オノレ日記帳

2005年1月の記録



  三文役者の遺産
Date: 2005-01-31 (月)

 DVD録画機を買ったから、
過去にオノレが公演しビデオに撮った独演・独談を、
これからポチポチDVDデスクに移そうと思っとる。
いわば自分の役者活動の過去の遺産を残すわけだが、
この遺産にロクなものがナイ。
家庭用ビデオカメラで撮ったものが多いから、
映像はもちろん音声もよくない。
それより何より、収録した日からずいぶんの年月を経て観ると、
オノレの演技表現のヒドサに思わずゾットしちまうんだよな。
ともかくビドサばかりが目に付いて冷静に観とれん。
癇癪起こして燃えないゴミ袋の中へポイしたくなっちまう。
そう、過去にもビデオにとって処分したものはたくさんあった。
もちろん収録したその時点では、
それなりの自信をもってオノレは芝居しとるハズなんだが、
振り返れば、まさに「三文役者」のマスタベーション演技…、
と言われてもシャアナイ。
たく、ナサケナイ。己でオノレに腹が立ってくる。
そうか、このオノレのみっともない役者としての遺産を、
オノレがあの世へ逝ッちまった後世に残しては、
ハタメイワクの世間迷惑。
オノレの過去をDVDデスクにコピーするのはやめておくか…。
「大丈夫。あたしくらいしか観やしませんよ」と、ヤマノカミ。
あらまあ、サイデスカ。
なら、あまりムツカシク考えず、
とりあえずビデオテープの劣化せんうちに、
DVDデスクにコピーしとくわい。
せっかく買ったんだもんネ。
「ほんとうにお前さんだけかい。
オノレ亡き後、タマに観てくれるのは…?!


  DVDレコーダー
Date: 2005-01-30 (日)

 モロモロ必要な事情も生じて、
とうとうDVDレコーダーを買ってしまった。
「もっと良い機能の製品が出てくる」
「まだまだ安くなる」
 かようなウワサを信じつつ、
オノレらしくもなく我慢に我慢を重ね、
長い間購入をガマンした…。
で、ついにガマンの限界。ヤマノカミをやわらか〜く説得、
シメシメ、オノレの哀願にうまくマルメコマレタ。
 晴れて購入OKとなり、詳しい友人に相談したり、
インターネットでヨク調べたり、
イロイロ悩んだ末選んだのはパイオニア製品。
「DVR−625H」57,028円。
数年前なら10万以上はしてたという。
去年の夏に出た一世代前の機種らしいが、
HDD・250GBでLP216時間の録画が出来る。
商品が届いた昨日、ビデオ編集のプロである友人にお願いし、
オノレがチャント使いこなせるよう、
複雑な配線をシッカリ各種の機器につないでもらった。
 いやまあビックラこきましたネ。
DVDの持つ機能の凄さ、その映像の綺麗なこと!
ここまでガマンしたかいがあった!
カネがあったら数年前に買ってもよかった!!
 購入した機種にほぼ満足のオノレであったが、
機器の配線をしてくれた友人がオソロシイ声でいったナ。
「このDVD、衛星アンテナの入力がない!」
「アラ、BSの録画がデキンワケ?」
「できませんネ!」
 ヤレヤレ、安いには安いなりのワケがある。
インターネットでもっとヨク調べりゃよかった。
今から衛星OKの製品に交換はできんしなあ…。
 オノレのアホンダラ!


  国語力
Date: 2005-01-26 (水)

 漢字の読みや言葉を間違って脳にインプットし、
エラソウに使って恥をかいた経験はオノレにも数ある。
このあいだも全国放送のNHKさんのニュースで、
某大都市の副知事氏が「一枚岩」(いちまいいわ)を、
「イチマイガン」とおっしゃった。
ちかごろかようなマチガイを頻繁に耳にするな。
オノレのごとき無知なヤツがそう思うのであるから、
日本人の国語力はそうとうヤバイのかもしれませんゼ。
 とにかく知ったかぶりの言葉をウカツに口にすると、
ときどき赤っ恥をかくことになる。
この日記もどないウルサイ人が読むかわからん。
文法や用語の使い方に気をつけんとイカン…と思う。
しかしその「文法」てえのが、実はオノレにはよくワカラン。
中卒のオノレにどれだけの国語力があるのか、
まことに疑わしいし自信もナイ。
オノレの言葉の知識や文章力は、おおよそ読書や芝居、
人との会話の中で身についたものである。
つまり助詞だ、形容詞だ、主語だと、
まるで意識して書かないしカケナイ。
であるからして「オノレ日記帳」は、
文法的に間違いだらけの見本のようなモノかもしれん。
 そう考えるとチト恐ろしい…。
これから何も書けなくなるかも知れん。
まあ、それほどのモンでもねえか!


  大言壮語の効用
Date: 2005-01-24 (月)

 世間一般において「大言壮語」するヤツてえのは、
余り信頼されんわいナ。
対して、強い意志力をもって「不言実行」できるヤツに、
世間は一目も二目も置く。
で、その不言実行をナカナカできない、
オノレのごとき怠惰で意思薄弱なヤツは、
ときに己の力不足を知りつつ「大言壮語」をしたりする。
大言壮語したゆえ、狼少年にならぬため、
「嘘」ではすまされん局面に、
敢えてオノレを追い込んだりするんだよナ。
そういう追い込まれた状況で、
ようやくオノレはタチアガリ、
人の信頼をなるべく失わんがため、
少しでも法螺をホラでなくするための努力を、
ナントカして実践せざるを得なくなる。
で、これがあるていど実践できると、
「大言壮語」も「小言壮語」くらいの法螺でスム…。
そうもイカンカ?
 昨夜、「象」の初顔合わせ&親睦会の宴席で、
よせばええのに、オノレはプロデューサー&役者として、
どうも身のほど知らぬ「大言壮語」を、
ついつい吐いてしまったような気がする。
(その具体的内容は関係者以外○秘である。)
オノレはなぜ懲りもせず、
オロカナ「大言壮語」をしちまったのか?
それはつまりオノレの「象」にかける覚悟のほどを、
関係者の皆さんの前でシッカリ公言することにより、
改めてオノレに厳しく自覚させようと思ったからなのであるが…。
「イワナキャヨカッタ」と、
今朝になってチト後悔したがもはや手遅れ。
ヤルッキャナイ!
 このように「大言壮語」は、
不言実行できない者にとって、
ときに大きな推進力になったりするヨイ面がある。
しかしそれも余りに大きすぎると足枷となり、
自縄自縛の苦しみに陥り、
気がつけば「砂漠の中に我一人」、
なんてえことにもなりかねん。
 ミナサン、なるたけ法螺を吹くのはヤメマショウ!


  「象」初顔合わせ
Date: 2005-01-23 (日)

 大寒を過ぎて東京でも朝晩はさすがに冷える。
今夜はいよいよ独歩プロデュース8月公演「象」の初顔合わせ。
といっても、まあ親睦をかねての飲み会である。
この芝居に何らかの役割で参加してくれる関係者は、
本番の受付や裏方の方たち全てを含めると、
総勢30人以上になるだろう。
そのうちの主要メンバー22人が今夜集う。
既に顔見知り同士の人もいるが、初対面の人も多い。
自分がどんな顔ぶれの中で芝居創りをするのか、
今夜お互いに確認し、この機会に親睦を深め、
6月半ばからスタートする稽古に向けて、
大いに鋭気を養ってもらいたい。
で、稽古に入るまでのおよそ5カ月、
一人で出来る準備をシッカリとしていただければ…てえのが、
プロデューサーとしてのオノレの率直な気持ち。
 さあ、今夜は大いに飲んで親睦を深めるぞ!


  あかぎれ
Date: 2005-01-22 (土)

  なき母の声あかぎれの谷間から  ( 平畑静塔 )

 洗濯機、食器洗い器など、文明の利器のせいであろうか、
手を真っ赤にあかぎれさせた人を見ることが少なくなった。
今ではあかぎれの句はナカナカつくれまい。
少なくとも東京ではあかぎれした人をまず見かけん。
とにかく昔に比べ、
男も女もスンナリとウツクシイ指の方が実に多い。
で、そのスンナリとした指の長い爪に、
ドギツイ色や模様のマニキュアをつけとる女子があふれとる。
ま、オノレの美意識が狂っとるのかもしれんが、
オノレにはそれがひどく不潔ッぽく見えるんだよナ。
爪をあのように塗りたくると、
多分爪アカなんぞ気にならなくなるのではありませんかね?
そうか、マニュキュアってえのは、
爪アカ隠しのためにするモノなのかもしれんぞ…。
 あかぎれで思い出すのは、オノレの場合もやはり母である。
寒い季節、ヒビワレまでしとるマッカッカの手を口に当て、
ハーハー息を吹きかけ吹きかけ台所に立つ母の姿をみながら、
子供心に痛々しさを感じてずいぶん心配したものだ。
でもその荒れた手を不潔に思ったことはなかった。
そりゃウツクシイとも思いませんでしたがネ。

  亡き母の椿油の照り返し  ( 麦  人 )


  経団連の提言
Date: 2005-01-21 (金)

 経団連が改憲を提言したそうな。
9条の改正をターゲットに「普通の国」を目指すのだと。
つまりオノレが生きとる今の日本は、
「普通の国」ではないと自ら認めたってえわけだよな。
確かに現在この国で起きていることは、
モロモロ「フツウ」ではない…と、オノレも思う。
だいたいがですよ、経団連が意味ありげに、
如何にもダレカの尻馬に乗るがごとく、
憲法改正に狼煙を上げるなんちゅうこと自体、
あまりフツウな状況とは思えんし、
眉にツバしたくなるのでありますがネ。
 ま、ともかく彼らの普通とオノレのフツウとは、
ずいぶん捉え方にちがいがあるらしい。
オノレなんぞは戦争体験者ではないが、
大資本のオエラ方が権力体制を後押しするような姿を見ると、
つい戦中の「大政翼賛会」てな国民統制組織を思い出すぜ。
財閥や基幹産業がお国に協力し、
産業報国とか何といいながら兵器や武器弾薬をつくりつづけ、
まっしぐらに戦争に突き進んだイヤな時代を、
どうしても考えてしまうのでアリンスヨ。
 19日付け、朝日新聞・朝刊の記事。
「憲法論議は経団連の有力会員でもある防衛産業にとっては、
ビジネスに直結する。(中略)
武器輸出3原則が足かせになっている。
この原則を本格的に見直すには、
憲法改正を待つしかないと受け止めているからだ。」
 どんなに御立派な屁理屈をつけて提言しようが、
そのキナ臭くドス黒い腹の内を、
心も良識もある国民はチャント見透かしとる。
そうそう、今問題になっとる、
NHKと政治家センセイの関係についてだって…ネ。
 たく、経団連さんヨ。憲法改正より、
随分前にオノレとヤマノカミとで交された、
小遣いやら必要経費の取り決めについて、
オノレはそろそろ「カイセイ」の必要、
つまり大幅に増額の必要を感じておるのでありますが…、
何とかしてはくれませんかね?
あら、ハナッからムダな願望でしたか!


  芝居のツボ
Date: 2005-01-20 (木)

 ヤマノカミにチト背中を指圧してもらいながら思ったネ。
芝居の脚本にもイロイロな「ツボ」がある。
観劇するお客が喜怒哀楽を感じるツボだよナ。
秀でた劇作家ほどこのツボを緻密に計算し脚本を書いとる。
例えば井上ひさしなんてえのは、
まさにこのツボをよく心得た手練の劇作家であろう。
で、役者や演出家は脚本を深く読み込んで、
ツボを的確に捉えて芝居創りをせにゃならん。
数あるツボのイロイロな性質(タチ)と役割を把握し、
その性質と役割に従って押したり引いたり、揉んだり撫でたり、
力の按配を考えつつ創造するわけだ。
いわば指圧師のようなもんだよナ。
そのサジ加減によって、
お客様を気持ちよくもさせるし怒らせたりもする。
 演出家も役者も、よい舞台を創るためには、
シッカリしたツボのある脚本が不可欠。
しかしそのツボを生かすも殺すも、
演出家の創造的眼力、役者の演技力次第…。
 「オイオイ、ツボが外れてるじゃねえかヤマノカミ…。
そこでねえちゅうの…、イテエ〜ッ! 」
「タダなんだから文句いわないで」
「ただよりイタイものはねえ…。
もうケッコウでゴザイマスデス」
 


  とにかく話しかけてみる
Date: 2005-01-19 (水)

 オノレは一見図々しい顔に見えるかもしれんが、
これであんがい人見知りのハゲシイほうなのである。
仕事場でチョクチョク顔を合わせる人であっても、
「コワソウナヤツダ」とか、
「トッツキニクソウナヤツダ」と、
己自身で勝手に思い込むところがあり、
その人に興味はあっても、
ナカナカこちらから声をかけることができん。
 昨日の仕事で、前々から注目し、
「ドナイお人や」と興味をもっていた、
オノレよりチト先輩の役者さんと御一緒した。
この方、ギョロッと眼光鋭く、
いかにも頑固そうで近寄りがたい雰囲気をもっとる。
しかしオノレはこの機会に何とかオチカヅキになりたかった。
これまで多くの舞台で活躍し、
オノレはこの方のオモロイ演技を何度か観ておる。
で、声をかけてイロイロ話したかった。
とはいえ仕事中のことでもあり、何となくオソロシクもあり、
話しかけるキッカケがどうもナイ。
ところがオノレと彼と同時に出番のない時間が出来て、
狭いロビーの椅子に二人だけ、
隣り合わせに休憩とあいなった。
が、
「…」
「…」
 互いに煙草を取り出し、
「…」
「…」
 チト気まずいというか、互いに互いをサグルというか、
モゾモゾ、ゴホゴホ…。
その微妙な時間に耐えられず、遂にオノレは語りかけたナ。
「エエー、去年あなたサマの舞台を拝見し、
チョー・オモロカッタのでゴザンス!」
 強面の彼はギロッとオノレを睨むと…、
サルのように皺クチャになって破顔一笑、
堰を切ったように喋りはじめるではないか。
「オイオイ、こんなに饒舌な御仁であったんかい?」
 こちらが勝手につくった、
威厳に満ちた彼のメージがチト壊れ、
いやもうオノレはホット安心。
さよう、図にのって、互いに戦争体験はないのであるが、
まるで戦友のごとく、戦争の話や芝居の話、
イロイロをしたのであった。
 そうなのである。
オノレが興味をもつ人と出会ったら、
例え怒られても、まずは話しかける。
とにかく話しかけてみる…。
臆病に人見知りして沈黙しとっては、
新しい人との出会いは生まれんし、その機会を逸する。
 そういえば、こんな臆病きわまりないオノレなんぞを、
「オソロシイヤツダ」と誤解し、
側にナカナカ近寄らん若い方もいるらしい。
万一かような方がいたとしたら、
遠慮なく、まずは「話し」かけてみてくれんさい。
たぶんその誤解は氷解し、
「あんがいアホなオヤジだワイ」と、
ホット安心することでありましょう。
もちろん相手によっては、
オノレの方からスタコラ逃ゲッチマイますがネ。


  稽古のための稽古
Date: 2005-01-18 (火)

 今年のオノレのテーマの一つは、
「稽古のための稽古」をシッカリするということだナ。
ここ二十年、役者として一人の舞台ばかりしてきたから、
稽古は常にマイペースであった。
時間を気にすることなく自宅で稽古できたし、
台詞がしっかり頭に叩き込まれ、
本番で演じる不安をさほど感じなくなってから、
ようやく公演の日程を決めて本番にのぞんだ。
しかし大勢の役者やスタッフと創る舞台はそうもいかん。
この8月に上演する「象」の公演日程は去年のうちに決定し、
劇場も手付金を払って押さえとる。
役創りに不安があるからといって公演を延期することはできん。
また稽古期間も限られておる。
6月半ばに関係者の方々と稽古に入れば、
一ト月半後には、「待ったなし」の本番なんだ。
であるからして、この一ト月半の稽古期間を、
これはもう充実した内容の濃い創造の場にせにゃならん。
立ち稽古初日でもお客に観せて恥ずかしくないほど、
シッカリした役創りをオノレなりにしておいてから、
皆さんとの稽古に参加せにゃならん。
いわば演出家の陣頭指揮のもと、皆さんと創る稽古は、
本番をより質の高い舞台にするための稽古であり、
そういう稽古にするため、一人での稽古を、
オノレは今からシッカリせにゃならんというわけ。
皆との稽古に入って、台詞を曖昧に憶えとったり、
イイカゲンに喋るような状態ではアカン。
動きも相手役の関係をよく考えて、
オノレなりのプランをもってのぞまにゃならん。
 覚悟のほどはあるのだが…、怠惰なオノレにとって、
これからタイヘンな日々が続きますデス。 


  「タイチャン」会津公演
Date: 2005-01-17 (月)

 先週14日、15日の会津若松の「タイチャン」公演は、
オノレの独談に新たな一頁を加えて無事終わった。
雪の会津ではあったが、お客様や主催スタッフの方々から、
言葉ではナカナカ言い尽くせぬほど実りある収穫を頂戴。
この地にしばらく留まりたいナ、と思うほど、
オノレは後ろ髪をひかれるような気持ちで、
心からの感謝をしつつ会津とオサラバしたのである。
 今回の公演を企画・主催してくれたのは、
「真珠の会」という、
男女共生推進やまちづくりの活動をしいてる市民グループ。
さらに会津演劇鑑賞会がその窓口になってガンバッテくれた。
 「真珠の会」代表の高橋真美さんは、
日本基督教団・若松栄町教会の牧師・力さんの奥さんで、
娘婿の片岡謁也さんもそろってこの教会の牧師という、
いわば牧師一族の女丈夫。
御主人の力さんも「話のワカル」、
酒もオスキで、ナカナカ尊敬できる人物であるが、
真美さんのパワーというか、
溢れ出るエネルギーには一目も二目もおいとったナ。
オノレより一回りほども上の真美さんであったが、
その行動と精神はオノレより一回りワカイ!
で、このご夫婦の教会の礼拝所で、
オノレの独談「タイチャン」の公演と相成った。
 大きな十字架を背に、スケベでロクデモナイ男の人生を、
日本酒をノミながら延々語るのであるから、
チト罰当たりかなと危惧したオノレであったが、
日頃懺悔することの多いオノレの人生に免じて天罰はナカッタ。
この教会はかの野口英世が洗礼を受けた教会だという。
その由緒ある教会の牧師が説教する舞台で、
一升瓶片手に胡座をかいて演じたのであるから、
オノレもナカナカ「エエ気分」に酔いつつやらせてもらった。
雪の中お越しくださったタクサンのお客様も、
熱心に、大いに笑って観てくれた…と、オノレは感じた。
自画自賛ではあるが、
ともかく恥ずかしくない独談を演じられたかナ…と、
公演を終えた今、
オノレは心地よい疲れと充実感に満たされておる。
 実際のところ、パワーも信頼も人徳もある、
かような方々の日頃の地道な活動によって、
日本の危うい平和や文化がナントカ継続し保たれておる。
オノレは無宗教ではあるが、思想・信条を超えて人が集い、
意味も価値もある「何か」を生み出していくことの大切さを、
「真珠の会」の方々から改めて教わったナ。
 そうそう、もう一人、
会津演劇鑑賞会の代表・北澤明美さんも、
チトビックラするほど躍動的なオナゴであった。
とにかく真摯で明るくて情熱的でカワユイのだ。
(夫も子もある女性に、
 カワユイなんて失礼ではないか…スンマッセン)
北澤さんは三年前、「タイチャン」初演を観に、
はるばる東京まで駆けつけてくれた。
ありがたくも、そのときのオノレの舞台を評価してくれ、
今回の会津公演実現に尽力してくれたのである。
ホンマ、何処でドナタが観ており、
それがどのような公演やら人の出会いやらを生むかわからん。
ゆめゆめいかなる舞台といえども
手抜きはできんし、してはナラン。
また高橋さん御家族や北澤さんだけでなく、
今回出会ったスタッフ・協力してくれた方々は、
みな素朴で心温く、オノレは会津人に悪人はおらんのかと、
チト両目をコスッタほどである。
さよう、このようなスタッフや仲間に支えられておるから、
高橋さんや北澤さんもガンバレルのだ。
よりよい「何か」を生み出す意欲を、
ズット継続できるのだ…。オノレはそう思う。
 会津の皆様、ほんとうにありがとう!
また何度でも行きたいオノレであります。

日本基督教団・若松栄町教会HP
  http://church.jp/aizu/



  言葉
Date: 2005-01-13 (木)

 詩人の安永稔和という人が、
先週の朝日新聞《風韻》欄のインタビュー記事で、
「言葉とは過去・現在・未来にわたる記憶」、
だと語っている。
 この方は神戸生まれで、あの長田の町に在住。
阪神大震災を体験してからすでに10年、
復興の足跡を見続ける中で、
そこに暮す住民たちの「心のすき間」が、
震災直後より深刻だと感じているようだ。

 「震災から10年という数字は区切りではなく、
 我々は繰り返し繰り返し
 あの日を思い出さなければならない。」
 「今は、自分の言葉なんてものはほとんどない、(中略)
 言葉とは、過去の人々の心が盛られた記憶です。
 そこには震災の死者の記憶もあります。
 たくさんの人が様々な思いを込めて使ってきた言葉を
 私も使わせていただくだけです。(中略)
 未来の記憶のためにいま書きたい。」

 かように語る詩人の言葉の中の「震災」を、
「戦争」や「戦災」に置き換えて読むこともできる。
で、オノレはふと考えちまったナ。
舞台で語る役者の「台詞」は一体ドナイなのであろうかと。
台詞は劇作家の創造物とはいえ、やはり、
「過去・現在・未来にわたる記憶」であるともいえまいか?
少なくともその要素は多分にある…と、オノレは思った。
 明日・明後日、会津若松の教会で語る、
独談「タイチャン」公演を前にして、
詩人の語った思いをチト意識しながら、
台詞の稽古をしたオノレである。

  これはいつかあったこと。
  これはいつかあること。
  だからよく記憶すること。
  だから繰り返し記憶すること。
  このさき
  わたしたちが生きのびるために。
  (「これは」安永稔和)

 日本のエライ政治家センセイには、
ホンマ、よく噛ミシメテ、
シッカリ読んでいただきたい詩ではゴザイマセンカ?
       


  NHKスペシャル 「鼓の家」
Date: 2005-01-12 (水)

 先週の土曜日、NHKスペシャル「鼓の家」を見た。
ビックラコクほど面白く中味の濃い番組で、
役者のオノレは、
日頃のオノレの甘ッチョロイ役者修行を省みて、
今後役者と名のるのがチト恥ずかしくなるほどであッた!
 能楽囃子葛野流大鼓方、
人間国宝・亀井忠雄一家のドキュメンタリー。
いやもうホント、
その日常の稽古の厳しさ凄まじさったら…。
亀井さんの奥方は、歌舞伎囃子・田中流家元、田中佐太郎。
長男の広忠さんは葛野流大鼓方。
二男の孝之さんと三男の雄三さんは田中流の囃子方。
つまり家族5人全員が鼓奏者の現役として活躍しとる。
で、豊かで奥深い太鼓や鼓の技を、
何代にも渡り継承し、今も支えとる彼らが、
その技を評価され、
常に高いレベルの舞台で必要とされる根本には、
いったいどない暮らしとケイコがあるのか。
怠惰なオノレはその一端を垣間見せられ、
ブルブルとサメ肌、否、鳥肌の立つ思いで打ちのめされた。
 この一族の如く、
オソロシイほどひたむきで妥協のない、
真摯で血の滲む修練の毎日を…。
かくも激しく、純粋に、己に妥協のない稽古を、
役者のオノレはこれまで一年でも、
シッカリ積んでまいったか?
そう、年に数週間くらいづつは…しとらんワイ!
 さて、14、15日は、
会津若松でオノレの独談「タイチャン」公演。
その公演を前にして、実にマズイものを見てしまい、
少なからず動揺しちまッたオノレであるが、
この一家をカガミにして、
チト遅まきに過ぎるかもしれんが、
オノレも残された今日、明日、
もう血の滲むようなケイコをしよう!
いやいや、傷だらけになって舞台に立つのもマズイから、
せめて肌に赤みがさすくらいのケイコをしよう…。
いやいや、風邪がヌケタばかりだしナ、
突然、あまり過激にケイコしちまって、
ノドを痛めて声が出なくなったり、
体調を崩してもイカンしヤバイ。
そう、公演は二日後だし、今回だけはマイペースで、
オノレなりにシッカリ、
それなりキビシク、傷つかないケイコをしよう…。
 このバカタレ!


  韓国映画で仕事始め
Date: 2005-01-10 (月)

 6日の日記でオノレの風邪対策というか、
漢方の風邪薬の用法についてエラそうに講釈したトタン、
翌日から微熱が出てひどい咳き込み、
シッカリ風邪をひいてしまったのだ…、ナサケナイ。
それでもオノレの愛用する漢方の効力に頼って、
(あまりアイヨウしたくはないのですがネ)
カッコントウと小青竜湯をトッカえヒッカえ飲み続け、
一昨日から昨日にかけての夜中、
グッショリ汗をかいたらずいぶんラクになった。
 で、昨日はオノレの仕事始め。
世間一般に比べかなりオソイ初仕事なのであろうが、
肉体的にはたっぷり休めてタスカッタ!
その初仕事は韓国映画、
「友へ ーチングー」という作品の吹替え。
TV朝日の日曜洋画劇場で放送される。
 オノレの役は主人公の一人、ジュンソクの父親。
ヤクザの親分だが出演シーンは少ない。
わずか四つの短い台詞にスー・ハーと吸引する息だけ…。
「存在感」のある日本語でシッカリ吹替えるために、
オノレはチト苦労した。
が、アチラがナカナカ存在感のある役者なのでタスカッタ。
 実は三年ほど前大阪に行ったとき、
時間つぶしに入った映画館で観た映画がこの作品。
何の期待もせず観たせいもあり、
いやもう韓国映画のレベルの高さにビックラコイタ。
シナリオも映像も役者の演技も強かで、
しっかりした技術とリアリティに裏打ちされとった。
オノレは観終って、何か打ちのめされたような衝撃を感じつつ、
映画館を出たような記憶がある。
 TV放映は時間の関係で20分もカットされとるが、
オヒマな方はごらんあれ。1月23日の放映です。


  風邪薬
Date: 2005-01-06 (木)

 二日前、ほんのチット風邪の予兆を感じ、
シッカリ予防薬を飲み続けたら酷くならずにすみそうだ。
まだ咽喉が痰がらみして時々咳き込むが大したことはない。
 オノレは風邪の予防薬として漢方を飲む。
もうずいぶん昔からだが、風邪ッぴきの人と仕事をしたり、
ヤマノカミが風邪のときなど、
オノレがまだヤラレとらんでも予防のために飲む。
いったんヤラレてしまうと、もういくら薬を飲んでもアカン。
長いときには二三週間苦しむことになり、
これは仕事柄ナカナカ辛いし、
そうなっては役者としてマズイのだ。
 我家で予防として飲む漢方は「カッコントウ」である。
これは悪寒や熱のあるときも飲む。
咳き込みはじめたら「小青竜湯」に切り替える。
熱も咳も酷いときは両方…、
いや、飲んではイカンらしいのだ。
で、何となく症状が酷いと感じる方に効く漢方を飲む。
いずれにせよ、ハッキリ風邪をひいちまッてから、
いくら薬を飲んでも、薬の効き目は余りないのではないか?
 漢方の風邪薬は、
「風邪をひく前」に飲むのが正しい用法であると、
オノレは素人ハンダンで思っているのだが、
「いつ飲むか」、その判断はナカナカ難しい。 


  会話
Date: 2005-01-04 (火)

     スマトラ沖の大津波のTVニュースを見ながら、

オノレ  「大自然からみれば、
      人間なんてえのは蟻ンコのようなもんだナ」

ヤマノカミ「そうすると蟻ンコは大自然からみると
      何になるの?」

オノレ  「…?」


  オノレとオヤジと正月と…
Date: 2005-01-01 (土)

 2005年が始まった。
新年を迎えたからといって、オノレに特別の感慨もないし、
こと改めてすることもない。
普段の休みの日と変わらぬ今日一日である。
我が家では御節料理も作らんし、もちろん御神酒もナイ。
日本の伝統的文化が失われていく世の流れに、
オノレも一役かってるのかもしれませんナ。
 しかしガキの頃体験した正月は、
なぜあんなに楽しかったのであろう。
わずかな金額とはいえお年玉をもらえたからか?
その頃は滅多に食えない牛肉を食えたからか?
ま、いろいろ理由はあったのだろう。
しかし何といっても正月だけは、
貧しいながら家族全員勢ぞろいし、
和気藹々と飲み食いする雰囲気が嬉しかったような気がする。
封建的で頑固なオヤジもなぜか眉間に皺をつくらず、
あまりオソロシクならなかった。
 オノレの家は六人家族であったが、役者という商売柄、
ふだんはナカナカ家族一同に会して団欒…、
てえことはほとんどなかったんだ。
で、たまの団欒があったとしても、
飯をチトガツガツ喰っただけでオヤジの雷が落ちたし、
茶碗に一粒でも飯粒を残せばゲンコをくらった。
もちろんボロ畳に落とした飯粒は、
拾ってシッカリ喰わされたのデス。
かような団欒は、ガキのオノレにとってダンランではなく、
まことに緊張して恐ろしい時間でしかなかった。
正直、オヤジと一緒に食う飯は嫌だったネ。
いつも旅公演でいなけりゃいいのにと心から思った。
 そんなオヤジが正月だけでなく、
いつもやさしくというより、すっかり弱気になッちまって、
このオノレにまで気をつかいはじめたのは、
脳血栓で倒れて入院した以後のことである。
これは幸い軽い血栓で回復したのだが、
退院してから人が変わったようにガンコではナクナッタ。
それから五年ほどして軽い再発をしこれも回復。
さらに五年ほどして三度目の再発、
遂にオヤジはあの世へ逝ちまッたのである。享年七十歳。
 新年に特別の感慨はないと、エラそうに宣ふたが、
ヤマノカミとオノレ二人だけの、
チトサミシイ晩酌をしながら、
なぜか正月だけはやさしかったオヤジの顔を、
シミジミ思い出すオノレであった。