オノレ日記帳

2004年9月の記録



  いざ、関西へ!
Date: 2004-09-30 (木)

 明日から関西に行く。
10月2日が神戸の東灘区、3日が兵庫県の三田市で、
オノレの独談「タイチャン」を上演する。
神戸は泉湧之介商店さんの酒蔵での公演で、酒豪であった原作者、
殿山親ビンにふさわしい場所といえる。もちろんオノレも酒好きでゴザンス。
 この両公演を主催してくれるのが「神戸芝居カーニバル」という組織。
結成されてからもう随分になると思うが、一人芝居を中心に主催し、
イロイロ、地道に精力的な文化運動をされている。
オノレは10数年前、独演「ごびらっふの死」を招いて頂き、
それ依頼のお付き合い。
今は亡きマルセ太郎、歌うキネマで頑張る趙博、イッセー尾形等々、
オノレが一目も二目もおく方々がこれまでに招かれ公演しとる。
かような方々と同じく招かれるオノレとしては、
この組織の方々の芝居に対する厳しい観賞眼に耐える舞台をせにゃアカンと、
それなりのプレッシャーもセキニンも感じつつ、
腹の底から大いに燃えてくるのであります。
 このグループのメンバーは実に個性的な人が多く、
オノレは会うたび楽しい酒と熱い会話をさせてもらう。
ときに意見が食い違い、激しいヤリトリもしたりするが、
オノレがそういう姿をさらせるほど率直なお付き合いをさせてもらっとる。
 ま、何はさておき、今回もこの方々と美味い酒が飲めるよう、
2回の独談公演を悔いのない舞台にせにゃならん。
 いざ、関西へ…行ってマイリマス!


  夢・憶え書き #4 「 断末魔 」
Date: 2004-09-29 (水)

    夢・憶え書き #4 「 断 末 魔 」

 星一つ見えない薄暗い道を、ボンヤリ滲んだ外灯頼りに歩いていた。
たぶん真夜中なのであろう、人っ子一人いやしない。
冷え込んだ空気に歩道のアスファルトが薄く凍り始め、
ときどき水面のようにキラキラした。
 オノレの脳はまるで空ッポ、思考するなにものもなかった。
そんな蝉の抜け殻のごとき脳に、奇妙な声が響き始めた。
女の荒い息づかいと叫び、断末魔を思わせる男の悲鳴、
驚愕したような人々のどよめき…。
 オノレは急な緊張に襲われ耳を欹て声の出所を探った。
足下に錆びたマンホールの蓋があり、声はその蓋の下から聞えてくるのだ。
恐る恐る蓋の窪みに指を入れ力一杯引っ張ると、
「グワラ〜ン」と鈍い音を響かせ蓋が開いた。
同時に奇妙な声が三倍の大きさになってオノレの鼓膜を振動させた。
 マンホールの下には、鉄板でつくられた人幅ギリギリの螺旋階段があり、
ずっと底深く続いているようだ。
オノレは極度の緊張で脂汗を出しながら、
しかし怖いもの見たさの抑えがたい興味で、
一歩一歩、腰を屈めながら螺旋階段を、
やはり鉄の冷たい手摺をしっかり掴んで降りていった。
 底に向かって何段下ったのであろうか。
ようやく螺旋階段の底近くに辿りつくと、オノレの視野一杯に、
さほど広くない、すり鉢状に広がるシアターが入った。
 すり鉢の底には三坪くらいの舞台があり、
客席全体は銀色に光った鉄パイプが縦横無尽、
まるでジャングルジムのように空間一杯に組まれている。
 鉄パイプには猿のように腕を絡ませ舞台を観る満員の観客がいた。
彼らは自分の尻をパイプにのせ座っていたり、
その上に立ったりしながら舞台を眺め、
ときに息をひそめ、ときに唸ったりどよめいたりしている。
 何本ものサーチライトのような光の照明が、
上から下から舞台や客席に関係なく空間全体を射抜く。 
 オノレが観客たちをよく見ると、不思議なことに彼らは皆黒一色の服装。
まるで厳しい戒律に従うイスラム女のようだ。
彼らはべールで顔を被い、布にあけた両目の穴から鋭い視線を爛々とさせ、
すり鉢の底にある狭い舞台へ集中させている。
 この異様な空間に慄きつつ、オノレは息を殺して螺旋階段の一番下まで降りた。
そこがすり鉢シアターの最上部であった。
オノレは階段のすぐ真下にあったパイプの上に足をのせ、慎重に客席部分へと移動した。
両脇のパイプをしっかり握り、わずかにあった人と人の隙間に立つ。
瞬間、オノレはオノレの姿を思って凍りついた。
オノレはベールも被っていないはずだし、たぶん藍染の作務衣姿ではないか?
「これは不味い…」
 オノレは確かめるようにオノレの体を弄り、さらに凍りついた。
何とオノレも彼らと同じ、全身黒服姿になっていたのだ!
もちろん顔も目だけをのぞかせた黒いベールを被っている。
一瞬凍りついたが、すぐ我をとりもどした。
「オノレはよそ者でも、異端者でもない。」そう思ってホッとした。
ホッとして、黒山のごとき客席の群れと共に舞台へ目を向けた。
 舞台では、スポットライトの照明の中、
蒼白な顔を引きつらせ、紅い唇で激しく呼吸し、
純白のドレスを鮮血で染めながら、
右手にやはり血だらけの斧を持った女優が、
ヒステリックな叫び声を狂ったようにあげていた。
 叫ぶ女優の足下に、血まみれになった男の役者が、
そろそろ虫の息という態で倒れ断末魔の悲鳴をあげている。
しかしその恐ろしい場面を観ながら、オノレは妙な違和感を感じていた。
断末魔の役者に見覚えがあった。
「誰だったかな…?」
 なかなか思い出せないオノレの記憶に苛立ちながら、
悶える役者をさらによく見つめると、
その役者の様子も女優の叫びも何となく可笑しい。
よく注視すると男の役者は、どうも断末魔の苦しみという演技ではないのだ。
まるで別の苦しみ方をしているように思える。
女優は女優で、斧を振りかざし血だらけで叫んでいるが、
同じ叫びをただ時計の振り子よろしく繰り返すだけ。
 首を傾げてその演技を凝視していたオノレは、
信じ難い衝撃で目が点になり心底震えた。
「あの身悶えする役者の衣装は、いつもオノレが着ている作務衣だ!」
 胸に張り裂けそうな疝痛を感じた。
直後、客席最上段の鉄パイプに立ってるオノレの体が真っ逆さまにスッ飛び、
舞台上で断末魔の悲鳴あげる役者の体へと移動したのである。
 血まみれの舞台で、オノレは身悶え苦しみつつ焦りに焦っていた。
断末魔役の最後に言うべき大切な台詞が出てこない。
何と言って死んでいくのか、まったく忘れてしまった。
その台詞をオノレがしっかり言わない限り、
斧を持った女優の言うべき、最も大切な次の台詞を女優は言えない。
女優はオロオロオロオロ頭にきて、
ただヒステリックな叫びを繰り返し発している。
 オノレは救いを求めるように客席へ目をやった。
そして三度オノレは動転したのである。
黒一色のはずであったあの観客たちが、
いつのまにか色とりどり、さまざまな服装をした老若男女に変わっている。
もちろん顔のベールもない。
しかもあのすり鉢のジャングルジムのごときシアターが、
きちんと座席の並んだ立派な小劇場になっているではないか。
 満席の老若男女の客たちから海鳴りのようなどよめきが起った。
オノレと女優の不自然な演技に気づき、
二人の真実身悶えする苦しい事情を察したのであろう。
観客たちは椅子に身を浮かばせては沈め、捻っては前後に揺らし、
どよめきは小波のような笑いとなり、哄笑となり、
爆笑の渦となっていつまでもいつまでも静まらないのであった。


  サプライズ
Date: 2004-09-28 (火)

 新しい内閣が発足。マスコミは「サプライズ」だ、
「ノーサプライズ」だとホンマうるさい。
「驚き」とか「ビックリ」とか、なぜ日本語でやらんのヨ、日本語で!
 だいたい過去の小泉内閣にオドロクような人事なんてえのがあったんかい?
そしてそのオドロカシてくれた大臣が、何かオドロクような改革なり、
国民のためになるヨイことでもしてくれたんかい?
まあ、「シテクレタ」というご意見の方もいらっしゃることでしょうが、
自衛隊のイラク派遣にしても、憲法の問題にしても、厚生年金・道路公団・等々、
オノレから見ればロクナ結果になっとらんぜ、小泉内閣は!
その点に関していえばまさにサプライズかもしれん。
小泉さんいわく、「改革実行内閣」なんだと…。
アラマア、これまで改革は実行されてナカッタノネ。
我々からすると高いお給料のわりにチト準備期間が長すぎやしませんか。
イラク派遣なんざサッサとやってくれたじゃないの!
 まあ、共産党の代議士が小泉内閣の大臣になったとでもいうなら、
さすがのオノレも「サプライズ」いたしますです…ハイ。
 そう、オノレは小泉内閣の「サプライズ」にはオドロキませんが、
大リーグ・イチロー君の凄さには心から驚いております!


  老いの現実
Date: 2004-09-27 (月)

 老人といわれる年代になり、さらに歳を重ねていくということは、
公私をふくめ自分と関わってきた人を一人、二人と忘れていき、
また「忘れられていく」ことなのかもしれん。
 今年もかつてそれなりのお付き合いをしたことのある方々が数人亡くなっておる。
しかしその人々は、皆何年もお会いすることなく、
日常、オノレの記憶から消えていた方々ばかりである。
たぶんアチラの脳裏にも、普段オノレの姿が浮かぶことはなかったであろう。
悲報を知って共に飲んで語った過去の記憶などが甦り、
一抹の寂しさに襲われるが、もし亡くなったことを知らずにいれば、
知らぬままでオノレもあの世へ逝っちまうような気がする。
 肉体の衰えが増すにつけ、否応無く人の行動範囲はどんどん狭くなる。
親しく付き合ったいる人とでも会う回数は減ってくる。
それは新しい人と出会う機会も減ってくるということだ。
オソロシイのは、かような傾向によって、
その存在を自分の生きがいであった仕事の世界からも忘れ去られ、
何もすることが無くなっちまうという現実である。
ありがたいことにオノレはまだそこまで老いとらんが、
これから年々老いるにつけ、やがてかような現実に遭遇せねばならん。
そのときジタバタ見苦しい姿を見せることなく、
キレイにこの世からオサラバしたいと思っているが…、
「ジタバタ泣いて吠えるにキマッテイル」とヤマノカミ。
 ミクビルナ!

   彼の人の記憶はるかに秋の雨   麦  人


  首都高速
Date: 2004-09-26 (日)

 秋晴れらしい空になかなかお目にかかれんが、ようやく残暑も終わったようだ。
昨日「アカシアの町」公演をして、来週の土・日は神戸で「タイチャン」の公演。
頭の切り替えというか、稽古の切り替えがナカナカ大変で、
ブキッチョなオノレは久々に嬉しい悲鳴を上げとる。
 ところで昨夜は、「レノ ロココ」オーナーのお世話で葛飾区立石に泊めて頂き、
今朝五時過ぎ首都高速をオノレの車で走って帰宅した。
いや、それにしても首都高速てえのはオソロシイ高速だネ。
(往路は高速というより鈍速でそれほど恐ろしくなかった)
まだ車の数も少なくスイスイ走れたのではあるが、
道路幅が狭く、カーブも分岐も合流も多く、
運転しながらケッコウなプレッシャーを感じる。
方向指示器も出さず、分岐の直前で進路を急変させる車が何台もある。
ブンブン飛ばして追越しする大型トラックも多い。
今朝は雨も強かったので、ホンマ運転しとってイヤ〜な気分であった。
高速から一般道へ出たとき、
「死なんでよかったワイ」とホットし、
ようやくウマイ煙草を一服吸って落ち着いたオノレであった。
 普段、首都高速を走ることは滅多にないオノレであるが、
走っとらんとかえって危険な道路かもしれんナ。
しかしオノレは、時間がタップリかかっても、
今後はなるたけ首都高速は避けて一般道を走るべえ。
冷や汗カキカキ、カタクなって運転してもタノシクナイ。
 この歳でスリル満点な気分なんざありがたくござんせんのヨ。
どうにかしてくれんかいのう、首都高速!


  オノレと少女 − 「アカシアの町」 レノ ロココ ー
Date: 2004-09-27 (土)

 葛飾区立石のカフェギャラリー「レノ ロココ」、
開店記念イベントとして上演したオノレの独談「アカシアの町」が無事終わった。
昼夜2回もさせてもらったがどちらも満員。
さすが顔の広い(ホンモノの顔はタテにナガイ)エエオンナ店主の実力に感謝。
オノレも持てるジツリョクの限界ギリギリを発揮してガンバッタ。
 昼の公演で、演じているオノレは不思議な初体験をした。
「アカシアの町」で語られるエピソードの一つに飢餓で死んでいく少年の話がある。
太平洋戦争に負けた頃、
中国の大連にいた日本の子供の身に起こった現実の悲劇である。
客席の最前列にその少年と同じ年頃の少女がいた。
演台のオノレと少女の距離は1メートルほどであったろうか。
お店では開演前に子供たちのためにクッキーを手渡していた。
そして少年が飢餓で死んでいく話がまさに佳境に入った頃、
少女はポリポリともらったクッキーを食べ始めたのである。
 それは演じているオノレにとって実に不思議で、
うまく適切な言葉で形容しがたい、印象的光景であった。
演じているオノレとクッキーをポリポリかじっている少女の間に、
二人を冷静に客観的に見つめているもう一人のオノレがそこにいた。
そうだよナ。あのときのオノレと少女のわずか1メートルの関係は、
オノレが語っている少年の悲劇より、
ある意味ではより「劇的」な光景であったような気がするな。
クッキーをかじる少女を見て、オノレの語りがひどく乱されたとも思わん。
動揺というものはなかったし、トチリもしなかった。
否、例え少女を見てオノレが乱れたとしても、少女に何の責任が、ツミがあろう。
そこまでの少女は一生懸命オノレの舞台を観とったし、
クッキーをかじりつつ少年の悲劇に耳を傾けとった。
オノレと離れて客観的に存在したもう一人のオノレは、
オノレの語るドラマと同時進行しつつ、それとは別の、
狭い演劇的空間の中で思いがけず生み出された、
もう一つの現実的ドラマを見て不思議な感覚に襲われたのであった。
そしてオノレは「アカシアの町」の台詞を語りつつ、
頭のどこかで、また別のモノローグをツブヤイテいた。
「クッキーをかじりつつ、飢えて死んでいく少年の話を聞く少女の世界も、
それを語ることのできるオノレの世界も、
今の平和あってこそではあるまいか…」
 今回の公演で役者のオノレは、またタイセツナ、尊いナニカを、
立石の小さな空間から頂いたような気がする。
 お忙しい中、お越しいただきました皆様、
そして大童で開店準備の日々の中、
公演成功のため尽力してくださったレノ ロココの関係者の皆様、
心から感謝、感謝なのであります!



  「美しい日本語」
Date: 2004-09-24 (金)

 オハズカシイ限りであるが、新暦が明治維新後からであることを、
今日はじめてオノレは自覚した。
 これからお月さんの美しい季節だなと思いつつ、
俳句の歳時記をパラパラ捲って、その季語に旧暦での説明が多く、
旧暦とはいつまで使われとった暦なのかハタと気になり調べた次第。
 旧暦は新暦よりおよそ一月遅いが、
(正確には29日か…旧暦の明治5年12月3日が新暦の元旦)
数字に弱いオノレはかような暦における月日のズレを考えると、
もうこの脳天がグチャグチャになる。
旧盆やら旧正月やら言われてもすぐピンとこない。
で、俳句歳時記で「宵闇」というのは、
旧暦の今日より一週間くらい前のことらしい。
この宵闇の意味もオノレはまるで誤解しとった。
夕暮れの太陽が落ちはじめて薄暗くなっていく光景であると信じとった。
月の出を待つ闇のことをさした言葉であるとは今日の今日まで思わなんだ。
自分勝手な思いこみで沁みついた知識は信頼できず、マコトニハズカシイ。
 歳時記を捲って思ったが、月を表現する言葉の多彩というか豊かさに、
改めて日本語の凄さを感じるな。
無月・雨月・十六夜・立待月・居待月・臥待月・更待月・宵闇…etc。
この季節の月を表す言葉だけでもたくさんある。
そしてその字も音も、そこから浮かぶ風景も、みな味わいがあって意味深い。
 ところで「美しい日本語」とか「美しい日本語の語り」なんてえのを、
やたら売り文句にして評価されとるセンセイや語り部もチラホラいるが、
オノレはそのテはチト苦手であまりシンヨウしとらん。
「美しい」と感じるかどうかは個々の感性でずいぶん変わるし、
「穢い」言葉が美しいこともある。
書き手の使い方と含まれる意味合いによって、
またその語り手の理解と表現によって、
「美しい」姿はイロイロなウツクシサになる。
よどみなく、タダシイ発音で、
朗々とキレイに語れば美しいというものではござんせんのヨ…と、
オノレのごとき「美しく」語れない役者は思うのである。

   宵闇の裏門を出る使(つかい)かな     虚 子

 俳句歳時記に高浜虚子のこんな一句があった。
この秘密めいた宵闇の雰囲気が何とも劇的でドキドキする。

   宵闇の迫る前から闇の人          麦 人

 この人はもちろんオノレである。




  オノレの勲章
Date: 2004-09-23 (木)

 最近、左手首に小豆大のハチに刺されたような塊が出来ていることに気づいた。
痛いわけでもなく、どうも硬い脂肪のようである。
体の一部にそれまでなかったものが突然出現するとチト驚く。
なれてしまえば気にもならんが、
最初は会いたくないヤツといつも会わざるを得ないような居心地の悪さがある。
 近頃では増えすぎて気にもならんが、顔のシミやシワなんぞも、
オノレの美顔に出現した当初はとても気になってナサケなかった。
もともと不細工な面のオノレにしてかようであるから、
女性がその防御のために必死のタタカイをするのもムベなるかな、である。
しかし歳を重ねてシワ一本、シミ一つない顔もチト気持ち悪いネ。
まるで苦労のカケラも翳もないようなノッペラボウの面に魅力はナイヨ。
 間違っても文化勲章とか褒章の類をイタダクことのないオノレとしては、
顔面に浮き出たシミや深く刻まれたシワこそオノレの勲章である。
そう観念して、年々増え続けるオノレのクンショウを、
毎朝お水で洗顔しつつヤサシク磨いておる。


  夢・憶え書き #3 「自転車 」
Date: 2004-09-22 (水)

    夢・憶え書き #3 「自転車」

 どこの街だろう。
歩道に人はいないのに違法駐輪自転車が何十メートルも隙間無く並んでいる。
数台の自転車を少しずつ強引に移動させ何とか隙間をつくって、
オノレはオノレの自転車を無理矢理こじ入れた。
そして夢の世界は一度そこで終わっている。
 再び夢の世界が始まると、違法駐輪自転車の列を睨んで、
必死にオノレの自転車を探しているオノレがいた。
確かに止めたと思った場所にも、その近くにも、オノレの自転車がない。
 オノレは焦っていた。
自転車の前籠の中に茶色のバッグを入れて駐輪しそのまま出かけてしまった。
バックの中には10万円入りの封筒と二万円入りの財布がある。
しかしどうしてそんな大金を持っていたのか…実はそれがわからない。
とにかく合わせて12万円、オノレのバッグにはあるはずなのだ。
 右往左往、何台も目に入る自転車一台一台を確かめていく。
「あった!」
 潰れたような前籠が付いているオノレのブルー自転車だ。
「茶色のバッグもある!」
 ホッとしてオノレは自転車のカギをカギ穴に挿入する。
「合わない…」
 まるでその自転車のカギ穴にオノレのカギは入ろうとしない。
泡を食って前籠のバッグを掴みとって愕然とした。
大きさといい形といいオノレとそっくりのバッグではあった。
しかしそのバッグのポケットはボタンであった。
オノレのやつはファスナーである。
後ろめたさを感じながらそのバッグの中をのぞいた。
もちろん封筒も財布もない。
赤や黄色いビリヤードの玉みたいなものがあった。突然、
「何をしてるんです?」と、背中越しに声をかけられた。
若い二人の男が不審な目つきでオノレを睨みつけている。
オノレはゾッとして頭の中が真っ白になり、夢中で弁解し事情を話した。
するとバッグの持ち主であるらしい眼鏡をかけた男が、
別に怒るわけでもなく同情さえしてオノレに言った。
「確かその自転車は、川沿いの土手下にありましたよ」
 オノレはお礼をいって逃げるようにその場を立ち去り土手へ向かった。
「それにしても何故あいつはオノレの自転車が土手にあることを知っているのだ」
 オノレはそんなことを頭の片隅で思いながら走った。
きっと自分とそっくりの自転車を見たので印象に残っていたにちがいない…。
 ハーハー、荒い呼吸で土手下に来た。
オノレのブルー自転車は、まるで最初からずっとそこにあったかのように、
茫々と頭を垂れたススキの中に、ポツリと一台だけで止っていた。
オノレのバッグも前籠にある。
祈るような気持ちと、半ばアキラメの覚悟で中を確かめた。
財布も封筒も入っていたが、どういうわけか封筒の10万円は無事で、
財布の2万円だけが抜き取られていた。
 何気なく自転車のカギの部分に目を向ける。
「あらッ、壊されてない。カギも閉ってるぞ…」
 狐に化かされたような気分であった。
それにしてもオノレの2万円を頂戴した奴は、
街から此処までどうやって自転車を移動したのであろうか?
わざわざ軽トラの荷台に乗せて為すほどの『シゴト』とも思えん。
違法駐輪の歩道にまるで人はいなかったし、
人目を盗んで置き忘れたバッグを頂くのは容易いシゴトだ。
 オノレは呆けたようにしばらく空を仰いでから我にかえって戦慄した。
「オノレはハナッから、自分で土手下に自転車を置いたのではないか?」
「もともと財布の中に2万円という金も無かったのではないか?」
 土手下から街の方まで茫々とつづくススキの波が、
空の茜を映しながら首を上げたり下げたり…いつまでも揺れている。


  曼珠沙華
Date: 2004-09-20 (月)

 秋彼岸で霊園近くの道路は大渋滞である。
オノレの自宅ベランダにも、
鉢植えの曼珠沙華がだいぶ前から紅く咲いとる。
10年以上も前、ヤマノカミと旅した草津方面で、
田の畦道に咲いていたのを数本チョウダイして持ち帰った。
実に強か元気なヤツで、鉢植えにされても少しずつ増えて、
毎年見事に紅く染まり、
この色を見て今がすでに秋であることをハタとオノレは実感する。
 曼珠沙華はもちろん彼岸花の別称であるが、
広辞苑を見ると、他にもイロイロな名前をつけられとるな。
カミソリバナ・シビトバナ・トウロウバナ・捨子花…。
お彼岸の季節に咲いて、墓の側などによく咲くせいか、
どうも不幸で暗い呼ばれ方ばかりされとるわい。
 そういえば草津でチョウダイしたときにヤマノカミは、
「抜いたりしたら縁起が悪いのヨ」と一応オノレに忠告しとったが、
それから幾つの縁起でもないことがオノレにあったのかヨクわからん。
 いずれにせよ暗い不幸なお芝居が決してキライではないオノレは、
その呼ばれ方とはウラハラに紅く燃える曼珠沙華に心ひかれる。
 さてその昔、津和のり子という歌手がおりまして、
(今もいるのかもしれませんが)
「曼珠沙華」という、まことにオソロシイ歌があった。
オドロオドロしたその詞と曲に、
オノレはオノレの隠された宿命のごときフコーを感じて、
オンチながらもよく口ずさんでナミダをウカベタ。
 
 ♪ 曼珠沙華の恥をしらない 
   真っ赤な色 わたしはきらいさ
   きらい きらい

   これみよがしに花をひろげる
   節操のない 曼珠沙華きらいさ
   福寿草に なりたい

   わずかなあいだのわたしの季節に
   あらん限りの 毒の化粧
   咲いてしまう 咲いてしまう

   茎を折られて道に捨てられた
   曼珠沙華に わたしを見たのさ
   切ない 口づけ

 


  フンドシを〆直す!
Date: 2004-09-19 (日)

 今日は蓼科の美術館巡りでもして帰京しようと思っていたが、
ヤマノカミはカラスのタイチャン、インコのドッポ、
二人のコドモが心配で心配で…、致し方なく八時の朝食後すぐ家路へ。
昼前には我が家へ帰宅しちまった。
コドモはあと四、五日留守にしても大丈夫なほど、
いつものようにハツラツとオシャベリしとる。
「ダイジョウブ」とオノレはあれほど言ったではないか…。
 美術館巡りをせんかったのは残念であったが、
まあ久しぶりにハネを伸ばして美味い酒と料理を堪能した。
そして何より心安らぐ自然の中で、オノレは新たな鋭気を養い、
今後の創造活動に対する意欲がフツフツとわいてきたのである。
やはり旅はオススメ。
 来週25日、「アカシアの町」葛飾・立石での《れの ろここ》公演。
来月頭に「タイチャン」の関西公演。
10月には都立学校の組合関係の方々から依頼を受けて、
「アカシアの町」公演も決まった。
 オノレの独談公演実現のため、汗を流してくれた人々の期待に応えるべく、
旅気分とオサラバしてフンドシを〆直す!
 


  ペンション「けさらん ぱさらん」
Date: 2004-09-18 (土)

 昨日(17日)の午後、
松本から蓼科高原・三井の森地域にあるペンションに向かう。
三井の森とはその名のごとく三井不動産が開発している別荘地帯。
 ペンションにチェックインする前に、
信玄の隠し湯といわれる「唐沢鉱泉」へ。
(信州には信玄の隠し湯がイクツあるんじゃ?)
オノレ以外に入湯客はなく貸切でノビノビ。
それほど悪くない湯ではあったが、
それより何より三井の森地域を抜けると凸凹のひでえジャリ道。
オノレの車はホコリでマッシロケ、これにはチト閉口したナ。
 夕方5時過ぎ、二日間お世話になるペンション、
「けさらん ぱさらん」へ到着。
「けさらん ぱさらん」とは、「白いふわふわした毛の塊」で、
「ビワの木に生息している」らしく、「持っていると幸せになる」とか、
「笑いながら飛んでくる」とか言われている生物のようなモノでアルラシイ。
とにかくこのペンション名に引き寄せられて予約したのであったが、
まるで一般家庭の中にチョイトお邪魔してモテナシを受けるという感じ。
(もちろんタダではござんせん)
奥さんのフランス風手料理はなかなかイケルし、
大人しい感じの娘さんもマジメに母を手伝っとる。
オノレはオタカク構えて値段もお高い一流旅館がどうも苦手。
(あのやたら品数の多い料理と飾りつけを見ただけで食欲を失う)
オーナーと客が気さくに語れて気さくに食える、
フツウの民宿やペンションの方がオノレの性に合う。
というわけで「けさらん ぱさらん」は、
平凡な雰囲気のペンションかもしれんが、
料理や酒は平凡ではなく美味かったし、
ノンビリ気の休まる時を過ごせて、
オノレは大いにリラックスいたしましたデス…ハイ。
 平凡が好きな方、オススメですヨ。

今日18日は蓼科の池と温泉巡り。
まずは湖東という辺りから国道299号をひたすら上ることおよそ40分、
ペンションの奥さんお薦めの白駒池へ。
いやホンマ泉鏡花の池に劣らぬ、原生林に囲まれた神秘的な池。
オノレのごとき世俗のアカにまみれて煩悩する男でも、
しばし煩悩を忘れてしまう深い自然の光景であった。
この旅一番のオススメ。
 次にホンモノの垢落しのため、白駒池からすぐの「渋川温泉」へ。
この温泉もガラガラ、先客一人が出ちまったら露天も中もオノレ一人。
でもこの温泉、カケネなしにナカナカヨカッタ!
昨日の「唐沢鉱泉」よりもチョイトヨカッタ。
この後行った「縄文の湯」よりもズットヨカッタ。
褐色に濁った湯がオノレのヤワ肌になじんで、
積年の疲れをすっかり癒してくれたようなサッカクをする。
オススメです。
 午後2時前、「渋川温泉」のそばにあったフランス料理の店で遅めのお昼。
ペンションもフランス料理だから別のものを食いたかったが、
他に店がないんだよなあ…。
で、すでに店の名前も思い出せんほどの店で、オススメデキナイ。
ヤヤ高いお値段の割には、
オノレには薄味すぎて高いほどのタカイ味ではない。
ペンションの奥さんのフランス料理の方がずっとエカッタ!
でも他に店もないからそれなりにハヤッとるんだよナ、これが。
 昼食後、ペンションの娘さんのお薦めしてくれた「御射鹿池」へ。
これも「白駒池」ほどではないが情緒あふれる古池であった。
池の土手に桃色のナントカという花が咲き乱れ、
たくさんの赤蜻蛉やソノホカの蜻蛉が飛び交う。
考えてみれば、オノレはこんな長閑な風景を久しぶりに見たのであった。
オススメです。
 蓼科の白樺的風景に少し飽きて、まだ行ったことのない茅野の街へ…。
気の利いたカフェーでもあったらと思ったんだが、ナニもなかった。
あったのかも知れんがヨソモノには見つけることがデキンかった。
とりたてて風情も何もない茅野の街を車でフラフラ、
けっきょくあきらめて三井の森へ向かって帰る。
で、その途中にある「縄文の湯」にて今回の旅、最後の入湯。
館内に縄文土器を展示しとるので「縄文の湯」らしいが、
その名にふさわしくない、近頃東京あたりにもよくあるテの温泉で、
味わいのある創りの建物でも個性的湯でもなかった。
それほどオススメできん。
しかしまあノンビリ入ってペンションへご帰還。
 晩餐にナカナカ美味いワインを飲んで早めの床に就くと、
ヤマノカミはシアワセそうにヤサシク高イビキ。
否、その響きが蓼科の静寂につつまれた夜をハカイしたのであった!

   ペンション「けさらん ぱさらん」HP
    http://www.lcv.ne.jp/~kesaran/


  松本泊まり
Date: 2004-09-17 (金)

 昨日(16日)は午後4時頃、
松本城の近く「松本ホテル花月」いうビジネスホテルに到着。
素泊まり8千円ほどでなかなかヨロシイホテル。
和室の部屋があり、これがビジネスホテルとは思えん広さ。
隣の部屋の人声やトイレの音も聴こえん。
大浴場もありフトンもマクラもオノレに合う。
とにかく一流ホテルなみで大変気に入った。オススメです。
 昨夜はこのホテルに落ち着いてすぐ松本の街をウロウロウロウロ。
晩の酒と肴をツイバムにオノレ好みのよいお店はないかと探しとったら、
日頃の行いがヨイせいかソレハそれはヨイお店に入ることができた。
「愛佳里(あかり)」という店名の下に、
「肴」とある粋な暖簾にひかれて入ると、
タブン中年のお姐さん二人が四、五人のお客相手に、
タスキガケも甲斐甲斐しくカウンター内で働いとる。
 イキのよい魚の仕入れに自信があるのか、
この手の小店としては刺身の種類が適当にある。
オノレは早速天然ブリの刺身を賞味したが、
なかなかデキのよいブリッコチャンであった。
 地酒も美味かったし、最後に頂戴した限定七人前の手打蕎麦もイケル。
しかしもっともビックラコイタのが「コショー」。
コショーというのが獅子唐をデッカクしたような
デッカイ緑の野菜であることをオノレは初めて認識した。
それを焼いて小さなサイコロ大に切ったのを三つばかり味見するってえと、
イヤその辛エーッたら、何テッたら…目ん玉シロクロ。
生まれて初めて味わった極上のカラサであった。
胃痙攣でも起こすんじゃねえかと心配したが、
本日胃の調子はすこぶる上々であります。
 およそ二時間、オノレとヤマノカミは二人のお姐さんのコビを売らない、
しかしナマイキでもない、自然体の接客態度に気持ちよく酔わせて頂いたのである。
オススメデス。
 昨日の夕方、散歩中にも入ったのであるが,
「まるも」という喫茶店もなかなかオススメ。
味わいのある店内で味わいのある珈琲が飲めましたナ。
 今日は蓼科に行く前に、松本の島内地区の酒屋さんに嫁いだオナゴと、
その「まるも」で待ち合わせ。およそ十年振り? の再会である。
彼女は奥多摩桧原村出身の看護士さんであるが、
15年ほど前、オノレの独演「ごびらっふの死」桧原公演を
観てくれて以来のお付き合い。
そのころ十代後半のウツクシイ娘であったが今や二児の母親。
タブン三十代半ばちかくになるはずである。
さぞかし熟女の魅力タップリのオンナになっとるにちがいない!

(後記)今でもウツクシカッタが、熟女の魅力というよりは、
シッカリモノの妻であり、ヨキ母親であった。ヒトアンシン。


  火焔放射男
Date: 2004-09-16 (木)

 15年ほど前、40歳半ばの若さで逝去した声優さんがいた。
たいへん渋い声で、主にCMナレーションで活躍した男であったが、
大変クサクてアブナイ余技を身につけておった。
いつでも自由自在にオナラを出せるのである。
それだけではない。己の発したガスをマッチで点火、
ミニ火焔放射機のごとき見事な炎を連射させるである。
 彼は宴会の席で興に乗るとこの得意技をよく披露し場を盛り上げた。
はじめにズボンのケツの穴あたりを水で湿らせ部屋を暗くする。
それからおもむろに痔の診察を受けるかのごとき態勢をとる。
慎重にマッチを擦ってズボンの湿ったあたりに炎をかざし一瞬力む。
と、そのケツからおよそ一秒、青味を帯びた流星のような炎が、
まことにウツクシク噴射されるのであった。
続いて二発、三発…、好調ならば四、五発連射できるという。
発射時、オナラの音はない。無音である。
炎と化したメタンガスは無臭であり、それほどハタメイワクでもない。
まことに見事な肉体ナイゾウ火焔放射機であった。
見物人は皆目ン玉シロクロ、ただただキョーガクするばかり。
で、余技終了と同時に大爆笑と熱烈な拍手で場はさらに盛り上がった。
ホンマに奇特な男であったが、ガス噴出の消費エネルギーが過剰すぎたか、
ある日、トレーニングセンターで肉体訓練中、
蜘蛛膜下出血で倒れてアッサリあの世へ逝ッちまった。
 オノレも腹にガスがたまるタチで、頻繁にオナラの独奏をする。
その度ヤマノカミは「ズボンに穴がアクワヨ」と言って眉をシカメトル。
オノレは残念ながら自由自在にガスを連発、
放出する術を究めるところまでは修行しとらん。
今思えば水で湿らせたとはいえ、あの火焔放射男のズボンは、
よく焼けずに穴ができなかったもんだわい。
 誰にも真似の出来ん驚異の宴会芸をした火焔放射男。
彼のとぼけてヤサシイ生前の顔を思い出しつつ…合掌。

(注意)このオナラ芸は危険につきマネしないで下さい。

 午前中にアニメの仕事を終え、午後から日曜日まで仕事オフ。
オノレの遅い夏休みというか、早めの秋休み。
これから信州方面へ遊びに行く。本日の夜は松本泊まり。
では「イッテマイリマス!」


  恐怖の耳掻き
Date: 2004-09-15 (水)

 オノレは絶対に耳掃除だけは自分でする。
たとえヤマノカミであろうとオノレの耳の穴は覗かせぬ。
 オノレのおふくろは子供の耳掃除するのがダイスキであった。
中学生になるまでオノレはおふくろに耳掃除をしてもらったが、
それはホンマ恐ろしい嫌なヒトトキであった。
ミミカキを見ただけでゾッとして脅えた。
ミミカキを耳穴に突ッこまれた瞬間、
鼓膜を突き破られるかもしれないという恐怖で、
体は硬直し手のひらに汗が滲んだ。
そんなオノレを上手にあやしつつ、おふくろはそれはそれは愉しげだ。
まるで耳鼻科の女医よろしくオノレの耳をツマンデ、
覗いては掻き、覗いては掻いて耳クソとりの収穫を誇るのである。
「ほらスゴイ」「ウワッ大きいッ」「まだアル、まだアル」「ホラ、とれた」
 実際、よくもまあこんなにタマルもんだなあ…と、
オノレはその収穫を一々見せられながら恐怖の中で驚愕したものである。
 しかし恐怖の時間が終わればゲンキンなもんで、
オノレは100キロ先の音まで聞えるような気分になった。
それからオノレはおふくろの全収穫をしっかり確認し、
「オレの耳クソはホジクリ甲斐のあるタイシタ耳クソなんだぞ」と、
胸反ックリ返しておふくろの前から勇躍退散したのであった。
 もちろん中学生になって以降、オノレは自分で耳掻きをしとる。
耳が痒くなる度ホジクッテいるのであるが、
おふくろほどタップリの収穫はない。
まことにおふくろは「耳クソトリ名人」であったなとシミジミ思う。
 いつだったか耳が痒くならんので、ずいぶん長く耳クソをとらんかった。
ある日、チトむず痒くて小指を耳穴に突ッ込みグリッとまわし、
顔を傾け手で耳をポンポン叩いたら、手のひらに南京豆大の、
乾燥してトグロを巻いとる耳クソがコロッと落ちた。
いや、あれにはさすがのオノレもビックラコイタ。
で、その瞬間の気持ちよさったらなかったネ。
「こんなドデカイ耳クソが詰ッとったのに、
よくまあ役者の仕事をチャントしていたもんだわい」と、
オノレはオノレのスグレタ耳クソの性質(タチ)にひどく感心したのであった。
 
 耳を詠んだ句にドナイ句があるかと探してこの句を見つけた。
耳クソを詠んだ句は今のところ見つからん。

    耳なれて妻の砧や夢に入る (放 哉)

 夫婦関係がうまくいっている頃の尾崎放哉が、
布を打つ妻の姿を半眼で見つつ、
ヤサシイその音を耳にしながら長閑に寝入る様子が浮かんでくる。
何となく艶っぽい香りまで匂ってくるような風情さえ感じるな。
さよう、オノレとヤマノカミにおいては砧が鼾になりそうで、
色気や風情はまるでない。
 ところで放哉は妻に耳掃除をさせたのであろうか?

    爽籟(そうらい)の塵で固まる耳の垢 (麦 人)


  大江健三郎 「伝える言葉」
Date: 2004-09-14 (火)

 今日は「耳クソ」について書くつもりであったが急遽変更。
8月11日の日記で二人の芥川賞作家について触れた。
その一人、大江健三郎氏の月一度朝日新聞に掲載されている随筆、
「伝える言葉」を本日読んだ。
その内容に心打たれるものがあったので
忘れんうちに書き止めておきたくなった。
 歳をとってからの大江氏の随筆というか文章は、
オノレのような凡脳でもまことに理解しやすく、かつ問題を深く捉えて鋭い。
北オセチアで起きた悲劇を考え、
子供への思いを魯迅やドストエフスキーの小説と重ねて、
現代の大人へ厳しい警鐘を鳴らしていようにオノレは感じた。
 大江氏は「新しい歴史教科書をつくる会」にも触れて、
石原東京都知事と教育委員会に明快な批判をしている。
またオノレも日記に書いたサッカー・アジア杯における石原都知事の、
「(中国人サポーターは)民度が低いんだから、しょうがない」
という発言についても、知事の根底に巣食う差別意識を浮彫りにして、
両国の将来に危惧と憂慮の念を吐露しておる。
これは実にオノレと同じような見解であり、
ひょっとして大江氏は「オノレ日記帳」を読んどるんじゃないかしら?
なんぞと、まずアリエナイコトまで考えて、
オノレは大いに溜飲を下げたのである。

「これだけマスコミ情報の行き届いている社会で、
どうして政治権力を持つ人間の鈍感な言葉が追求されず、
彼らが人気を保ち、国会の論議をへずに重要な問題がきまるのかを問われます。
 しかしせめて子供を…という声が結集するなら、
新しい行動が起こるはず、と私は信じています。」
 
番犬のごときに吠えて恫喝ばかりする芥川賞・都知事作家氏と異なり、
理性の何たるかを知るノーベル賞作家のまことに重い言葉である。

 朝日の大江氏の随筆と同じ紙面に、オノレの胸を突き刺す詩が載っていた。
小野十三郎賞(詩の賞)に選ばれた渋谷卓男という人の詩集で、
その表題作、「朝鮮鮒」という詩である。

     朝鮮鮒

  鱗が少しざらざらだった。
  尻尾が「く」の字に分かれていなかった。
  尻尾の真ん中が出っ張っていて、
  そこが少し、赤かった。

   チョウセンブナ、と
   町場の者はそう呼んだ。

  日が暮れると子供たちは
  魚籠の底のそれを殺した。
  そうしないと日本の鮒が喰われると、
  子供たちは皆信じていた。

 大江氏の随筆と同様、この詩の底には、
我々日本人がないがしろにできないテーマが重く沈殿し、
そいつがオノレの胸を突き刺し、フカク抉るのである。


  鼻クソのメカニズム
Date: 2004-09-13 (月)

 前日の日記はヨダレの記憶であったが、
ヨダレついでに今日の日記は鼻クソ。
鼻クソホジクッてホンマよくおふくろに叱られたなあ…。
その叱るセリフが傑作であった。
「ハナの穴が大きくなって落っこちるよ!」
 自分の鼻クソホジクッて拡大したオノレの鼻コーに、
どうしてオノレが落っこちるのか、
評判のアニメ「頭山」のシチュエーションのようで実にオカシイが、
おふくろがそう言うとガキのオノレはジュンスイにコワカッタ。
コワクテモ、ホジクル癖がなおったわけではなく未だにホジクリ続け、
「穴がデッカクなっちゃうヨ」とヤマノカミに、
おふくろそっくりのセリフで叱られとる。
 さて、何十年もホジクリ続けたオノレの鼻コーではあるが、
その大きさはたぶん人並みであろう。
鼻全体の大きさに比べるとヤヤデカイのかもしれんが、
まあフツウの範囲であると思われる。
だいたい鼻クソホジクルのは人差指か小指でショ。
その指の太さ以上に鼻コーはデッカクならないのではアリマセンカ?
ところが広い世間では、
デッカイ、まさにオノレが落っこちそうなほどデカイ、
実に立派な鼻コーの御仁をときどき見かける。
ひょっとしてかような御仁は、
親指だけで鼻クソをホジクリ続けているのではあるまいか?
親指で鼻クソをホジクルのは高度なギジュツのいる難しい作業ダ。
鼻クソホジリに年季の入っとるオノレとしては、
立派な鼻コーの人を見ると妙に感心したり嬉しくなったり、
チトオソロシクなったりするのである。
 ところで数年前から鼻クソホジリにオノレは大変慎重になった。
あまり見事に一カケラも残さずホジクリ出すと、
風邪をひきやすくなる病理的メカニズムを発見したのである。
鼻クソはウイルス侵入を防御しているのだとオノレは思う。
で、最近は指が鼻にいきそうになるたびオノレに言い聞かせておる。
「ウッカリ、粗雑にホジクルナ!」
 次の日記は「耳クソ」について書くべえ。
しばらくはクソ・ヤニ・アカ・シリーズだ!



  「ヨダレ」 ー 我が記憶のはじまり ー
Date: 2004-09-12 (日)

 ロマン・ローランの小説で、
母の胎内にいるときからの記憶がある主人公はジャン・クリストフだが、
オノレの記憶はたぶん四、五歳の保育園からはじまっている。
クリストフは音楽の天才であり、こちとらゴミのごとき役者に過ぎんから、
脳のデキに天と地とほどの差があってもいたしかたない。
それにしても我が記憶のはじまりは人並みはずれて遅くないか?
しかもその最初の記憶がロクでもない記憶なので、
いっそうオノレのノータリンを嘆きたくなったりもする。
 ロクでもない記憶のはじまりは、保育園でのお食事中に起きた出来事。
円卓を囲むように園児と先生がお昼を食べはじめた。
何人くらい居たのか憶えてないが、オノレの左隣には女の子。
今思うとあどけない目の可愛い子だったような気もするんだが、
とにかくいつもヨダレを垂らしている子で、
幼いオノレにはそれがとても気持ち悪く感じたのである。
女の子はいつものようにヨダレタラタラ垂らしつつ、
お粥をスプーンで掬いながらシャブッテおったが、
何を思ったのか、突然オノレのお粥カップの中へ、
そのヨダレタラタラスプーンを突っ込んだのである。
こちらはお粥をまだ一口二口しか食ッとらん。
ガクゼンとしてオノレは食欲を失い、
彼女にバイキンでも入れられたかのような気分であつた。
そのあとオノレは頭にきてスプーンを投げ返し、
女の子を泣かせてしまったような気がする。
 それにしても「タカガ」ヨダレごときに、
なぜ幼いオノレはあれほどの不快を感じたのであろうか?
実はオノレも何かとヨダレを垂らしていたのである。
ヨダレどころか無限軌道の青ッ鼻タラタラ…で、
「ヨダレをたらしちゃダメでしょうッ!」とよく叱られ、
ヨダレは汚いものだと思い込んでいたのであろう。
今のオノレならヨロコンデ可愛い女の子のヨダレ入りお粥をイタダクんだが…。
 まことに情けない、ダラーッとしたオノレの記憶のはじまりであった。



  「蛇足」も有用
Date: 2004-09-10 (金)

 オノレはチョイチョイ無用なことばかりして失敗するタチである。
オノレの人生三分の二は余計なことばかりして生きちまったような気さえする。
しかしその数多くの「蛇足」と思える行為によって
イロイロ教訓を得たことも否定できない。
で、よく考えると無用に帰してしまうことの多くにカネが絡む。
ギャンブル然り、買い物然り、借金しかり…。
かような失敗によって後々悔やむことばかりなのであるが、
その経験がなければ得ることのできない教訓もまたある。
 蛇足なことばかりして失敗するオノレを思うと、
つい暗い気持ちになッちまうオノレとしては、
「無用の裏に有用なものを貼り付かせているのが人生で、
蛇足も有用」と、都合よく阿呆なオノレを正当化しとる。
 ところで役者の演技なんぞも無駄を削いで削いで創れば、
凝縮されたホンモノの表現になるのかも知れん。
しかしそう思ってはいてもそれがナカナカ…。
で、やはりオノレはオノレに都合よく考えて、
ブツブツブツブツ言いながら芝居の稽古をするのである。
「蛇足な表現がなくては削ぐものも削げんのじゃないか」とネ。


  夢・憶え書き #2 「携帯電話 」
Date: 2004-09-09 (木)

    夢・憶え書き #2 「携帯電話 」

 オノレは得体の知れない老若男女と宴会をしていた。
どこに光源があるのかよくわからん薄暗い部屋だ。
なぜかションボリ座って飲んでいる人に混ざって、
オノレもションボリ、何かを待ちつつ呆けたように飲んでいる。
 携帯電話がブルブル震えた。
オノレの携帯電話は常にマナーモードである。
「モシモシ」
「………。」
「モシモシ、モシモシ!」
「………。」
 電話をかけてきた奴は不気味な沈黙をつづけ何も言わない。
オノレは電話を切った。
切って二、三秒でまたブルブル、携帯のバイブレーション。
「モシモシ」
「………。」
「モシモシ、モシモシ!」
「………。」
 オノレにはわかっているのだ。沈黙している相手が女であり、
たぶんその女の側には女の夫がいて、
見て見ぬふりをしながら陰険な半眼の鋭い目で妻の様子を監視している。
オノレは再び電話を切った。
するとまた間髪おかず携帯がブルブル・ブルブル…。
今度はさすがに出るのをためらう。
 電話の相手が女であるとオノレにはなぜかわかっている。
その顔も何となく浮かぶ。
しかし女とオノレにワケアリな難しい関係があるわけではない。
というより一度も会ったこともなければ話したこともない女だ。
しかしオノレには無言電話の主が女であるということも、
その女の顔さえもわかっている。
「得体の知れぬオンナだが、オレと会いたがっているのはまちがいない…」
 オノレにはそんな強い確信があり、
その確信と期待の強さで胸の鼓動が早鐘を打つ。
 携帯電話が震えつづける。
たまらずオノレは通話のボタンを押してしまう。
「モシモシ」
「明日の仕事、キャンセルです」
「バカヤロウッ!」
 頭にきて携帯電話を切る。間髪入れずにブルブルブルブル。
「モシモシ、モシモシ!」
「また、一つ仕事がキャンセルです」
「ウルセェッ!」
 怒鳴って切る。たちまちブルブルブルブル。
「もう一つ仕事がキャンセルです」
「余計なお世話ダッ!」
 切っても切っても携帯電話は際限なくブルブル震え、
出ては切り、出ては切り、出ては切り…。
 地獄の時が流れてオノレの目が覚めた。



  Reno LoCoCo (れの ろここ)
Date: 2004-09-08(水)

 新宿で仕事終了後ヤマノカミと待ち合わせ、
京成線にゆられて葛飾区の立石へ。
完成したばかりの友人のカフェギャラリー、
「Reno LoCoCo(れの ろここ)」のスペース下見のためである。
 今月25日(土)に、ここで独談「アカシアの町」公演をさせていただく。
オノレの独談はそのオープン記念公演であり責任ジュウダイダ。
 このカフェギャラリーのオーナーは若い頃女優さん。
芝居やオノレのごときマズシイ役者には大変理解があり、
(ユタカナ役者がキライというわけではタブンない)
過去のオノレの独演・独談にもイロイロ協力・応援してもらっとる。
 この店の名前の由来だが、広辞苑や大辞林、ラテン語やフランス語など、
どんな辞書を調べてもおそらくわからん。

  下っ毛野 安蘇の川原よ 石踏ず 空ゆと来ぬよ 汝が心告れ
                (万葉集 巻14東歌 3444番)

 オーナーが女優時代に教わって尊敬してるという劇作家・故押川昌一の著書には、
この歌から題名をつけたらしい、「汝が心告れ」という作品がある。
その『こころのれ(心告れ)』の部分を逆さ読みにして、
「れの ろここ」という店名になった。
説明されんとトントわからん。が、なかなかシャレとる。
 店はオーナーの性格そのままに明るく、艶歌ではなくシャンソといった雰囲気か。
オノレが訪れるとオーナーは真新しいコーヒーミルをセッテイングし、
これからその道のプロにコーヒーの入れ方の実技指導をしてもらうという。
その先生は柴又のこだわり珈琲工房「かとう」の御主人。
オノレよりずっと若いが、個性の強いイイオトコだ。
で、オノレ夫婦もその実技を見学。
まず、かとう大先生の入れたコーヒーをお相伴。
「ウマイ!」
 次に生徒のオーナーが先生に教わりつつ入れたコーヒーを味見。
「シブイ…」
 しかしLoCoCoのオーナーは書家でもあり、
何事にもシャカリキ頑張るエエオンナ。
28日のカフェ・オープンの日までには奮闘努力して、
見事「ココロ」のこもった美味い「レノブレンド」を完成するであろう。
たかがコーヒー、されどコーヒー。なかなか奥が深いのであった。
 オーナーとオーナーの御主人、かとうさんとオノレ夫婦の五人でしばしの小宴。
オーナのご主人は半年前に脱サラ。
これから何をスルベエかとアレコレ悩んどる。
悩んどるわりには明るくオオラカでやさしい男である。
 初秋の葛飾は立石。コーヒー談義から子育て、夫婦モンダイetc…。
まことに愉快な一夜を過ごさせていただいた。
 25日、しっかりヤリマス!

      Reno LoCoCo ・ HP
    http://www14.plala.or.jp//reno-lococo/
      
      コーヒー工房「かとう」 HP
       http://coffee.ka.to/
 


  「イチロー」の上をいく
Date: 2004-09-08 (水)

 大リーグ新記録のシーズン最多安打数257を、
イチロー選手が樹立しそうな気配である。
フト、まことにアホなことを考えて、来年公演する「象」では、
オノレの役にいくつ台詞があるのか数えてみた。
269の台詞があった!
どうやら台詞の数はイチローの安打数の上をいきそうだ。
だがイチローに「カツ」ためには、
オノレはこの台詞を全てシッカリ憶えにゃならん。
このところイチローの安打数を日々確認し、
指折り数えて楽しんでいるように、
来年のオノレは、オノレの憶えた台詞を指折数えつつ初日をめざす、
苦しいタタカイの日々となろう。
ヨシ、みんな見ていてくれたまえ。
オノレは来年イチローより上を目指してガンバルから!
「バカな比較をしないで、内容がともなったチャントシタ台詞を言ってネ」
シラっとした顔でヤマノカミ。
 オノレ!


  スデニハジマッテイル
Date: 2004-09-07 (火)

 昨夜は地下鉄・有楽町線「千川」駅近くにある小スタジオに行く。
来年「象」でオノレと共に主演する蓮池龍三君を演出の伊藤君に紹介するため、
彼の出ているチェーホフの短い芝居を観に行ったのである。
終演後、スタジオ近くのうらびれた狭いお店で一杯やりながら、
来年の舞台について三人でイロイロ語った。
 「象」の舞台でオノレと蓮池君は、
叔父と甥の関係になって役を演じることになるのだが、
蓮池君の生真面目でナイーブなキャラクターは、
「象」の甥ッ子がそのままオノレの脇に座っているかのようで、
もはやオノレの気分は叔父であった。
オノレの中では来年の舞台創りがスデニハジマッテイル。
 今夜はオノレのHPや仕事でイロイロお世話になっている
徳川システムの千葉氏と久しぶりに会って一杯やる。
 昨夜はチト飲み過ぎた。今夜もチト飲み過ぎんようケイカイせにゃアカン。
気のおける人が相手だと図にのってツイ飲み過ぎるオノレなのである。


  一茶の一句
Date: 2004-09-06 (月)

    秋風やあれも昔の美少年 (一茶)

 ずいぶん昔、かような一茶の句を知って何となく笑ったオノレであったが、
オノレ自身が歳を重ねちまった今、
秋風の吹く頃この句が頭に浮かんでも素直に笑えぬ心境である。
いまやサビシイ気持ちになッちまって、
遠くない冬枯れしたオノレの姿ばかり想像してタメ息が出る。
確かにオノレも昔々はソレナリのビ少年であったような気がする。
その頃ビ少年のオノレはヨタヨタしたお年寄りを見て、
他人事のように無関心にハツラツと歩いておったのだ。
「若きときから、もっともっとお年寄りに関心を持てばヨカッタ」
 今や遅しである。で、サビシクなるだけではなく、
「少年老い易く学成り難し」とガックリするオノレでもあった。

    秋風や傘寿米寿の人を見る (麦人)


  習慣
Date: 2004-09-05 (日)

 最近は仕事がオフの日、オノレは自転車こいで、
最寄駅近くにあるドトールコーヒーへとよく行く。
これがあるていど習慣化しており、
習慣化してしまうと別の行動をとるのがいよいよ億劫で、
慣れたカタチで時を過ごすほうが何となく心地よい。
 さらにドトールコーヒー店内においてオノレの一挙手一投足は、
吐く息まで毎回同じではないかと思うほど完璧に習慣化しておる。
 まず店内に入るやいなやオーダーを注文する前に、
オノレお気に入りの席が空いているかどうかを確かめる。
オノレにとって好ましい席がいくつかあって、
その好ましい席が空いてる場合は、ソソクサとその席に行き、
テーブルに素早く新聞と老眼をシッカリ置いて
オノレのナワバリを確保する。
(空いとらん場合は致し方なく大きな円卓にイロイロな人と共に座る。
しかしそのときは、好みの席が空いたらサット確保できるよう、
気を抜かずに目配りして座らにゃならん…何とイジマシイ)
 ナワバリを確保したら落ち着いてカウンターへ引き返し、
230円のMサイズコーヒーを注文、スプーンと砂糖をキョヒし、
カップミルク二つを受け取る。必ず二つ受け取る。
ドトールにおいてはミルク二つを混ぜたコーヒーブレンドが
オノレにとっては口に合うアジなのだ。
アルバイト店員の○○子チャンなんざ、
オノレのこの癖を既にミヌイテというか心得ており、
オノレが砂糖やスプーンをキョヒする前に、
黙ってそのように用意してくれる…エライ、カワユイ!
でも名前を教えてくれるほど親しくもナク、
相手にもされてオラン…まことにザンネン。
必要経費になるのかどうかヨクわからんレシートを必ず受け取り、
くれないときにはカナラズ催促をする。
それからコーヒー右手に返却口カウンター前まで歩くと一時停止。
もちろんまだ口をつけとらんコーヒーを返却するためではない。
カップミルクのフタを開け、コーヒーカップに注ぎ、
空になったカップミルクの残骸をそのまま返却口にオカエシするためである。
席についてからカップミルクの蓋を開けると、
チョイチョイ手元が狂って粗相したりするのである。
また狭いテーブルでは、カップミルクの残骸がけっこう邪魔になリ、
新聞を読む妨げになったりもする。
それから返却口脇に置いてあるセコイ灰皿を左手に取り、
水を入れたコップをその上に重ねて持ち、
右手にはコーヒーカップをしっかり持って、
こぼさんように静々オノレ好みの席に着く。
着席したらコーヒー飲むより何より、まず煙草をホット一服。
肺ガンになってもシャアナイと二服、三服…、
たっぷりニコチンを吸い込んでからおもむろにコーヒーを一口ススル。
新聞をひろげスゲエーことがあったかないか目を皿にして読む。
で、およそ一時間前後過ごしてからドトールとオサラバするのである。
 ところでこの店でチョクチョク見かける馴染み客を盗み見ると、
(盗み見てもオノレは別に悪いことはセンノヨ)
その動きの流れはやはりオノレとおなじように、
その人なりのパターンで習慣化していることに気づく。
オノレも彼らも、この店では常にそのヤリ方で過ごさんと、
何だかタブン居心地が悪くてしょうがないのだ。
 まことに人間というヤツは、
かように単純な習慣一つで気持ちがよくなったり、
オチツイタリ、安心したりする動物らしい。




  北オセチア共和国の悲劇
Date: 2004-09-04 (土)

 ロシア・北オセチア共和国で武装グループが学校を占拠、
多くの犠牲者が出た。その多くが子供たちである。
この北オセチア・チェチェン・イングーシ辺り一帯を
カフカス地方というようだが、歴史・宗教・政治経済的利害が複雑で、
そこのところをよく理解しないと、
今回の事件が起きた本質を見誤りそうな気がする。
 無辜の人を生贄にするテロは悲惨で許し難いが、
今回のテロを生んだ土壌には、チェチェン独立派に対する強国ロシアの
長年にわたる力の誇示と制圧があったのではないか。
この10年間の紛争で、
20万のチェチェン人がロシア軍によつて殺されているらしい。
チェチェンの人口はわずか100万だという。
これはもう民族抹殺を意図しているとも疑われかねないジェノサイドだ!
 ロシアのプーチンという男もブッシュに似て、
国益のためには力の決着しか考えていないように思える。
(この二人、今はなんだか大変仲がよく見える。ウチの小泉も負けておりませんがネ)
「力」による決着で真の平和継続はできまい。
敗者の怨みと憎しみは子々孫々に受け継がれ暴力の連鎖が続くであろう。
 何百世紀戦いの歴史を繰り返せば、
殺戮の空しさ罪深さに人は目覚めるのであろうか…。
 オノレはチェチェンやイラクで生きなくてもよいオノレの幸運にホッとし、
そこで生きざるをえない人々の大きな不幸に戸惑いを覚える。
さらにかような戦争・殺戮によって巨益を得ている
国家や企業や個人が存在するとあらば、そういうヤツラに対して、
救い難いテロを起こすヤツラに怒る以上の怒りが湧いてきてしまうのだ。



  酒池肉林
Date: 2004-09-03 (金)

 「酒池肉林」とは、広辞苑によれば酒や肉が豊富で、
豪奢を極めた酒宴とある。
オノレはどうも意味を一部間違って解釈しとったようである。
肉林の「肉」は女体を意味しているのだとハナから信じこんでおった。
もちろんそれを喰うのだとは思わんかったが、
肌も露な女体が酒席に乱舞し性的な匂い漂う宴であると理解しとった。
某国の「ヨロコビナントカ」なんてのはそういう匂いが紛々としておる。
また映画でよくみる昔のアラブの王族や
中国の皇帝なんぞの宴もかような雰囲気にあふれており、
若い頃からそんな映画をずいぶん見てきたので、
何の疑念も無くオノレの頭では肉林はイコール女体であった。オハズカシイ。
 ところで日本の時代劇を見ると、
オノレの誤解した意味での「酒池肉林」はあまりないナ。
せいぜい芸者や遊女相手のバカッ騒ぎで、
「肌も露に」集団が入り乱れ…というシーンは少ないのだ。
もちろん民族性や衣装のせいもあるんだろうが、
日本映画の時代劇において、
集団で性の狂宴なんてシチュエーションはまずない。
だいたいが悪代官や強欲商人が目をつけたイイ女を、
ムリヤリ寝間に引き込み…てな感じなのである。
つまり一対一のパターンが多く、
集団での乱交パーティーはあまり見かけない。
つまりかつての日本人にとって「性」的行為は、
およそ人目にさらすものではなく、
個人的プライバシーのオクユカシイ世界であったのである。
 昨今の性のアケスケな社会を目の当たりにするにつけ、
この日本人的奥ゆかしさにオノレはなぜか懐かしさをおぼえるのであるが…。
 さて、今後も正しい意味での「酒池肉林」に誘われれば、
オノレは悦んで参加させてイタダキマス。


  台詞憶えの術
Date: 2004-09-02 (木)

 「日本の放浪芸」という本の中で、
著者の小沢昭一氏は盲人の暗記力に驚嘆し、
「人間が、たとえば目という何か一つの条件を落とすことで
かえって超能力を発揮するということ。
何かを切り捨てた苦しみの中から、
かえって一つ事に深く打ち込めるということ、云々…」と書いており、
オノレは深く共感したというか鞭打たれたような気がした。
瞽女(ごぜ)や薩摩琵琶の芸についてふれながらの一節であったが、
小沢氏はつづけて、
「目あきは不便なもんでござんすねぇ」
という座頭市のセリフを引用しその一節を括っている。
それはたぶん健常者の日頃の怠惰を諌めているのであろう。
 さて、オノレも年々台詞憶えの衰えを感じる現状であるが、
台詞憶えに何か術というものがあるとすれば、
オノレの場合、集中力と繰り返し読み返す忍耐力、
憶える内容をとにかくより深く理解することしかない。
タダ暗記するだけなら他に極意もあろうかと思うが、
芝居の台詞は試験の丸暗記とはちがうのである。
作家の思いと役の心がこもった活字だから、
丸暗記しただけでウマクイクものではナイのだ。
それは瞽女や薩摩琵琶の長い語りにしてもおそらく同じであろう。
あれを豊かに諳んじ、人の心を打つほどに詠いあげるまでには、
厳しい日々の稽古と努力があるにちがいない。
そしてその集中力と忍耐力が、我々健常者には想像がつかぬほど凄いのだ。
 ただただオノレの怠惰と脳のデキの悪さを憎む最近のオノレである。
 


  夢・憶え書き #1 「仕事 」
Date: 2004-09-01 (水)

 黒澤明監督も映画化している作家・内田百閧フ小説には、
自分の見たと思われる《夢》を書いたものがいくつかある。
「花火」「件」「道連」など、その描写はおしなべて暗いが、
不思議な情景のなかにもそれなりの色を感じる。
また登場する人物がわりとよく「喋る」。
 オノレの見る夢の場合、あまり人の「会話」はないような気がする。
実は会話をしているのだが、
オノレのボキャブラリー不足で理解できないだけかもしれん。
 ところが今朝見た夢にはめずらしく会話があって、
目覚めた今もその一部始終を記憶している。
そこで百關謳カに倣って、
オノレも記憶に残った夢を活字にしておけばオモシロカロウ…と思った。
ま、他人が聞いてもあまりオモシロクナイ、オノレの夢ではある。

    「 仕 事 」 

 オノレは乗り合いバスに乗っている。
映画出演の仕事をするため、その撮影現場に向かっているのだ。
 バスの中は運転手とオノレ二人だけであった。
はて、オノレは撮影現場に向かっているのだが、
その現場がどこにあるのかまるでわかっていない。
オノレは遅刻してはいけないとハラハラしながら時計を気にする。
何処で降りたらよいのかただ迷いつつ、いくつものバス停が過ぎていく。
バスはついに終点まできてしまった。
 オノレはバスの運転手に尋ねた。
「映画の撮影現場を知っていますか?」
ツルッ禿の冴えない運転手が、けだるそうな顔でオノレを見た。
ノジマであった。
 ノジマはかつてオノレが在籍した劇団の演出部にいたヤツである。
ひどい猫背で大酒のみ、胃を痛めているようなシカメッ面をしていて、
世間を斜めに見る癖があり、まるでつかみどころのない性格で翳が濃い。
そのお前が何でバスの運転手を…と、オノレが首を傾げる間もなく、
「向かいの東京電力のビルが撮影現場だ。
許可証なしでは入れんから、そこの交番の巡査に、
『ノジマさんからキキマシタ』と言え。
そうすれば許可証をくれるだろう」
ノジマはそう言うとオノレを降車させ、
バスを急発進すると怒ったように去ってしまった。
 オノレは交番に入った。
ぼんやり座っているオマワリにノジマに教わったとおり、
「ノジマさんからキキマシタ」と言った。
小太りの老年オマワリは人のよさそうな笑顔で、
「ああ、ノジマさんからキイタンデスネ。けっこうです。
許可証はないのですがビルの中にお入りなさい」と返事した。
「ノジマのやつ、昔からテキ屋のようなところがあって、
人を仕切るのが上手かったが、オマワリまで仕切ってやがる…」
オノレはそんなことを思いながら、
東京電力ビルの自動開閉ドアの中に踏み込んだ。
 ドアの中はロビーというより薄汚い控え室のような大部屋になっており、
何人もの年寄りが男女入り乱れ、
時間を持て余しているかのようにたむろしているではないか。
 彼らはいっせいにオノレに注目し、
「おはようサン」「いつもより早いじゃないノ」
「マダマダですってヨ」「ここで待ッてろってサ」などと、
訳の分からん勝手なことを口々にオノレに言う。
そしてオノレはようやくオノレの置かれた立場を理解したのであった。
 ここにおいでのジッチャン・バッチャンは、
映画のエキストラとして集められたお年寄りたちであり、
オノレもその仲間の一人であることを!