オノレ日記帳

2005年4月の記録



  日常の時間感覚と演技の時間感覚
Date: 2005-04-29 (金)

 独談の舞台でオノレが演技しとってよく思うのは、
日常の時間感覚と、演じているときの時間感覚が、
オソロシイほどズレル、てえことだよな。
 独り舞台で演じていると、
とにかく時間はアッというまに過ぎ去る。
二時間をこえる独談をしとっても、
舞台にいるオノレは、その時間の長さをおよそ感じない。
独談は常に己一人が舞台にいて、
ハナッから最後まで、喋りッぱなしでせにゃならん。
それでオノレのような熱演型のダイコン役者は、
演じている時間や間など、冷静につかむゆとりもない…、
それが正直なところなのかもかもしれん。
 ホンマ、舞台で独り演じていると、
自分では十秒タップリはとったつもりの間が、
実際はほんの二、三秒だったりもするんだよな。
で、オノレの舞台を観てくれるウマイ役者から、
「あそこはタップリ間をとらなくちゃアカン!」てな、
厳しいご指摘をチョコチョコいただくハメとなる。
実際、本番の舞台においてオノレの時間に対する感覚は、
オソロシイほど日常とズレて狂っちま傾向がある。
ま、日常と舞台は別世界であるから、
オノレの計算で、あえてズラしたりする場合もあるのだが、
計算どうりにナカナカ上手くハマラナイのも現実である。
 この悪い意味で時間がズレる感覚にいかに対処するか、
オノレはオノレなりに研究・工夫して、
いつもこのボンクラ頭で考えてはおる。
が、そりゃもう一筋縄ではいきませんのですよ…ハイ。
 この八月、「象」は独談ではなく、
いろいろな役者さんと絡み合って演技をせにゃならん。
27年ぶりにそんな舞台に挑戦するオノレにとって、
この「日常の時間感覚と演技の時間感覚」のズレの解決は、
まことに大きなテーマであり、克服したい壁なのです!


  「象」モード
Date: 2005-04-28 (木)

 明日からゴールデンウイークか…。
合い間合い間にチト仕事が入っており、
期間中ベッタリ休んで何処かへ行くことはできん。
もっとも、どこの行楽地も人や車にあふれとるだろうから、
この時期、それほど遠出したいとも思わん。
 さて、独談の公演予定も当面ないし、この五月から、
オノレはいよいよ「象」モードに入らにゃならん。
稽古は六月半ばからだが、
これから八月公演の千秋楽まで、アッという間の四ヶ月だ。


  怪シイ奴
Date: 2005-04-27 (水)

 脱線しかねない電車を思うと安心して乗ってもおれんが、
車内でお年寄りの「いい顔」を発見し、
ひそかに眺めていると実に味わい深い。
人生の風雪が刻まれた額や目尻の深い皺、
窪んだ目、表情のある手や指…。
オノレはその人その人の職業や気質をカッテに想像し、
カッテなドラマを考えたりもする。
 若い頃、オノレの視線の先は、
当然のごとく若い女性中心に向いとった。
しかしオノレもお年寄りの「お」くらいになった今、
そちらに目をやることはホトンドない。
ま、ひどく「イカガワシイ」若い女に遭遇すれば、
チラッと盗み見たりはいたしまずがネ。
 最近、お年寄りを眺めているオノレが、
たまに向こうからもチラチラ眺められとることに気づいた。
もちろんそういう方は、風雪を生き抜いた、
オノレの「アジワイブカイ」姿を眺めているのではない。
おそらくスキンヘッドにサングラス、
スニーカーに作務衣という「イカガワシイ」風貌に、
ただただ首を傾げているだけであろう…。
 怪シイ奴デ、オユルシクダサイ!


  JR福知山線・尼崎での脱線事故
Date: 2005-04-26 (火)

 昨日の午前九時過ぎ起きた、
JR西日本の福知山線・尼崎での脱線事故には驚いたな。
去年10月、兵庫県・三田での独談公演のとき、
オノレはこの路線の電車にヤマノカミと乗っとる。
 関西の電車に乗ってよく感じるのは、
スピードが東京に比べるとずいぶん「速い」てえことだ。
駅間の距離が長いせいもあるんだろうが、
車両の揺れも東京の電車よりユレルような気がする。
 ニュース映像を見ると、脱線した一両目の車体は、
マンション1階の駐車場に突ッこんで潜りこんどる。
二両目・三両目も、
建物の壁にトグロを巻いて貼り付き、
センベイのようにペッチャンコ…。
毎日我々が利用する電車は、
かようにモロク、脆弱なモノであったか!
 昨日の昼前十数人だった死者も、
今朝は六十九人に増えとる。
救出されず、
いまだ車両内に閉じ込められとる人もいるようだ。
生存していながら脱出できない人がいるとすれば、
その苦痛の酷さはいかばかりか…、想像を絶する。
「これから電車は後ろの車両に乗ろうね」とヤマノカミ。
「後続の電車に追突されたらどうするんだ?」とオノレ。
「やっぱり中間の車両がいいのかしら…」とヤマノカミ。
 事故の犠牲になられた方に叱られても仕方ねえような、
ノーテンキな夫婦のヤリトリではあるが、
この日、ウチと似た会話が多くの茶の間でされたのでは…。
 利便よく、スピードにあふれて暮らすこの時代、
オノレが突然大事故に遭遇したって不思議ではない。
そのとき何両目に乗っていようが死ぬときは死ぬだろう。
365日、オノレが生き残りそうな車両を考え、
前や後ろをウロウロしながら、
いちいち電車になんぞ乗車しとれんわい!


  独談 「アカシアの町」秩父公演・無事終了
Date: 2005-04-25 (月)

 昨日の日曜日、秩父演劇鑑賞会の主催公演、
オノレの独談「アカシアの町」を無事終えた。
 やはり高齢のお客様が多かったが、
台詞の一言一句を聞き逃すまいという、
オノレもビックリするような集中力を客席から感じた。
 高齢の方の中には、中国から復員した人や、
身内に引揚者のいる人も何人かいたようである。
そういう方々にとって、
太平洋戦争中の大連が舞台になっているこの独談は、
とても遠い昔にあった他人事のお話ではない。
いや、例えあの時代に過酷な体験をした人が身近におらんでも、
それが自分の生きている現代の出来事ではなくとも、
我々は太平洋戦争中の過酷な歴史を忘れちゃいかん。
 オノレはそんな想いをこめつつ、
微力ではあるが「タイチャン」と「アカシアの町」、
二つの独談をしているのだが…。
客席を見ると若い世代の方がホンマに少ない。
願わくば、高齢者共々、
次の時代を担う多くの子供たちや若者たちにも、
シッカリ観ていただきたいオノレの独談ではある!
 秩父演劇鑑賞会・スタッフの皆さま、
芝桜満開の日曜日にもかかわらず、
オノレの独談に時間を割いてお越しくださったお客さま、
心から御礼申し上げます!
 
 ニガテな色紙を5枚頼まれ、
独談「アカシアの町」にこめるオノレの思いを、
ヘタクソな字でおこがましくも書いてしまった。

   忘れられない過去がある
   忘れてはいけない過去がある
   今日から明日につながる
   過去!


  秩父演劇鑑賞会 「アカシアの町」
Date: 2005-04-24 (日)

 今日は秩父演劇鑑賞会のお招きで、
独談「アカシアの町」公演。
今秩父は芝桜真っ盛りで大変な人出らしい。
久しぶりに車で遠出をするがひどい渋滞に巻き込まれかねない。
公演は夜であるが、チト早めに出発せにゃアカン。
イッテマイリマス!


  オノレの限界
Date: 2005-04-21 (木)

  年々歳を重ねるにつれ、
やりたいことはイロイロあっても、
やれることの限界を感じてしまうナ。
 まず、頂いた仕事はありがたくせにゃならん。
オノレの舞台活動も限られた日数ではあるが、
地味ではあってもしぶとく続けたい。
芝居や映画もできるだけ観たい。
このところすっかり活字離れしとるが、
オノレの頭がこれ以上ボンクラにならんよう、
読書の時間もそれなりもちたい。
パソコン操作の腕を上げて、
DVDやらデジカメやら音楽やら、
モロモロたまっとるモノを編集し、
オノレのライブラリーな世界に浸りたい。
時間があれば大リーグのイチローや松井の試合を、
TV観戦で我慢するからたまには観たい。
時々気のおける仲間と酒をカッくらって発散したい。
年に一度か二度、ヤマノカミと一緒でもシカタネエから、
ひなびた温泉地で、せめて一週間くらいはのんびりし、
都会の慌ただしい喧騒から逃れたい。
ホンマ、やりたいことを考えれば次から次に出てくるのだ。
が、オノレの体は一つ、起きてる時間は平均16時間。
その限られた覚醒中に洗顔し歯磨いてだな、
爪を切ったり、耳垢とったり、クソたれたり…。
時々セセコマシイ風呂に入って頭も剃る。
もちろん出かける日には歩かにゃならんし、
電車に乗って居眠りし、
ずいぶん遠いところまで乗り越したりのムダもする。
そうそう、一日三度、メシにとられる時間もあるぜ。
 いやはや、やりたいことがたくさんあってキリもねえ。
これからは何かをあきらめ、何かに絞って生きていく…、
そういう知恵が必要だし、
そういう歳になったのだとつくづく思う。
 ところでパソコンをあきらめると、
『オノレ日記帳』も終わっちまうことになる。
去年の六月から始めて悪戦苦闘、
ナントカ続けてまいりましたが…、
ここで終わらすのもチト口惜しいナ。
やっぱり今のところはアキラメないで続けよう!


  中国・韓国の 「反日デモ」
Date: 2005-04-19 (火)

 中国・韓国で反日の火が燃え上がっとるナ。
オノレはこのところ哀しくやるせない気持ちで、
そのニュース映像を見とるんだが…。
 太平洋戦争中の日本がアジアの近隣諸国に対して、
大変ムチャクチャなことをしちまった事実を、
それからわずか60年後の今、
昔々のお話にしてチャラにはできんぞ。
ところがその歴史的事実を、年々日本の教科書では、
削除したりボカしていくような現実がある。
首相をはじめ多くの大臣・代議士は、
性懲りもなく靖国に参拝するし、
首都の知事も右翼顔負けの過激発言を繰り返す。
 一方、ニュースでの知識だが、
中国や韓国の教科書では、
そのムチャクチャな大日本帝国非道の歴史を、
そうとうのページ数を割いて記述し、
若者の頭に徹底的にタタキこんで教育しとるようだ。
この国と国の、政治・教育の落差はデッカイ。
「ドエライコッチャ」と、オノレには思える。
このままではアジアの平和は風前の灯だぜ。
 ところで、今の中・韓「反日デモ」騒動で、
オノレは過激なナショナリズムの恐さを改めて感じるナ。
暴力的デモ行動は許容できんし、
それは日中・日韓の関係をますます悪化させるだけであろう。
中・韓の人々の、日本に対する怒りの根源にあるモノを、
我が大和魂の人々から「非国民」とお叱りをうけても、
オノレは「イタシカタナイ」と理解したい。
が、そのうえで彼らが叫ぶ「愛国」とか、「小日本」とか、
インターネットでの剥き出しの日本憎悪には、
言葉にならん不気味な恐怖を感じてしまうんだよナ。
かつて軍国日本の我が国民も、
確か似たようなことを叫んで他民族を侵略、
蔑視したのではなかったか?
そんな雰囲気と同質の臭いを嗅いでしまうんだが…。
まるで見当違いなのであればオユルシアレ。
いずれにせよ、国を愛し、民族を愛する心を否定はせんが、
余りに偏狭、熱烈なナショナリズムは紛争の火種になる。
 今や我が国のトップもシモジモも、
おおよそ戦争体験のない人間がこの日本社会をつくッとる。
我々戦争を知らない「ワカモノ」は、
過去の忌まわしい自国民の歴史を、
ジイさんの代、親の代のこととして忘却はしたい。
しかしその振り返りたくない歴史をチャント認識し、
他国の批判を謙虚に受けとめる姿勢なくして、
近隣諸国と真の平和共存もできんし、
価値ある文化交流も生まれんだろう?
昨今、憲法改正の流れにひたすら突き進む、
我が日本の現状を見やりつつ「反日デモ」を見ていると、
このタリナイ脳ミソがさらに乱れて、
どうも気が重くなるばかりだナ。
 太平洋戦争から、まだ半世紀とわずか10年。
抑圧され、殴られ、いたぶられた側は、
その歴史を子々孫々まで語り継ぐであろう。
その痛みを簡単には忘れんだろう…。
 ところでオノレが20代ソコソコの頃、
芝居のナカマと泥酔のあげく喧嘩となり、
信濃町のホームから線路の上へ突き飛ばされた。
幸い電車がこないでタスカッタが、
40年たった今でも突き飛ばしたヤツの顔をオノレは忘れん。
あのとき電車がきていたら…、そう思うとゾットする。
アラ、中・韓の「反日デモ」と、余り関係ナカッタカ!


  劇団東演 「フィラデルフィアへやって来た!」
Date: 2005-04-17 (日)

 紀伊国屋サザンシアターで、劇団東演公演、
「フィラデルフィアへやって来た!」を観劇。
 久しぶりに途中でコックリしてしまい、
一緒に観にいったヤマノカミにドッ突かれてオドロイタナ。
 アイルランドのムツカシイ芝居ではあったが、
それにしても演出の鵜山仁氏は、
ドナイ真面目にこの芝居の稽古に取り組んだのであろうか?
先月観た新国立の鵜山演出「花咲く港」の面白さに比べ、
同じ演出家の芝居とは思えんほど、
あまりに出来の落差の激しい舞台であった。
今日の粗雑で首を捻る劇的展開に、
オノレはずっと首を捻りつつ、
終にそのままイビキをかきそうになッちまった。
 次の新国立劇場の芸術監督に決定したという鵜山さん。
アチコチ演出を頼まれてお忙しいのではあろうが、
例え地味な劇団の公演であっても、
引き受けた以上、それなりチャント演出してもらいたい。
新国立の客も、東演の客も、
共に貴重な時間とゼニを費やして観劇しとるのでアリマス。
 さて、オノレの八月公演も、
今日のオノレのごとき感想をお客様から頂戴せんよう、
心して稽古に取り組もう!


  葉桜からのメッセージ
Date: 2005-04-15 (金)

 今年の元旦から、オノレは声優分野のマネージメント一切を、
「メディアフォース」という若々しい事務所にお願いして、
(一応、有限会社であります)仕事をしとる。
で、改まって「アリガテエナ」と思うのは、
この若きスタッフの方々の、
オノレに対する並々ならぬ気配りと努力である。
ま、ひん曲がった見方をすれば、
そがいに並々ならぬ努力と気配りを、
彼らがこのワガママなオノレにしてくれるッてえことは、
如何に今のオノレが、
「歳をクッチマッタカ」てえ証でもあるのかも知れん。
しかし例えそうであったにせよ、
自分で言うのもオコガマシイが、
この若き仲間は、チビット、イタワリの念まで抱いて、
日頃、このオノレに接してくれとるような気がする。
で、かように大いなる気配りの中、
仕事のスケジュール管理、芝居との調整、ギャラ交渉等々、
実に煩雑、骨の折れるモロモロのことを、
彼らの精一杯の力でしてくれとる。
お陰でオノレは声優としての仕事、役者としての舞台を、
今も、この先も、
たぶん、心置きなく安心して出来るてえことだわな。
 さよう、この有難き若きスタッフから、
オノレはいつまでも「アイサレ」、見棄てられんよう、
なるたけ努力せにゃならんわい。
できれば死ぬまで共に仕事をせにゃならん…と、
イマは心から思っとる。
ま、それほど長い余生でもねえような気もするんだが…。
「メディアフォース」の皆々様、
改めてホントウニヨロシクネ!
 へへへ…、本日の日記は、オノレが所属する事務所の、
これから満開になる若き仲間に「アイされんがため」、
今にも散りそうな葉桜からの私的メッセージ。
このページをのぞきにきた多くの方々にとって、
あまりオモロくもクソでもないナカミかもしれん。
 どうかオユルシアレ。

   己が身も葉桜になる兆しあり   (麦   人)


  青年座公演「妻と社長と九ちゃん」
Date: 2005-04-14 (木)

 昼、紀伊国屋ホールで青年座公演、
「妻と社長と九ちゃん」を観劇。
 前半、チト芝居の雰囲気に乗れない、
妙な違和感があって心配しながら観ておったが、
いつの間にかオノレはグイグイ芝居の中に惹きこまれ、
終わりのほうではポロポロ男泣きしちまっていた。
このところ妙に泣かされッちまう好舞台が多いぜ。
 この芝居も筋立てはとりたて変わったものではない。
たぶん中小企業の文房具会社・社長親子と、
その社員たちの世代交代劇を軸に、
社長の内縁の妻が絡んでイロイロ揉めたりドタバタする。
ま、よくあるパターンのお話なんだが、
人の弱さ、狡さ、強さ、賢さ、愚かさ、モロモロが、
オモシロ・哀しく巧みに書き込まれとるから、
オノレのごとき俗物な輩にとっては、
オソロシクなるほど説得力がある。
つまり登場人物たちの人間臭い喜怒哀楽に、
オノレの弱さ、狡さ、愚かさが重なるから、
他人事ではなく、つい共感しちまうんだナ。
 ラッパ屋という集団を率いる鈴木聡という人の作品。
この人、ナカナカの書き手であるとオノレは思った。
とくに、社長と共に時代遅れの愛すべきダメ課長が、
古き良きモノの大切さを訴えつつ、
憲法改正という今の流れの危うさを叫ぶ、
その台詞の逆説的、演劇的主張は実に見事だったぜ。
憲法九条をスバラシイと思っとる「守旧派」のオノレは、
とにかく腹の底からスカッとしたナ。
 役者も皆好演して頑張ッとった。
オノレモ、ボケーット、シトレンワイ…!。


  CSスーパーチャンネル 「スタートレックまるごと20時間!!」艦長・座談会
Date: 2005-04-13 (水)

 CSスーパーチャンネルで、5月3日〜5日の3日間、
「スタートレックまるごと20時間!!」という、
スタトレファン必見の特別企画番組が放送される。
で、その番組の合い間、チョコッと流すらしい、
5つのシリーズで艦長や船長の吹替えをした声優、
五人全員が集まっての座談会を本日収録。
吹替え収録時のエピソード、
そりぞれの役への想いなんぞを、
およそ2時間にわたり、
それぞれがそれぞれの艦長・船長に気を配りつつ、
まことに和気藹々と語り合った。
 さて、オノレはどないことを語ったか。
スタートレック史に残るような、
ファンの方がビックラこくようなことを喋りたかったが、
そういう材料がなく喋れんかったナ…、まことに残念。
それでもあまり美しくないこの面さらして、
偉大なピカードさんの名を汚さぬよう、
オノレなりに努力し、マジメに語らせていただきました。
 興味のある方は、
本編のオツマミくらいの気分でごらんあれ。


  エースコックワンタンメン
Date: 2005-04-12 (火)

 40歳〜45歳くらいの頃、
オノレは毎日のように即席ラーメンを食った。
とくによく食ったのが「エースコックワンタンメン」。
今、その食った量を冷静に数えると空恐ろしくなるナ。
たいてい飲んだ後、寝る前に夜食で食ったんだが、
モロモロ事情があって貧乏しとったから、
三食・即席ワンタンメンてな日もしばしば。
あの防腐剤で、この体がよく腐らんかったぜ。
防腐剤なんだから腐ることはねえのか?
 で、この防腐剤入りワンタンメンを、
いかに自己満足して食うかオノレは研究したネ。
 まず鍋に多めのお湯を沸かし、沸騰したところで、
スープの粉末調味料を入れ、よくかき混ぜる。
それから発泡スチロールドンブリの紙蓋をひっぺ返し、
麺とワンタンを放り込む。
一つでは量が足りんので、さらにもう一つ放り込む。
麺をよくほぐした後、贅沢できるときは生卵を一個落とす。
少し弱火にして綴蓋をし、キッチリ5分待つ。
ここが重要なポイントで、3分ではなく5分マツノダ。
その間、ホンモノのドンブリにバターをタップリ入れておく。
5分丁度で鍋蓋取って、
ワンタンメンをスープごとドンブリへ移し変える。
これでオノレ流、バターワンタンメンの出来上がり。
指定より2分も長く茹でたおかげで、
スープをたっぷり吸った麺はボリューム満点。
まるでコシのないヤワラカ麺になっちまうんだが、
スープの味がよくしみこんで、
ヤワラカ好きのオノレにとってはええ塩梅。
多めにお湯を入れてるのでスープもチャント残っとる。
そのスープでバターをよく溶かしてから口に放り込む。
いや、うめえのなんのって…、
ホンマ、思い出すとヨダレが出てくるほど懐かしい。
 それにしてもあの頃、なぜこんな即席ワンタンメンが、
中毒かと心配するほど美味く感じたのか?
ヤマノカミと一緒になって全く食っとらんから、
その答えも今ではハッキリしない。が、あれはともかく、
「ドン底暮らしでないと作れない最高の味」ではなかったか…。
何となくそんな気がする。
 さて、最近のオノレは、
即席ラーメンをタマに食うと必ず下痢をしちまうんだな。
あの頃、あれほど食っても下痢なんぞ滅多にしなかった。
そうか…。ひょっとするとヤマノカミと暮らし始めて、
オノレの胃はすっかり軟弱になッちまったのか?
彼女のキチンとした性格のおかげで、
オノレは既に十数年、マジメに、安定した食生活を送っとる。
しかし必ずしも、かようにマジメな暮らしが、
心身健康な体をつくるてえわけではなさそうだ。
「そう…。だったらアタシと別れて、
即席ワンタンメン暮らしにもどってみる?」と、ヤマノカミ。
「イヤイヤ、トンデモナイ。オノレハ今ノ暮ラシニ、
心カラ満足シテオリマスデス…ハイ。」
 ところで「エースコックワンタンメン」てえのは、
今でもまだケンザイかい?
どうもスーパーやコンビニで見かけねえんだがなあ…。

(追記)
インターネットで検索したら、
「エースコック・ワンタンメン」ケンザイであった!
しかしドンブリのデザインは、
オノレが食いまくった頃とずいぶん印象が変わッとったナ。
いずれにせよ、下痢してもかまわんから、
近々食ってみたくなったぜ!


  記憶力
Date: 2005-04-11 (月)

 この24日、秩父演劇観賞会の主催で、
「アカシアの町」を公演する。
オノレにとって半年振りのアカシヤ…。
で、半月ほど前から、声の仕事や「象」の準備をしつつ、
その隙間を縫って稽古を始めた。
半年振りでも恥ずかしい舞台にしてはならん、
前回の公演よりチットでもいい舞台にせにゃならん…と、
そう思いながらの稽古である。
 ところがいざ稽古を始めてみると、
初演からずいぶん稽古もしたし、
公演回数も重ねた演目なのに、
オノレの脳からすっかりトンズラしている箇所が随分ある。
この「記憶の衰退」を目の当たりにして、
オノレはオノレの肉体的限界、
今後、ますますひどくなるであろう記憶力の限界に、
「よんどころのないことだ」と思いつつ、
やはりオロオロたじろぐ。
この切ない自己認識の事実を、
オノレはどないに克服すればよいのか?
その答えは一つだけであった。
「記憶力の衰退ペースに勝る量の稽古をするしかない」、
てえことである。
 10年前、一日で憶えた台詞が、
今ではたぶん三日かかる。
五年後は一週間もかかることになるであろう。
 いやいや、そんな努力をせんでも、
台詞を忘却しないウマイ手があった!
へへ、それはですネ…。
余り時をおかず「アカシアの町」や「タイチャン」を、
全国アチラコチラの方が招いてくれて、
常に上演し続ける…てえことである。
が、やはり世の中、そう甘くねえから、
タマにお声がかかる度、真面目に稽古をするっきゃねえか。
 ハテ…、オノレはいったい何を言いたいのだ!


  金婚式
Date: 2005-04-10 (日)

 およそ35年ものお付き合いのあるご夫婦が金婚式を迎え、
池袋の居酒屋でささやかなお祝いをした。
昔々、オノレはこのご夫婦に一方ならぬお世話になった。
今年70半ばを過ぎたお二人は、
今、決して安楽な境遇とはいえない。
が、長い歳月の辛酸を、
まさに一心同体で乗り越え生き抜いて、
その絆はコチトラの想像では及びもつかぬほど太くて強い。
半世紀もの人生を共に過ごしたというだけで、
オノレにとっては尊敬に値するオドロキである。
しかもお二人は、一昨年まで喫茶店を経営し、
そこで共に働き、ほとんど24時間、
離れる時のない毎日であった。
 さて、オノレとヤマノカミの「共同生活」も、
かれこれ16年ほどになるようだが、
正直、銀婚式まで生きていられるかさえ自信がナイ。
金婚式という日を無事迎えるには、
オノレが94歳になるまで、
共に健康、かつ離婚しないで生きにゃならん。
これはたぶん九分九厘不可能なことであろう。
 そういえば、我が家のマンションローンは、
オノレが93歳になるとメデタク完済するのであった!


  アニメ新番組・交響詩篇 「エウレカセブン」
Date: 2005-04-07 (木)

 夕方から、4月17日より毎週日曜日の朝7時、
TBS系で放送されるアニメの新番組、
交響詩篇「エウレカセブン」第4話の音声収録。
オノレはこの第4話から登場する“三賢人”の一人、
ブラヤという役である。
まあ、第4話に出るとしばらく出ないし、
それほど出演回数は多くないのかもしれんが、
チト不気味で面白くなりそうな役ではある。
 音声収録開始前に、完成した第1話を見ることができた。
正直、ロボ音痴なオノレではあるが、
そんなオノレのハートに第1話の画面は、
「ズドン」と強いインバクトを与えてくれたぜ。
で、2話・3話と続けて見たいと素直に思った。
関係者は、「機動戦士ガンダム」を超える意気込みのようだが、
何となく多くの若者の心をシッカリつかみそうな気がする。
 オノレもスタッフの意気込みに応えて、
ブラヤ登場のときは、チャント声を当ててガンバロウ!

    「エウレカセブン」HP
  http://mbs.jp/eureka/index2.html


  冬眠を終へて出てきた蛙
Date: 2005-04-05 (火)

 草野心平・晩年の詩に、
「冬眠を終へて出てきた蛙」というのがある。

   冬眠を終へて出てきた蛙

両眼微笑。

 たったこれだけの詩である。
すでに自分のそう遠くない命の終わりを、
強く自覚していたであろう作者が、
水温む季節に目覚めて地中から出てきた蛙の生の歓喜を、
羨ましくそっと見つめているようにも感じる。
あるいは、これで最後になるかもしれない春を迎えた作者が、
「今年も四月の暖かい陽射しを浴びることができた」と、
その心境を一匹の老蛙にたくし、
微笑みながら謳いあげているような気もする。
 詩人・宗左近さんによると心平さんは、
「これが僕の、たぶん最後の蛙の詩になる」と言ったそうだ。
 この作品は、詩集『植物も動物』の中にある一篇だが、
この詩集は1976年に刊行されとる。
亡くなったのは1988年だから、
この詩集刊行から干支一回りも心平さんは健在であった。
 オノレはまさに晩年の1986年の夏、
福島県川内村の「天山文庫」へ心平さんを訪ねた。
短い時間ではあったがお話しさせていただき、
その場で「ごびらっふの死」の上演許可をいただいたのである。
で、 心平さんがオノレに語った一言。
「ボクの蛙の詩は、子供が朗読すると一番いいんだ」
 詩人・草野心平、85歳の大往生。


  家路をいそぐ
Date: 2005-04-04 (月)

 夜八時、仕事が終わる。
そそくさと家路をいそぐ。
仕事場から、JR総武線、
信濃町駅ホームまで歩いて6分。
着くとすぐ電車が入線。
「待ち時間なし!」
 乗り換えの新宿で下車。
同時に向かいのホームへ、
乗り換える山手線の電車が滑りこんで来る。
「待ち時間なし!」
 高田馬場駅で下車。
プラットホームの階段を二段づつ上って、
高架橋の通路を足早に渡り、
西武線のホームへ出る。
到着しとった急行にギリギリセーフ!
「待ち時間なし!!」
 動き始めた西武線の車掌が車内アナウンスで、
「駆込み乗車は危険ですのでお止めください」と、
たぶんオノレを叱りつける。
 叱られたが、まあ今日のオノレは、
時間のムダなく乗り継げてまことにツイトル。
で、ムダなく最終下車駅にツクため、
猛然と瞬発力をつかったオノレは、
ハーハー・ゼーゼー息を切らして、
少し蒼ざめた自分の顔を何となく自覚しつつ、
西武線の吊革をヨタヨタ掴んだ。
それから少し理性をとりもどし、フト思ったネ。
「近頃のオノレは、いい歳こいて、
何ゆえこげに焦って一目散に、
ひたすら家路をいそぐのであろうか…?」と。
 およそ20分、
オノレは西武線の暗い車窓を眺めつつアレコレ思考し、
オノレなりに正解と思える答えをボンヤリ導き出した。
が、それはこのHPで公表するには、
チト恥ずかしい答えのような気がするから、
残念ながら公表するのはヤメテオキノス。
 え? そりゃもう、その答えに興味のある方は、
ご自由に、その人なり好き勝手に、
オノレのケツロンを推量してくれてカマワンノデス…。
オノレに白状しろと迫るのだけはゴメンクダサイ!

(追記)
 早速友人から、
「ソンナニハヤク、カミサンノカオガミタイノカ?」と、
ご親切な電話を頂戴。
「ソウイウコトハ90%、ア、ア、アリマセン!」


  アニメ 「ハチミツとクローバー」
Date: 2005-04-02 (土)

 夕方から、4月14日(木)放送開始のアニメ、
「ハチミツとクローバー」の音声収録。
 美術大学に通う学生数人が主人公の、
青春恋愛アニメてえところかな?
甘酸っぱく日々揺れる若き青春の心。
詩情たっぷり、繊細で淡い、ナカナカ面白いアニメです。
 オノレの役は庄田という陶芸教授。
毎回登場せんし、登場しても今のところほんのチット。
ま、若き青春群像の甘酸っぱい魅力をより際立たせる、
チョイと臭い、ニンニク調味料のような役どころですかネ。
 ライブドア…ではななく、フジテレビで、
毎週木曜・深夜24:35分から放送するそうです。

     「ハチクロ」アニメ・公式サイト
      http://www.hachikuro.net/


  寺田声・作詞 「櫻の五線譜」
Date: 2005-04-01 (金)

 小平のソメイヨシノはまだ咲かない。
ところで毎年櫻の季節になると、
オノレの頭に必ず浮かんでくる歌がある。

  そんなにもあなたはやすらぎを求めていたのか
  そんなにもあなたは眠れない毎日だったのか
  雨の日も凍る雪の日も街角に立ち
  微笑を顔に浮かばせて人波を眺めていた
  木枯らし吹くようなアパートで
  紅いルージュのままでひっそりと
  陽炎のように遠い国へと逝ったあなたよ

  幸福(しあわせ)をあなたにあげる日を心に描いて
  その日まであなたに逢うまいと心を鬼にした
  ときとしてつのる淋しさを山脈に棄て
  泥となり汗にまみれて働きつづけてきた
  工事現場の片隅で
  あなたの名前をくり返し
  ガラスのようにもろく崩れた僕の明日よ

  あなたから届いた最後の手紙
  涙の滴も匂いもなく
  櫻の花の咲いた知らせが書いてあるだけ…

 ずいぶん昔、郷ひろみが歌った、
「櫻の五線譜」という曲の作詞である。
実はこれ、恥かしながらオノレが作詞したのであった。
1976年12月に「街かどの神話」という、
LPレコードの中におさめられておる。
インターネットで調べると、
1991年9月にCDでも発売されとるナ。
そういえばCDの印税は受け取ってない。
果たしてどないになっとるんじゃろ。
ダメモトで、ジャスラックに問い合わせてみようかネ?
 さて、なぜこんな作詞をするハメになったのか。
オノレが31歳くらいのとき、
たまたま役者で、作曲もしとった友人の紹介により、
ソニーの某音楽プロデューサーと知り合いになった。で、
「郷の新しいアルバムで、娼婦の世界を歌わせたい。
これまでの郷と一味ちがう歌を創りたいので、
ひとつ書いてみませんか?」と、もちかけられ、
その気になって、チト真面目に書いたら、
もう一つ作詞した「青いサンダル」という歌と共に、
ナ、なんとビックラ採用されちまったのである。
 本名で作詞家デビューするのが照れくさく、
あれこれ思案して寺田声というペンネームをつけた。
で、その頃、これが爆発的にヒットしたら、
「おそらくアチコチから作詞の依頼がバンバンくる。
この名前でシコタマ稼いでやるべえ…」と、
アサハカにも思ったのであったが、何々捕らぬ狸の皮算用。
その先どこからも作詞の依頼なんぞまるでなかった!
寺田声という作詞家は、
阿久悠・中西礼のごとき売れっ子になることもなく、
一瞬可能に思えた大いなるオノレの野望も、
「ガラスのようにもろく崩れた僕の明日よ」てえ、
昔々のオハナシでした。
 さよう、そのころイロイロ書いたオノレの作詞を、
ヒッソリコソコソ読み返すときがある。
それはまことに小ッ恥ずかしいレベルで、
世間に公表できるような作詞ではトテモナイ。
 売れっ子作詞家への転身をあきらめ、
それほど華々しい役者にはなれんかったが、
好きな役者の道を歩んできて、「ホントニ、エガッタ!」