オノレ日記帳

2004年8月の記録



  蛙の寝息
Date: 2004-08-30 (月)

 オリンピックのメダルラッシュに沸く日本ではあるが、
その間もイラクの状況は悪化するばかり。
米英は、そして自衛隊の派遣は、
イラクにどない自由と平和をもたらしたというのであろうか?
そしてこの先どうするというのであろうか?
オノレは紛争の悲惨な空の下で日々を生きる罪なき人々を思いながら、
大好きな草野心平の詩の一節が頭に浮かんだ。

 この世に瞳のあるかぎり夢から夢と夢は生み夢は生まれ。
 殺意や敗血の底でも人は死なない人は歌ふ。(ー 瞳 ー)

そして心平の愛した蛙の、安らかな寝息の詩(うた)も聞こえてくる。

 るるり
 りりり
 るるり
 りりり
 るるり
 りりり
 るるり
 るるり
 りりり
 るるり
 るるり
 るるり
 りりり
 ……… (ー おれも眠らう ー)

一日でも早く、この蛙のように平和な寝息で眠る夜が、
争いの地で眠る人々にも訪れんことをオノレは願う。


  2005・独歩プロデュース公演 「象 」
Date: 2004-08-29 (日)

 来年夏、オノレの事務所・独歩がプロデュースする公演の骨格が固まった。
取り上げるのは、今年オノレが演出した別役実の作品、
「小さな家と五人の紳士」に続いて「象」という戯曲。
1962年、25歳の別役実が書いた初期の代表作である。
 広島で被爆した人間の生き様と内面を鋭く抉って、
静謐な中に激しい情念を感じさせるナカナカテゴワイ内容だ。
 オノレはこの舞台では演出をしないで主演させていただく。
演出は「小さな家…」で演出助手&舞台監督を引き受けてくれ、
オノレの拙い演出をシッカリ支えてくれた伊藤勝昭氏に依頼した。
彼は「世代」という劇団の主宰者であるが、劇団の舞台はもちろん、
劇団外のいろいろな場で芝居に携わりながら活動しとる。
最近では韓国劇作家の作品を舞台化、
その制作・演出の重責を担い、この春の韓国公演をも実現させた。
 オノレにとって伊藤氏は、若い頃からの信頼できる友人であり、
舞台にかけるその熱意はオノレに劣らぬほど熱いヤツだ。
また彼は広島出身で、生後二ヶ月で被爆という重い体験をしとる。
「象」という作品世界に臨む彼の思い入れは、
オノレには及ばぬ深いものがあるはずである。
 幾つかの役を除いて主なキャスティングも固まった。
「小さな家…」に出演し来年も出ていただく方もいる。
いずれにせよオノレが役者として、
初めて芝居で共演する人たちばかりである。
彼らとドナイ舞台を創造することになるか、
今の時点では役者として、まるで見当つかないオノレであるが、
制作プロデューサーのオノレとしては今年の舞台同様、
適役の個性あるヨイ役者さんがそろったと満足し期待もふくらむ。
 公演期間は8月5日から14日までの10日間。
全17ステージという、オノレとしては大胆で、
ひょっとするとムボーな規模での公演である。
(オイオイ、ダイジヨウブカイ?」と外野席)
ま、ムボーな結果に終わったら、またそのとき反省いたしますデス…ハイ。
劇場は下北沢のOFF・OFFシアター。
 来年は「敗戦60年」つまり「被爆60年」という節目の年。
節目であろうがなかろうが、忘れちゃならん戦争・被爆の歴史でありたいが、
わずか半世紀チョット前にあったその事実を、
いまや大昔のことであったかのような顔でスットボケ、
この「日本国」を妙な方向へ導こうとする動きもある。
 もっともその警鐘としてこの「象」を上演するわけではない。
もちろんオノレ個人に政治や社会に対するイケンはある。
イケンはあるが、オノレが上演したい作品を選ぶとき、
そのオノレのイケンをムキダシにしたような、
イデオロギー色顕わな芝居を選ぼうとは思わんし、するつもりもナイ。
例えば「象」舞台化の過程で、核問題を深く掘下げ
被爆者というシチュエーションばかりに捉われて創れば、
ただ重たくタイクツな芝居になるであろうし、
そのように書かれた戯曲でもない…とオノレは思っとる。
 オノレがこの「象」をやりたいと思ったのは、
否応無く被爆者という日常的現実を抱えて生きざるをえない人の、
そのことによってトグロを巻く内的苦悩や生死の有様に心打たれたからである。
オノレはその劇中の人々に、被爆者だけの問題ではない、
人間にとって普遍的な深く重層した内的葛藤をみたのである。
 で、それを我々が我々なりに創造することにより、
60年という節目である来年の演劇界に、
結果として一石を投じることが出来ればナ…くらいには思っとる。 
 この「オノレ日記帳」を読んでくださっている皆様、
来年の夏、応援のほど今からよろしくオタノミ申し上げます!
(詳しくはいずれオノレのHPでご案内いたします)


  うどん腹
Date: 2004-08-28 (土)

 三ヶ月ほど前からオノレの朝食は「うどん」である。
それまでは飯に納豆、干物か鮭の魚に味噌汁というのが定番であった。
チト二日酔い気味で食欲がなくても、
かような朝飯を何十年もシッカリ食って一日が始まったのである。
それがなぜうどんに変わッちまったのであろうか?
 一度、食欲の無い朝にうどんを食ったらズルズル腹におさまる。
消化もいいから正午近くには空腹となり昼飯が実にウマイ。
で、それからは毎朝うどんになッちまった。
どちらが健康に良いのかといえば飯に納豆・魚なのであろうが、
今や朝のオノレはすっかりうどんに適応した「うどん腹」となり、
もう飯に戻れそうにはない。
 もう一つうどんに変わった大きな「セキニン」は、
納豆にもあるような気がするのダ。
オノレはとにかくガキの頃から納豆大好きで、
「何はなくとも納豆だけは」という、
この性格とは裏腹に食い物ネバネバ人間でして、
(オクラ・ヤマイモなんかも大好きヨ)
飯であれショッパンであれ麺類であれ、ナニガ何でも納豆をかけて食う。
スパゲッティは「ナットウスパゲティ」しか食わんのです。
ところが最近その納豆にウマイ納豆がないのである。
どちらのお宅も大体そうなのであろうが、
うちのヤマノカミも近所のスーパーか豆腐屋で納豆を買う。
その近所にあまりウマイ納豆が見当たらん。
チトうめえかなと、しばらく続けて食っとると必ずアキがくる。
小平に引っ越すまで食ッとった納豆ではアキがこなかったハズなんだが…
それが何処のナニ納豆であったか、オノレもヤマノカミもすでに忘却。
 年に何度か会う若い大工の友人が茨城在住で、
会うたびにこれぞ本場の「うまい納豆」(商品名ではない)
を差し入れしてくれる。
しかしこのうまい納豆は直送販売しとらんので、
友人が上京しない限りオノレの口に入らん。
茨城県までチョクチョク買出しに行くわけにもいかんしのう。
 ことほどさように納豆が好物のオノレにとって、
さほどうまくねえ「スーパー納豆」(商品名ではない)を、
毎朝飯にかけて食うのはもうシンドイ。
オノレがうどん腹になっちまった要因の一つにかような事情もある。
 で、よりウマイうどんが食いたくなっている、
今日この頃のオノレであります。


  『オノレ日記帳』の継続
Date: 2004-08-27 (金)

 HPに『オノレ日記帳』を掲載するようになってハヤ二月。
かつてオノレは日記を付け続けたことがない。
何度か試みたがすべて三日坊主のような結果に終わっとる。
で、頓挫する度、継続することのムツカシサを思い知り、
その結果、過去の記録がおよそないことで、
確かな過去を思い起こすことのムツカシサを痛感する。
ところがそれでヨカッタと思うこともあるのだ。
 オノレがもの心ついた時から今日まで、
そのオノレの恥ずかしく目茶目茶な日々を日記に付けていたなら、
いかにドンカンなオノレといえども、
そのナカミを読むたび、タブン自殺したくなったであろう。
大変ヨカッタなどと思えることが、
それほどに思い起こせないオノレの過去なのである。
 タク、人というヤツは己の過去を想うとき、
どうしてこうもカンバシクナイ過去ばかりを思い起こすのであろうか?
はたしてそれはオノレだけの現象なのであろうか?
 ドラマの世界では人の死に際、
「走馬灯のようにシアワセな過去が脳裏に去来し…」
なんてシーンもよくあるが、
オノレの場合、
「走馬灯のようにアチコチ・ゴメイワクをかけた過去が脳天をカケメグル」
死にざまのような気がしてならんのだ。
 サテサテ、そんなオノレが人に読まれることを意識しつつ、
それなり虚飾に満ちたナカミで書いているとはいえ、
『オノレ日記帳』を二ヶ月以上も継続できているのは、
オノレ自身のオドロキである。
なぜこんなにナガク継続できているのであろうか?
オノレの胸に手をあてて沈着冷静に考えましたところ、
一にも二にもそのわけは、
近頃のオノレは、アチコチから感謝されるようなこともしとらんが、
アチコチにゴメイワクもそれほどかけていないからであろう、
という結論に至ったのである。エライ!(それがアタリメエーか)
 で、つまり『オノレ日記帳』が万一継続できなくなるときは、
たぶんオノレが再びアチコチ・ゴメイワクをかける状況に陥り、
このHPがなくなるときか、
オノレがあの世に逝ッチマッタときではないか…と思ッとる。
 死ぬまでアチコチ・ゴメイワクかけんようにガンバルゾ!


  「町」と「街」
Date: 2004-08-26 (木)

 今夜は吉祥寺で気のおける仲間と飲んで暑気払い。
ここ数年、夏と暮れに集って互いの憂さを晴らしとる。
 吉祥寺はオノレの故郷である。
一歳から十六歳までここで育ち、タバコと酒の味も覚えた。
 オノレの幼少時代は高いビルもなく、
木造であった国鉄駅舎の二階通路から眺めれば、
ポツリポツリ住宅があるくらいで、
井の頭公園の森全体が目に入ったのである。
はっきり記憶にないが、畑もずいぶんあったような気がする。
その頃の吉祥寺は「街」ではなく「町」であった。
しかしずいぶん前から吉祥寺は町ではなくなり街になッちまったが、
そうなってからのこの街をオノレはあまりスキではない。
とにかく人混みがすごすぎるし、
数ある店はどれも似たようなスタイルで、味はあってもアジがない。
で今は、緑も畑もそれなりある小平市に住んでおる。
駅から二十分もかかるオノレの住まいの周りは畑だらけ。
桜並木のサイクリングロードは何キロにも及ぶ。
空気の悪い都会の高層マンションに、
高いゼゼコ払って住むヤツの気が知れん!
(ホンマは経済上の都合でかような地に住んでいるというのが、
偽りのないところなのダ…ナサケナイ)
 もっともこの辺りの西武線の駅も駅前も、
ここ数年でずいぶん変貌しつつある。
いずれここいらも街に変貌するのであろうが、
今はまだ町の匂いが残っとる。
それほどアジはありませんがネ。
 ところで広辞苑では「町」と「街」の意味的違いは、
あまりナイようなのだが…。
ハテ、あるように思ッとったオノレはマチガッテいるのであろうか?


  或る役者氏からのメール
Date: 2004-08-25 (水)

 『オノレ日記帳』を毎日拝見して存じ上げております。
その日記の8月23日付けの内容について、
少しご質問・ご相談させて頂きたく、メールを差し上げました。
「ホトホト疲れてきた」ところを申し訳ありませんが、少しお付き合いください。
 私も今回のオリンピックは見るとはなしに見ており、
『体操ニッポン復活!』等のTV中継に歓喜しております。
麦人さんと同じように、
『芝居における発展は何か?』
『芝居で金メダルを取ろうと思ったら、何をすればイイのか?』等と、
「ナンセンスな発想」をしておりました。
否、未だに私は『ナンセンス』と思えないので、
メールを書いているのですが… 
ご自身で「安易な結論」と述べられていますところを、敢えてお聞きしたいのですが、
麦人さんが「フト」思われた、
「そもそも劇作や演技という分野は、
進化という尺度なんぞで捉えるような世界ではないのだ」
と云う事であるならば、
一体どういう“尺度”で捉えたらイイのでしょうか?
或いはココで言う『進化』は、
私の思う『役者個人の発展・成長』とは違う意味なのでしょうか?
又、「いかなる時代においても人の心を打つ舞台は、
要するにその作家、役者、個々の能力次第なのであろう…」
とされるならば、それは元々の『能力』の無い私には、
『発展・成長・進化』は望めない事になりますが、如何思われますか?
 或いはココで言う『能力』は、私の思う
『(生まれ持った感性、運、コネクション、持続力等を含む)
才能』とは違う意味なのでしょうか?
 オリンピックを見るにつけ、
正に目的(目標)がハッキリしている中で「しっかりとした環境と指導の下、
厳しいトレーニングを積み重ねた場合、
人の肉体的能力は一体どこまで進化するのであろうか?」と思うに至り、
それと丸っきり正反対な位置にいるような感覚で、日々を過ごしております。
「芝居における進化(発展・成長)とは何か?」
「俺は何を目指し、何をすればイイのか?」
を考えているうちに深みにハマってしまったところで、
丁度『オノレ日記』にて麦人さんのご意見に触れ、
「ココは一丁、ご相談してみよう!」と思った次第です。
 一朝一夕には結論の出ない(であろう)難しい質問で申し訳あ
りませんが、何かアドバイスを頂ければ幸いです。

 かようなメールを知り合いの役者氏から頂戴した。
8月23日の日記は、みょうにムツカシイことを「フト思った」りしたおかげで、
オノレが後で読み返しても、恥ずかしくなるほどまとまりのない、
何を言いたいのかヨーわからん日記であった。
 このメールをくれた役者氏のごとき疑問というか、
受け止め方をされてもシャアナイ…。
多分他にも首を捻ってこの日記を読んだ方がいるのではないか?
チトそう反省し、この日の日記の補足という意味をこめて、
疑問を提示した役者氏のメールと、
タブン答えにナットラン答えを返信したオノレのメールを掲載し、
本日の日記とさせていただく。

 ごぶさたです。
「オノレ日記帳」を読んでもらっているようでまことに恐縮。
ホント、オノレは思いつくまま気楽に書いているのですが、
中にはこの日記を真面目に理解しようと頭を悩ます人もいるわけですから、
あまり無責任なことも書けんなア・・・とチト反省。
しかし日記帳はオノレの哲学や理論を書いて公表する場ではなく、
(そんな大それたものもありませんが)
日々オノレの頭に去来したことを綴っているだけのモノ。
そのへんはお手柔らかにカル〜イ気持ちで読んでもらえると、
コチラとしては大いに助かるのですがネ。

 「そもそも劇作や演技という分野は、
進化という尺度なんぞで捉えるような世界ではないのだ」
と云う事であるならば、一体どういう“尺度”で捉えたらイイのでしょうか?

オノレとしては、
「スポーツ競技のように、結果が数字によって評価されるような世界ではない」
ということを伝えたかったのでありますが、
この日記を書いた時点ではそういう表現が頭に浮かびませんでした。
 芝居の評価については、客に迎合するばかりの芝居もどうかとは思いますが、
やはり観客の評価こそ上演する芝居の成果を測る最大の尺度ではありませんか?
仲間内や身内の評価は良きにつけ悪しきにつけ、
オノレの場合、チト割り引きして受け止めます。
また知人・友人の感想も本人の前で否定的な感想はなかなか言い難いものです。
その点も気をつけて聞かないと大いなる錯覚をしたまま、
エエ気持ちだけで自己評価を下してしまいがちです。

 又、「いかなる時代においても人の心を打つ舞台は、
要するにその作家、役者、個々の能力次第なのであろう…」
とされるならば、それは元々の『能力』の無い私には
『発展・成長・進化』は望めない事になりますが、如何思われますか?

 自己の能力を自身がいかに評価するか、そもそも能力とは何なのか?
これに答えるのはまことにムツカシイ。
オノレ自身、オノレの能力に対する懐疑と可能性の狭間で、
正直常に悩んでいるのです。
しかし悩んでばかりいては何も出来ないので、実践の中で何かを掴み、
血肉化させようとガンバッテおります。
 天性の素質というものは、人によって差があるのかもしれません。
しかしそれだけが役者の能力の差であったら、
自称、天性の素質希薄なオノレや貴君なんざ、
稽古するのもアホらしくなってしまうし、
努力して芝居なんぞする気にもならん…。
小生は役者の良し悪しは、天性だけで決まるとは思わんので、
こうして今日まで役者を続けています。
 ま、オノレの場合、実践のなかでよりよい表現を追及・習得する努力と同時に、
若い頃からオモロイ舞台、オモロイ役者の演技、落語や漫才等々、
「オノレがヨイと思ったモノ」を吸収しようと努力し、
とにかくそれを夢中で模倣しました。
例えばオノレがいた劇団の大御所、宇野重吉や滝沢修の物真似なんざ、
本人も苦笑するほどそっくりになるまで、
その台詞まわしとかエロキューションを真似て練習したものです。
オノレがこの歳まで己なりに役者として生きてこられたのは、
多分その過程で培ったものがあったからこそだと思います。
 個々の役者や劇作家の創造力は、
その努力などによってタブン「進化」するのです。
しかし肉体能力とは異なり、その知的・精神的成熟は、
悠久の時間のなかで、「進化」するというより、
個々の人生単位、その日常活動において得る技術的「成長」、
表現力の「上達」といった形容の方が正しいような気がするのです。
 繰り返しますが、演技や演出の創造的進化の尺度というものは
スポーツのように、
「数字的な記録や結果が出て、更新・評価されるタチのものではない」、ということです。
例えば役者の感情表現の巧拙をどう測るかは、数字で測れるようなものではなく、
人の感受性によってずいぶん変わるのではありませんか?
まことに創造性の評価とは、ナカナカ画一化されがたい世界なのであります。
 貴君の真面目な疑問に対して、あまり答えになっとらんような答えで申し訳ない。
つまるところ役者の創造的能力について、
オノレは大した理念・理屈のないまま、
ひたすらオノレのやりたい芝居なり役を実現すべく、
夢中でここまで生きてきた・・・というのが本音です。
 では、元気でご活躍のほど期待しております。

☆ 実際のメールのやりとりとは、一部異なる表現に変えたり、
  省略した部分のあることをお断りしておく。





  ハシブトカラス「タイチャン」語録
Date: 2004-08-24 (火)

 生後一週間の、まだ目も開かないハシブトカラスの雛は、
某市のカラス捕獲員に捕獲されたその日、
うちのヤマノカミが引き取って現在二歳と三ヶ月である。
 名前は「タイチャン」。雌雄はさだかではない。
が、たぶんオスではないか? 
とにかくまるで色気を感じさせないヤツなのだ。
 子供のいないヤマノカミとオノレは、
俄かに我が子が出来た気分となり、
大事に大事に、すっかり甘やかしてコイツを育てちまった。
そのせいか野生のカラスのごときタクマシサもなく、
精神的成長もなく、おそらくシッカリ大人になっとらん。
「可愛い子には旅をさせろ」と野に放てば、
世間の荒波をまったく受けとらんタイチャンは、
野生のカラスや猛禽の縄張りに入って襲われ、たぶん生きる場所もなかろう。
とにかく、ほとんど犬猫のキャッツフードしか食わないタイチャンは、
餌の獲り方もしらんのだ。たちまち飢えて野垂れ死にが関の山。
幸か不幸かタイチャンは、死ぬまで我が家のムスコとして一生を終えるしかないのである。
まあ捕獲されて目も開けぬうちに処分されていたことを思えば、
ヤマノカミに引き取られ、タイチャンは不幸中の幸いであったともいえる。
 タイチャンに関するエピソードはギョーサンありすぎて省略するが、
一生犬小屋のごとき檻の中で人生を全うせにゃならん彼にとって、
もっとも生きがいにしとるのは、たぶんオシャベリであるとオモワレル。
オノレもヤマノカミも、ことさら積極的に教え込んだわけではないが、
まあよく憶えるオボエル。ホンマ、笑っちゃいますですヨ…ハイ。
タイチャンのオシャベリを聞いた友人は、
皆信じ難い顔で目をシロクロさせとる。
そのタイチャン語録をここに紹介しておく。
(1)オハヨウ   (2)オヤスミ   (3)オルスバン
(4)タダイマ   (5)コンニチハ  (6)オカアサン
(7)オバチャン  (8)タイチヤン(自分の名前)
(9)ドッポチャン(うちで飼ってるコザクラインコの名前&オノレの事務所名)
(10)モシモシ、モシモシ (電話を受けてる声)
(11) ハイ、ハイ     (電話を受けてる声)
(12)出テマス、出テマスヨ(これも電話のやりとり)
(13)ホエッ、ホエッ!(意味不明) 
(14)オカッテ、オカッテ!(意味不明)
(その他) カラスとは思えぬ多種多様な奇声あり

タイチャンのヤロウ、「オトウサン」だけは、
いくらオノレが教えても、未だに憶えてくれんワイ!



  アテネ・女子マラソン ーオノレ的進化論ー
Date: 2004-08-23 (月)

 アテネオリンピック・女子マラソンで野口みずき選手が金メダル。
オノレは午前八時半過ぎからの録画で観た。
朝のニュースですでに結果がわかとったから、
最後にヌデレバ選手との差が詰っても、
落ち着いて安心しながら左団扇で観ておった。
あれをライブで観ていたならハラハラ・ドキドキ、
オノレのごときカヨワイ心臓の持ち主は、
たぶん心停止を起しかねないほど過酷で危ういレースであった。
 土佐、坂本の両選手も入賞。
アテネの上り下りがキツイ急坂コースは、
どうやら日本選手の味方になったようである。
 それにしてもあの暑さの中、あれだけの距離を走り続けるなんて、
人間の運動能力というのはスゲェーもんだよな。
 しっかりとした環境と指導の下、厳しいトレーニングを積み重ねた場合、
人の肉体的能力は一体どこまで進化するのであろうか?
多くの競技において、毎年のように世界新記録が更新されているのである。
オノレ的進化論から予測するに、
そう遠くない将来、人の走力はサラブレッド並のスピードに進化して、
いずれ100メートルを5,6秒で走るなんて時代も来るのではないか?
マラソンのようなロードレースにおいては、
一時間前後で走ってしまう時代が来そうな気さえする。
 フト思う。スポーツと同様、芝居の世界でもかような進化は可能であり、
これまでも進化してきたのであろうか?
 最近では珍しくない、コンピューターや映像を取り入れた舞台、
大掛かりな装置を使う仕掛的技術では、
これまでにもアット驚く進化があったし、これからもあるやもしれん。
しかし知的創造の側面、優れた人間ドラマを描く劇作家の脚本や、
深い肉体表現で客の心をつかむ役者の演技面ではどうなのであろうか?
 劇作家の創造する手法は、その時代によって大いに異なるし、
役者の演技もたぶんそうなのであろう。
その創造的成熟度において、
現代演劇の脚本が、古典劇の作品より優れているとも思えん。
今の役者の演技が、昔の役者より劣っているとも思えん。
 つまるところ、スペクタルや見世物的世界はさておき、
芝居というものは、人間が人間との関係や自然との関係で創るドラマであり、
「日常の悲喜劇、心の葛藤をどのように創作、表現して、
観客の内なる魂を揺さぶるか…」という、
知的・精神的世界であるとオノレは思う。
(役者の肉体はそのための最も重要な道具であり、音楽や効果、
装置、衣装・小道具などはそれを補足するためのものである。)
 アラアラ、オリンピックの肉体的進化から、
ずいぶんハナシの方向がそれちまった。
オノレはいったい何を言いたくて、最後にどうまとめりゃいいのかと、
今やオノレ自身わからなくなり脳がパニック。
もうホトホト疲れてきたので安易な結論。
 そもそも劇作や演技という分野は、
進化という尺度なんぞで捉えるような世界ではないのだ。
そういうことを「フト思う」、
オノレの発想自体がナンセンスだったのである。
いかなる時代においても人の心を打つ舞台は、
要するにその作家、役者、個々の能力次第なのであろう…。
 デハ、その能力のアマリナイ、
オノレのような役者はどないすればエエんじゃろ?
「役者をやめればいいんじゃナイ?」と、
またまた亭主をキズつけるヤマノカミの軽い冗談。
ナヌ、冗談ではないとあらばハッキリ言ッとかにゃならん。
「60過ぎたオノレが役者をやめて、
アンタ、オノレとホームレスをしてくれるんかい!」
「そのときはワカレルノヨ」、タク…カッテにさらせ!
 ところで、年代別10メートル競走なんてえのを仲間内でやれば、
オノレはかなりの瞬発能力を発揮して勝つような気がしとるんだが…
 いずれにせよ日々進化せず、退化するばかりのカラダではアル。

(追記)昨日の日記で、夏の高校野球で見事優勝した、
北海道代表・駒大苫小牧高校について、
「選手のほとんどは、野球留学の他県出身者ではないのか?」と、
チト危惧したオノレであったが、駒大苫小牧はベンチ入りした18人全員、
北海道の中学出身者であるという。
 またまたオノレはビックラ仰天。あらぬ下衆の勘ぐり…お許しアレ。
改めて、天晴れ駒大苫小牧。心からオノレの完敗を反省し、
喜びの「乾杯!」である。
 


  「道産子に乾杯!」
Date: 2004-08-22 (日)

 午前中、ゲームの音声収録。
午後には自宅に戻って高校野球の決勝をTV観戦。
北海道代表・駒大苫小牧が勝って、
優勝旗が初めて津軽海峡を越えた。
 オノレは愛媛代表・済美高校が圧勝するであろうと、
チト北海道を舐めた予想をしとったが見事ハズレ。
それにしても素晴らしい打撃戦で、
最後まで見応えのあるオモロイ試合であった。
 予想は外れたが、オノレが応援したのは、
やはり判官びいきで北海道。(別に愛媛がキライなわけではない)
まあとにかく駒大苫小牧は、
「これが北海道代表か?」と我が目を疑うほど強いチームであった。
判官びいきの応援なんぞ必要なかったと、
オノレが反省するほどの強さでビックラこいたネ。
 監督が優勝インタビューで、
「道産子がよくやってくれました」と答えとったが、
ホンマ、選手は皆北海道出身の高校生たちなのであろうか?
やはり選手のほとんどは、野球留学の他県出身者ではないのか?
だとしたらチト残念というか、寂しい。
 いやいや、ま、とにかく雪国北海道が初優勝。
その奮闘にケチをつけるようなことは言わんで、
ここは素直にその勝利を称えたい。
「道産子に乾杯!」


  再演の苦しみ悦び
Date: 2004-08-21 (土)

 自慢にはならんが、オノレの独談・独演はそれほどアチコチからお呼びがナイ。
それでも最後に演じてから半年とか一年ぶりにお声がかかったりすることもアル。
 この七月にフィリア美術館で「アカシアの町」をさせてもらったのが実に一年ぶり。
「アカシアの町」は、友人のギャラリー・オープン記念公演で来月も公演するから、
この公演間隔はオノレの再演としては短いお休みの方である。
 10月に関西で再演させていただく「タイチャン」も、
去年の12月の所沢公演以来で10ヶ月ぶりの公演だな。
 かように再演までの期間がタップリあると、
改めて稽古をしっかりやらねば舞台には立てない。
最低、「これで不安なしに舞台に立てるワイ」と、
オノレが思えるまで稽古をすることになる。
 オソロシイことに、過去に何度も上演している作品ではあっても、
長い期間のブランクがあると、過去に創りあげたオノレの努力の結晶は、
オノレの思っとる以上にダメになっとる。
台詞はチョコチョコ忘れちまッててスンナリは出てこないし、
動きもギクシャクギクシャク、台詞としっかりカミ合わん。
で、まずはその壊れた穴の修復から稽古し直すのであるが、
一人で長時間演じ続ける舞台であるから修復箇所もタップリある。
これは怠惰なオノレにとってナカナカ苦しい稽古である。
常にアチコチからお呼びがあって公演できれば、
台詞もそうは忘れんし、動きもギクシャクせずに、
さらにより深い表現を究めるための稽古が出来る…カモしれん。
しかし長いブランクがあると、より深く究める前に、
最後に公演したところのレベルまでオノレの力を回復させにゃアカンのだ。
これはタマにしか公演依頼がないマイナー役者にとっては、
公演依頼がある度繰り返される、まことに辛い定めである。
「だったらアチコチからもっと注目されるよう努力して、
呼んでもらえる舞台にすればいいんじゃナイ?」と、
ノーテンキにヤマノカミ。
「それがナカナカできんから苦しんどるんじゃ、オタンコナス!」
(と、オノレはオノレに言ったのでアル)
 しかしかような苦難の稽古から生まれる悦びも、
ダメな役者は役者なりに大いにあるのダ。
 役者というシゴトは、例え滝沢修や杉村春子というような、
今は亡きエライ役者であっても、今生きているウマイ役者であっても、
己が見落としていたり、気づかなかったりすることが、
案外ギョーサンあったりするのだ。
厳しい稽古を積み重ね、何度となく公演し、
すっかり手の内に入れたと思える舞台であってもである。
(とくに怠惰なオノレのような役者の場合)
タマにお声がかかる再演と、そのためにするシンドイ稽古は、
その見逃していた大事なことに気づかせてくれたり、
新たなスバラシイ表現を発見させてくれたりもする。
さよう、この創造的発見をした瞬間の悦びは、
名優ではないオノレのごときハンパな役者にとっても、
実に大きな役者としての悦びなのである。
この瞬間の悦びはオノレが役者を続けるエキスとなり、
暗い明日が妙に明るく見えたりして、
メイユウになった錯覚さえもするヨロコビなのである。
 で、まあこの苦しみ悦びナイ交ぜになった稽古の結果、
本番にてお客さまから嵐のごとき感動の拍手を受けたときの、
さらに大きい役者の悦びといったら…!
 そういうオノレの舞台になるよう、
また今日も我慢して稽古いたしますデス…ハイ。
 


  「小説・オデッセイ」
Date: 2004-08-20 (金)

 ホンダの車、オデッセイの仕事をした。
誕生から、三代目にあたる今日のモデルになるまでのエピソードを描いた、
「小説・オデッセイ」の朗読である。
これは九月中旬以降、ホンダHPサイトで聞くことができるようだ。
 オノレとは異なる世界で、車に情熱を燃やして生きる人たちの話であるが、
芝居の創造過程と重なるところもあつてなかなか興味深かった。
 NHKの「プロジェクトX」が放送されて以来、
何かを成し遂げた人々の生き様を追う人間ドキュメントに、
多くの人々の関心が集まっているようだ。
 今日のホンダの仕事も、その流れにのった企画なのかもしれん。
残念ながら映像つきではないようである。
実際、どういう形でオノレの声が流れるのか、
オノレの朗読中、パソコン画面はどうなっとるのか、
スタッフに詳しく聞きそびれて、今はオノレにもよくわからん。
いずれにせよ、九月中旬過ぎたらホンダのサイトにアクセスして、
オノレがどないにシッカリ朗読しとるんか、
オノレの厳しいこのミミで確かめてやるべえ…
朗読した大任を負った者としてそう思っとる。
で、ヨクナイところは録りなおすことも…多分ナイ。


  悪循環
Date: 2004-08-19 (木)

 長びく猛暑のせいであろうか。
このところ体がだるく、オノレの脳ミソはボケーッと思考停止である。
もちろん頂いた声優の仕事はチャントしているつもりだが、
私的時間になると常に眠たい状態で気合が入らん。
夜中暑くて睡眠不足になりがちなのだ。
で、プライベートにやりたいことはギョーサンあっても、
長い赤信号でイライラ待っているような精神状態である。
フン、こうなりゃジタバタせず、涼しくなるまでひたすら耐えるのみ。
さよう、熟睡のため寝酒を飲んで眠るしかないわい…と、
晩酌でしっかり酔ッてからバタンキュー。
ところがそれが飲み過ぎで、翌日やっぱり脳ミソがボケーッ!
 猛暑の中で愚かな悪循環をくりかえすオノレである。


  来年は下北沢・OFF・OFFシアター
Date: 2004-08-18 (Wed)

 来年8月、オノレは自身のプロデュースで、
いろいろな役者やスタッフ共々また芝居をする。
来年は演出はしないでオノレが主演。
その日程と小屋が本日決定。
初日が8月5日(金)で、千秋楽が8月15日(日)である。
劇場は下北沢のOFF・OFFシアター。
上演作品は…まだ作家から最終的上演許可を頂戴しとらんのでヒミツ。
 詳しくはいずれこのHPにコーナーを設けてお知らせする。


  百円ショップ
Date: 2004-08-17 (Tue)

 最近チョコチョコ「百円ショップ」を利用する。
驚くほどの品数が揃っており、
「オイオイ、これが百円で買えるんかい!」と、
思わず我が目をコスッてしまうようなメッケモンがあったりする。
 例えば今日買ったライト付きの拡大鏡なんぞ、
その質感といい使い勝手といいナカナカのモノである。
またMDやビデオテープも百円である。
どないカラクリがあってこの値段で売れるんじゃと、
経済学に弱いオノレはただ頭を捻るばかりなのだが…。
しかし生鮮食料品だけはどうも買う気になれん。
別に農薬だらけのモノを売ってるのではないのであろうが、
オノレが口にするものとなると、百円だけにかえって臆病になる。
 ま、とにかく金持ちではないオノレにとって、
いろいろアリガタイ百円ショップなのであった。
アララ、金持ちラシキ金髪のオバサマが、
オノレの後から、しこたまビデオテープを買ッとるがナ!


  若き声優の悩み
Date: 2004-08-16 (Mon)

 若き声優の悩みは「恋」ではなく、酒席であつた。
酒の飲めない彼は、番組の打ち入り・打ち上げはもちろん、
仕事終了後の飲み会に参加したときなど、
ウーロン茶でその場にいるのは肩身が狭くて辛いという。
されどデイレクター・プロデューサーに、
かような席においてでも自分をよく知ってもらいたいし、
また参加しないと次の仕事がもらえないような強迫観念にも襲われるという。
またこういう飲み会は、たいてい全員ワリカンであるから、
まだそれほど高くないギャラの彼にとってはこれもツライ。
さてムギヒトさんは若い頃、僕のような悩みはありませんでしたか?
とオノレに問うてきたわけだ。で、しばし答えに窮したオノレであった。
 今でこそ酒も弱くなり、酒席に参加するのも時々、
参加してもマイペースで、ほどほどに飲んで退散しとる。
しかし若かりし頃のオノレは酒も強かったし、
酒席もタイヘンキライではなかったので、
彼のごとく深く悩んだ記憶はあまりナイ。
が、デイレクター・プロデューサーとより懇意になりたい、
それによって今後もドンドン仕事に起用してもらいたい…
という下心がマッタクなくして酒席に座ったかといえば、
マッタク下心はアッタのであった!
おかげで付き合ったディレクター、プロデューサーからドンドン仕事が…コナイのであった!
(いや、少しはキテイタのかもしれんがネ)
 ただし若い頃のオノレは、まことにナマイキで傲慢であったから、
お付き合いして懇意になるつもりのデイレクター・プロデューサーに、
酔ってカミツイタリ、暴言を吐いたりはチョクチョクであった。
酒が醒めて後、
「もうカミツイタ奴からは仕事がもらえんのだろうナ…」
という脅迫観念に襲われたりもしたのだが、
それでもカミツイタ奴から仕事がキタリしたこともアツタのであった!
つまりオノレの若い頃、かような口喧嘩や暴言が飛び交う酒席は日常茶飯事、
それほど大したことではなかったのである。
そう、使う側も使われる側もオオラカというか、あんがいノーテンキで、
恨みがましく陰湿な奴はあまりいなかったような気がする。
(そりゃ、何人かはおりましたがネ)
 では今日においてはどうなのであろうか?
最近それほどひんぱんに酒席に付き合わぬオノレの印象であるから、
オノレの知らぬところではあるのかも知れないが、
少なくとも自分が参加した酒席において、
もう何年も、ひどい喧嘩や暴言をオノレはまったく経験してない。
皆和やかに、おとなしく飲んで解散しているようである…。
それがヨイ傾向か否か、オノレにはヨクわからんがネ。
 けだし、若き声優君の悩みも理解できぬわけではないが、
あまり神経質にならんほうがええ。
心ならずも、いや心命じるままに酒席へ参加した際は、
ウーロン茶でもええから擬似酔いをして、
おおいに盛り上がり、言いたいことを言えばエエ。
リラックスして暴言吐きたきゃ…オヤメナサイ。
財布が寂しければ、遠慮せずに参加拒否して帰ればエエ。
それで仕事をくれんようなディレクターやプロデューサーは、
ゴエンがなかったと思ってアキラメなさい…そうもイカンか。
 ま、偉そうにオノレの経験からいわせてもらうと、
上戸であれ下戸であれ、酒席に参加しようがしまいが、
それによって生活が一変するほど仕事が増えたり減ったりはせんヨ。
タタカイの現場において、声優として良い仕事を積み重ねれば、
若き君の悩みは、必ずやドウデモヨイこととなり、霧散霧消するするであろう…。
 さて、今週はあのプロデューサーと懇意になるため、
オノレの今後のタメに、一杯ヤッカ!


  日本ミニクラブ 「津軽の鉄道」
Date: 2004-08-15 (San)

 今年の五月、オノレは「津軽の鉄道」という記録映画のナレーションをした。
その試写会が大井町で催されヤマノカミと観に行く。
 この映画はメディアや企業の製作した映画ではない。
社団法人「日本ミニクラブ」という、鉄道マニアというか、
鉄道を愛する人々が集うクラブがつくったアマチュア映画である。
しかし撮影されたフィルムの映像はとても素人の域ではない。
そのほとんどは、もと新幹線の運転士をされていた御高齢の方が撮ったらしいが、
昔の国鉄時代からコツコツ撮ったというその映像は、大変貴重で美しい。
 またこの制作をされ、クラブの会長でもあるお方も、
八十半ばを過ぎたチョー元気なオジイサン!
このお方の鉄道に対する、
そして今回の「津軽の鉄道」に対する入れ込みと情熱は、
二回り年下のオノレもタジタジになるほど燃えておった。
 映画は全編一時間のホンマ大作記録映画なのであるが、
オノレのナレーションはさておき、味わい深い津軽の風景や、
去り行く列車の哀愁を目にするだけで、
ごらんになった方は退屈しないであろう。
 試写会のあと宴席に呼ばれ、
何人もの「鉄ッチヤン」(鉄道マニアをどうもこう呼ぶらしい)や、
鉄道に関わって生きてきた人たちと楽しいひと時を過ごした。
で、その宴席に参加した多くの人が、七、八十代ばかりの元気なジイサン!
ふだんモノオジしない図太いオノレも、
さすがに敬意を払って小さくなっておりましたデス。
 かような方々に刺激され、新たなエネルギーを頂戴し、
うまいタダ酒を飲んで酩酊した今夜のオノレであった。


  終戦記念日
Date: 2004-08-14 (Sat)

 明日は終戦記念日。
なぜか「敗戦記念日」とはいわないようである。
日本だけで300万人を超える戦争での犠牲者。
この愚かな歴史の教訓を、この日だけ思い出すのではあまりに虚しい。
 中東では、金と武器で白黒をつけようとする大国の思い上がりによって、
悲惨な日々を余儀なくされ、命を失う無辜の民がたくさんおる。
かような人々の今日を思うと、あまりに辛くて言葉もない。
そんな現状を知りつつ、まことに無力なオノレが歯がゆい。
 そして我が日本では、憲法九条の精神を歪め、
その改正を声高に叫び始めた連中が跋扈しとる。
歴史の教訓を省みない、こんなヤカラの姿をみると、
日本の未来が空恐ろしい。
かような連中が何を企んどるのか知らんが、
これからオギャーッと生まれる赤子のためにも、
オノレが持てる最大のブキを使って、
オノレはヤツラに抵抗しつづけたいと思っとる。
そう、オノレの役者としての表現活動こそ、
人を殺戮せずに日本が平和な国であるための最大のブキである!
 アラ、大した武器ではないかしら?


  趙博、反・非・不戦ライヴ&トーク「をんな唄つづら折り」
Date: 2004-08-13 (Fri)

 夜、趙博(親愛をもって敬称略)の、反・非・不戦ライヴ&トーク、
「をんな唄つづら折り」を視聴に門前仲町へ。
 タイトルのごとく「をんな」をテーマにした幾つもの唄を通して、
生け贄にされたというか、翻弄され犠牲になりつつ、
なお強く波乱の時代を生きた女たちの世界が透けて見えてくる。
 オノレはおよそ1時間40分、その世界にドップリ浸かって、
何人もの女たちの哀しみ、喜び、生きるタクマシサを感じながら、
ときにこの胸を熱くしとった。
 オノレはタブン音痴で、音楽を理解する能力にまるで自信がない。
が、趙博の骨太でエネルギッシュな声は、その感情移入の激しさと相俟って、
人の世界の不条理に対するオノレの抑えがたい感情を十分昂揚させてくれた。
さらに抑制された表現から生まれる深い味わいに磨きがかかれば鬼に金棒、
オンチのオノレはエラそうにそう思ったな。
 いずれにせよ、音楽に疎いオノレが退屈もせず、趙博の味のある声から、
ヒシヒシとイロイロなメッセージを感じとり、
主役と競演しとるような気分にもなった、楽しく切ない時間であった。
趙博の今後の活動に、オノレはいよいよ注目していきたい。
 趙博は今は亡きマルセ太郎と親しく関わり、
マルセが我々に残してくれた大きな遺産、
「スクリーンのない映画館」を継承できる器の表現者だ。
 趙博がはじめた「歌うキネマ」のシリーズは、
マルセの残した表現の容(カタチ)を、
彼なりの技と主張で受け継ごうという意思表示であろう。
残念ながらこの「歌うキネマ」の舞台を観る機会に、
オノレはまだ恵まれておらん。
しかし昨夜のライヴには、その舞台が垣間見えるところがあって、
オノレは思わずワクワクし、はやくその舞台を観にゃアカンな…、
という意をますます強くしたのである。
 ところで昨夜のライヴでビックラしたことがある。
オノレの独談「タイチャン」や「アカシアの町」にある世界が、
唄われた歌詞にもトークにもいろいろあってドキリとした。
もっとも「反戦」がテーマにもなっとるライヴである。
戦争がテーマにもなっとるオノレの独談とオーバーラップする状況が、
チラホラあっても当たりまえなんだよナ。
とくに朝鮮人慰安婦の、
「♪ 満鉄の、何トカノ、パカヤロー…」という詞を耳にして、
なぜかオノレの胸は早鐘を打ったのであった!
(そのわけは、オノレの独談を観ると、キットよくわかりますデス)
 明日からオリンピックが始まる。
タブン金と利権と薄汚い政治の駆け引きにまみれた現在の五輪に、
オノレはアマリ興味はない。
(五輪に興味はなくても興味のある競技はあって、TVで観る競技はありますデス)
 未来を見すえて平和を希求するのは大切である。
しかしその平和を勝とるには、過去の歴史を真摯に振り返り、
そこから人の為してきた罪悪をみつめ、その事実を教訓として学ばない限り、
「平和」というコトバがただただ天空に虚しく響くばかりであろう。
 趙博の「をんな唄つづら折り」ライヴは、
オノレにかような思いを一層強く感じさせてくれたのである。

            趙博HP
        http://www.fanto.org/


  記録更新!
Date: 2004-08-12 (Thu)

 38日間連続真夏日、記録更新だそうな。
いろいろな世界において記録更新は数々あるが、
ふと、オノレの人生においての記録更新はナンジャと考えた。
 あるわアルワ、現在もカガヤカシク更新されつつあるオノレの新記録。
いや、その余りの多さに目をむいたナ。
さらにその記録更新リストの余りに輝かしくない内容に、
ムイタ目から目ン玉まで飛び出そうになッちまった。
 借金の記録更新、忘れ物紛失数の記録更新、
ついでにいえば物忘れの記録更新、対水虫長期闘争継続期間の記録更新。
(ちなみにこの二つの記録更新は死ぬまで毎日更新されるであろう)
 その余りの内容の酷さにこれ以上オノレの恥をさらすのは、
今後のオノレの人生に悪影響を及ぼすオソレがあるのでヤメテおくのだ。
 では、オノレに自慢できるカガヤカシイ記録更新はないのか!
いくらアホなオノレでも、一つや二つありそうなものであるが、
これがなかなか思いつかんのヨ…。
「アッタゾ、まさに輝かしい記録の更新が!」
 スキンヘッド継続期間の記録更新。
これぞ現在も日々更新中のカガヤカシイ記録。ナニ?
「カガヤカシイ記録かもしれないけど、
人様に自慢できるような記録更新ではナイデショ…」とヤマノカミ。
 エイ、ママヨ…もうヤケクソでこれならどうじゃ。
一日何回も記録更新しとる、オナラ放出回数。
これならオリンピックもんだわい。ブーッ!
 本日の日記帳は虚偽と冗談にミチ満ちておりますデス。


  言葉の軽重 − 二人の芥川賞作家 ー
Date: 2004-08-11 (Wed)

 先週、サッカー・アジア杯で日本優勝! 
オノレにとってはイロイロ考えることの多い中国での大会であつた。
 TVを通して観戦した日本の何試合かに、
オノレは思わず手に汗握るほど興奮したが、
それらのスタンドには、日本チームに対しオノレより興奮し、
強烈なブーイングや行為で敵意をムキダシにした中国の観客がいた。
それはオノレにとってあまり気持ちのよい映像ではなかったが、
不愉快というより、大きな問題である日中関係の近い将来の姿を、
「小さなサッカー場」の中に感じてゾッとしたのである。
 この現象に対して日本の某大知事さんは、
「民度が低いんだから、しようがないね」とオッシャッタ。
おやまあ、オノレを含め我が日本の国民はどうも民度が高いようで、
アリガタイというか、恐縮というか…。
 そこで、かように民度の高いヤマト民族の一員であるオノレは、
その評価に恥じぬよう、過去の日本国の歴史を、
チャント再検証せにゃならんと改めて思った。
あの第二次世界大戦で、我が民度の高い国は世界に対して、
アジアに対してどんな国策をとって敗戦しちまったのか、
もう一度正しくキチンと学ばにゃイカン…そう思ったナ。
そうなのである。この大知事さんのゴニンシキされとる戦中の日本史は、
オノレが認識しとるそれとイロイロ異なっておる。
で、あるからして大知事様が大いに正しいのか、
オノレが大いにマチガットルのか、
芥川賞サッカー、いやいやサッカになるほどの頭はないが、
オノレの認識がサッカクでないか深めるため、さらに勉強せにゃアカン。
もっとも正しい認識をフカメれば深めるほど、
日本の将来に対する不安もフカマリそうな悪い予感がするのデス。
 それにしても他民族を、「民度が低い」やら「支那人」なんぞと、
未だ軽々に言い放つ芥川賞サッカの大知事様である。
(オノレはこのお人の発言を聞くたび、
「大東亜共栄圏」というナツカシイ言葉をいつも思い出してしまうのです)
さらに懲りずに靖国を参拝し、憲法9条を蔑ろに、
「軍国日本」を望んでいるかのようなお方が総理大臣の日本である。
そういう民度のタカイ高い、オノレのような日本人なのである!
 オノレは思わず、またまたナツカシイ軍人勅諭の一部を諳んじとったナ。
 「一ツ、軍人ハ礼儀ヲ正シクスベシ」
 「一ツ、軍人ハ武勇ヲ尊ブベシ」
ナンテネ…。
 「歴史にかつてない数の新しい死者を背負うようにして、
戦後の日本人が作った再生のための原理を、それを打ち崩した後、
日本とアジアに何が起こりうるかを考えず、
改憲にのめりこもうとする政界、財界の実力者、
けしかけるアメリカの高官に、
私は倫理観も想像力も未熟な、危ういタイプを見ています。」
(2004年8月10日・朝日新聞・朝刊。「伝える言葉」大江健三郎)
 芥川賞サッカの大知事様や総理大臣様の、
カミ風船のごとき軽々なコトバと対照的に、
さすが芥川賞作家でありノーベル賞作家の、
深くオノレの胸を抉った重い言葉であった。
 
 


  アニメ「ー流星戦隊ー ムスメット」
Date: 2004-08-10 (Tue)

 昨夜の「CSI科学捜査官」第3シリーズの打ち上げは、
暴力沙汰もシカトもなく、和気藹々と無事終わった。
 宴席において、難しい漢字の正しい読みを書くというか、
学ぶようなゲームをし、オノレはミットモナクナイ程度には読めてホットした。
それにしても漢字のドエライ難しさと奥深さを改めて認識したオノレであった。
 打ち上げの疲れからか、少し虚脱状態で体に力が入らぬまま、
小田急ロマンスカーに揺られて帰京。
 新宿の喫茶店「ルノワール」でしばし時間をつぶし、正気をとりもどす。
それからアニメ「ー流星戦隊ー ムスメット」の収録スタジオへ。
 オノレの役はジョルジュという、怪しげなフランス語を使うアヤシゲな役。
第5話から登場するのであるが、本日が最初のスタジオ入りであった。
 この番組、レギュラーに若い娘さんが多く、
スタジオ内は彼女たちの青春真ッ盛りの香りでムンムン。
打ち上げの酒が微かに残るオノレの体は、
その甘酸っぱい香りで、二たびホンワカ酔ッチマッタ!
 13回完結の短いシリーズアニメであるが、あと七週・七日間、
オノレはこの若きオトメタチの香りというか、
匂いを嗅ぎつつ仕事をするのであろうか…シアワセッ!

     ー流星戦隊ー ムスメット HP
    http://www.wonderfarm.co.jp/musume/


  打ち上げ旅行 ーCSI科学捜査官ー
Date: 2004-08-09 (Mon)

 今日は「CSI科学捜査官」の第3シリーズ、最終回の収録。
収録後、湯河原の温泉宿で一泊の打ち上げ。
半年後、第4シリーズの収録開始までブラス警部としばしのお別れ。
 この番組の声優・スタッフの多くは酒好き、宴会好き。
週に一度のレギュラー日も、音声収録後、欠かさずその日の打ち上げをしとる。
 近ごろすっかり酒に弱くなったオノレもチョコチョコ参加しとるが、
CSIの科学捜査班同様、実にチームワークのよい雰囲気で、
皆ワイワイガヤガヤ飲んどる。
暴力沙汰はもちろん、ギロンやアブナイジョークはあっても、
喧嘩になるようなギロンはなく、和気藹々の雰囲気である。
もっともCSIは第7シーズンまで続く予定らしい。
とすれば後4年も続くのである。
今の時点で関係者の中で険悪なことが起きては、
今後の仕事がやり辛くなる。
 4年後の完全なる最終回の打ち上げまで、
恨みや憂さをじっと内に抑え込んどる関係者はおらんであろうナ…。
 あら、スタジオ入りに遅刻しそうだ。最後の収録で遅刻なんぞしたら、
それこそ今夜の打ち上げでシカトされてしまうがナ!
 「行ってまいりますッ!」


  誕生日
Date: 2004-08-08 (Sun)

 オノレの誕生日である。
海で遊んどる友からの電話で、冗談のように「誕生日でしょ?」と言われ、
オノレもハタと思い当たったオノレの誕生日である。
同居しておるヤマノカミも、知ってか知らずかナニモ言わない。
つまりオノレにとってもヤマノカミにとっても、誕生日は特別な日ではないのだ。
365日のたった一日に過ぎない。
そうなのである。
オノレが「人生の意味」を真面目に考えたのが40歳半ばだとすれば、
オノレは未だ十代の「青春真ッ盛り」なのである。
であるからして、役者として、芝居へかけるオノレの情熱は、
いよいよこれから、タブン、燃え盛るのではないか?
 オノレの辞書に「還暦」なんぞという文字はナイ!
「あまりエエカッコしないほうがラクヨ…」とヤマノカミ。


  オフィス・サエ公演「お藤」
Date: 2004-08-07 (Sat)

 大塚にあるスタジオVARIOというスペースで、
オフィス・サエ公演、「お藤」という舞台を観劇。
広島の被爆をテーマにした重いテーマの作品であつた。
原作は山本真理子「広島の友」。
この作家は戦争を題材にいろいろ書いとる作家らしい。
 舞台は原作を脚色せずにそのまま上演したようだが、
原作のもつ強い訴求力、メッセージが、ひしひしと客席に伝わり、
その試みは失敗ではナカッタ…とオノレは思った。
 とにかくオノレの涙腺は、舞台の後半、
被爆した娘たちの青春と悲惨に目薬状態であった。
 それから出演した若い女優さんたちの真摯な熱演にも心うたれた。
彼女たちの演技には、上手いとか下手だとか、
そんなレベルの感想を蹴散らすほど、
作品と己の創造的役割に、一人ひとりの思いをこめた情熱を感じた。
 久しぶりに期待をしないで観に行き、
「観てヨカッタワイ!」と嬉しくなった舞台であった。


  秋のアニメ新番組「月詠」
Date: 2004-08-06 (Fri)

 ヤハリ! 
秋のアニメ新番組、レギュラーのお話を二つばかり頂戴しとったが、
その一つがやはりキャンセルされた。ガックリ…。
オノレのナニがイカンかったちゅうの? 教えてはくれんのじゃ。
 しかしオノレの仕事では、かようなことはヨクある現実、日常茶飯事、
いちいちガックリしとってはこの身がもたんのである。
明日を信じて青空を見上げて歩かにゃイカンのである。
「武士は食わねど高楊枝」の精神こそ大事なのである。
にもかかわらず、やはり心のどこかで未練たらしくガックリするオノレは、
まだまだ人生の修行が足りないのである!
 さて、もう一本のお話は無事決定したようである。
その仕事にオノレが行って、最初に声を入れるのは8月31日。
(それまでにキャンセルの話がきたらドナイショ、早く一本録らせてくれッ!)
 新しいレギュラー新番組の作品名は「月詠」。ツクヨミと読むらしい。
珍しくクラシックなタイトルのアニメであるが、
題名からして、とても奥の深そうな作品ではないか!
大ヒットして10年くらい続きそうな予感がする。
だがオノレの予感はだいたい裏目に出ることが多い。
そんな悪い予感もヨカンしてアカン。
 オノレはまだ「月詠」の台本も読んどらんし、
その内容も未だしっかり把握しとらんのだが、
インターネットで調べると、どうやら御堂竜平という役らしい。
聞くところによれば、アニメ監督の新房昭之氏がオノレを強く推薦してくれたとか…監督に深く感謝。
期待に応える仕事をせにゃアカンと心して待機しとるのであります、ハイ。

        「月詠」の情報サイト
http://www.comicgum.com/topics/moontv/moon_anime.html


  アニメ「B−伝説・バトルビーダマン」&昴・サードステージ
Date: 2004-08-05 (Sun)

 午前中はアニメ「B−伝説・バトルビーダマン」の収録。
オノレは#29くらいから登場した、大首領マーダビィ役。
いまのところ天空に目ン玉の雲のようなカタチをして現れる悪の親玉。
オイオイ、最後までこのカタチなのであろうか…チト気になる。
 ガキの時代、オノレもよくビーダマ遊びをしたものである。
オノレにとって昔懐かしきビーダマが、
今子供たちの中でどれだけ流行っとるのか知らんが、
おそらくこの作品を生んだキッカケはあのビーダマの当テッコではないか?
なかなか上手いところに目をつけたものである。
子供たちはいつの時代も、いろいろな遊びの中で無邪気にタタカイ、
異性との純情なアイの世界を空想しつつ大人になってゆく。
そして育つにつれ空想や純情を失い、
現実的利害や打算、愛憎に翻弄されていく。
「不条理な戦争やドロドロした愛を好む大人ッてユルセナイ!」
 そうだ、ビーダマひとつで目一杯の喜怒哀楽を感じた子供の心を、
大人はもっと大切にするべきなのだ! 
ナヌ、近頃では大人顔負けの現実的な子供も少なくナイッてか…ナニヲカイワンヤ。

   「B−伝説・バトルビーダマン」HP
 http://www.d-rights.com/b-daman/

 夜、劇団昴のザ・サードステージ「ジュリエットたち」を観劇。
題名のごとく、シェイクスピアの戯曲をモチーフに、
潰れそうな旅館を舞台に繰広げられる女性劇作家の書き下ろしコメディ。
 芝居はやはり脚本(ホン)である。脚本が拙いと役者はホンマ辛い。
しかしこのサードステージは、その役者が中心になって演目を選ぶようだから、
出来の良し悪しは選んだ役者たちの自己責任か…。
 創作書き下ろし作品のオソロシサは、
出来てくるまで脚本のデキの良し悪しがわからんことだ。
作家が早めに書き上げてくれれば対処のしようもあろうが、
上演までユトリのないところで上がってくると、
デキの悪いとき対処するのはナカナカ難しい。
オノレは今夜の舞台からそのオソロシサをゾッゾッと感じたナ。
 パンフレットに書かれておったが、若手の鍛錬の場として、
「情熱」をもって取り組むのがサードステージだとある。
だとするならばダ。既存の作品から戯曲として骨格のしっかりした、
鍛錬しがいのある作品を選んで挑戦したほうがよりベターではないか…。
現実にオノレが過去に観たサードステージには、
本公演に負けぬ優れた作品と舞台があった。
(松田正隆やエイズをテーマにした戯曲など)
とにかく今活躍中の若い劇作家を含め、
既存の良い作品はたくさんあるはずなのである。
 親しい方も多く日頃昴の芝居に注目しているオノレだけに、
敢えて苦言と言うか、率直な感想を吐露させていただきました。
今回のステージに情熱的に取り組んだ方々、オユルシアレ!
 


  アニメ「モンキーターン」とオノレの地獄
Date: 2004-08-04 (Wed)

 今日はアニメ「モンキーターン」の収録日。
このアニメは競艇選手の世界を描いとる物語だが、
なかなか人気があるようでPART1(半年間)の放映を終え、
引き続きRART2が始まっておる。
 オノレは主人公・波多野憲二の師匠で、
A1レーサーの古池という役をさせてもらっとる。
無口で頑固ではあるが、優しさも情もある人間臭い役どころだ。
 実はオノレも競艇がキライではない。競馬ほどではなかったが、
かつてアチコチの競艇場にお出かけし、
水面より真ッ青な地獄を見させていただきましたです…ハイ。
 競艇はたった六艇でレースをするのであるからして、
舟券的中は容易、タチマチ大金持ちになれそうな錯覚におちいる。
そしてタチマチ貧乏になる。
これがギャンブルとしての競艇の恐ろしさである。
 さて、競艇にせよ競馬にせよ、
オノレのようにスッカラカンのオケラになって、数え切れぬほどの地獄をみるとだナ、
そのうち地獄もたいして怖くなくなり、地獄が地獄に思えなくなる。(天国になるわけではない)
で、終いには、
「えい、ままよ! どうせヤラレルのであれば、
もっと恐ろしい地獄の中で、派手に狂おしくヤラレテ散りたい…」
というような、マゾっぽい恍惚的気分にさえなってしまうのである。
この恍惚的地獄からオノレがようやく目醒めたのは、
恥ずかしながらそれほど昔のことではない。
「よくまあ世間から蒸発しないですんだわい」と、
今更ながらご迷惑をかけた方々に感謝しているオノレなのである。
 多くの方に迷惑をかけたカイあって、
現在オノレはギャンブルとしての競馬・競艇からダイタイ足を洗っておる。
 今後はアニメ「モンキーターン」で描かれているがごとく、
選手たちの奥深い技術や能力、葛藤を愉しみながら、
一ファンとして、健全な娯楽というか、
レクリエーションとしての競馬・競艇を楽しみたいナ、と考えとる。
 ま、ほんのチョット興奮するために、
地獄をみないでもすむ、遊び程度の馬券&舟券を買ってだナ…バカッタレ!

       「モンキーターン」HP
http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/monkeyturn/


  小泉首相のカタヨッタ発言! そして馬銭奴の焼香…
Date: 2004-08-03 (Tue)

 マイケル・ムーア監督の「華氏911」について小泉首相曰く、
「政治的な立場の偏った映画は、見たいとは思わない…」だと!
 見もしないで偏った映画だと断定してしまうコノお人、
かようなお人が国家権力のトップにおるのであるからして、
我が日本はホンマに危うい国である。
 下々の声も聞かんと次から次にヤバイ発言を繰り返し、
国民無視の政策を進めとるお主の方が、
よっぽどカタヨットルのとちがうんかい?

 夕暮れ、この7月14日突然急逝した馬銭奴の自宅を訪れ、
霊前に焼香。
 いつ撮ったものだろう。
馬銭奴のまだ生きているかのような顔写真が仏前に飾られとった。
ほんとうに若々しく爽やかなその表情に、
馬銭奴の内に巣食っていたであろう苦悩や反逆はみえない。
 しばし彼と三十数年連れ添った方の話を聞きながら、
オノレは彼の知られざる一面を知り、
オノレが知っている彼の人間性をさらに深く理解したのであった。
 オノレは彼の本業を画家であると思いこんどったが、
連れ添った方の話によればそうではなく詩人であったらしい。
詩人であることに異見はないが、馬銭奴の描いたいくつかの絵を拝見し、
やはり彼は画家でもあったな…とオノレは思った。
 オノレは彼のホウボウを描いた魚の絵を、
形見分けのように連れ添った方から頂戴した。
水彩のその絵には、馬銭奴が本質的に具えていた純粋の世界が塗りこめられているような気がした。
 さらに彼が若かりし頃、連れ添った方と発刊した同人誌をもいただき、
オノレは馬銭奴の霊前に別れを告げたのであった。
 「箋」というその同人誌に若き馬銭奴の小説が掲載されとる。
それは「閉塞の時間」という名の小説であった…。


  「ラグナロク」
Date: 2004-08-01 (Sun)

 台風10号、西日本を縦断。
自然の猛威に人間はオロオロオロオロ、
で、自然の正しい姿を変形させ、
自然をオロオロ怒らせとるのは人間なのである。
 今日はアニメ「ラグナロク」のCDドラマの収録。
オノレはバフォメットというバッファローのような姿をしたツエー役。
シリーズではそれほど登場しとらんのだが、もうすぐ終わってしまうようだ。
バフォメットがどのような顛末をむかえるのか、オノレにもまだわからん。
 ちなみにCDドラマの「ラグナロク」は、
本編とはおよそ無関係なお話になっとるようであります。

         「ラグナロク」HP
http://www.ragnarokonline.jp/news/game/roanime/top.html