オノレ日記帳

2004年11月の記録



  青年座 「諸国を遍歴する騎士の物語」
Date: 2004-11-28 (日)

 青年座「諸国を遍歴する騎士の物語」を駅前劇場で観劇。
荒野の一角につくられた「移動式簡易宿泊所」を舞台に、
奇妙でオソロシイドラマが次々展開する。
棺桶に片足を突ッこんどるヨボヨボ老騎士二人と、
その従者が二人。
強欲な宿泊所の親父と清純無垢な娘。
病人を求めるヤブ医者と看護婦、
死者を求める胡散臭い牧師。
かようなオモロイ登場人物たちの生臭い欲望と、
人生に厭いて古木となり、
未だ死ねずにいる老騎士二人との相反関係が面白い。
その二人の老騎士によって滑稽とも思える殺人が始まり、
結局みんな殺されたり自殺してしまう。
このチト現実離れした展開も、別役の手にかかると、
オソロシイ「リアリティー」をもって、
不思議な劇的輝きに満ちてくる。
「じゃ、どうして殺すんです…?」
「殺さないと、殺されるからね…。」
「やられてからでは遅いんだ…。」
「常に先手をとってきたんでよ、私たちは…。
先手必勝というやつさ…。」
 こんなヤリトリを聞きながら、
イラク戦争や、米国の「力の政策」など、
オノレの生きとる今日の世界が重なってきたのは、
たぶんオノレだけではあるまい。
戯曲そのものはずいぶん前の作品だが、
その台詞は時代をこえて力強く息づいとる。
 で、青年座の舞台は、
オノレの期待にそれなり応えてくれたしタメにもなった。
しかし不満もいくつかある。
全体に客を笑わせるコメディー調を意識して創ったのか、
その色が濃すぎて、
作品の深みを薄めちまったような気がする。
終始淡々と演じた森塚敏の老騎士が一番可笑しくリアルで、
(ホンマ、演技なのか、
元々こういう役者さんなのかわからんほど、
人生の機微・哀愁を感じさせる絶品の演技)
キャラクターを色濃く演じ過ぎた役者はさほど可笑しくなく、
かえって作品のリアリティーを削いどったような気がするナ。
 生の演奏者が役者と共に舞台に出演、
イロイロとオモロイ音を出しておった。
音の効果としては悪くなかったと思う。
が、舞台の奥とはいえ、ハナッからケツまで、
役者より長く出演しているのである。
どうしてもチラホラ目がいってしまい、
ややジャマでウルサカッタ。
 舞台もアレコレ飾りこみ過ぎて、
かえって荒野の寂寥感が失われとった。
やはり別役作品の多くは、
よりシンプルな舞台美術がベストではないか…、
オノレは改めてそう感じたな。
 いずれにせよ、別役作品に首っ丈のオノレにとって、
観てソンはしなかった舞台ではアリマス。
 オツカレサマ。


  「友達」(作・安部公房)
Date: 2004-11-27 (土)

 昨夜に続いて、
劇団「青年座」の創立50周年記念公演の一つ、
「友達」(作・安部公房)を観に、
お昼近くに家を出て、『劇』小劇場へ。
 一昨日、ギリギリに予約したため、
最前列の補助椅子で観劇。
役者の息がオノレの顔を掠めそうなほど舞台に近く、
休憩ナシのおよそ2時間、
終わってオノレはゲンナリ疲れた。
フィルム映像やスライドなどがチョコチョコ使われて、
そのスクリーンになるブラインドもオノレのすぐ真ん前。
距離が近すぎて焦点が合わず、
その映像がどない映像なのかハッキリわからんから、
オノレは必死にわかろうと努力、
危うく両目がフリーズしそうになった。
 生の舞台もご同様、
常に一部をアップで観るような状態になるから、
全体を俯瞰でとらえることが全く出来ん。
タブンこれは、オノレの芝居の評価に、
いくらかの齟齬や悪影響を与えたと思う。
なにせ左右・上下に役者が立って掛け合いの芝居をすると、
オノレはショボイ首振り人形よろしく、
右向いてホイ、左向いてホイ、
真前に役者が立てば上向いてホイ…、てなアンバイ。
すると左隣の若い女性もアッチャ向いてホイ。
コッチャ向いてホイ…。
で、オノレがタマサカ一瞬下手を観ると、
彼女は一瞬上手を観たりして、
一瞬マチガッテ接吻したらどうしましょうかと、
オノレはハラハラ想像し、
舞台への想像力をいちじるしくソガレタ。
たく、芸者衆と宴会をやっとるのでアリンスヨ。
否、やっとるのではアリマセンノヨ…、ねえ。
 いやいや、ホンマ芝居てえのは、
視野の中に最低全体が入る席で観ないとアカンワイ。
というわけで、全体として悪い舞台ではなかったような、
それなりオモシロかったような、そんな気もするのだが、
とにかくオノレの観劇姿勢てえか、状態が最悪。
途中からボーッとしつつ舞台を観ながら、
終演後フラフラ劇場を出たオノレに、
この芝居の感想を述べる資格は余りナイ。
 ま、それを承知で敢えて一つ言わせてもらえば、
オノレがハマッとる別役実作品と、
一部同質の匂いや皮肉を安部の世界にも感じたナ。
しかし安部がそういうものを劇化するヤリカタは、
別役ほど劇的ではないような気がする。
安部のはかなり純文学的で理屈っぽい。
で、その分リアリティーと客への説得力に欠ける。
とまあ、オノレは首振り人形化しつつ、
「友達」を見てそう感じたのでアリンス…。
 それにしても座席指定の場合、
ギリギリでの予約は今後一切スルマイ!
さて、明日は3本目。
シッカリ前に予約しておいた、
「諸国を遍歴する騎士の物語」を駅前劇場で観る。
作は別役実でアリンス。


  青年座公演 「空」
Date: 2004-11-26 (金)

 劇団「青年座」が創立50周年ということで、
11月25日から12月5日まで、
下北沢の5つの本多系列劇場に於いて、
五つの芝居を同時上演しとる。
何とも大胆ムボーな企画というか公演であるが、
いったいイクラの赤字を生むのであろうか?
オノレがシンパイしてもシャーナイ、
余計な心配をするオノレであった。
いずれにせよ、この間下北沢は劇場も飲屋も、
多分、青年座一色ってえ感じになるのであろうな?
 さて、オノレはそのうち4本の芝居を観る勇断をした。
チケット代や交通費、その他モロモロを計算すると、
2万円は超えるであろう、まさにこれは勇断なのである。
 で、その最初に本日観たのが本多劇場での「空」。
(作・福島三郎、演出・宮田慶子)
女優だけの芝居であったが、いやもう素晴らしい舞台!
オノレが今年観た舞台の中ではNO1の面白さと感動であった!!
作・演出・装置・音響も良かったが、女優人の頑張りは特筆モノ。
12人それぞれが生き生きと、個性的に、アンサンブルよく、
舞台を厚く熱く埋めとったゼ。
つまり三拍子どころか、
五拍子・六拍子そろった良い舞台だったから、
オノレはブラボー、ブラボーと心で叫び、
カーテンコール、心から大いなる拍手をさせていただいた。
 今からおよそ半世紀後の近未来の日本が舞台。
チトSFチックな世界だが、
その手のお話にありがちな荒唐無稽さはまるでない。
実にリアリティーに満ちて可笑しく悲しい。
今夜オノレは、物語の中味を書くには感動で疲れ過ぎとるから省くが、
青年座50年の底力をまざまざと感じる公演であった。
先ずは最初に払った割引4,500円のチケット代も、
懐はサムクなったが高くはナカッタ。
 不勉強なオノレは、
福島三郎という劇作家を今日まで知らんかったが、
すでにナカナカ注目されとって、
アチコチ、イロイロ書いてる人のようだ。
まだ40位の若さらしいが、今後目を離せない劇作家デス。
 それほど期待しないで観に行っても、
かようにイイ意味で裏切られることがあるから、
数ある芝居からどの芝居を観るか選ぶのはホンマ難しい。
先入観だけで観に行く芝居を選ぶと、思わぬソンをするゾ。
 とにかく今夜は、真ッ青な空を眺めたような爽やかさと、
心地よい感動で劇場を後にしたオノレである。
 明日は『劇』小劇場で、安部公房・作「友達」を観させて頂く。


  「我がチチの物語」
Date: 2004-11-25 (木)

 幼児体験の記憶に、
「指シャブリ」のある人は多いのではなかろうか。
あれは母親が乳離れさせた後、
心理的に乳離れできない子供が、
母の乳首変わりに自分の指をシャブル習性でしょ?
オノレがガキの頃、
いつも親指を口に銜えている男の子がいた。
その子の親指の先は、
逆三角形のハンペンのようにマッタイラ。
そのうち指が溶けてしまうのではないかと、
オノレはチト余計な心配をしたもんだ。
 オノレは指シャブリをした記憶がまるでない。
それは多分、乳離れの時期が過ぎても、
そうとう長い間、
母の乳首に喰らいついてガンバッタからである。
すでにオッパイの出ない乳首を、
いつまでもチューチュー吸われた母の苦労は、
如何ばかりであったか…、
あの大きく尖んがって、
玩具のように触れて心地ヨカッタ母の乳首を時々想う。
 そうだ。オノレの幼い頃の記憶には、
いつも母の乳首をマサグリつつ、
安心して眠りについた自分がある。
母が遂にマサグラセテくれなくなったのはいつであったか、
その記憶はない。
で、それからのオノレは、
オノレの右チクビをマサグルことを覚えたのである。
その悪習は相当長くシツコク続いたようだ。
ある日、オノレの右チクビは、
左のチクビの倍の大きさに拡大しとった。
これにはさすがのオノレも困惑動揺、焦ったネ。
銭湯へ行くと、皆がオノレの右チチを見ているようで、
ドエラク恥ずかしい気がして、
ガキとはいえ、下をカクサズ、右チチ隠して入ったナ。
それからのオノレは右チチいじりの悪習を戒め、
両チチ平均化のため、しばらくの間、
必死に左チチを引っ張ったりコズキマワシタ。
その涙ぐましい努力の甲斐あって、
中学生になる頃、オノレのチクビは立派に修復。
左右、ほぼ均等のカタチになってホットしたゼ。
もちろん、以降は人並みに下をカクシテ銭湯に入るようになった。
 想えばカナシイ、「我がチチの物語」である。


  インターネットでの買物
Date: 2004-11-24 (水)

 オノレは手に入れたい本の多くを、
最近はインターネットの古書サイトで検索し、
購入することが多い。
しかしこの購入には思わぬリスクが伴うってえことを、
本日経験してビックラコイタな。
戯曲の単行本だとばかり思って注文した1,200円もするヤツが、
届いてみれば某劇団が発行しとった昔の劇団機関紙タッタ一枚。
さらにもう一冊頼んだヤツも本ではなく、
やはり1,300円の古雑誌。
郵送料、振込み料を加算すると3,000円を超えちまった。
 オノレは劇作家の名前で検索し、
ズラーッと出てきた「タイトル」を、
ハナから戯曲であると信じこみ、
読みたい意欲にかられた作品名を選択し、
注文したつもりであった。
ところがその「タイトル」は、
その劇作家の作品名ではなかったのである。
一枚の劇団機関紙は、
劇作家の作品を演じる役者のエッセイの「タイトル」。
一冊の雑誌は、
「ことば」をテーマに、
劇作家と劇評家が語る対談の「タイトル」に過ぎなかった。
 ま、これはこれで、
「絶版」になっとる貴重な資料かもしれんし、
それなりの価値と内容があるのやもしれん。
そう思ってアキラメルことにしたが、
何となく割り切れんのう…。
タヌキにダマサレちまったような気分のオノレであります。
 みなさま、現物を手にして購入できない、
インターネットの買物には、くれぐれオキオツケあれ!


  「この道はいつか来た道」(作・別役実)
Date: 2004-11-21 (日)

 午後2時から、六本木・俳優座劇場で、
木山事務所公演、「田宮のイメエジ」(作・川口一郎)、
「この道はいつか来た道」(作・別役実)の二本立てを観劇。
もちろんオノレのお目当ては別役作品。
 「この道はいつか来た道」は、登場人物二人だけの、
期待にたがわぬオモロイ舞台であった。
 痛みを感じないで死ぬのはいやだと、
痛みを感じて死ぬためホスピスを脱走した老年男女のオハナシ。
別役独特の軽妙な会話と深い世界が展開し抱腹絶倒。
45分の短い芝居は、オノレが息をしていることも忘れて、
アッという間に終わッちまったナ。
 劇団「昴」の大ベテラン、内田稔さんと新村礼子さんが、
それぞれの持ち味を出し切り、
交わす会話の、そのバランスの妙といったら!
お二人は実生活でも夫婦だからアタリマエカ?
 カーテンコールで精一杯の拍手をしたオノレである。

 「田宮のイメージ」は昭和22年に書かれた作品のようだ。
こちらも登場人物はたった三人。
戦後間もない頃、若い夫婦が、
かつて住んでいた土地の焼跡の上で、
戦死した隣地の友人を想いながら、
三角関係的、微妙な心理と会話のキャッチボールをする舞台。
 読んどらんので確信はない。
が、戯曲そのものは、緻密に組み立てられた何気ない会話の綾で、
自ずと時代の雰囲気や若夫婦の心の揺らめきを伝える、
なかなか手強くシタタカな芝居ではなかろうか?
で、これを舞台化するときの役者は、
ただ日常的リアルな喋りで終始してもダメなような気がする。
本日の若い役者さんは、それほどヒドイ喋りではなかった。
否、おおよそ自然に喋っているように聞えるのではある。
しかし全体台詞のメリハリに欠け、
その間も単調だからチト眠気に襲われシンドかった。
50分ほどの作品かと思うが、
「ま〜だ、終わらんの?」という感じがあったナ。
 それとこれは演出のネライでもあったのか知れんが、
戦後間もない焼跡の匂いや雰囲気が希薄であった。
で、まるで今風の男女にも見えてしまう役者の動きやもの言いと、
戦争の後遺症ともいえる心理を反映した台詞とがバッティングしたり、
ソヨソヨ浮いてしまったりで、
結局オノレは劇的世界に入れぬまま終わってしまったナ。
 それでも一度読んで、いろいろ確かめてみたい戯曲ではある。


  「ビューティクィーン・オブ・リーナン」
Date: 2004-11-20 (土)

 昼・演劇集団「円」公演、
「ビューティクィーン・オブ・リーナン」
(作・マーティン・マクドナー)を
両国・シアターXで観劇。
 登場人物四人だけの暗く救いのない話であったが、
なかなか観応えのある出来上がり。
チト恐ろしい余韻を感じながらオノレは劇場を後にしたナ。
 アイルランド僻地・リーナンの崖上に建つ一軒家。
ここに暮す七十過ぎの老母マグと、
娘で未婚の四十女モーリーンとの、
憎悪に満ちた葛藤が終始繰り広げられる。
アイルランドとイギリスの経済格差や
人種差別という社会状況がドラマの底流にあり、
それが劇展開のキー・ポイントにもなっている。
 実に我がままで、何かに付けて娘に文句をつけながら、
その娘に縋って生きるしかない老母。
イギリスの出稼ぎから一時帰郷した
幼馴染の独身男と一夜を過ごし、
最後とも思える結婚のチャンスに胸を膨らませる娘。
それをまた邪魔する母。娘の憎悪は深まりばかりで、
舞台は救いのない悲劇的結末をむかえる。
最後に流れるデリア・マーフィ作曲のメロディーが
切なく哀しい。
 幕開けからしばらくヤヤかったるさを感じたが、
母娘の日常とその関係がはっきりしてくるにつけ、
オノレはどんどん舞台にのめりこんでいった。
演出も緻密、役者もそれぞれの味を出し、
それぞれの役割を果たして好演。
 それにしてもアイルランドの芝居てえのは、
ダークな芝居が多いよナ。
空席の目立つ客席であったが、
オノレは観といてよかった!

 夜は世田谷松陰神社前・スタジオARで、
「松陰狂詩曲」(黒川欣映・作)を観劇。
 オノレのオテンテンではさっぱりわからん、
首を捻り続けた舞台であった…オユルシアレ。
ま、こういうのも芝居なんだよナ…、
舞台でやってるんだし。
ともあれ一生懸命創った関係者の皆さん、
オツカレサマデシタ。


  上手い役者の演技
Date: 2004-11-19 (金)

 最近ふと目にした新聞のインタビューで、
某ベテラン俳優さんが、
「近頃の若い俳優は地のままの個性で演技し、
役創りする工夫をしない」、と嘆いておった。
さよう、オノレの知る限りこの方は、
若い頃から妙にタッシャで上手い方であった。
しかしいつもやっぱり「この方」でしたがネ。
確かに役創りの工夫をしないとすれば、
それはあまりヨロシクナイ。
ヨロシクナイが、
「地のまま」の個性が生かされ客の心を打つことが出来るなら、
これはこれで素晴らしいよナ。
オノレはそういう役者がいてもヨイと思っとる。
そうなのだ。本人が一生懸命役創りの工夫をして、
まるで別人になった気持ちで演じても、
知人、友人、仲間から、「地のまんま」と言われ、
ガックリ落ち込む例はよくあるのデス。
ホンマ、役者てえのは奥深く難しいショーバイだよナ。
で、玄人が素人にコロリと食われたりもする、
厳しくオモロイ世界でもあるんだよナ。
 ま、オノレという役者も、
ジマンにならんが、多分「地のカッタ」役者なのである。
もちろん役創りは一生懸命オノレなりに致しますがネ。
それでもオノレをよく知る者から見れば、
何をやっても、おおよそ「ムギヒト」以外の何者でもなかろう。
要はその舞台が、その役が、
客の心を打つだけの力をもっていればそれでいい…、
オノレはそう思っとる。
役者がどない上手く演じても、客の心を劇的に打たねば、
それは「巧演」ではあっても「好演」ではない。
 小器用に上手く、イロイロ化ける役者もたくさんいるが、
そういう役者だけで創る舞台なんざ、
オノレはあんまり観たくないネ。
 上手い役者に越したことはないのであろうが、
昔、尊敬する役者の先輩によく言われた。
「人の心を打って突き動かす芝居をしろ!」とね。
えッ? それが出来る役者は「上手い」ッてことか!



  自民党「憲法改正草案大綱」素案
Date: 2004-11-18 (木)

 今日の朝刊によれば、
自民党憲法調査会が「憲法改正草案大綱」の素案をまとめ、
憲法改正起草委員会に提示したとある。
その抜粋を読んでオノレは目を剥きアキレカエッタ。
  
  ※ 個別的、集団自衛権を行使するために、
    必要最小限の戦力を保持する「自衛軍」を設置。
  ※ 「国際貢献のための活動」を明記。
    海外での武力行使を伴う活動にも道を開く。
  ※ 「国民の責務」として、
    「国家の独立と安全を守る責務」を挙げる。
  ※ 「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌とすることも
    総則に盛り込む。
  ※ 「出版及び映像に関する規制を法律で定める」との
    規定も創設する。
  ※ 憲法改正手続きを緩和し、改正案を、
    国民投票の実施なくして、
    衆参両院、総議員の3分の2以上の賛成で
    成立させることができる。

 テナ按配で、その一部の内容であることをお断りしておくが、
上から四つの改正案なんざ、改正されとらん現憲法下で、
すでになし崩しに為されていることではありませんかね?
だとすればですヨ。
それを新憲法で改めてハッキリ条文化するてえことはだナ。
これまでの国会で「自衛隊のイラク派遣」等々、
既になし崩しに実現させたいくつもの法案てえのが、
明白な現憲法違反であるということを、
自ら証明していることに他ならんのではありませんかネ?
いずれにせよ、かような草案の抜粋を読んで、
おぞましい半世紀以上前の我が日本国を、
「大日本帝国憲法」を想起するのはオノレだけであろうか?
況や国民投票をさせていただけず、
舌先三寸、三百代言の代議士サマたちだけで、
憲法改正をしていただけるなんて…、
もう不安で不安で涙がチョチョ切れる。
お願いだからヤメテオクレ。
 もう一つ、今朝の記事でビックラコイタ。
日本共産党の不破議長が、デンマーク女王の晩餐会に出席、
天皇・皇后両陛下と同席したという。
志位委員長曰く、
「天皇・皇后両陛下と同席するのは自然な話」だと。
いずれ園遊会にも招かれ、
アリガタイ御言葉を拝受するようになるのかネ。
 
 コノニッキヲ、
ヒョットシテ「カゲキナカタ」ニヨマレルトオソロシイカラ、
ココデシッカリオコトワリシテオキマス。
オノレハ、イマノテンノウ・コウゴウサマガ、
カクベツキライトイウワケデハアリマセン。
カクベツアイシテモオリマセンガ…。
テンノウセイヲムキニヒテイスルモノデモゴザイマセン。
タダ、アノキョウサントウガ、フワサンガ、シイサンガ…ト、
チト、ビックラコイタダケナノデアリマス。
ヒョットスルトコレハワガコクミンノ、
ヒダリノヒトガミギノヒトニドンドンセッキンシ、
ミンゾクユウワノタメニ、
ミンゾクガ「イチマイイワ」デ、
「ダイドウダンケツ」スルタメニ、
タイヘンヨロコバシイコトナノカモシレマセン。
ソレデモオノレハ、オエライセイジカノセンセイニ、
マダヘイワノゴトクオモエルイマノウチニ、
アエテオネガイシテオキマス。
「マンイチニホンガ、フタタビセンソウヲハジメタバアイ、
オノレハタトヘ『ヒコクミン』トサゲスマレテモ、
カツテノヨウニ、『恩賜ノ煙草』ヲアリガタクチョウダイシ、
センジョウニチルノダケハ、イヤヨ、イヤ!
ドウカゴメンコウムラセテイタダキタイ。
ワタシハヒトハモチロン、
ムシモコロセヌ『オクビョウモノ』ナノデス。」
 アラ、サイデアリマシタカ…。
マンイチ、フタタビ、
「グンコクニッポン」ニナッタトシテモ、
モハヤオイボレノオノレニ、
「アカガミ」ハコナイノデスネ…シアワセ。
 
 時代と共に国や社会が変わるのは当然である。
いや、常に少しずつでも「より良く」変わらねばならんし、
変わってもらいたいとオノレは願う。
しかし今の時代が目差して変わろうとする方向に、
キナ臭い危うさと、国家権力暴走の足音を聞いてしまうのは、
果たしてオノレの杞憂であろうか…?


  食のマンネリ
Date: 2004-11-17 (水)

 オノレは食い物の好き嫌いが激しい。
およそ肉好きの野菜嫌いといってよいだろう。
いずれにせよ、もっとも好んで食するのは納豆、豆腐、シラタキ、
生卵、海苔、梅干、山葵漬け、ラッキョなんてえもので、
料理する手間のかからん、実に女房孝行の嗜好なのである。
で、我家の食卓には365日、おおよそ変化のない、
殺風景なオカズばかりが並んどる。
風変わりな、珍しいモノを口にするためには、
来客を迎えて食事する日までアセラズ待たねばならん。
(ヒミツですがね…。そのときお出しするヤマノカミの料理も、
最近はほぼマンネリになっておりますデスヨ。)
 それにしても毎朝のごとくネバネバ食っていた納豆や、
スルスル呑みこんどったシラタキやらに、
どうも箸が進まんのはオノレにとっては何だか寂しいナ。
朝昼晩と食っても飽きず食えたモノなのにさ…。
それらの品質が落ちたのか、オノレの胃袋に異変があるのか、
余りに長いマンネリの粗食がイカンのか、未だ結論は出ない。
かような事情により、以前の日記にも書いたが、
五ヶ月ほど前から朝は饂飩に切り替えた。
しかしその饂飩ツルツルも、
ヤマノカミはしっかり同じようにオツクリあそばすから、
どうもマンネリ化してきて近頃いささか食傷気味…、
いよいよ朝食うものがなくてコマッタ。
朝から肉を喰らうほど今のオノレは健啖家ではない。
 最近、バナナが体によいと小耳に挟んだ。
オノレはそこでハタと膝を打ったネ。
バナナに牛乳、そして青汁! 
これなら胃にやさしく栄養も充分ではないか?
ヌルヌル、ゴックリで楽に喰って飲めるし、
ヤマノカミも何もせんでよいからまことにラクだ…。
 このところ我家のマンネリ食卓に、
黄・白・緑という珍しい風景が続いている。
この食卓がマンネリ化してイヤになるのはいつであろうか?
そのとき、果たしてオノレは何を喰らえばヨイのであろう!
 しかし何処ぞの国のことを考えれば、
反省するほどありがたく、贅沢なナヤミではある。


  デデ虫役者
Date: 2004-11-16 (火)

 休みなくアチコチの舞台に重い役で出ている中堅の役者に、
「よく次から次にイロイロやれるもんだネエ…」と、
軽い冷やかし気分で訊ねたら、
「いつも舞台に関わってないと不安なんです」と、
ひどく真面目に答えを返された。で逆に、
「麦さんにはそんな不安はありませんか?」と切り返され、
余り真面目に訊ねたわけではないオノレは、
不意打ちをくらい、返答に窮してコマッタ。
 そう、若い人はもちろん、
オノレと同年代や年上の役者さんでも、
年中舞台出演し活躍しとる人はそれなりにいる。
そして皆さんそれぞれがそれぞれの思いの中で、
どんな役であろうと真剣勝負で、
必死に舞台と格闘しているにちがいないのだ。
あまり軽々につまらんことを聞くのではなかった…。
同じ役者としてチト反省。
 それにしてもかように頑張る役者諸氏は、
よくまあ次から次に短期間で、
イロイロ台詞を憶えるもんだわい…と、
これは真面目に、オノレはホトホト感心するのである。
正直、いくらかの嫉妬をもって羨ましくさえ思う。
 オノレだって本音を申せば、年に3、4本の新作に挑戦し、
可能なら365日、芝居漬けの日々を送りたいのダ。
が、例えかような機会があったとしても、(ナイのだが)
オノレの場合、好演技でそれを成すことはまず不可能だナ。
とにかくオノレは、ウロ憶えの台詞で舞台に立つほどの度胸もないし、
それを巧みに誤魔化すほどタッシャな役者でもない。
頭で考えずともキッチリ言えるところまで、
台詞を呑み込み血肉化しとらんと、
オノレの場合はナニモ演技できない。
で、オノレは血肉化したつもりなのに、
大してイイ演技ではないことも多々あるナ。
 ではタップリある台詞の場合、
それを血肉化するほど憶えこむのに、
オノレはどれくらいの期間を要するのか?
みっともないからそれは「ヒミツ」にしておこう。
要するに、一年に一本でも精一杯てえほどの、
「ヒマと時間」が必要なのだ…、ちゅうことでご推察あれ。
かようにシワの少ないオノレの脳ミソであるが、
まあ、この慌ただしい世の中、
オノレのごとき歩みの遅い「デデ虫役者」がいても、
それはそれでイイではないか…。自らをそう慰めんと、
何だか役者として価値のないような気持ちになりそうで、
落ち込んでしまいそうなオノレなのであります。



  これから一年…
Date: 2004-11-15 (月)

 だいぶ寒くなってきたナ。
それにしてもハヤ11月半ばか…。
アッというまに年末が来て年を越してしまうのであろうが、
オノレにはこの年内にやらねばならんことがゴチャゴチャある。
名簿の整理、返事を出さねばならん手紙、年賀状、仕事の打ち上げ、
忘年会、観にいく予定の芝居、「オノレ日記帳」の記載等々…。
中でもオノレがプロデュース・主演する来年八月公演の準備は、
すでに今からせにゃならんことがイロイロあるのに、
イロイロな事情でなかなか捗らん。
たく、そうすぐ年越しになっても困るのだが、
時計の針は、否、液晶時計の数字は無慈悲に時を映す。
 これから一年、怠惰なオノレを返上しないと、
オノレはトンデモナイことになりそうだ!


  葛飾刻斎の死
Date: 2004-11-13 (土)

 ええ、知る人ぞ知る葛飾刻斎という役者がおった。
本名・熊野隆司。で、親しい者は皆彼をクマチヤンと呼んでいる。
オノレは彼と同じ舞台に立ったことはないが、
若いときからお付き合い頂き、よくケンカもした。
ホンマ、あたりかまわずギラギラとした匂いを発散させて生きる、
ドエライ個性を放つ役者であった。
生涯独身。無類の酒好き。それが命を、役者生命を多分縮めた。
 葛飾刻斎はこの八日、仲間の誰も知らぬうちに、
肝硬変で現世からオサラバしたという。
葛飾区在住。で、いつからか葛飾北斎かなと思いそうな、
ちとマギラワシイ芸名にしとったが、
とにかく根っから天衣無縫、無邪気でワガママ。
いつホームレスの仲間に入っても違和感のない、トコトン破滅型。
しかしいざ舞台に立てば、
彼独得の巧みな表現力で客をひきこむウマイ役者であった。
 彼をめぐる破天荒なエピソードはたくさんあるが、
それはおおよそ酒絡みのアブナイものが多い。
素面であればまことに大人しく、寡黙かつナイーブな男である。
で、それと知らずに酒を飲んだヤツは、
クマチャンの突如激しく豹変する酔態にブッタマゲタ。
 彼が本名で役者をしていた時代の代表作に、
魯迅の「阿Q正伝」を舞台化した阿Q役がある。
このクマチャンの阿Qは、いずれ伝説になると思えるほどヨカッタな。
いじましく小賢しい浮浪の貧農「阿Q」の魂が、
まさにクマチャンの肉体にのり移ったかのごとく、
彼は生き生きと舞台を躍動し、客を笑わせ堪能させた。
 近年では、故マルセ太郎の舞台に何度か出演しとる。
酔って稽古場に現れ、いろいろメイワクもかけたらしいが、
やはりその存在感は並みの役者のものではなかった。
 若い頃、一寸プロボクサーの体験をしたクマチャンは、
白髪になってからも、泥酔してケンカになると、
ボクサーの戦うポーズよろしくカッコヨク構えた。
そしてパンチを浴びせようと一歩踏み出し、すぐコケタ。
そんなときのクマチャンの、チト情けなくて口惜しそうな、
決して憎めぬ、皺の深い疲れた顔を、
オノレは悲しく目に浮かべる。
 まだ六十代前半の他界で、チト早すぎるオサラバだ。
どうも今日の我々の世の中は、
かような破滅型のイイ役者が、
ナントカ破滅せず、生きて活躍できるような、
そんなヤサシイ環境ではないようだ。
 クマチャン、いや、葛飾刻斎さんヨ。
逝く前に、今一度したたか飲んでケンカしたかったぜ!


  非情なデジタル
Date: 2004-11-11 (木)

 オノレはオノレがアナログ人間の類であることを自覚しておる。
にもかかわらず、パソコン・デジカメ・MD・DVD…etc。
オノレの周りにはいつのまにかデジタル機器が大氾濫。
そのいくつかは宝の持ち腐れという感じで埃を被っとる。
 かようなデジタル全盛の暮らしでもっとも困るのは、
しばらく使わないヤツを使うとき、
その使い方を忘れてしまい、使えないチューことである…。
たく、ヤヤッコシイ!
で、説明書を睨みつつ、
デシタル機器と悪戦苦闘のタタカイが始まる。
中には説明書を紛失、
ジ・エンドになっちまう奇奇怪怪なキキもあったゾ。
さらに困るのは、それら機器のアダプターやら、
○○コードやら、充電器やら付属品の諸々を、
全て一緒くたに保管しとくから、いざカマクラってえとき、
それがどの機器の付属品であったかサッパリわからん。
イライラ絡んだ糸を解きほぐすときのような態で右往左往。
ま、すべてはオノレの自業自縛なのであるが、
イイ歳こいて、何ユエかような苦労をせにゃならんのかと、
ホトホト自分が情けなくなる。
 一昨日、ドエライ失敗をやらかしちまった。
長い芝居の全編を5時間以上、
深夜までかかってMDに吹き込んだのだが、
間違って入れた箇所を一部削除するつもりが、
ALL ERASEをプッシュしちまって、
MDはアッという間もなくBLANK MDになっちまッた!
3分の1日費やしたオノレの努力は、わずか数秒で無に帰し、
オノレは痴呆のごとき肉体を何とか支え、
キッチリ12歩、ヨレヨレ歩いて布団に倒れこんだのである。
 ああ、昔の6ミリテープの録音機が懐かしいのう…。
アナログの機器であればこんな失敗はまずなかったぜ。
「人の努力を一瞬で削除する非情なデジタルって…、
大ッキライ!!」


  子守唄
Date: 2004-11-08 (月)

 オノレの幼い頃の記憶に、
おふくろが添い寝でよく聞かせてくれた、
「この子の可愛さ」という子守唄がある。
 
 ♪ 坊やはよい子だ ねんねしな
   この子の可愛さ 限りなさ…(中略)
   ねんねんころりよ おころりよ

 たしかおふくろは、この唄の「坊やよい子だ」と、
最期の「ねんねんころりよ」のフレーズばかり、
何度も繰り返しウタッとった。
「この子の可愛さ」は、いつもカットしておったナ。
オンチのおふくろに、
かような子守唄を聞かされながらいつも寝付いたのである。
オノレがオンチになってもシャアナイ。
「この子の可愛さ」は静岡の子守唄で、
これはまさに子供を寝かしつける〈眠らせ唄〉のようだ。
しかし子守唄について、
「わらべうた」(岩波文庫)編者・浅野健二氏は、
『子供の睡眠とは関係なく、
子守自身の労働苦を述懐することによって、
自らを慰めんとするものなどがある。』と、記しておる。
なるほど、そう理解して子守唄の詞を読むと、
まことに切なく哀しいものが多い。
山形の「オワイヤレ」という〈眠らせ唄〉なんぞ、
泣く子を威嚇することによって黙らせるため歌ったという。

 ♪   オワイヤー オワイヤー
     オワイヤレーヤーアレー
  寝っと  ねずみに引かれんぞ
  起ぎっと 夜鷹にさらわれる
     オワイヤー オワイヤー
     オワイヤレーヤーアレー

 かような子守唄を歌われちまったら、
いかにオノレのごときクソガキであっても、
大人しく泣き止んだことであろう。


  覆水盆に返らず
Date: 2004-11-05 (金)

 覆水盆に返らず…。
言葉の響きはナントナク趣きがあって味わいがある。
しかしその味はまことに辛口でキビシイ。
オノレもそういうキビシイ経験を何度かしたアホであるが、
つい最近、親しい男が離婚した。
そろそろ四十になる若いヤツで二人の幼い子供もおる。
何とか復縁できんのかいと思うのだが、どうもムリらしい。
どない事情でそうなったかよく聞いとらん。
また聞いたところでオノレにどうにかできるものでもない。
今後彼はタップリ残るマンションのローンを残しつつ、
子供の養育費も払い続け、厳しく生きていかねばならん。
すっかり憔悴して悩む彼の姿に、
一抹の哀れを感じるオノレであったが、
別れた彼女とて苦しみは同じであろう。
この先不安だらけの世の中で、
女一人、幼い二人の子供を育てていかにゃならん。
例え身内の力添えがあったとしても、
あるいはそのうち再婚したとしても
母子に待ちうける苦労は並大抵ではなかろう。
 共にそんな苦労とハンデを背負って、
なお別れたほうが互いのタメになると思うのであろうか?
思うから別れるのであろうが、
「覆水盆に返る」ような例もないではナイ。
もう一度トコトン話し合い縁りを戻せんのかいネ。
 もうワカクないオノレの場合、
万一ヤマノカミに三行半されたとしたらドエライコッチャ。
覆水どころか濁流にのみこまれ、
多分あの世まで流されっ放し…、てなキケンを感じるゼ。
 ナサケナイ!


  続・米大統領選
Date: 2004-11-04 (木)

 おおよそ外れるオノレの六感はヤハリ外レタ。
ブッシュ再選!
「オメデトウゴザイマス・コイズミサン」。
米国民の過半数は、
オノレの思う良識と異なるリョウシキをもっておッた。
 イラクでは米英の攻撃で、
既に10万以上の人々が死んでいるという。
その多くがテロリストであろうはずもない、
婦女子や普通の人々である。
これは正義の仮面を装った大量虐殺ではないんかい?
殺された側から見れば、大量テロそのものであろう!
「アメリカの強さと繁栄」ばかりを追い求め、
他国の弱さ、貧しさにつけこむ。
異文化を尊重せず、
異文化の人々に己の民主主義と自由を強制する。
こんな一国平和主義の危険で身勝手な権力が、
これから大国アメリカで最低4年も続くのであろうか?
世界は、日本は、
なす術もなくそれをヨシとするのであろうか?
 この大国の傲慢と横暴に抵抗するため、
核の開発に拍車をかける国々の続出せんことを。
テロや自爆に頼った攻撃が一切なくなり、
戦いの地に一刻も早い平和の日がくることを。
アメリカの大統領選挙に何の影響力もなく、
米国の「強さ」に、
およそなす術もないオノレは一人儚く願うのみ。
 さよう、今朝の爽やかな秋晴れを眺めつつ、
オノレの口から洩れるのは、
セツナク冷たいタメ息ばかりなのであった…。


  米大統領選挙
Date: 2004-11-03 (水)

 米大統領選の投票が終わり、開票が始まったようだナ。
おおよそ外れるオノレの六感では、ケリーが勝つぜ。
アメリカの心ある過半数の国民は、
「強さ」ばかりを声高に叫び、
「行け行けドンドン」、
力で押しまくるブッシュの危険な政治に、もうソロソロ、
いくらなんでもNOの答えを出すにちがいない…と、
オノレはかすかな期待をこめてケリーが、
否、米の良識が勝つと予測しとる。
 まあ、民主党のケリーが大統領になったからとて、
どれだけ世界の平和が今より「マシ」になるのか、
「?」ではある。
民主党大統領下の過去にも、
愚かな大統領の「行け行けドンドン」で、
ベトナム戦争のごとき悲惨な戦いがあったし、
幾つもの武力行使で無数の命が失われた。
共和でも民主でも、「力の政策」は、
常にアメリカの「十八番(おはこ)」なのである。
それでも今回の大統領選挙で、
ケリーの訴え続けていることが真面目に実行されるなら、
世界の平和はブッシュの今日より、
チビッと「マシ」になるのではないか?
 オノレは遠いアメリカの国民に儚い期待をしております。


  不良品知事
Date: 2004-11-02 (火)

 今日の日刊スポーツによれば、
福井県の知事が何処ぞの挨拶で、
「東海・北陸の(中略)
 1万4千人の不登校児は不良品だ」と発言したそうな。
オノレは思わず唖然としたぜ。事実とすれば、
かような不良品の知事の下で暮らす福井県の親子は、
まことに気の毒この上ない。
コイツのように地位のみエラクて、
己の不良品具合をおよそ省みないヤカラ、
こういうヤカラの思想が跋扈すればファシズムのはじまりだ。
こういうヤカラは何かとエバリクサリ、
実に傲慢で人を人とも思わぬ態度や発言を軽々にする。
残念ながらオノレの住んどる地域の知事もコイツとソックリ!
で、多分、こいつのような小者はアチコチから批判を浴びて、
腹の中で舌を出しつつ軽々に謝罪するのであろう。
 オノレも小学時代は不登校に近い生徒であった。
親の思想が社会から弾圧されとった関係で、
トモダチによく石を投げられるようなイジメを受け、
センセイからまで竹の長い定規でケッを何度もタタカレタ。
ホンマ、我慢して登校したが、出来れば登校したくなかったゼ。
 もちろん今の不登校児は、オノレのような時代とはまた異なる、
イロイロ複雑な家庭事情や歪んだ社会の背景があるにちがいない。
不登校児のどんどん増える問題の根っこを真面目に考え、
彼らの側から見ている社会への目線も尊重してやりながら、
最善の対策をつくり救いの手を差しのべるのが、
政(まつりごと)を司る地位のタカイ、
エライお方の努めであろう。
しかしオソラク、不登校児を「不良品」と、
思慮もなくアッサリ言い放つ不良品の知事や、
そういう傲慢でエライヤツがゴチャゴチャいる社会から、
上辺だけアタタカイ救いの手を差しのべられても、
不登校児は「ゴメンコウムル」と拒絶するような気がするナ。
 福井の不良品知事、早々に知事をオヤメアソバセ!