オノレ日記帳

2005年2月の記録



  「CSI科学捜査班」第4シーズン
Date: 2005-02-28 (月)

 今日から「CSI科学捜査班」、
第4シーズンの吹替収録が始まる。
これから半年、また我が愛すべき万年警部、
ブラスさんの声を当てながら、
オノレは毎週、いろいろオソロシイ画面を見ることになる。
乞う、御期待!

       CSI科学捜査官HP
http://www.herald.co.jp/official/csi_3/index.shtml

 明日から三月か…。

  猫柳そぞろに伸びて月がわり(麦  人)


  「象」初のスタッフ会議
Date: 2005-02-27 (日)

 今朝、NHKの「小さな旅」てえのを見たら、
有楽町・ガード下の焼き鳥やとか居酒屋なんぞのルポ。
オノレも若き頃、仕事帰りによくお世話になったところで、
チトホロ苦い思い出もあったりして暫し懐かしかったナ。
 ところで番組中でアナウンサーが、
「気の置ける仲間」とナレーションしとって、
なぜかフト気になった。
さっそく広辞苑を開いて調べると、
「気が置けない」はあるんだが、
やはり「気の置ける」というのはない。
で、「気が置けない」とは、気詰まりでない。
気づかいしなくてもよい、という意味で、
近年、気を許せない、油断できないの意で、
《誤って》用いることがある、と指摘しとる。
とはいえ、言葉のニュアンスからは、
「気が置けない」は、心許せぬという感じがあるし、
「気の置ける」といえば、
気づかいせんでもええ、てえ感じがあるよな。
オノレもこれまで、「気の置ける仲間と飲んで」と、
無意識に間違って言っていたような気がせんでもない。
正しく日本語をオシャベリするのはナカナカ大変だ。
 さて、今日はその「気が置けない」仲間である、
「象」の演出・舞台監督・装置の連中と、
初の「スタッフ会議」。
八月公演の劇場、OFF・OFFシアターは、
舞台も客席もほんとうに狭いしタッパもない。
道具立てにはたぶん苦労するし、イロイロ工夫も知恵もいる。
第一に「予算」がないから、
その少ない予算で、みっともなくない、
キチンとした舞台空間を創ってもらわにゃならん。
今日は「気の置ける」ではない、
「気が置けない」スタッフの方々と大いに議論し、
そのスグレタ創造的知恵によって、
「象」の基本的な道具立てと予算に目処をつけたいナ…と、思う。


  「団塊の世代」と「プレ団塊の世代」
Date: 2005-02-26 (土)

 「団塊の世代」とは、
戦後のベビーブームに生まれた世代で、
1947年から1951年頃生まれた人々てえことのようだな。
オノレのあまりコノミではない、
商売上手の問屋さんのごとく、
口八丁手八丁で大臣にまでなった、
某評論家のオッサンが発明した言葉らしい。
オノレゴノミのオッサンではないが、
わかるようなわからんような、
(オノレなんぞ、ずっとしばらく、
「団地世代」と「団塊世代」を混同しとったぜ)
このオッサンの自著がたくさん売れそうな、
インパクトのあるネーミングではある。
 オッサン曰く、
「この世代のキーワードは、受験戦争・競争・全共闘、
ジーパン・ニューミュージック・ニューファミリー」、
なんだと…。
で、オノレたち1943年〜1946年に生まれたヤツは、
「プレ団塊」の世代ってえことらしいナ。
しかし「その前の団塊」と、いわゆる「団塊」と、
そんなに大きな違いがあるんでしょうかね?
(オノレはこの「ダンカイ」を、
つい「ダンコン」と言ってしまう…、なぜだろう?
そんなにオオキナチガイがあるんでしょうかね…。
このバカタレ!)
オノレ思うに、60年安保世代と、日本赤軍世代ほどの、
ハッキリしたちがいはねえような気がするナ。
 ちなみに「団塊」とは広辞苑によれば、
「たくさんの物が集まってできたカタマリ」、
てえ意味になる。
(オノレが何となく間違って言ってしまうわけが、
ナントナクわかった!)
で、塊なんてえのは地球ある限り、人類ある限り、
いつでもあるものなんだからね。
にもかかわらず、一世代を形容する言葉として、
「団塊の世代」てえのが特別認知されたってえことは、
この世代のヤツが、生まれた数の多さだけでなく、
モロモロ、よほど変わった特徴をもってるてえことだよな。
でも「受験戦争・競争・ジーパン・ニューミュージック・
ニューファミリー」なんてえのは、
「プレ団塊」世代にとっても共通の特徴ですぜ…。
 オノレは、これからヒマをみて、
オノレの世代、戦争体験のおよそない、
「プレ団塊」と「団塊」の、
我々の生まれ育った時代についてのケンキュウを、
ヤレタラ、ダンカイテキにしてみようかと思っとる。


  上がる役者
Date: 2005-02-25 (金)

 役者の中には、本番の舞台でまったく上がらない、
心臓に毛の生えとるような役者てえのもいるようだが、
ま、オノレのようにフツウの役者はみんな上がるナ。
人によって程度の差はあろうが、
オノレの場合、初日なんか舞台に出るまで、
胸の鼓動が聞こえてくるほど上がる。
舞台でどうにか落ち着いた演技ができるようになってからでも、
ある日突然、トクベツ深い関係にある人が観にきたりすると、
終演後、その人に「ホメラレタイ」なんぞと思って上がる。
役者の上がるわけには、
その人それぞれイロイロな要素があるのだろう。
例えばオノレの場合、そのもっとも大きな要素は、
「ウマクやりてえ、いいところをみせてやりてえ」と、
つい気持ちがたかぶり過ぎて、
自意識過剰になるからではあるまいか? と、
タダイマはアガらず冷静に自己分析しとる。
とすればだナ、
「客にどう思われてもかまわん、
ヘタクソでいい、己のできる精一杯の演技をすればいい」と、
意識を逆に切り替えれば、
上がる度合いは大いに少なくなるのかもしれん。
 どんないい役者でも、まちがいなく上がると思えるのは、
およそ稽古不足で、役創りが疎かなまま、
本番の舞台に立つハメとなる状況であろう。
もっともこれは上がるッてえより、
演技に自信をもてない恐れや不安からくる、
極度の緊張というヤツかもしれんな。
そんな状況にもかかわらず、
上がったり緊張せんで舞台に出ていける役者は、
たぶん天才的コメディアンか、即興芝居の名人か、
心臓にトゲまで生えとる超ボンクラ役者くらいなもんだろう。
 最近、吹替えのスタジオで、
珍しく初々しい新人の若いオノコが、極度に上がって緊張し、
マイク前に立つ姿を目にした。
彼のその姿が、オノレには何故かとても新鮮に見えて眩かった。
 そうなのである。今の若い俳優さんも声優さんも、
見た目には、上がって演じている人がホンマに少ない。
オソロシイほど緊張せんで、
リラックスな状態で舞台に立ったり、
はたまたマイクに向かって声を出しとる。
で、オノレの若かりし頃よりはるかにウマイ。
オソロシイほど新人がチットモ新人に見えないのダ。
それは大変素晴らしいことなのかもしれん。
しかし久しぶりにワナワナ震えて上がりまくった、
まさに新人らしい新人を見て、
チト、ホノボノと、嬉しくなったオノレであった!


  落語 『だくだく』
Date: 2005-02-24 (木)

 いつだったか、オノレが大笑いした落語に、
『だくだく』てえのがあったな。
泥棒が盗みに入ると、タンス・長持ち・長火鉢、
すっかり揃ったいいお家。で、泥棒はシメシメと、
タンスのひき出しあけようとするんだがあかねえの。
つまりそれは全部壁に描いた絵だったというわけ。
ところがこの泥棒が、オモロイヤツというか、
なかなかのシャレモンで、
「タンスをしっかりあけたつもり、
風呂敷出してひろげたつもり、
着物をたくさんつめ込むつもり、
グイと結んで、背負ったつもり」と、
つもりつもりで盗んだつもりのふりをする。
すると寝てるこの家の旦那てえのが、
じつに素ッ頓狂でオツな御仁。
ムックリ起きて泥棒に、
「長押(なげし)の槍を取ったつもり、
エイッと賊の脇腹突いたつもり」とやるんだナ。
これをまた泥棒がしっかり受けて、
「う〜ん、ブスッと一槍突かれたつもり、
血がダラダラと出たつもり」てえ調子だ。
 その昔、志ん生さんだったかの『だくだく』聞いて、
腸捻転起こしそうなほど、オノレは平和に笑ったネ。
 国家・民族・宗教なんぞの利害で起こる争いも、
こんな落語的人間のヤリカタでやれば、
それほど悲惨な結果になることはねえと思うヨ。
「あそこへ軍隊送ったつもり、
あそこの領土を奪ったつもり、
あそこに基地をつくったつもり」
「地雷を敷いて防いだつもり、
ミサイル飛ばして勝ったつもり、
水爆落として人類絶滅したつもり」テナ調子でさ。
 たぶん世の多くの権力者は、
そんな庶民のはかない「チエ」を、
カツヨウしちゃくれんでしょうな? 


  「象」の勉強会
Date: 2005-02-23 (水)

 独歩プロデュース「象」の公演は八月だし、
その稽古も六月半ばを過ぎてからである。
で、出演してくれる若い役者の皆さんに、
「稽古の始まる六月まで月一二回、
自主的に『勉強会』をせんかい?」とオノレが提案すると、
打てばすぐ響いてすることになり、
その第一回目が今日である。
 もちろん肝心、要の芝居創りは、
六月からの稽古で演出家を中心に創らにゃならん。
その演出の領域に踏み込むような勉強までするつもりはない。
ま、本読み中心に、それぞれが自分の役だけではなく、
気楽に人の役を読んでみたり、
イロイロ「ハテナ」と思うところを見つけて語り合ったり、
肩の凝らない、難しくない「勉強会」を、
ガヤガヤ・ワイワイ、愉しくやりたい。
「そんなんで勉強になるんかい?」と、
誰かに叱られちまいそうだが、何もしないよりは勉強になる。
 一度で皆がイヤにならんよう、面白可笑しくやるつもりダ。


  呑助さん
Date: 2005-02-22 (火)

 オノレの先輩である呑助さんと久しぶりに飲んだ。
これから結婚するという若い二人の客がいて、
呑助さんは酔うにつれ吠えはじめた。
ぐい飲みの酒を一気に呷って彼は吠えた。
「結婚前にはよく目をあけて、結婚後は半分閉じろよッ!」
 目を丸くして呑助さんを見ている若い二人に、
オノレはそっと片目を瞑ってアヤマツタ。
「オレのように結婚前、よく目をあけないで結婚したヤツは、
半分どころか、一生両目を瞑りっ放しで、
女房と暮すハメになっちまうんだからよッ!」
 呑助さんは、冗談とも本気ともつかないニュアンスで言うと、
「ケッ、ケッケッケッ…」と、甲高い奇ッ怪な声で笑った。
それから苦々しく口を歪めて、またぐい飲みを一気に呷った。
呷ってガクリとうなだれ、
おおよそ白い長髪がバサリと顔面に垂れた。
 人生の修羅場に吹くような一陣の風を感じて、
オノレは呑助さんの肩を慌てて抑えた。


  唯我独尊
Date: 2005-02-21 (月)

 オノレはときどき暇つぶしに「ことわざ辞典」を読む。
で、永年にわたる人の歴史の中から生まれた知恵や教訓から、
オノレの生き方のマズサを教えられたり、
思わぬ解釈の間違いに気づいたりしてナカナカ為になる。
 「唯我独尊」ということわざも、
これまでオノレはどちらかといえば人間の長所、
肯定的在り方としてとらえてきた。
しかし辞典によれば短所の分類に入っとるナ。
意味としては、自分がだれよりもすぐれていると思いこむこと、
ひとりよがりな人、ということになる。
 これまでオノレが思いこんどった解釈は、
「日和らず我が道を行く」とか、
「世に媚び諂(へつら)わぬ、孤高の人」、
という感じであった。
何故かような誤解をしちまったのか、てえとですネ、
随分昔、知り合いの某古楽器奏者の風格ある先生が、
「自分は唯我独尊の境地で生きています」と、
胸を張っておっしゃったときからである。
別に先生のせいにして、
オノレの無教養をゴマカス気は毛頭ないのだが、
そのとき先生が、オノレと同じ間違ったような解釈で、
自信タップリ、意味を説明してくれたから、
「なるほど、そうか!」と、ひたすら我が道を、
オノレの場合、ノンベンダラリと勝手気ままに、
その正しい意味を知った今日まで過ごしちまったナ。
 しかしよくよく考えれば、
確かにオノレは「唯我独尊」に生きてきて、
これまで多くの人にゴメイワクをかけとるのかもしれん。
では今日から「唯我独尊」をヤメルノカ?
そんな約束デキマセン。
 ことわざ一つでも…オソロシイ!


  「君恋し」 ( 中島淳彦・作 )
Date: 2005-02-20 (日)

 下北沢・劇小劇場で「君恋し」(中島淳彦・作)を観劇。
終戦後間もない浅草喜劇で、
エノケン(榎本健一)と共に活躍し、
人気のあったコメディアン・二村定一。
その可笑しくも悲しい男の光と翳の内面を軸に、
ドサ廻り喜劇一座のドタバタを描く数日間の物語。
 作者の中島さんが、その主役・二村定一役を演じ、
まさにワンマンショーのごとき舞台。
歌はうまいし、存在感のある芝居をするし、オソレイリマシタ。
オノレは舞台の中島さんをみながら、
チト古川緑波や益田キートンにもあった、
飄々・ヌーボーとした味わいを思い出したナ。
その味わいの中にこめられとったユーモアや悲哀をね。
井上ひさしの芝居にも、
似たシチュエーションの作品があったと記憶するが、
この脚本も戦後まもないコメディアンの雰囲気、
喜怒哀楽がなかなかよく描かれて愉しく、チラッともの哀しい。
 劇作家としても役者としても、
並でない力量を感じさせる中島淳彦さん。
天は人を選んで、惜しみなく幾つもの才能を与えるものなのか…。
 今宵オノレは、
「天、二物を与えず」とオノレによく言い聞かせ、
チト、モノガナシク、劇場をオサラバした。


  ライブドア 「出る杭は打たれる」
Date: 2005-02-18 (金)

 ライブドアが日本放送の株を時間外取引で取得したことで、
ずいぶんアチコチから叩かれてとるナ。
しかし時間外取引は、
これまでの証券取引法では違反じゃないんでしょ?
ライブドアを快く思っとらん連中は、
道義的に云々とかカントカと目くじらたてて吠えとるが、
吠えとる政治家や経済界の大物が、
それほど道義的に御立派な政治や商いを、
これまでずっとしてきたんかい?
お主たちがこれまで時間外取引の株操作を全くしとらんと、
胸を張って述べたところで、
それを一体どこのどいつが信じると思っとるんじゃ?
バカタレ金融大臣様は、時間外取引規制の法律を、
さっそくこの国会に提出し法案化したいという。
いやしくもオカミともあろうものが、
ライブドア憎しだけでもう一方の側に立ち、
そんな泥縄の対策を泡食ってするわけでもなかろう?
その裏に、ライブドアや、NHKと朝日新聞の問題に乗じて、
権力者に都合の良いメディア支配のタクラミを感じるのは、
果たしてこのアホなオノレだけであろうか?
 オノレはライブドアの社長ってえヤツが、
福沢諭吉にばかり興味がありそうで、
個人的にはあまり好きではありませんのヨ。
しかしこの資本主義の弱肉強食の社会で、
コイツが数えきれんほどの札束集めに躍起となり、
己の企業拡大実現の手段として、
現在のところ法に違反しとらん取引で株を集めたからといって、
その欲望にやりきれんオゾマシサを感じても、
ただ一刀両断にダンガイする気にはなれんわい。
 まあ、株を買う金もない、
従ってライブドアがこれからどうなるかについて、
どうなってもかまわないオノレなのではある。
しかしこのところの国家権力から、
やたらメディアやマスコミに過敏な態度をとり、
言論の自由に介入したがっとるような姿を見てとるのは、
オノレの杞憂に過ぎんのか?
それが杞憂ではなくホントウだったら、
これはタイヘンオソロシイ!
いつか日本は戦前の日本のように、
表現の自由も、発言の自由もない社会、
あるいは個人崇拝の極致ともいえる、
アジアの某独裁国家のような社会にナリカネマセンゼ。
 教訓。
いつの世も、「出る杭は打たれる」のだ。
いつの世も、オノレのように「出ない杭」はムシされて、
案外マイペースで生きることがデキルノダ。
 ホントカシラ?


  夢・憶え書き #5 「膨大な財産 」
Date: 2005-02-15 (火)

 突然、夜中に五人の刑事(デカ)が家に踏み込んできて、
頭の禿げた奴がオノレを叩き起こすと叫んだ。
「お前を逮捕する!」
 突きつけられた逮捕状を見やりながら、オノレは飛び起きた。
「わたしがナニをしたというんです?」
「お前が他人の『膨大な財産』を盗んだという、
某役者からのタレコミがあった!」
 五人の刑事は鬼のごとく目を剥いて、
部屋のアチコチをひっくり返し、
その『膨大な財産』なるものを探し始めた。
だが、お目当てのものは一向に見つからず、
禿刑事はイライラした声でオノレを威嚇した。
「キサマ、どこへ隠しやがッた!」
 オノレの脳裡に、タレコンだという、
台詞覚えの悪い某役者の顔が浮かんだ。
「アノヤロウ…。」
 オノレはにわかに込上げてくる笑いを必死に押し殺し、
禿刑事に答えた。
「『膨大な財産』はわたしの脳ミソの中にありましてね。
ちょっとお返しするのは難しい。」
「ナニィ〜?」
「でも、そのナカミを言うことはできますがね。
およそ二時間ほどかかります。」
 半信半疑の憮然とした顔で禿刑事が言った。
「言ってみろ!」
 オノレは最近ようやく憶えた芝居の台詞、
某劇作家の『膨大な財産』をダラダラ語りはじめた。
「もういいッ!」
 耐えられんという表情で禿刑事は怒鳴った。
そして他の刑事を促し、
アキラメタようにそそくさと家から出ていった。
「大根役者メッ!」という捨て台詞を一発残して…。





  日本の将来はアヤウイ!
Date: 2005-02-14 (月)

 午前中、NHK・BS1・世界のドキュメンタリー、
「南アフリカ 豊かさへの道」のナレーション。
2月23日(水)22:10から放送。
真面目に読ませていただきました。
 夕方4時からアニメ「ロックマンエグゼ」第23話にゲスト出演。
(放送日・毎土曜・午前8:30〜12チャンネル。)
オノレの役はカルダモンという「ネット仙人」のジイサン。
楽しくやらせていただきました。
 夜、8時半過ぎ帰宅。
一風呂浴びて、ビールを一杯。泡盛飲みつつ遅い晩飯。
 テレビ朝日の「たけしのTVタックル」という番組を見る。
オイオイ、ひでえ番組だネ、これは!
司会のオンナも、出演しとる代議士とやらも、
評論家とやらも、ハマコウーとかいうオッサンもひどすぎるナ。
本日この番組に出演しとった連中のイケンが、
日本の国民の総意だとすれば、
(オノレはもちろんそう思っとらんがネ)
日本の将来はアヤウイ!
 気の弱いオノレは、
出演者の何ともオソロシイ発言を聞きながら、
心底恐ろしくなって、ワナワナ震えちまッたぜ。
 今夜出演しとらんかったタケシさんヨ、
あんたの名前を冠にしたこんな番組やっとッて満足かい?


  「三文オペラ」( 作・ベルトルト・ブレヒト )
Date: 2005-02-13 (日)

 紀伊国屋サザンシアター・俳優座公演、
「三文オペラ」を観劇。
俳優座40年ぶりの再演だという。
とすると、まさにオトナになった20歳のとき、
オノレはこの初演を観たわけだ。
そのとき演出の千田是也も、主演の小沢栄太郎も、
ずいぶん昔にこの世の方ではない。
であるからして、その初演に出ていた出演者は、
この再演にはほとんどいないのではあるまいか?
演出の安井武氏は演出助手で関わっていたらしい。
つまり今日の舞台は再演というより、
新メンバーでの初演という感じだよな。
 ジョン・ゲイの「乞食オペラ」を、
ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが翻案し、
クルト・ワイル作曲で創られた音楽劇。
 1800年代中頃、ヴィクトリア女王時代。
ロンドンの下町・ソーホーが舞台。
その町に巣食う泥棒のボス、マックヒースが主人公だ。
手下の泥棒や乞食のグループ、娼婦たち…。
最下層に生きながらも、強かに泥臭く、どこか明るく、
エネルギーに満ちた登場人物たち。
 若きオノレは俳優座の初演を観て、
これはオモロイ舞台だと強く感じた憶えがある。
とくに、乞食グループを率いる怪しげな男、
ピーチャムの娘・ポリーを演じた市原悦子に、
オノレは心底ビックラこいた。
芝居はうまいし歌もうまい。
決して美人ではなかったが、明るくて妙にチヤーミングで、
バカバカしいほど純粋で、だからこそ、
一途にマックヒースを愛する姿がいじらしくて、
市原悦子の女優としての魅力にオノレはすっかり圧倒され、
恍惚として舞台に魅入ったのである。
 マックヒースの小沢栄太郎も、チト年寄りではあったが、
やはりそれなりの存在感があったと思うし、
独特のダミ声で歌うウタにもナカナカ味があったナ。
 さて今回の舞台は…。
「明日は我が身」であるから、
あまり演出や役者の具体的批判はヒカエルことにして、
ヨカッタと感じたことのみ触れておこう。
 ルーシー役の安藤みどりチャンが、
抜群によくてヨカッタ。
オノレは最近、みどりチャンと声の仕事で一緒になり、
彼女からこの公演のチケットを購入。
だからホメているわけではない。ホントウに良かった!
二幕になって彼女が登場し、
舞台がタチマチ生き生きとして動いたぜ。
 ブレヒトの作詞とワイルの曲はやはりヨカッタ。
オンチのオノレではあったが、
若い頃、「マック・ザ・ナイフ」を、
もう、一人エエ気分になって、
よく口ずさんだもんだよなァ。
 ブレヒトの戯曲はやはりヨカツタ。
彼の最初の叙事的演劇作品が、
この「三文オペラ」といわれとるらしいナ。
しかし叙事的演劇理論のナンタルカを、
あまりよく理解しとらんオノレには、
そんな理論は、こんないい歳になっちまうとドウでもいい。
いまさらシカメッ面して勉強しても、タブン理解できまい。
が、例えムツカシイ演劇理論は理解できんでも、
「セチュアンの善人」やら、
「肝っ玉母さんとその子供たち」やら、
「三文オペラ」やらを読んで、
その劇的に大変オモロイ世界を、
オノレなりに理解はできる。
もちろんそんな戯曲を上演し、
よい舞台を創ってくれれば、さらに感動もできる…。
 感動シタカッタ!


  富士山の思い出
Date: 2005-02-12 (土)

 今朝はマンションのオノレの部屋から、
一時間も歩けば辿りつけそうなほど近くに、
ハッキリ、大きな白無垢姿の富士が見える。
で、フト思い出したナ。
たぶん、七、八年前、何月であったか忘れッちまったが、
車で登れる富士山の何合目かまで、
友人とヤマノカミの三人でドライブしたことがある。
これが舗装された立派な林道で、
オノレの車しか走ッとらんかったぜ。
今考えると、一般の車は走行禁止だったのかもしれません。
とにかく行けるところまで行って行き止まり、
車から降りて、高い富士のイズコかに立った瞬間、
まるでチンチンが凍りついてポキッと折れそうな、
突き刺されたような冷たい強風に襲われた。
ナツカシイ、そしてチト辛いその日のことを思い出したネ。
 ナニユエ、ツラカッタノカ…。
ええ、オノレにはあまり他人様に公表できん、
ハズカシイ、悪い癖がありまして、
妙に緊張したり、環境が激変すると、
どうもチョコチョコ大便をしたくなる。
このときも、予想以上の厳しい寒さに、
オノレの腸はビックラコイタのであろう。
我慢しきれぬほどモヨウシタのだ。
もちろんこらえきれなくなって、
オノレは友人とヤマノカミの目をそっと盗み、
巧みに道路から草叢に忍び込んで野糞を垂れた。
しかし余りに慌てていたのであろう、
ティッシュを忘れてしもうたではないか。
もうしょうがねえ。目の前の雑草の葉ッぱムシッて、
ゴシゴシ・ゴシゴシ…いや、痛くなるほど冷てえの、
後でヒリヒリするのナンのって!
その晩、お風呂で、そっとキレイに洗浄し、
たっぷり馬油を塗って寝たオノレであった。
 アラ、公表しちまった!

 雪富士の樹木育てし野糞かな  (麦  人)


  3本の芝居
Date: 2005-02-11 (金)

 明日からメズラシク、オノレとしては結構仕事が忙しい。
そのリハーサルや原稿チェックで、
プライベートな時間もあまりない。
で、昨日と今日、3本の舞台を観たのだが、
その感想は簡単にする。

劇団・テアトロ〈海〉「正義の人びと」(アルベール・カミュ・作)。
 中板橋の小さいスタジオでの公演。
カミュの「正義」とはなんぞや…、てなテーマで書かれた、
重たく激しい作品である。
が、それをイカニモ重たく激しい舞台に創っとるから、
観ているオノレは、二時間十分、まことに疲れた。
テロリズムという今日的問題を改めて考えてしまう、
ナカナカよい戯曲なのであろう…と、
思ったのではありますがネ…。

六本木・俳優座劇場、木山事務所公演。
「コント・ア・ラ・カルト当世殺人考」(作・別役 実)。
 当世の殺人を、さまざまなシチュエーシヨンで、
コント風に見せる別役さんの新作。
もちろん別役的アイロニーに満ち満ちて、
ところどころ大いに笑ったりもしたのだが、
いま一つ強いインパクトをオノレは感じなかったナ。
それはどうしてか…。
オノレなりに何となく分かっているつもりなのであるが、
今うまく説明できんし、その時間もナイ…。
オユルシアレ。

中目黒・ウッディシアター。少年ボーイズ公演、
「その穴…」(作・佃 典彦)。
 名古屋の劇団である。この公演が始めての東京公演らしい。
いやぁ、オドロイタネ。
およそ1時間25分、まさにアットいう間に終わった。
地震でトンネルに閉じ込められた男二人と一人の女。
( この客演の女優さんがオノレの知り合いで観に行った。)
生存者がおらんかと、穴を掘りつつ進むレスキュー隊の男たち…。
 脚本もナカナカ巧みに書かれとったが、
この名古屋の劇団、演劇レベルは相当上質である。
シッカリした演出家・スタッフ、よい役者は、
何も東京だけにいるのではナイノダ!
 オノレはチト寂しい客席の中、
胸を熱くし、大いなる拍手を送ってからシアターを後にした。


  サッカー 「日本対北朝鮮」
Date: 2005-02-10 (木)

 昨夜はサッカー「日本対北朝鮮」W杯アジア予選をTV観戦。
いや、手に汗握る熱戦であった。
結果として日本が2対1で勝ったわけだが、
北朝鮮もやはりナカナカ強かった。
シュートしたボールなんざ、
日本より北朝鮮の選手の方が力強く感じて、
オノレはドキドキ・ハラハラしたぜ。
 それにしてもジーコという監督、
オノレには素晴らしい監督に思えるんだが…、どうなんだい?
後半、高原・中村の外国組コンビや、
決勝シュートを放った大黒を出したのは、
サッカーをよく知らんオノレでも、
絶妙のタイミングだったような気がする。
歓び組、チャウチャウ、外国組み二人が出てから、
北朝鮮に押され気味の試合の流れがガラッと変わり、
日本選手の動きが生き生きしてきてオノレはヨロコンダネ。
なら、最初からあの二人を出せばよかったではないか…、
という意見もあろうが、オノレはそうは思わんかったナ。
ここまで地道に努力してチームワークを培い頑張ってきた、
国内組みの実績やプライド、意欲を尊重し、
彼ら優先で先発メンバーを組んだのは肯ける。
しかし現実の試合では、その戦いの流れや展開を深く読んで、
交代機を誤らず高原・中村を早めに投入、
それが勝利の流れを日本に引き寄せたような気がする。
国内組み、外国組み双方の面目がたって、
ジーコの見事な采配であったと、オノレは心からホメてやりたい。
ナンダカ、一流ノサッカー評論家ノヨウナ気分ニナッテキタゾ。
 そこで、オノレはエラそうに予想する。
次のイラン戦、
たぶんジーコは外国組み中心の先発メンバーで戦うであろう。
そして例えアウエーであっても日本はイランに勝つぜ。
もしこのオノレの予想が外れたら…、
既にオノレの頭はツルツルのスキンヘッド。
オノレの日々の暮らしに何の変化もナイノダ。
 そうそう、試合開始前、
石川さゆりが演奏もなくソロで「君が代」を歌ったが、
オノレはなんだか「いゃ〜な」気分になったネ。
曲だけならまだしもガマンできるが、
歌が終わって、「天皇陛下万歳!」と、
オノレはつい時代を間違え、
両手を上げて叫びそうになったぜ。


  明日は明日の風が吹く!
Date: 2005-02-09 (水)

 「明日は明日の風が吹く」てえ石原裕次郎の映画を、
オノレが若かりし頃観た記憶がある。
どない内容であったかの記憶はナイ。
近頃、若い方からよく問われる。
「僕たち若い世代は、
自分に自信もなく、その将来にナカナカ展望をもてず、
どんな仕事をすればよいのかもわからない。
麦人さんの若い頃はどうでしたか?」と。
で、オノレはモジモジ、
チト恥ずかしいのではあるがショウジキに答える。
「オノレも思春期、どない仕事をすればいいのか、
よく分からんまま過しとった。
それからずっと中年時代まで、
ヤクシャっぽい顔こそして生きてはおりましたがネ。
それほど役者として自信があったわけでも、
日々立派な演技・演劇論を、
修行・研究しとったわけでもござんせんのよ。
およそ将来の展望なんぞ見えんかったのヨ」と。
 さよう、告白すれば、他人の芝居を観たり、
オノレがチョコチョコ役者をしたりしながら、
ホントウに、心から真面目に、
「面白え世界だよな」と感じ始めたのは、
実に五十代を過ぎてから…。
たぶん、それが偽りのないところだという気がするナ。
 オノレはオギャーと生まれてから、ずっと役者の家庭で育ち、
他の世界をよく知らぬまま思春期となり、
その思春期に何をしたらよいか分からぬまま、
親のススメに従い、中卒で新劇界へ入ってしまったのだ。
要するに「明日は明日の風が吹く」てな調子で、
将来の展望もなくずっと生きちまったし、
何とかここまで生きてこられた。
よほど悪運が強いのであろうか…、シアワセ。
で、今は…、やはり「明日は明日の風が吹く」、
なのであります…チト、ナサケナイ。
そうなのである。この先そう長くない将来ではあるが、
やはり明日のことなんざ、
オノレ自身、どうなるかワカラナイのだ。
しかし芝居が心から面白くなってから、
オノレなりに明日への展望だけはもって生きておる。
これは昔との大きなチガイかもしれん。
さらに展望が展望だけで終わっちまうか、
展望に近い未来が実現するか、
一にオノレの意欲と努力次第であることもイマはわかる。
それがコケても誰のせいでもない。
オノレのせいだ…アア、苦しい。
そうじゃありませんかね、若者?
たとえコケても、必ず「明日は明日の風が吹く」のだから、
あまり悩まず生きるッきゃござんせん…ガハハッ!

  春霞明日は明日の風が吹く (麦  人)


  映画 「美式(うつくしき)天然」
Date: 2005-02-08 (火)

 「美式(うつくしき)天然」という自主上映の映画を観た。
オノレの知人がその上映に尽力している一人であり、
また、多少お付き合いのあった役者さんも出ていたのでね。
 北海道の古い映画館が解体されるので、
その映画館をフィルムに残したいという願いから製作されたようだ。
8年もの歳月をかけて完成したというから、
自主映画にはつきものの大変な苦労があったにちがいない。
その苦労を理解できるだけに、
オノレとしてはチト辛い感想になるが、ツマラナカッタ。
たぶん、監督の強い思い入れが裏目に出たような気がするナ。
とにかく創り手の一方的な構成というか、ドラマの展開に、
観る側のオノレの脳はギクシャク・ギクシャク、
ナカナカ難解な映像に途惑ッてついていけぬまま終わってしまった。
正直、オノレにはまことに長い一時間半であった…。
 大変な努力と歳月をかけて創った関係者の皆さん、お許しアレ。


  「ブルーノ」
Date: 2005-02-07 (月)

 今日は「ブルーノ」というカナダの作品で朝からスタジオ。
ブルーノというお猿さんのキャラクターが主役のアニメ。
が、チョット人間の実写も入っとる。
一本1分ほどの長さで、それを50本、
オノレのナレーションで音声収録した。
 飛んだり跳ねたり、食べたり投げたり、
ブルーノがイロイロ遊ぶ姿を見ながら、
自然に言葉や行動することの意味を、
幼児が身につけるよう創られとる。
大人が見ても飽きないし、ナカナカ楽しい内容です。
 この作品、去年オーディションを受けて、
いつも落ちるオノレに珍しく決まったナ…、ウレシイッ!
 いずれ何処かの局で放送され、
それからDVD化されるらしいが、詳細はまだワカラン。
 視聴者の子供や親が、「ホカホカ」温かい心になって、
「ピョンピョン」動きまわりたくなるようなナレーションを、
オノレは精一杯心がけてガンバリました。


  クレネリ 「乙女の国」
Date: 2005-02-06 (日)

 昨日の昼、下北沢・駅前劇場で観た芝居は、
「乙女の国」(作・大岩真理 演出・若月理代)。
クレネリというグループの公演で
若い演出家の若月さんと去年知りあったので観にいった。
芝居の終わりでゲストの男が殺されるためにチョイ出てくるが、
題名のごとく乙女チックな女優? ばかりの芝居。
しかし筋立て巧妙でオモロカッタゼ。
ま、今の時代の若い女性のさまざまな心の有様、
つかみどころのない揺らめきを見せてくれたのであろう…と、
オノレは思った。
導入からチト異様な雰囲気の中で始まり、
実際異様な展開になって終わるのだが、
お宅ッぽい抽象画を観る面白さの中に、
現代乙女の不安な心象が交錯して飽きずに観た。
さよう、乙女心をあまり理解できないオノレには、
その内在する恐ろしいモノを知り、
まことにタメになる教材でもあった!
 演出もナカナカよかったな。
知り合いのオトメだけに、それなりキビシイ目で観たのだが、
オトメどころか、コイツはなかなかシタタカな創り手、
大物演出家カモしれんぞ。
少なくとも今日の舞台演出は、
作品の性質(タチ)をシッカリ生かしておったし、
役者への指示の適確さ、装置・照明、
モロモロ演出家としての冴えを感じたナ。
 女優陣はオノレと馴染みのない方ばかりであったが、
これも皆はまり役で好演しとったわい。
とにかく観といてヨカッタ芝居でしたネ。
 
 さて、昨夜の朝日新聞夕刊「風韻」。
寄席音曲師・柳家紫朝さんの言葉。
 
 芸事はなんでも、「難しくてもやるんだ」という了見が大事。
あたしも今でも年中カベにぶつかって、
「何でこんなにセコ(へた)なんだ」って思うことがある。
でもそこで諦めちゃダメなんだ。

 75歳の芸人にしてこの姿勢。胸を衝かれます。

 今日はビデオの洋画吹替えで一日スタジオ籠もり。
米映画「トリコロールに燃えて」。
スペイン内戦から第二次世界大戦を時代背景にした、
波乱万丈の恋愛映画?
オノレはチャールズ(スティーブン・バーコフ)という、
主人公の父親役。
出演シーンは少ないが、極右で地主の大金持ち。
癖のある役デス。
 
 アラ、まだ起きてくれないのヤマノカミ。
役者に平日も日曜もねえんだヨ。
腹が空いてちゃ戦に、いや、仕事にならんだろうが…。
「おい、起きろってえのヤマノカミ…。
カセギに行ってくるからヨッ!」
 トビオキタ!!


  梅一輪一輪ほどの暖かさ
Date: 2005-02-05 (土)

 俳句でいえば、
「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という季節なんだろうが、
ルーフバルコニーの鉢植えに、
去年まで生きとったはずの梅の木が枯れてしまった。
マンション暮らしでは鉢植えの植物しか育てられん。
庭の土で育てるのより難しいし手もかかる。
またそれだけに、季節季節、
無事咲いてくれる花を愛でる気持ちも強くなるわけだが、
よほど深く愛でないと枯れてしまう種類も多いナ。
ま、そちらはヤマノカミにおよそ任せて、
オノレはタマにヤマノカミの「愛の成果」を検証しつつ眺め、
「たく、愛がたりねえんだよ」と、好き勝手にホザイとる。
そんなオノレに頭にきたわけでもなかろうが、
何だか年々花が咲く種類の鉢植えが減ってきて、
シブトク枯れない常緑樹の鉢植えが増えてきたような気がする。
 オネガイだから、可憐でカヨワイ花もなくさんでおくれ…。


  振り込め詐欺
Date: 2005-02-04 (金)

 振り込め詐欺が自衛隊員の家族まで騙くらかしたそうな。
隊員の息子になりすましたヤツが、
「戦車を駐屯地の門にぶつけて壊したので弁償しなければ」と、
電話で親に泣きつく演技をしたとか。
信じた親は130万振り込んじまったッてえんだから、
息子に化けたヤツは、まさに役者顔負けの演技だわい。
 さてさて、振り込め詐欺の連中が、
騙されやすそうなウチのヤマノカミをダマスとしたら、
果たしてどんな手口を使うのであろうか?
子供がいないので、
たぶんオノレにかかわる「ジケン」を仕立ててくるだろう。しかし、
「ご主人が交通事故を起こして」とか、
「痴漢で捕まりまして示談を…」とかなら、まずダマされん。
 車はたいがい夫婦二人で乗るときしか利用しとらんし、
このオノレが痴漢するほどスケベではなく、
ソチラ方面もいまやカッパツでないことを、
ヤマノカミはよく心得ておるのダ…まあ、ナサケナイ。
「吹替えの仕事をスッポカシしたので損害賠償を」とか、
「音声収録後の飲み会で大暴れ、
店をメチャメチャにしてしまい…」なんてえと、
チト危ない気もせんではないが、これもまず大丈夫。
日頃オノレがいかに遅刻せんよう早く家を出て、
マジメに仕事をしているか、
酒席でいかに大人しい飲み方であるかを、
ヤマノカミは実によく心得ておるのダ。
一番ヤバそうなのは…、いや、ヤメテオキマス。
万が一、振り込め詐欺の誰かがこの日記帳を見てホンマに実行し、
ヤマノカミが見事騙されたらエライコッチャ。
「しょせん振り込めるモトがないんだから大丈夫」とヤマノカミ。
 サイデシタカ…。
心から安心し、老後の先行きに不安を感じたオノレであった!


  別役実・著 「うらよみ《演劇用語辞典》」
Date: 2005-02-03 (木)

 別役実の著書に「うらよみ《演劇用語辞典》」という本がある。
タイトルのごとく演劇用語のモロモロを解説しているんだが、
そこはもちろん一般的な辞典の無機質な解説と異なり、
別役流解釈というか視点をふんだんに駆使して書かれており、
まことに分かりやすく、それなりの毒もクスリもある。
これから演劇を目指す人にとっては、
その入り口へ導いてくれる本になるであろうし、
何となく演劇的世界で、
ここまでダラダラ生きちまったオノレのごとき役者にとっても、
目から鱗のような解説が随所にある。
そして何より、例に挙げるエピソードが面白く、
思わず笑い転げッちまうのだ。

【台詞】の中の抜粋
 中村伸郎氏の「台詞好き」は有名だが、氏と、
これも「台詞嫌い」の辰巳柳太郎氏で二人芝居をやったときの話は、
ちょっとしたものと言えるかもしれない。
 稽古のはじまる前に別室で、辰巳氏が台本を見ながら中村氏に、
「君、ここんところの台詞は君にやるよ」と言うのだそうである。
「やあ、ありがとう」と、
中村氏の方に異存はないから、早速いただいてしまう。
もらいっぷりがよかったのであろう、
「あれも」「これも」という調子で、
あらかた中村氏がもらってしまった。
もちろん、稽古がはじまったとたんに、演出家が怪しむ。
「先生、ここの台詞は先生のじゃなかつたんですか」
「いや、そうなんだけどね、さっき中村君にやったんだ」。

 また、それぞれの用語解説の前に、
作家の【独言(ひとりごと)】なるものが短く付いとる。

劇作家の項目での【独言】
 役者が台詞を言い、それがドッと受けた時、
やや遅れて客席でせきばらいをするものがいたら、
それが劇作家である。
役者が台詞を言い、それが客席を白けさせた時、
身を繕ってそこに居ないふりをするものがいたら、
それが劇作家である。
つまり劇作家は、客席に居たり居なかったりするのだ。
 


  間(ま)
Date: 2005-02-02 (水)

 役者てえのは常日頃、
台詞の喋り方について一生懸命考えるし、
どう表現するかを皆それなりに工夫する。
しかしオノレのごとき自己陶酔型のマズイ役者は、
台詞の中にある「間」、
相手役の台詞を受けて喋るときの「間」、
また芝居全体の中にある台詞のない「時間」、
かような「間」や「時間」についての認識が、
ともするとおろそかになっちまうんだよナ。
いやいや、おろそかにしているツモリはないのである。
台本の中に確実にある「間」の存在や長さを発見しようと、
オノレなりに血眼になって努力はしとる。
にも拘らず、それを的確に、
チャントとらえることがナカナカデキナイ。
「間」も台詞であることは言うまでもないが、
客の胸をうつような台詞を言う役者とか、
うまく笑わせたり泣かせる咄家てえのは、
この「間」をとらえて生かすことが実に的確でウマイ。
そうなのだ。こいつがシッカリ出来れば、
オノレも自己陶酔型のマズイ演技から飛躍的に脱皮し、
少しは客の心を揺り動かす役者になれるかもしれん。
 役者として今年のオノレのテーマの一つは、
「間ヌケ…」にならん表現をすることである。