイカンかったちゅうの? 教えてはくれんのじゃ。 しかしオノレの仕事では、かようなことはヨクある現実、日常茶飯事、いちいちガックリしとってはこの身がもたんのである。明日を信じて青空を見上げて歩かにゃイカンのである。「武士は食わねど高楊枝」の精神こそ大事なのである。にもかかわらず、やはり心のどこかで未練たらしくガックリするオノレは、まだまだ人生の修行が足りないのである! さて、もう一本のお話は無事決定したようである。その仕事にオノレが行って、最初に声を入れるのは8月31日。(それまでにキャンセルの話がきたらドナイショ、早く一本録らせてくれッ!) 新しいレギュラー新番組の作品名は「月詠」。ツクヨミと読むらしい。珍しくクラシックなタイトルのアニメであるが、題名からして、とても奥の深そうな作品ではないか!大ヒットして10年くらい続きそうな予感がする。だがオノレの予感はだいたい裏目に出ることが多い。そんな悪い予感もヨカンしてアカン。 オノレはまだ「月詠」の台本も読んどらんし、その内容も未だしっかり把握しとらんのだが、インターネットで調べると、どうやら御堂竜平という役らしい。聞くところによれば、アニメ監督の新房昭之氏がオノレを強く推薦してくれたとか。監督に深く感謝…。期待に応える仕事をせにゃアカンと、心して待機しとるのであります、ハイ。 「月詠」の情報サイトhttp://www.comicgum.com/topics/moontv/moon_anime.html
午前中はアニメ「B−伝説・バトルビーダマン」の収録。オノレは#29くらいから登場した、大首領マーダビィ役。いまのところ天空に目ン玉の雲のようなカタチをして現れる悪の親玉。オイオイ、最後までこのカタチなのであろうか…。チト気になる。 ガキの時代、オノレもよくビーダマ遊びをしたものである。オノレにとって昔懐かしきビーダマが、今子供たちの中でどれだけ流行っとるのか知らんが、おそらくこの作品を生んだキッカケはあのビーダマの当テッコではないか?なかなか上手いところに目をつけたものである。子供たちはいつの時代も、いろいろな遊びの中で無邪気にタタカイ、異性との純情なアイの世界を空想しつつ大人になってゆく。そして育つにつれ空想や純情を失い、現実的利害や打算、愛憎に翻弄されていく。「不条理な戦争やドロドロした愛を好む大人ッてユルセナイ!」 そうだ、ビーダマひとつで目一杯の喜怒哀楽を感じた子供の心を、大人はもっと大切にするべきなのだ! ナヌ、近頃では大人顔負けの、現実的な子供も少なくないってか…。ナニヲカイワンヤ。 「B−伝説・バトルビーダマン」HP http://www.d-rights.com/b-daman/ 夜、劇団昴のザ・サードステージ「ジュリエットたち」を観劇。題名のごとく、シェイクスピアの戯曲をモチーフに、潰れそうな旅館を舞台に繰広げられる、女性劇作家の書き下ろしコメディ。 芝居はやはり脚本(ホン)である。脚本が拙いと役者はホンマ辛い。しかしこのサードステージは、その役者が中心になって演目を選ぶようだから、出来の良し悪しは選んだ役者たちの自己責任か…。 創作書き下ろし作品のオソロシサは、出来てくるまで脚本のデキの良し悪しがわからんことだ。作家が早めに書き上げてくれれば対処のしようもあろうが、上演までユトリのないところで上がってくると、デキの悪いとき対処するのはナカナカ難しい。オノレは今夜の舞台から、そのオソロシサをゾッゾッと感じたナ。 パンフレットに書かれておったが、若手の鍛錬の場として、「情熱」をもって取り組むのがサードステージだとある。だとするならばダ。既存の作品から、戯曲として骨格のしっかりした、鍛錬しがいのある作品を選んで挑戦したほうがよりベターではないか…。現実にオノレが過去に観たサードステージには、本公演に負けぬ優れた作品と舞台があった。(松田正隆やエイズをテーマにした戯曲など。)とにかく今活躍中の若い劇作家を含め、既存の良い作品はたくさんあるはずなのである。 親しい方も多く、日頃昴の芝居に注目しているオノレだけに、敢えて苦言と言うか、率直な感想を吐露させていただきました…。今回のステージに情熱的に取り組んだ方々、オユルシアレ!
今日はアニメ「モンキーターン」の収録日。このアニメは競艇選手の世界を描いとる物語だが、なかなか人気があるようでPART1(半年間)の放映を終え、引き続きRART2が始まっておる。 オノレは主人公・波多野憲二の師匠で、A1レーサーの古池という役をさせてもらっとる。無口で頑固ではあるが、優しさも情もある人間臭い役どころだ。 実はオノレも競艇がキライではない。競馬ほどではなかったが、かつてアチコチの競艇場にお出かけし、水面より真ッ青な地獄を見させていただきましたです…、ハイ。 競艇はたった六艇でレースをするのであるからして、舟券的中は容易、タチマチ大金持ちになれそうな錯覚におちいる。そしてタチマチ貧乏になる。これがギャンブルとしての競艇の恐ろしさである。 さて、競艇にせよ競馬にせよ、オノレのようにスッカラカンのオケラになって、数え切れぬほどの地獄をみるとだナ、そのうち地獄もたいして怖くなくなり、地獄が地獄に思えなくなる。(天国になるわけではない。)で、終いには、「えい、ままよ! どうせヤラレルのであれば、もっと恐ろしい地獄の中で、派手に狂おしくヤラレテ散りたい…。」 というような、マゾっぽい恍惚的気分にさえなってしまうのである。この恍惚的地獄からオノレがようやく目醒めたのは、恥ずかしながらそれほど昔のことではない。「よくまあ世間から蒸発しないですんだわい。」と、今更ながらご迷惑をかけた方々に感謝しているオノレなのである。 多くの方に迷惑をかけたカイあって、現在オノレはギャンブルとしての競馬・競艇からダイタイ足を洗っておる。 今後はアニメ「モンキーターン」で描かれているがごとく、選手たちの奥深い技術や能力、葛藤を愉しみながら、一ファンとして、健全な娯楽というか、レクリエーションとしての競馬・競艇を楽しみたいナ、と考えとる。 ま、ほんのチョット興奮するために、地獄をみないでもすむ、遊び程度の馬券&舟券を買ってだナ…。バカッタレ! 「モンキーターン」HP http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/monkeyturn/
マイケル・ムーア監督の「華氏911」について小泉首相曰く、「政治的な立場の偏った映画は、見たいとは思わない…。」だと! 見もしないで偏った映画だと断定してしまうコノお人、かようなお人が国家権力のトップにおるのであるからして、我が日本はホンマに危うい国である。 下々の声も聞かんと次から次にヤバイ発言を繰り返し、国民無視の政策を進めとるお主の方が、よっぽどカタヨットルのとちがうんかい? 夕暮れ、この7月14日突然急逝した馬銭奴の自宅を訪れ、霊前に焼香。 いつ撮ったものだろう。馬銭奴のまだ生きているかのような顔写真が仏前に飾られとった。ほんとうに若々しく爽やかなその表情に、馬銭奴の内に巣食っていたであろう苦悩や反逆はみえない。 しばし彼と三十数年連れ添った方の話を聞きながら、オノレは彼の知られざる一面を知り、オノレが知っている彼の人間性をさらに深く理解したのであった。 オノレは彼の本業を画家であると思いこんどったが、連れ添った方の話によればそうではなく詩人であったらしい。詩人であることに異見はないが、馬銭奴の描いたいくつかの絵を拝見し、やはり彼は画家でもあったな…、とオノレは思った。 オノレは彼のホウボウを描いた魚の絵を、形見分けのように連れ添った方から頂戴した。水彩のその絵には、馬銭奴が本質的に具えていた純粋の世界が塗りこめられているような気がした。 さらに彼が若かりし頃、連れ添った方と発刊した同人誌をもいただき、オノレは馬銭奴の霊前に別れを告げたのであった。 「箋」というその同人誌に若き馬銭奴の小説が掲載されとる。それは「閉塞の時間」という名の小説であった…。
台風10号、西日本を縦断。自然の猛威に人間はオロオロオロオロ、で、自然の正しい姿を変形させ、自然をオロオロ怒らせとるのは人間なのである。 今日はアニメ「ラグナロク」のCDドラマの収録。オノレはバフォメットというバッファローのような姿をしたツエー役。シリーズではそれほど登場しとらんのだが、もうすぐ終わってしまうようだ。バフォメットがどのような顛末をむかえるのか、オノレにもまだわからん。 ちなみにCDドラマの「ラグナロク」は、本編とはおよそ無関係なお話になっとるようであります。 「ラグナロク」HPhttp://www.ragnarokonline.jp/news/game/roanime/top.html
アッという間に七月も終わりである。ホンマ、暑い暑い七月であった。「小さな家と五人の紳士」を製作・演出したオノレにとっては、その暑い日々の中で、さらに熱くなった七月であった。おかげでオノレのフトコロだけはだいぶスズシクなった七月でもあった。 八月は声の仕事一筋である。秋の新番組、アニメのレギュラーも、有難いことに二つばかりお話を頂戴しとる。しかしチュクチョク間際でバレル(話がご破算になる)から、完全に決まったら公表させていただきますデス、ハイ。 私的には二、三日夏休みをして都会を離れたいナ…。と思っているのだが、どこで休みがとれるかまだわからん。 静かな山間の空気の中で、(トンカチ、いやカナズチのオノレは海が苦手なのである。)大芸術家にでもなった気分で、来年の芝居の構想なんぞをじっくり考えたい…。オノレはそう思っとるのだが、「けっきょくボケーッと飲んでるだけで終わるんでショッ」とヤマノカミ。 たく、結果としてそうなってもだナ、そうなる前に言わんといてくれやッ! 夜、テレビでサッカーAFCアジアカップ準々決勝、「日本×ヨルダン」戦を観た。いやはやモノスゲェー試合であった。オノレはサッカーは余りよくわかッとらん。何度テレビで観ていても、オフサイドがどうしてオフサイドなのか、どうもわからんまま終わってしまい、未だにわからん。そんなサッカー音痴のオノレでも、今日の試合は最後まで興奮してテレビを観とった。 とくに延長でも決着がつかず、決着をつけるため行われたPK戦、そのあまりの凄さに思わず笑ッちまったほどである。 一番手、二番手の日本選手二人がゴールを外して万事休す、完全にヤラレタワイと思ったのに、最後の最後に逆転、何と日本は勝ってしまッた! やはりスポーツも偉大なドラマである。そして人間、どんな苦境に陥っても、決して諦めてはいかん、最後の最後まで己の持てる力を出し切り頑張らにゃアカン…。かような教訓と勇気をオノレに与えてくれた、今夜の日本とヨルダンの試合であった! さて舞台創造の過程において、劇的一発逆転のドラマがあるかどうかは甚だ疑わしい。が、いずれにしても奇跡をよぶのは日頃の精進の賜物であろう。決して偶然でも奇跡でもないはずである。これを肝に銘じて、オノレも日頃の努力を惜しまず、役者としての修行をチャンとせにゃアカンナ…、と重々承知しとるんだが、やっぱり怠けッちまうのでありますなあ。
劇団道学先生「エキスポ」(作・中島淳彦 演出・黒岩亮)の再演を、紀伊国屋ホールで観てきた。初演とはいくらかキャストが変わり、演出も変わり、劇場も変わった。肩の凝らない笑える芝居なのであろうが、あまりオノレ好みではない。客席はけっこう受けて笑ッとりましたが、笑いを誘発させる根っこが浅いので、オノレはそんなに笑えんかった。素直に芝居を楽しむ姿勢がオノレに足らんのかも知れんが、どうもドタバタにちかい性質(タチ)の笑いは、オノレのタチに合わんのだ。創り手が意図的に客を笑わせようと企んで、その作意を客に見破られず気持ちよく笑ってもらうのは、実に難しい所業ダナ…、と改めてオノレは思った。しかし「エキスポ」はさておき、中島淳彦という人は、なかなか力のあるタッシャな劇作家なのである。「無頼の女房」とか「ザブザブ波止場」とか、オノレ好みのオモロイ芝居もいくつか書いとる。中島流「芝居のツボ」というか、劇作術をしっかり持って創作しとるセンス抜群の作家だ。 さてさて「エキスポ」には、オノレが大好きな女優、大西多摩恵チャンが初演に引き続いて出演しとる。彼女はやはり素晴らしかった。抜きん出てヨカッタ!腰を痛めとったらしいのだが、それを微塵も感じさせず、チャントした動きとメリハリのある台詞、透る声。ホンマ、彼女の演技を観ただけで、この舞台を観てヨカッタなと、実は満足しとったオノレなのである。
雨だッ!台風のおかげで雨だ。昨日までは汗でビショビショ。今日は雨でビショビショ。今朝の散歩で、オノレは天に向かって両手を差し出し、子供のように嬉しくなって飛び跳ねた。カラスもウレシソウに飛び跳ねとった。けどさ、これ以上は暴れんといてや、台風ドノ…。
今年「小さな家と五人の紳士」公演を企画し実現したオノレとしては、この機会に一人でしている独演・独談活動とは別に、いろいろな役者やスタッフをオノレがプロデュースして、最低、年に一度、集団での演劇公演を実現させたいと思っとる。で、ふと考える…。この八月、嫌イヤ還暦になっちまうオノレは、なぜ今更、たぶんヤヤこしく面倒でゼニにならん集団の芝居をしたいと思うのであろうか…。 一個人の力でプロデュース公演を実現するのは、ホンマ大変である。「小さな家と五人の紳士」は、出演した二人の役者さんがオノレと一緒に上演実行委員になってくれ、赤字の負担が大分軽減されたのであるが、それでもイロイロ大変であった。これがオノレ一人で全責任を負い集団芝居を実現するとなると、責任の大きさはもちろん、諸々の苦労はドエライコツチャ。商業演劇や劇団組織とちがい、オノレ一人の力で出来ることはタカガ知れとる。公演規模にはかなりの限界があるし、大赤字を出すわけにもいかん。ギリギリの予算の中でミットモナクナイ舞台を創らにゃならんのだ。公演PRもオノレの知人、出演者・スタッフたちの知り合いが頼りだ。新聞の演劇担当・演劇雑誌などには、もちろんこちらから情報を発信するのだがナカナカとりあげてはもらえん。(「小さな家と五人の紳士も、一応各メディアへ情報を発信したのでありますが、記事にしてくれたのは一社だけでありました…、ハイ。)それより何より、かような公演規模で、高くないギャラで出演してくれるイイ役者を探すのがタイヘンだ。さらに低予算の中でチャント仕事をしてもらえる裏方のスタッフを探し、平身低頭で参加をお願いする。その他、稽古場の手配、役者のスケジュール調整、大道具・小道具の手配、車・弁当等々…。プロデュースしたオノレはその全てに目配りをし関わっていかにゃならん。(もちろんこれほどのことを、オノレ一人では全て出来ない。ヤマノカミをはじめ多くの友人・知人のアタタカイ協力が不可欠なのです。) さて、その苦労の結果、集客も悪く、舞台成果にも手厳しい評価をお客様から頂いたりすれば、さすがのオノレも、タブン足摺岬で身投げしたい心境になるであろう。なぜ足摺岬なのか?足摺岬という地名が、今たまたま、フッと頭に浮かんだ、タダそれだけであった!そうなのである。今後の公演結果によっては、オノレの人生も長くはない…。 ま、同情はいらんのだが、一応来年から予定しているオノレのプロデュース公演が実現したとしても、個人経済的にも製作的にも大いに苦労し、それほど割りに合わんモノであろうことはあらまし予測がつく。にもかかわらず、オノレはオノレがプロデュースする集団創造に、「毎年挑戦してみたい…、」と思っとる。何ゆえ? オノレにとって、「小さな家と五人の紳士」公演のために過ごした毎日は実に新鮮であった。いろいろ刺激的な体験をオノレにあたえてくれた。そう、一人で活動してきた独演・独談とは異なる「集団創造の悦び」を、いまさらながらオノレは深く噛みしめたのである。昔々、劇団にいた頃も商業演劇に出ていた頃も、かような悦びを感じたことはなかったのにである。これが今年に続き、来年以降も集団創造に関わりたいと思った大きな動機である。 ところで、人と共に創る舞台を、どうしてオノレのプロデュースでしなくてはいかんのか?客演したり、どこぞの劇団に入ってやってもいいではないか?否、それではやっぱりダメなのである。 商業演劇・劇団組織・他人のプロデュース公演に於いては、オノレの上演したい脚本はまずデキナイ。やりたい役もまずデキナイ。演出なんてもっとデキナイ!(デキルというお話をいただければ考えます!)ところがオノレのプロデュースでなら、それがデキチャウのだ。カネはソンするかもしれんが、オノレのやりたい主役もデキチャウのだ。演出さえもデキチャウのだ!!(高笑い。)アタリメエカ…。そして多分、おおいに恥ジモカイチャウのだ…。(ガックリ。) 年に出来ても多分1回、しかも短期間・低予算での我がプロデュース公演。実現していくことが可能かどうか現時点では断言できない。しかし実現すれば、そんな小さな公演でも、オノレが滂沱したくなるほどやさしいお客様が、何百人かは必ず観に来てくれるであろう。(そういえば観客一人とかゼロなんてえ日も、独演・独談の公演ではありましたがナア…。) で、結論。かようにやさしいお客さまがたった一人でもいる限り、オノレのケイザイと肉体が許す限り、オノレはオノレのやりたいモノを主演し、演出し続けていくツモリなのだ〜ッ…! 「小さな家と五人の紳士」公演が終わって、オノレのあまり長くない未来を考えながら、オノレの明日からをそんなふうに考えているオノレである。
「フィリア美術館」独談公演を終え、午後に自宅着。帰ったとたん送信されとったFAXを読むと訃報であった。自称「馬銭奴」というネームでHPを開いているオノレの知人であった。 彼はこの14日、「小さな家と五人の紳士」を観てくれ、元気にオノレと挨拶を交わして別れたのであったが、その翌日の夕方、クモ膜下出血でアッサリあの世へ逝ッチマッタ…。58歳という若さで! オノレは10年ほど前、行きつけの喫茶店で彼と知り合い親しくなったのだが、プライベートな付き合いのほとんどはその喫茶店の中だけである。それでも彼はオノレの独演・独談を、オノレと知己になってからは欠かさず観てくれ、大いにオノレを励まし鼓舞してくれた。とにかく酒が好きそうであったから、いずれ飲もうと会うたび話をしとったんだが、ついに盃を交わす機会は永遠に失われッちまった。人間「いずれ」ですましていては、やはりイカンのである! とにかく知的でシャイで、チト過激なところもある不思議なヤツであった。本業は画家であったと思うのであるが、たぶん画家で食える画家ではなかったのではないか?(食っていたとしたらお許しあれ、馬銭奴さんヨ。)残念ながら今日までオノレは彼の絵を観賞しとらん。 オノレにとって驚きであったのは、馬銭奴のHPで読んだ詩や俳句、エッセイなどモロモロの、優れてオソロシイ独特の世界であった。その世界を分析するにオノレはあまりに力不足でやめておくが、馬銭奴の内で燃焼されとった文学的エネルギー、反逆的で孤高なその創造世界はハンパなレベルではない。そうなのだ。ハンパでないトンデモネエ男であったから、ヤツは己の命をまで自らのぞんでハヤメに喰ッちまったにちがいない…。オノレは何となくそう思う。 馬銭奴さんよ、いずれオノレもソチラへ逝くから、そのとき酒を飲む約束を果たそうナ。「あの世になんていくもんか。俺は無に返っただけである。」 そんな馬銭奴の声が聞こえてくるような気もするんだが…。 馬銭奴HP http://homepage3.nifty.com/bazenu/