オノレ日記帳

2004年10月の記録



  芝居からロックへ
Date: 2004-10-31 (日)

 今日の日曜日は西荻窪のウェンズスタジオで、
「赤と黒」という舞台を観劇。
リンクプロジェクトというグループの公演であった。
水上勉の小説「五番町夕霧楼」を舞台化したものであったが、
脚本も演出もややザツな創りであまり感心できんかった。
若い役者さんたちは、それなり頑張って汗をかいとったが、
結局熱演だけで終わってしまったような気がする。
 オノレが「五番町夕霧楼」を映画で観たのは、
昭和38年の東映作品で、監督・脚本:田坂具隆、
佐久間良子と河原崎長一郎が主演であった。
映画全体を鮮明に憶えてはおらんが、
若いオノレの涙腺がしまりなく緩んでドット泣けタッケ。
あれは佐久間良子のデビュー作品であったような気がするナ。
彼女はまことに初々しく艶っぽく、
しかも芯の強い薄幸な女郎という雰囲気が
そこはかとなく滲み出て、
若いオノレにはナカナカ魅力的であった。
が、何より河原崎長一郎の修行僧・正順が好かった。
生まれながらにドモリの陰気な若い坊主は、
社会の理不尽に屈折した怒りを感じつつ、
孤独の中でその怒りを内向きに溜めこみ、
ついに寺の放火という行為で怒りを爆発させてしまう。
その苦悩する哀れな青年を河原崎は見事に演じとった。
 水上勉は昭和25年に起きた金閣寺の放火事件を題材に、
(金閣寺は寺の若い徒弟、林義賢の放火によって焼失した)
幼馴馴染みの薄幸な男女が遊女と坊主になって再会し、
やがて救いのない結末になる悲劇を、
彼独得の情緒をこめて淡々と描いておる。
 そう、オノレにはヨカッタあの昔の映画と、
今の若い方が創る舞台を比較し感想を述べるのは、
チト気の毒な感もある。
しかし憶えの決してよくないオノレの頭に、
未だに残っている映画と小説である。
どうしても舞台を観ながら無意識に比較し考えてしまう。
で、ついキツメの感想になるのやも知れん…。オユルシアレ。
 いずれにせよ半世紀以上前のお話を舞台にする場合、
これはもう「時代劇」なんだナ…とつくづく思う。
現代の若い女優さんが昔の女郎を必死に演じても、
なかなかその頃の匂いと時代の悲劇を語る女郎に化けん。
女郎遊びに明け暮れる大店の旦那や、
権謀術数に長けた住職や生臭坊主にならん。
(これはそれなりベテランの役者さんがしとったんだが)
身のこなし、帯の締め方一つで嘘になってしまう。
さよう。西陣の大旦那があんな生地の着物は身につけんし、
着こなしもマズいたしません。
かような演目をアングラでなくキチンと舞台化するには、
役者の演技はもちろん、装置、小道具、衣装、
諸々にいたるまで、時代考証を丁寧にして、
念には念を入れて創らねば、
いろいろウルサイお客を黙らせることはできんのだ。
アタリマエだが、とても歌舞伎や新派の役者にカナワン。
 若い世代が日々遠くなる時代の世界に挑戦する心は、
尊いし大切なことだ。その意気やヨシ、歴史は受け継がれる。
だからこそ、それなりの予算をかけて創るなら、
安くないチケットでお客に観せるなら、
やれるべきことは最低やりつくす努力をしてほしい。
「五番町夕霧楼」だけでなく、
あの時代を撮った遊郭の映画はたくさんあるし、
記録映画もそれなりある。
市川雷蔵主演の「金閣寺炎上」なんてえ名作もあったぞ。
こういうものをレンタルで借りて観れば、
少なくとも衣装や着こなしなんぞ大いに参考になるはずだ。
またそういうことを身に付けている人、よく心得ている人から、
頭を下げて教えを乞うなり学ぶべきである。
ひょっとして学んでいたのだとすればゴメンナサイ。
が、少なくともオノレの目には、
舞台成果としてそうは見えんかった。
今回の役者やスタッフが、それなり一生懸命、
真摯に舞台と格闘していただけに、
オノレにとって少し消化不良でモッタイナク、
残念な公演であった。

 昼間の芝居を役者仲間の友人と観に行ったら、
広島からわざわざ観に来ていた彼の友人を紹介された。
その彼曰く、夜は後楽園ドームでアメリカのロック・バンド、
「イーグルス」のライブに行くのだという。
どうも遠く広島から出てきた目的はコチラが本命らしい。
半端ではない音楽通で、ロックファンのようにお見受けした。
で、オノレの友人も一緒に行くはずなのであったが、
大事な芝居の稽古でダメになり、
変わりにオノレが行かせてもらうことになった。
しかもチケット代は入らんという。
こういうオイシイお誘いには、
すぐのせて頂く品のないオノレである。
二つ返事でのせてもらい、甘えて行くことにした。
そしてまた一つ、貴重な体験をさせてもらった。
 オノレを誘ってくれた広島の彼は、
大学応援団をしとった実に飾り気のない、率直そのものの御仁。
またこの人と会うため広島へ行きたくなるような人柄。
アノネ、チケットをタダでくれたからゴマスッテルのではナイヨ。
オノレより十も若いが、オノレより落着いてユトリがあり、
付き合ってタメになる、面白そうな人物であった。
 さて後楽園ドームはもう凄い人、人、人…。
いったい何万人来たのであろうか?
「大地震でもきたらどないしょ」とそれなり心配もして、
イロイロ、ホトホト疲れたが、やはり来てヨカッタワイ。
長いこの人生でロックちゅうのにおよそ興味のなかったオノレである。
もちろん「イーグルス」なんてえロック・バンドは知らんかった。
しかしあのでっけえドームで、けっこう年をくってる彼らの、
三時間も歌って演奏するエネルギーにもう唖然。
陶酔したように立って手を振るファンの姿にまた唖然。
ホンマ、彼らの声帯の化物的強さにビックリこいた。
オノレなら一曲歌わんうちにノドがツブレル。
いったいどないモノを食えば、オノレの鼓膜を破壊しそうな、
ああいうキケンな声帯になるんじゃろ?
キケンといえば、ベースなのかドラムなのか、
重低音で響く楽器の音がこの内臓を激しく揺さぶり、
心停止になるのではと、思わず胸を押さえたオノレであった。
まあ、今後老いてなお積極的にロックのライブに行こうとは思わんが、
なかなか刺激的でキケンな初体験でありましたです…、ハイ。
 ライブ終了後、水道橋の飲み屋で宴席。
そこでも広島の御仁にオゴッテいただき、
すっかり甘えてしまって面目ないこと、ウレシイコト。
昔応援団の豪傑に感謝、感謝で、
気持ちよく酩酊し家路についた、今夜のオノレであった。


  よりよき出逢い
Date: 2004-10-30 (土)

 今日の午後3時から、都立学校婦人職員さんたちの定期大会で、
独談「アカシアの町」を上演させていただく。
 一昨年の夏、戸隠のペンションでの公演を観てくれた方が、
この公演を実現してくれた。
 オノレの公演は、実際に観ていただいた方による推薦や
口伝で実現するのがおおよそである。
オノレの個人事務所「独歩」には、制作プロデューサーもおらんし、
マネジメントをするスタッフもおらん。
ヤマノカミとオノレ二人で、細々ながらナントカ維持しているので、
オノレの芝居を全国に知らしめる術はほとんどナイ。
それでも数少ない公演を観てくれた方の中に、
オノレの舞台を評価してくださる有難い人がいて、
年に何度かアチコチで公演をさせていただく。
 新しい人とのよりよき出逢いは、いつ、どこで何を生むかわからん。
オノレの舞台を観る人の中に、
一つの公演を実現させるための努力を惜しまず、
実際実現してくれる方がいたりする。
 一回一回、例えどないに地味でささやかな公演であろうと、
我々役者は手抜き出来んし、してはならん!


  奇跡の子
Date: 2004-10-28 (木)

 新潟中越地震の土砂崩れにやられて埋まった車の救出は、
悲痛と歓びが同時進行でこの胸に迫る出来事であった。
オノレは奇跡的に生きていた坊やが救われた瞬間、
その映像に感動し、
生還できなかった母娘の不幸に他人事とは思えぬ無念を感じた。
そして何より大きな余震と二次災害の恐怖に耐えながら土砂と闘い、
必死に親子の救出活動をしているレスキュー隊の姿に、
仕事を越えて人の命と向き合う彼らの気高い勇気を学んだ。
 大災害では必ず多くの命が失われる。
犠牲者全てに救いの手が届かぬのは歯痒く辛いが、
救うための人の努力と強い意思が今回のような奇跡を生む。
 翻って戦争もテロも、
人間の平和に対する努力と意思如何ではないか?
小さな命の測り知れない尊さを思えば、
例えどんな理由があろうとも、
自覚して人を殺戮している国家や人間を、
オノレはとても容認できんし許せない。
 「奇跡の子」優太君の救出劇を見て、
オノレは人命の尊さと重みを改めて痛感する。


  我が青春の「しろとくろと」
Date: 2004-10-27 (水)

 去年6月、店を閉めた水道橋の喫茶店「しろとくろと」オーナー、
安保夫妻と久し振りに再会。池袋で昼食を共にした。
この七月、オノレが演出した「小さな家と五人の紳士」を、
マスターの体調が万全ではなく観てもらえんかった。
そこで収録した舞台のビデオを観ていただきたいと思いつつ、
郵送で送るチエさえもなく、今日まで延び延びになってしまったが、
ようやくプレゼントできて、ホンマにヨカッタワイ。
もっとも観てもらい、どないギビシイ感想を頂くことになるか、
チト不安でオソロシイがね。
 マスターはずっと腰痛で苦しんでおり、
その体調をチト心配しながら会ったのだが、
半年前に会ったときよりずっと元気な様子でホット安心。
 昼食会は、「小さな家と五人の紳士」に出演した役者、
村中弘道君と奥さんの音頭で実現。
うちのヤマノカミも加わり、夫婦三組、
和気藹々、アッいう間の三時間で、
まことに楽しくオイシイ昼食だったナ。
 ところで元マスターの安保さんは知る人ぞ知る劇作家。
オノレはこの人から多くの演劇的、創造的知識を頂戴した。
またオノレがマズシク若い頃、
二年間ほどアルバイトで働かせてくれ、
(遊ばせてくれ…、かもしれん)
経済的にずいぶん助けてもらった。
そして元ママも、キビシク、アタタカイ、
確かな目線で芝居を観る「観て巧者」。
オノレは演技に関し、そのアマイ生き方に関し、
ずいぶんヤサシク叱られましたデス。
 さよう、オノレの独演・独談のスタートは、
この安保夫妻の経営する水道橋の喫茶店、
「しろとくろと」からであった。
オノレは5つの作品をこの空間の小さなステージで上演、
得難い創造的悦びとキビシサを、
イロイロ経験することが出来たのである。
およそ30年お付き合いした「しろとくろと」は、
まさに我が青春の無軌道と蹉跌の過去を深く刻み、
オノレにとって一生忘れることのできない場所であった。
 この「しろとくろと」の元マスターも、
そろそろ70半ばになると思うのだが、
ナンノ何の、劇作家としての意欲を未だ失っておらん。
「雪女郎」という芝居の完成を目指して毎日ガンバっとる。
新しい創作の苦労と構想について語るマスターの瞳は、
今日も一瞬光を放ってオノレの目に強く迫った。
オノレは凛としたその輝きに心打たれ、
「これからもヤラニャイカン」と、
かすかに燃えるオノレの演劇的情熱の残り火に、
さらなる追い焚きの火をつけてもらった。
 マスター、ママ、またも真夏の公演ではありますが、
体調良好に何とか…、いやいや是非、
オノレの「象」を、来年は生で観てやってくれんさい!


  他人の舞台
Date: 2004-10-26 (火)

 演劇シーズン真っ盛り。
知り合いの役者さんやスタッフから次々に公演案内のチラシが届く。
できれば全て観劇したい気持ちはあるのだが、そうもイカナイ。
全てをみれば何万ものチケット代と交通費が掛かってしまうし、
観劇後、ウッカリ飲み席に付き合えば更にカネが出ていく。
月十何本も芝居をみるほど、今オノレの懐に余裕はナイ。
申し訳ないと思いつつ、
頂いたチラシの内容をオノレなりの基準で選別、
観ないと決めた公演のチラシはナクナク処分させていただく。
 観ると決めた舞台のチラシは、間近な日付順に重ねて束ね、
棚に置いておくのだが、そう頻繁に確認しないので、
ウッカリ公演のあることを忘却し観そこなうモノもある。
また予定はしていても、間近に仕事が入って観劇日と重なり、
結局観そこなう公演も度々ある。
さらにオノレのような仕事の場合、
ナカナカ早めにチケットを予約出来んので、
二、三日前に申し込むと既に売り切れ、
観劇を諦めるケースもよくある。
そう、満員で断られた公演は、
それがまことにデキノヨイ舞台であったような気がして、
オカネは節約したのに何だか損をしたようで、チトくやしい。
 事ほど左様に、アチコチの芝居を経済的に、
うまく予定を組んで観るのはヤサシクナイ。
 人付き合いのそれほどないオノレといえども、
舞台をしている方々と、それなりイロイロ付き合いもあり、
公演の多いこの時期、チラシを凝視しながらフカク悩む。
 そうなのだ。オノレのようにドンカンな役者は、
日頃アチコチの芝居を可能な限り観ておかんとダメなのだ。
観そこなった芝居は、オノレの想像もつかんような、
素晴らしい舞台ばかりであったかのようにさへ思えてくる。
そしてオノレは、時代に取り残されていくような淋しい気分に陥り、
オノレの演劇的活動の至らなさばかりを考え始める。
その不安は日に日に増幅しつつ自己不信の塊となって、
いやもう、まるで酷い不眠症。遂には、
「芝居なんかヤメッちまえ!」てなことにもなりかねん。
 そうなのだ。他人サマの舞台は、
日頃オノレの中に巣食う役者としての不安な日々を、
叱咤激励してくれるエライ先生なのかもしれん。


  大地震
Date: 2004-10-25 (月)

 次々襲ってきた台風に慄きウンザリしとったら、
その慄きが消えないうちに新潟の大地震。
やれやれ日本列島大受難の年になッちまったナ。
 我々は阪神大震災で地震のエネルギーの凄まじさを思い知ったが、
改めて一昨日は「その日」のために、
「個人で出来うる日常の対策」をシッカリせにゃアカンと思った。
ヤマノカミも相当ビックリしたようで、
慌ててペットボトルの水を半ケースほど買ったが、
対策としてはチトお粗末な感じが致しますデス…、ハイ。
よく調査して、生き残るタメニ必要なものを購入せにゃアキマヘン。
 それにしても「地震サマ」にとっちゃ、
コンクリートであろうと鉄筋であろうと、
いかに人が堅固に造ったものだとて、
紙細工ほどの強さにすぎんのか…と、つくづく思う。
地中深く、その根っこから大地を裂くんだものな。
自然に敵わぬ人の無力を思い知らされる。
それでも「地震サマ」に対して無抵抗でいるわけにもいかん。
災害が起きる前からお上がしっかり対策をとるべきは言うまでもない。
起きた後、いかに迅速スムーズに被災者に救援の手を差し伸べるか、
また災害後、被災者の生活が保障され成り立つよう、
社会としてのシステムを国がしっかり確立しとるのか…、
甚だ心もとナイ。果たしてお上は、
「現在の災害に対する準備・政策が万全である」と、
胸を張って国民に言えるんかい?
天災の中に多くの人災があったりするのではアリマセンカ?
 小泉さんヨ、映画鑑賞をヤメロとは言わんが、
地震が起きてなお一時間も劇場にグズグスしとらんで、
スグ官邸にオカエリになり、総理としての責任をハタシナサイ!
 そうだ。最近の台風と地震で被災した方々に、
オノレも何か少しでもお役に立つことをせにゃいかん。
とても他県の出来事と安穏としてはおられん。
「明日は我が身」だ。

 


  サルモネラ菌で冷汗
Date: 2004-10-23 (土)

 今朝、朝食後間もなく急激に下腹部が痛み出し、
それから酷い下痢の連続。
やがて貧血の症状が起きて全身冷汗。
洗面所の鏡で、「もしや死ぬのではないか」と、
オノレの顔を確かめれば、まさに死人のごとく真ッ青であった。 
冷汗というのはまさに冷汗で冷たく痺れるような汗だよな。
暑さで出る汗とはまるで異なりヒンヤリと恐ろしい。
 二時間ほど「死ぬかもしれん」アブナイ状態が続いて後、
痛みと下痢がやや治まってきた。
で、情けなくもヤマノカミに導かれ近所のお医者サマに駆け込んだ。
いや、夢遊病者のようにフラフラ歩いてオジャマした。
 土曜日の午前であったがそれなり患者がたくさんおって、
真ッ青なヤツが来たからといって先には診てくれんのヨ。
待つことおよそ40分、ようやく名前を呼ばれた。
オノレと同世代かと見える実にオシャベリの達者な先生に、
昨夜口にしたものとかアレコレ質問されて、
それからオノレの腹をナデナデ・トントン、
実にアッサリ診てくれる。結果は、
「昨夜食べた生卵のサルモネラ菌が犯人クサイ。
しかし症状が軽そうなのですぐよくなる。
あまりシンパイしなさんな」、とのアリガタキお診立てであった。
 さて現在夕方4時過ぎ。名医の診立ては的中したらしく、
わずか半日でオノレは「死の危機」を脱出。
すでにこの日記帳を書けるていどに回復したのである。
 朝の七転八倒がハズカシクなるほど全快しつつある今、
ヤマノカミに仮病と疑われるのではないかと妙な気を使い、
それほどコワクナイ冷汗をチトかいているオノレであった。
 明日ッから生卵ブッカケ御飯はもうヤメタ!


  台風23号
Date: 2004-10-21 (木)

 超大型というので心配しとった台風23号は、
やはり日本列島に大きな災害をもたらしたな。
夕刊によれば54人の死亡と30人の行方不明。
相変わらず高齢者の犠牲が目立って…言葉もない。
 台風来襲が分かっているのに、なぜ予め避難せんのか。
ひどい暴風雨の中、なぜ危険な場所に出て行くのか。
山海沿いに住んどらん者は、ついそんなことを考えてしまう。
しかし犠牲者にしてみれば止むに止まれん事情があって、
あの台風の中、身の危険をさらしているにちがいないのだ。
 崖崩れや津波、
洪水などの災害が起きそうな土地に住むのはオソロシイが、
そんな土地に住みつつ暮らしが成り立っているのだとすれば、
都会の人間のようにホイホイ転居するわけにもいかんだろう。
ましてや先祖代々の土地であればだな…。
もっとも崖崩れや津波はなくとも、地震はどこでも起きるゾ。
阪神大震災で経験したように、都会の震災の酷さは地獄である。
 さてさて日本のオエライ政治家諸君。
利権や力の誇示に明け暮れる戦争の片棒担いで、
イラクに自衛隊を派遣し、そのために出費しとるオノレの税金を、
この手強い自然災害とのタタカイに費やしてはくれんかいッ!
 


  やれんのう…。
Date: 2004-10-20 (水)

 また大型台風が日本列島を縦断するようだ。
「ええかげんにせんかい!」と、
お天道さんに向かって叱りつけたくなる気分だが、
こればかりはオノレの、いや人間の力ではどうにもならんワイ。
 今年の風水害による死者・行方不明者はすでに136人を超えて、
その半数が高齢者だという。
政治も災害もイジメの標的は力のない年寄りか…、やれんのう。
 今日の午後は雨合羽と長靴で完全武装して仕事に出よう。
なるべくNGにならんようチャント台詞を言って、
電車の動いとるうちにハヤク家へ帰ろう!


  集団自殺
Date: 2004-10-19 (火)

 先週、集団自殺で七人の男女が死んだナ。
それぞれに自殺したい深刻な悩みがイロイロあったのであろう。
しかしインターネットで仲間を募り、
「お手々繋いであの世へ逝こう」ちゅうのは、
何となくノーテンキな感じで、どうもオノレの理解をこえとる。
これぞ今のオソロシイ時代を反映しとる証なのかもしれんが…。
 世間からはナイーブの欠片もないと思われがちなオノレであるが、
十代の頃、一度や二度、自殺を考えたこともアルノデス。
何故オノレはそこまで追い込まれたのか?
今では曖昧な記憶しかない。多分、
「この社会でオノレはまるで価値の無い存在である」と、
勝手に思い悩み、死ぬことを考えとったような気がする。
(この自己不信は未だにナイとはいえなくもナイ)
それはともかく、自殺するカタチとしては、
オノレはあくまで人知れず一人で決行するイメージであった。
出来れば自殺したことさへ、
永遠に人知れぬヤリカタでオサラバしたいと思った。
今村昌平の映画ではないが、「人間蒸発」のような自殺が理想であった。
「一人秘かに死ぬ」からこそ自殺のカチがある…そう思ッとったナ。
心中ならまだしも、かように高邁なるオノレのテツガクによって死ぬのダ。
道連れの友を募るなんてえことは、
当時のオノレには考えも及ばんヒドイ自殺のヤリカタで、
まして練炭で死ぬなんぞ、想像するだに息苦しそうでゴメン被る。
で、当時オノレの自殺計画はだナ、
山中深く人知れぬ洞窟を見つけ、
タップリ睡眠薬を飲んだ後、強か酩酊。
豪快なイビキをかきつつあの世へ逝きたい…、というものであった。
(ミナミナサマ、決して参考になさいませんように!)
 いずれにせよ、最近の集団自殺をオノレは責めることはできん。
かといってあまり同情もできんのだが、ただただヒシヒシと感じるのは、
現代日本社会のソラオソロシサ、薄ら寒さである。
社会からスポイルされ、生きる価値を見出せず、
健全な人間関係をも断絶せざるを得ない弱者が死んでいく、
荒涼とした砂漠社会のオソロシサである。
 「明日は我が身」ではナイと、オノレはイエナイ。


  母の夢
Date: 2004-10-18 (月)

 久しぶりに母の夢を見た。
珍しく若い頃の母である。オノレの夢で見る母は晩年が多い。
が、いずれにせよ夢に出てくる母は、
おおよそオノレに手を焼いて嘆く若い母か、
少し惚けがはじまり寡黙に宙を睨む老いて寂しい母だ。
笑顔で喜ぶ母の顔を見ることはあまりない。
これは母の存命中、
「オノレがいかに母を嘆かせ苦労をかけたか」、
「いかに母を喜ばせるようなことをしていなかったか」、
というナサケナイ事実を、
常に認識させられているようでまことに辛い。
 そうだ。亡き母は、そのふがいない過去を忘却させまいと、
たぶん自分が死ぬまでオノレの夢で主演するにちがいない。
 母の夢から醒めると、
いつもオノレの目は涙でグシャグシャになっとる…。

  空ろなるあの母の目と秋晴れと   麦  人


  絶景
Date: 2004-10-17 (日)

 ここ二、三日で急に冷えこんできたナ。
この時期チト油断すると風邪にやられるのでコワイ。
 日光あたりはすでに紅葉らしい。
紅葉といえばヤマノカミの故郷に近い十和田湖の紅葉は見事であった。
オノレの紅葉体験は多くはないが、
ずいぶん昔に見た十和田湖をとりまく紅葉した山の美しさは、
格別な残像でオノレの脳みそに残っとる。
それはまさに目映く燃える幾重にも連なった紅葉の、
味わい深い絶景であった。
で、この自然の生み出す芸術の豊かさに比べ、
オノレはオノレの生み出す芸術の貧しさを思い、
人知れず独り秘かに慨歎したものである。
 ついでにいえば十和田湖に繋がる奥入瀬の雪景色は、
紅葉に劣らず情緒に満ちて、墨絵のごとく深閑と美しい。
 さてオノレは車や人出の多い行楽地へ行くのが嫌である。
なるたけ人が少ない時期にかような絶景を見に行きたいのだが、
そういうワガママな計画で絶景にめぐりあうことはなかなか出来ない。
人出のない頃、のんびり出かけて行くと、
大概絶景の盛りは過ぎてしまっているのだ…。アタリマエダヨナ。
 このオノレのワガママな計画で絶景も堪能出来るウマイ計画は…、
今のところナイ。


  一人暮らし
Date: 2004-10-13 (水)

 オノレの知り合いにも一人暮らしをしている独身男性は案外多い。
オノレより年上もいるし、過去に結婚生活の経験がある方も当然いる。
で、オノレの知人である彼らは総じて暗くない。
中には天真爛漫に、実に明るく一人者を愉しんでいる風の男さえいる。
男のながい一人暮らしから、つい想像してしまうダラシなさ、
カビ臭さ、汚らしさなんぞおよそ感じない。
 オノレも過去に一人暮らしの経験はそれなりにある。
今のヤマノカミと一緒になる前の数年間は一人であったし、
それ以前にもいろいろジジョウーがあって、
チョコチョコ一人で暮らしとった。
だがオノレの場合、「一人がええ」と自ら望んで一人暮らしをしたことはない。
さよう、オノレは一人で生きることに、
およそ耐えられないナサケナイタイプの男なのである。
常にそばに伴侶がいてカマッテほしいし、
オハナシ相手になってほしいし、アレコレ面倒をみてほしいのだ。
相方はどうなのかホンネのところはよく分からんが、
オノレはそうしてイタダクことにそれほど煩わしさを感じたり、
ウルサイナと思うことがあまりない。
 先日、結婚に一度失敗してからずっと一人でいる友と飲んだとき、
かようなオノレの性質(タチ)について話したら、
「そんなに面倒みてもらい甘えたんじゃ、まるで頭が上がらんでしょう?」と、
チト哀れみのこもったような、同情の眼差しで言われたナ。
「確かにアガットランかもな…」と、一瞬反省したオノレであったが、
それよりオノレが彼に感心したのは、曰く、
「独身だとなぜか女性に対して優しく、寛容になれる。
ところが二人で暮らすと相手のワガママがどうしても許せなくなる。
ヘラヘラして女のゴキゲンとりながら一緒に暮すのも嫌だし、
女のエゴに堪忍袋の緒が切れて、
ドメスティック・バイオレンスをしかねない男にもなりたくない。
いつも女に優しい男であるためには一人がいい」てえんだよな。
そこまでオノレの性質を冷静に理解し独身でいるってえのも、
これはナカナカ出来ることではありませんヨ。
ちなみに彼は料理つくるのも好きだし、洗濯・掃除も苦にはならんという。
そして止めの一発。
「今は財布にいくら金を入れるか、自分の意思一つ。結婚中辛かったのは、
妻が決めた額しか財布に金が入れられなかったことだネ」
 彼と別れて、しみじみ財布の中味をのぞいたオノレであった!




  山田風太郎・著 「人間臨終図鑑 」
Date: 2004-10-12 (火)

 作家・山田風太郎の著書に「人間臨終図鑑」というのがある。
古今東西・国内外の歴史的人物や有名人の人となりをかいつまんで紹介し、
その今わの際をまことに上手くまとめて我々読者に教えてくれる。
数えとらんが、上下巻の厚い単行本に千人以上の人物が取り上げられ、
彼らの今わの際を知ることができる。
よくもまあこれだけの人物の死様を調べたものだとホトホト感心するのだが、
オノレのごときデリカシーのないヤカラは、
ことさら人の死様に興味をそそられるので、読んでいてアキナイ。
 で、今年還暦になったオノレと同じ年齢で、
いかなる人物がこの世とオサラバしとるのか見てみる。
外国人ではジンギスカン・コロンブス・ドストエフスキー…etc。
日本人では明治天皇・森鴎外・小津安二郎…etc。
錚錚たる人物が還暦で死んどる。
 コロンブスの死様なんてえのは実に悲惨で、
とてもアメリカ大陸を発見した英雄のそれではない。
その人格に問題があったのか、人の反感・敵意にさらされ、
野垂れ死にのごとく死んだらしい。
いずれ劣らぬ有名人たちのオサラバを次から次に読んでいくと、
コロンブスのごとく、その成し遂げた立派な仕事や名声にも拘わらず、
ひどく不幸な状況で人生の最期を迎えた者が案外多い。
人並みはずれた奴は、その死も平穏無事ではアカンのかもしれんナ。
 昨今、自分の死に関して少しずつ敏感になりつつあるオノレは、
この本を読んで、死ぬことに対する脅威と不安を克服しとる。
何せ石川啄木、高杉晋作、吉田松陰、
ジェームス・ディーンなんてえ連中が、
皆二十代でこの世とオサラバしているんだもんな。
彼らと比べ、立派な何事も為しとらんオノレが、
彼らの何倍も今日まで生きてしまったのである。
例え明日メサレテモ、何の悔い、不安がありましょう!
「せめて生きてるうちに、その人たちの爪のアカくらいの努力をしてみたら…」
とヤマノカミ。
 さようか…。ならば後10年、シヌわけにはいかんなァ!

 さて、風太郎さんの臨終はどのような最期であったのであろうか?

  山田 風太郎  2001年7月28日・没 (享年79歳)




  パのプレーオフ
Date: 2004-10-11 (月)

 今、パリーグのプレーオフ最終戦。
この「ダイエー対西武」の戦いをTVで観ながら、
オノレは同時進行で日記を書いとる。
さて、オノレが応援しとるのはダイエー。
別にファンではないのだが、
親会社が破綻の危機に追いやられていることもあり、
かつてハタンしそうになったオノレを思い出しての判官贔屓。
しかし現在7回表までダイエーは3対1で負けとる。
 オノレは最近の日本のプロ野球にさほど興味はない。
しかしその年の大一番ともなると、やはりテレビをつけてしまう…、
まあ、その程度のファンではありますナ。
「アッ、七回の裏、ダイエー・井口のホームランで、
3対2になったゾイ!」
 ところでパリーグのプレーオフ制がオモロイという人も多いが、
オノレに言わせれば、これは実にクダラン、
まことに理不尽な制度である。
アメリカの大リーグのプレーオフとは根本的に意味合いが違う。
あちらはそれぞれのリーグに14と16チームづつもある。
二つのリーグは、広大な地域をそれぞれ3ブロック分けて、
各地域で優勝したチームと、プラス各地域で優勝は逃したものの、
2位以下で最も高い勝率を上げた1チームを加えてプレーオフをするのだ。
これは理屈の上で何の違和感も抵抗もない。
ところが日本の野球は球団数も少なく、
地域に分れて覇権を争ってもおらん。
そういう中での1リーグ制なのである。
そんなチッコイ規模の1リーグの中でプレーオフをするには、
ドダイ無理があるとは思いませんか?
 「アッ、9回の裏、鳥越が二塁打!」
ひょっとするとダイエー、勝ちの目も出てきたかな。
 そうではありませんか、皆の衆。
長い半年余の苦難の戦いを終えた後、
せっかくリーグトップの勝率を上げ、
これまでなら本来優勝であるはずのチームが、
2位・3位のチームとプレーオフをせにゃならん。
で、その戦いで負ければだな、
長いペナントレースで得た勝率トップが水泡に帰してしまう。
こんな矛盾と不条理を孕んだ制度がまかり通るなんて、
いかに不条理ダイスキのオノレでも全く納得できませんゼ。
ま、「これが人生」と言えなくもないが、
これを役者のオノレに例えればだナ、
長く厳しい、悪戦苦闘の稽古期間を経て公演初日を開けたものの、
別のグループがほんのチョイト稽古をしただけで、
オノレと同じ舞台を上演し、
こちらよりずっと高い評価をサラッてしまうようなモノナノデアル。
あら、チト例えがウマクナイカシラ?
「アッ、柴原が、西武の豊田から同点打!」
 いよいよダイエーが勝ちそうになってきたナ。
それでイイノダ。
「アララ…、松中が凡打で延長戦になッちまったワイ」
「アララ…、10回の表、西武が1点勝ち越しやがった、アホンダラッ!」
 オノレはプレーオフ制、絶対反対である。
ペナントレースで4、5ゲームも離されとった2位のチームが、
(12ゲームも離されとったあの新庄君の日本ハムが、
 日本シリーズに出る結果もあり得たなんて)
短期決戦のプレーオフで勝ちをさらい日本シリーズに出たところで、
一体ドナイ価値と悦びがあるというんじゃ?
そうではありませんか、西武の選手諸君。
よしんば日本シリーズで君たちが中日に勝ったとしても、
長いパのペナントレースにおいて2位であった事実は消えませんのヨ。
つまりオノレに言わせればダ。
もし西武がこのプレーオフで優勝した場合、
その勝利はコソ泥的ショウリとは言えまいか?
 オノレは万一西武が日本シリーズに出てきたら、
中日ファンではないけれど、絶対中日を応援するぞ!
「アラアラ、ついにコソ泥西武が勝ッちまったぜ…」
 やはりパリーグは、もうオシマイデス!


  国民不名誉賞
Date: 2004-10-09 (土)

 大リーグ・イチローが「国民栄誉賞」受賞を断った。
小泉内閣がイチローに受賞を打診したのは今度が二度目で、
イチローは再度断ったというわけだ。
さすがイチローである。まあ引退後には素直にもらうんだろうが、
日本国からいただく栄誉なんざ、
262本のヒットを打った大リーグ新記録の栄誉に比べりゃ、
イチローにとって爪の垢ほどの価値もなかろう。
まして落ち目の小泉流パフォーマンスで、その人気浮上の出汁にされちゃ、
己の体を張って成した偉大な記録にキズが付くッてなもんだわサ。
改めて心身ともに己を貫くイチローに脱帽。
ろくな改革もせんで、チャラチャラ人気取りのオコナイばかりが目立つ小泉サンに喝ッ!
 そう、「国民不名誉賞」てえのがあったらオノレは小泉内閣にやりてえナ。
ナヌ、「その場合もらうのはアンタでしょ」とヤマノカミ。
光栄でありますッ!


  アニメ「今日からマ王!」&「トラップ・ストリート」
Date: 2004-10-08 (金)

 午前から午後にかけて、アニメ「今日からマ王!」第28話の音声収録。
オノレはこの話から登場するマキシーンという悪役。
いつまでかはよく分からんが、今後タマには出るらしい。
しっかり絵の入った状態でのアフレコをさせていただき、
オノレの役の雰囲気がヨクミエテ、タスカッタ。
 不思議な味わいのある幻想的雰囲気で、個性的キャラクターがそろい、
出演者の中ではチト年長かもしれないオノレにも、
なかなかイケルアニメのような気がいたしましたナ…ハイ。
 このアニメには、日頃オノレが仕事ヌキに、
以前から親しくお付き合いしているスタッフが二人おる。
これまで彼らの関わるアニメの仕事に、
オノレがそれほどタップリ出ているわけではない。
もちろん知り合ったのは仕事ではあったが、
イロイロ仕事がらみのヤヤコシイことはホトンド抜きに付き合っとる。
とにかくオノレとしては彼らと気が合うから、
友人として年に何度かザックバランに無礼コーの飲み会をしとるワケ。
いやまあ、その酒の愉しいこと、ニギヤカなこと。
いやまあ、その酒をつい飲み過ぎて、翌日のクルシイこと…。
で、まあそんな彼らが今日の現場には居ッたから、
それはやはり演技しやすくてタスカッタ。
初めてお邪魔した番組ではあったが、
オノレとしてはメズラシク硬くならずにヤレタノデス。
 今後もよろしくオタノモウシマス!

「今日からマ王!」HP
http://www3.nhk.or.jp/anime/mao/

 昨日は観劇のWヘッダー。
マチネーに演劇集団「円」の別役実の新作「トラップ・ストリート」
夜はネイティブ企画「ザ・ウインズ・オブ・ゴッド」(原作・今井雅之)
 さて、「トラップ・ストリート」とは、いかなるモノか。
地図製作者がそのオリジナリティを明らかにするため、
原図に秘かに書き入れておく偽の街路のことを指すらしい。
劇はこの偽街路入り地図を作って、多分アチコチ出している女と、
その地図に引き寄せられて変な家を訪れちまった男。
さらに女の周りをウロウロするオカシナ人間たちとによって展開する。
 ギリシャ悲劇の「王女メーディア」の書かれた背景に想を得て、
女の家で過去に起こったらしい子殺しが話の軸になっている。
別役氏らしいサリゲナサとレトリックで、
恐ろしい、一見異常な家族のドラマが展開する。
で、決して退屈はしない、それなりの舞台であったが、
以前観た「猫街」のようなインパクトは、なぜかオノレにはナカッタな。
新作の初演で、演出も役者も作品の根っこをつかみ切れず、
手探り状態のうちに幕が開いてしまったような気がする。
観ていて、何かのスパイス不足であるような、
消化不良を起こしそうな生煮え感ともどかしさが全体にあったナ。
それこそこの芝居のネライであると言われれば、
ネライは見事に成功しとった。
 しかしオノレにとってこの新作・別役世界は、
やはりこれまでの作品同様、興味深くオモロイ内容ではあった!
(劇場でしっかり販売しとったから、
 この戯曲の掲載されてる演劇雑誌を躊躇うことなく買いましたデス)


  人間の底力
Date: 2004-10-07 (木)

 昨夜11時40分の地震は茨城や埼玉の一部で震度5、
オノレの住んどる地域では3くらいだったらしい。
あれで3なら、6や7だとドナイ強さになるんじゃ!
想像するだにオッカナイ地震サマなのであります。
 寝入りばなの地震であったが、昨夜のオノレはまことに冷静、
素早くガラス戸を開け放ち、テレビの電源を入れたのであった。
はたしてこの素早い対応が正しいタイドであったかどうか、
それはどうもよくわからん。
 先の神戸公演では、港の岸壁に保存されとる阪神大震災の爪あとを見た。
それほど大きいスペースで保存されてはいなかったが、
自然の凄まじさというか、いつ爆発するか分らんそのエネルギーの、
底知れぬ力を感じるには十分。まことに無残な姿であった。
かつて人々の憩いの場所であったと思える海際の路面が、
一メートル以上も陥没して破壊され、揺れる波の下にあった。
モダンな外灯も捩れて傾き、救いを求めて悲鳴を上げとるように思えたな。
 それにしても現在の神戸は、街全体をただ眺めていれば、
破壊つくされ、多くの死者を出した街だとはとても思えん。
その後遺症は多分未だにアチコチで続いていると思うのだが…。
 いずれにせよ、大災害にあって人はなお再生のエネルギーを失わず、
街を復興しその日その日をシッカリ生きとる。
自然の底知れぬ力に劣らず、人間のもつ力もまた底知れんなあ…と、
オノレはつくづく驚嘆したのであった!



  まだ早いが遅くなる…
Date: 2004-10-06 (水)

 「まだ早いが遅くなる」というが、何かをなそうと計画すると、
ホンマ、毎日がアッという間に過ぎていくナ。
 日常のオノレはまことに怠惰な部類の人間である。
するべきことをなそうとしても集中して出来る時間が短い。
すぐボケーッとしたり、酒を飲みたくなったり、別のことをしたくなる。
であるからして、何かをなそうと計画すれば、
相当早めから準備しておかんと間に合わん。
来年8月公演予定の「象」にしても、一年前のこの八月から準備を始めとる。
それでもオノレは準備期間が不足かもしれんと不安を感じる。
あの大変な数の台詞を憶えることだけ考えても不安はさらに増す。
(そうそう、「象」でオノレの喋る台詞の数を、
イチローのヒット数は越えちまッた! クヤシイッ…)
不安に耐えられず準備らしきことを始めると、その裏腹、
「時間はまだタップリあるワイ」という、
もう一人の怠惰なオノレの悪魔的な甘いササヤキが聴こえてくる。
意志弱く、オノレは甘いササヤキに従い酒ビンをつかむ。
そんな日々を繰り返しとるうちに、
タップリあったはずの準備期間はみるみるなくなり、
「やっぱり準備期間がタリナカッタ」と、オノレは反省することになる。
 来年はそうならんよう、今から怠け癖を厳しく戒め準備するツモリである。


  「 タイチャン 」 関西公演
Date: 2004-10-05 (火)

 関西での独談「タイチャン」公演無事終了。
昨日帰京したのであるが、東京は雨。今日も雨。
秋らしい高い晴天の空をいつ見ることができるのであろうか。
 今回の関西公演も、オノレにとってはイロイロ貴重な経験をさせてもらった。
東灘区の造り酒屋「泉湧之介商店」さんの建物は、
阪神大震災で半壊したらしいが、
昔のままに再建し、風情と伝統の重みを感じる。
その酒蔵で公演させていただいたわけだが、
酒の香りがこもったような、酒蔵独特の広い空間が、
「タイチャン」の世界にピッタリ。
舞台のオノレは、大正から昭和前半の時代に生きて、
その匂いを嗅ぎつつ演じているような気分であった。
ひょっとすると「タイチャン」を演じるシチュエーションとしては、
過去最高の舞台環境であったかも知れない。
 三田のギャラリー「けやき」は、普通の個人のお宅。
その和室の八畳で、お客と膝をつき合わせた身近な雰囲気で、
ジックリ語らせてもらった。
 二公演とも決して多くはない客の数で、
主催者の負担を考えるとチト申し訳ない気持ちであった。
しかしオノレと客との関係は、心地よい緊張と笑いの中で、
まことに熱い雰囲気に満たされていた…と、オノレは思っとる。
 いろいろな場で公演をすると、いろいろな方との新しい出会いがある。
今回もオノレにとっては嬉しい、何人かの人との出会いがあった。
とくに神戸から三田まで車で導いてくれた李さん、
全さん御夫婦にはお世話になった。
この二人、ホンモノに知的で、ホンモノに夫婦愛に満ちて、
ホンモノの漫才をしているかのように、鋭く楽しい夫婦であった。
なかなか機会はないかもしれんが、今後もチョコチョコお会いし、
イロイロ話たり、共に遊びに行きたいお二人さんでした。
 「神戸芝居カーニバル」の皆さん、「泉湧之介商店」の皆さん、
ギャラリー「けやき」の皆さん、
オノレの今回の公演のため御協力してくれた方々、
「タイチャン」を観に来てくれた貴重なお客さま…、
心から、オノレは感謝と御礼を申し上げます!


  広かった日本
Date: 2004-10-01 (金)

 劇団に所属していた二十代の頃は旅公演で全国を巡った。
長いときは四、五十日も帰京しない巡演もあった。
航空での旅はさておき、新幹線も無く、
今の交通事情からは考えられんほど列車はのんびりユッタリ走っていた。
列車の開いたデッキにしっかりつかまり、
過ぎ行く風景を追って見る事も出来た。
ホームに降りて駅弁を買い、列車が走り始めても飛び乗れたし、
そのスリルを体験するため、わざわざホームに降りたりもした。
モクモク走る蒸気機関車の煤で鼻孔をホジクルと真っ黒であつた。
窓を開けて風景を眺めれば、列車の便所から飛んでくる、
たぶんショッパイ人の小便が、風と一緒に顔をなでた。
 あの頃、鹿児島なんぞに行くともなれば二日がかりの列車道中。
東京から見れば西郷さんの銅像は遙かなる地に立っていたのである。
そう、数十日振りに帰京して見る東京の風景を懐かしく感じるほど、
あの頃の日本は広かったな。
 今、九州まで行くのに半日もかからん。関西までなら三時間を切っとる。
西から東、どこで仕事をしても日帰りが可能な時代になり、
時間は大いに節約できるようになったのかも知れんが、
同時に失った大切なものもたくさんあるような気がする。
「心のゆとり」とかネ。
せめて訪れる街々の風情くらい、
その土地の味わいや個性をタップリ残しておいて欲しいんだが、
昔の旅の良さが忘れられん男の儚い希みか…。

   アスファルト・コンクリートの秋を行く   麦  人