オノレ日記帳

2005年7月の記録



  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-31 (日)
「象」の衣裳を担当し、
死体役も務める川村勇太君のオヤジが広島から上京、
稽古を見学してくれた。
稽古終了後、三時間ほど愉しい飲み会。
オノレは車だったのでウーロン茶。
イロイロ貴重な意見を頂戴しハゲマサレタ。
 今回「象」演出の伊藤君も飲み会に参加。
彼も広島の人間だから話は大いに弾んだ。
 被爆地・広島の人には、
その土地で育ち暮らす人ゆえに理解できる、
被爆地・広島の問題や状況がある。
オノレが頭だけで理解しようとしてもナカナカつかめない、
広島の複雑な状況が…。
我々はその壁を越えて、広島や長崎の人が観ても、
熱い拍手をしてくれる「象」の世界を創らねばならん!

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-29 (金)
 当たり前のことだが、相手役との関係をしっかり創ってこそ、
ドラマは面白くもなりつまらなくもなる。
自分の役しか見えずに演技をすれば、
オソロシイ一人芝居になりかねん。
オノレの病人役は長台詞も多いし、とにかくよく喋る。
しかし常に相手がいて「会話」しているのだ。
また相手役が喋っているときも、
それをシッカリ受ける演技をせにゃならん。
この関係がうまくいくほど舞台は生き生きと展開する…、ハズダ。
 オノレの妻役をする森田育代さんの、
相手役を受ける芝居は見事である。
短い台詞で、相手の台詞を聞いていることばかりの妻役は、
役者としてかなり難しい役どころなのだ。
しかし彼女のしっかりした受け芝居により、
相手役はより生き生きとし、妻の役もより見えてくる。
 オノレも相手役と投げて受ける「キャッチボール」を、
残された六日間の稽古で、さらにしっかり創らにゃならん!

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-28 (木)
 昨夜は稽古終了後、いよいよ迫ってきた初日に向けて、
関係者一同さらに結束し、よりよい舞台を目指すため、
稽古の「中入り飲み会」。
 その宴席でブッた、オノレの挨拶。
「プロデューサーとしては、
お客様に、自信をもって観劇をお願いできる、
恥ずかしくないレベルの舞台になってきたと思います。
残された一週間、皆さんそれぞれに、
精一杯チケットを売る努力をオネガイ致します!」
 それにしても今回参加してくれた方々のチームワークは、
とても寄せ集めとは思えんほど素晴らしい。
老いも若きも、各自の創造的役割を果たすため、
真摯に生き生きとガンバッている!
 役者のオノレも皆さんにオイテケボリされんよう、
さらに生き生き病人役と格闘しよう。
 プロデューサーとしてのオノレは、
頼もしい関係者一同の愉しげな表情に勇気づけられ、
嬉しさで胸いっぱいの飲み会であった。

  馬耳豚鼻公演 「父と暮らせば」 (作・井上ひさし)
Date: 2005-07-25 (月)
 昨日の日曜日マチネー、
来月オノレが公演する下北沢OFF・OFFシアターで、
友人・辻親八君が出演する、作・井上ひさしの二人芝居、
「父と暮らせば」を観劇。
同じ被爆者の話であり、劇場の下見をかねて、
「象」の出演者がほぼ総見。
 それにしても演出がヒドイ。
二人の役者が本来もっている良さをまるで生かしてない。
オノレは好漢・親八君を心から気の毒に思った。
 戯曲の解釈・演出、創造の仕方はいろいろあってもよい。
しかしこの演出は、その解釈も、舞台の創りも、
あまりに身勝手でズサンというほかない。
まるでモノローグ芝居かと錯覚しそうなほど、
暗く沈んでテンポのない、「幽霊」のような台詞。
素人のような照明。3回もの長〜い暗転。
その暗転や劇中でやたら流れる音楽やSE。
極め付きに芝居のラスト、
♪はるかな尾瀬 遠い空…。
(夏の思い出)が聞こえてきたとき、
オノレは思わず我が耳を疑り苦笑しちまった。
 オノレは辻という役者が大好きである。
だからこそ、こんなイイカゲンな演出で、
彼本来の表現能力が圧殺され、
貴重な時間と金を注ぎ込んでしまったのかと思うと、
チト彼が気の毒であり残念である。
余計なお世話かも知れんが、
無責任なその演出にイカリさえわいてくる。
次に彼と会ったとき、
オノレはどう今回の芝居について語り慰めればよいか…、
多分、言葉にツマルな。
(そうそう、娘役が「岩手軽便(けいべん)鉄道」を、
ケイビン鉄道と言ッとったが、昨日だけの間違いかい?
それともケイベンが誤りなのか、早速調べよう!)
 さて、来月はオノレのプロデュース公演「象」が、
お客様のオソロシイ観賞眼に耐えにゃならん。
「父と暮らせば」観劇後、夕方から通し稽古。
受付を手伝ってくれるコワイ観賞眼の女性たち五人が、
はじめて稽古を見学。
悪くない評価をいただき大いに勇気づけられた。
もちろんヨクナイところも指摘され、
今後の稽古のタメにもなった。
この先、関係者以外の人がチョコチョコ稽古見学にくる。
そういう方の曇りのない率直な意見は、
なかなか客観的になれない我々にとって貴重である!

  被爆少女の手紙
Date: 2005-07-24 (日)
 7月22日の朝日新聞・朝刊の記事。
広島で被爆死した13歳の少女が、
飛行兵に送った慰問袋の手紙が掲載されとった。

 兵隊さん 御元気ですか 
このお人形は「美由紀(ミユキ)」ちゃんとい言ふ
かわいゝお人形です
お人形さんをかわいがつてやつてください 
このお人形は 兵隊さんといつしょに特攻隊に行く事を
喜んでまつてゐます 新聞やラジオの大戦果を聞くたびに
私わ とてもうれしくてうれしくて胸がわきあがります
このごろは何もかも にくい米英を
いまにも打ち落としそうなかつこうをしてゐます
兵隊さんもどうか御安心ください
 兵隊さんへ 美由紀より さようなら

 痛々しい手紙だ。
阿呆なヤツラがはじめた戦争の、
正義を信じて書いたであろう純粋無垢な少女の心。
オノレの胸は痛ましさを感じ、この目頭が熱くなる。
 オノレは、原爆を落とす決定をした米政府を決して許さん。
被爆につながる戦争を始めた大日本帝國政府も絶対許せん。
少女を殺したのは当時の米・日本の政府である。
その日本政府の戦犯が靖国神社に祀られている。
そして小泉をはじめとするオカシナ政治家連中が、
毎年この神社に臆面もなく参拝しておる!

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-23 (土)
 いよいよ稽古日数だけで言えば、
残すところ10日しかない。
20日ほど経てば千秋楽の打ち上げの席で、
多分ヘベレケになっとる。
で、その翌日からは来年の公演をどうするか、
オノレの頭はアレコレ考えはじめるだろう。
 昨日の通し稽古で、
我々が創る「象」という芝居のカタチが、
立体的に見えてきたように思える。
ここにきて男役の蓮池龍三君が一皮剥けてとてもよくなり、
こちらもウカウカできなくなったワイ!
くそッ! オノレもあと一皮、二皮、何皮も剥けて、
病人役の真髄を極めねば…!!
 さよう、創造という太陽の光をサンサンと浴び、
「ケロイド」になった古い皮を剥いて剥いて、
ついにスッポンポンのオヤジになって、
本番の舞台に立ちたい!

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-21 (木)
 ホンマ、芝居の創造過程というのは、
果てしなく連なる峠越えをするようなものである。
一つの峠を越えてホッとする間もなく、次の峠が立ちはだかる。
で、一つの峠を越えるたび、
峠越えはますます嶮しい難所となってくるのだ。
今日、オノレの眼前に現れた峠は、
ここまで越えてきた峠よりかなり厳しい!
が、悲観はしとらん。
越えてきた峠を振り返れば、
一歩一歩、確かにオノレは前進していると信じられるから!

  「象」の若者たち
Date: 2005-07-20 (水)
 今回の「象」のスタッフ・出演者には、
二十代の若者が五人いる。
そのうち3人は、初めて舞台創りに参加しているのだが、
この若者たちがお世辞抜きに、
それぞれ素晴らしい役割を果たしてくれとる。
とにかくその真摯で懸命な姿には、
さすがのオノレも心打たれ、頭を垂れる。
チラシの折込・パンフレット作り・プロンプ・代役、
etc…。
経験の浅い彼らにとっては決して楽な日々ではなかろう。
だが今のところ、オノレは彼らの泣き言一つ耳にしとらん。
彼らの中には稽古が終わると、
深夜のバイトにいく者もいる。
だがオノレは稽古場で、彼らの欠伸さえ目撃しとらんナ。
オノレは時々しとるんだが…!
彼らは女性をのぞいて全員舞台に出演する。
担架を担いだり、ベットを運んだり、死体になって。
女性も公演中、場内整理やアナウンスをする。
 オノレは彼らの姿を見て思ったナ。
日本の若者にもイロイロいるのであろうが、
「象」の創造に参加しているかような若者が大勢いる限り、
この国の未来も決して暗くない!

  音響効果
Date: 2005-07-19 (火)
 昨日、梅雨明けしたらしい。
「象」の稽古もいよいよ熱くなるだろう。
 今日の稽古から「音響」が入る。
当たり前のことだが演劇にとって音響効果の役割は、
照明・美術・衣裳などと共に疎かにできない。
そのプランによって劇的密度はより濃くなるし薄くもなる。
で、芝居の音響効果はあくまで舞台と一体化せにゃならん。
舞台と遊離し独自にパフオーマンスしてしまうような音はアカン。
オノレは音響効果の多い舞台はどちらかといえば好みではない。
最小の音で最大の効果を…が、ベストだと思う。
 さて今回「象」の音響効果はどうなるのか?
担当の小原木克郎氏とは初めてのお付き合い。
飲んで話すと深く芝居を考えとるし、
オノレのハートにフィットしてくるオモロイ御仁。
キタイデキルゼ!

  ついにオノレも…!?
Date: 2005-07-18 (月)
 最近「モノ忘レ」する傾向が多くなったと自覚する。
ついにオノレも「ボケ」てきたのか…。
ま、昔からボケとったような気がしないでもないが。
 オノレは毎朝ヤマノカミ特製「ヨーグルト」を食べとるんだが、
それをヤマノカミにオネガイするとき、
「ヨーグルト」と言おうとしても、
どうもスンナリ言葉が出てこん。
ヨーグルトのイメージが頭の中にはしっかりあるのにさ。
で、なぜか間違って「マヨネーズ」といってしまうんだよな。
え? なぜ「ヨーグルト」が「マヨネーズ」なんだ!
何となく似ているような気もするが…。
 ほんま、チト不安で恐ろしい、
最近のオノレのオテンテンなのである。

  稽古休みの日曜日
Date: 2005-07-17 (日)
 今日は「象」の稽古休み。
新宿シアタートップスへグリングの公演、
「カリフォルニア」(作・演出/青木豪)を観にいく。
青木豪はここ数年、精力的に充実した創造活動を展開している。
オノレはこれまで彼の舞台を二本ほど観とるが、
なかなか面白かった印象がある。
 マチネーで芝居を観てから、夜は飲食店二軒をハシゴする。
「象」の宣伝活動を兼ねて、飲み過ぎぬよう飲むツモリだ。

  ピータープルックの言葉
Date: 2005-07-16 (土)
英国の演出家・ピータープルック
「秘密は何もない」(早川書房)から。

 凡庸な芸術家は危険を冒したがりませんが、
だからこそ型にはまっているのです。
型にはまった俳優は自分の仕事を封印しますが、
封印とは防御的な行為です。
自分の身を守るために《構築》と《封印》をするのです。
自らを開くためには、壁を壊さなければなりません。

 観客に気に入られたいと思っていると、
笑いによってうまくいったという確信が得られ、
その結果、笑いをとることにどんどん集中していって、
ついには真実やリアリティや創造性とのつながりは、
どよめきの中に溶けて見えなくなるのです。

 観客とは本来反抗的なものですから、
私たちは観客の興味のレヴェルをかき立てたり高めたりするものを、
たえず探し求めねばならないのです。

 演劇は退屈であってはなりません。
それは因習的であってはなりません。
それは意外でなければならないのです。
                       (一部省略)

 『象』の舞台は、オノレの演じる病人は、
かような創造的闘いの中で稽古をしているであろうか!?
オノレはまちがいなく凡庸な役者だからなあ…。 

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-15 (金)
 昨日の稽古で、オノレが手探り状態であった役の形象を、
演技として具体的にどう表現すべきか、
基本的につかめたような気がする。
これからはこのつかみとった表現に磨きをかけ、
細部のデティールをていねいに埋めつつ、
病人役を生き生きと立体化せにゃならん。
 具体的表現がつかめてくると、発声まで楽になってくる。
悩み迷いつつ発する声にはムリが生じて声帯が疲れる。
 稽古終了後、一つの大きなトンネルを抜けたような爽快感があって、
オノレは心地よい疲れに満たされながら家路についた。

  小屋の条件
Date: 2005-07-13 (水)
 「象」の初日まであと20日。
OFF・OFFシアターの舞台に立つ日が容赦なく迫ってくる。
 OFF・OFFシアターはまことに小さい。
客席は狭いし、舞台も狭くてオソロシイ。
楽屋はさらに狭く、ナイにひとしい。
とにかく新国立劇場や東京芸術劇場の小劇場なんぞとは、
比較するのもイヤになるほど悪条件の舞台である。
だからオノレのようなヤツでも小屋代が払える。
しかし、チト負け惜しみをこめていえば、
こういう悪条件の小屋が発するカクベツの匂いや味がある。
また有能なスタッフに、この悪条件を克服してもらうべく、
その秘められた創造力を大いに発揮してもらう愉しみもある。
 この狭い舞台に、病人のベットを二つも置いたり、
リヤカーを出したり、人の出入りもいろいろあったり、
とにかく創り手の創意工夫が芝居の出来に関わってくる。
それはもう、今回のスタッフは知恵を絞って最善を尽くし、
ときにプロデューサーにボヤキながらもガンバットル。
 舞台創りは、小屋の条件によって大いに変わる。
固定概念に凝り固まっていては、いい知恵は生まれん。
ときに大胆な発想の展開、割り切り方も必要で、
局面によっては穴を捲る勇気さえあってもよい…と、
不自由な小屋を借りて公演せざるをえない、
「象」のプロデューサーはカッテに思う。

  露草
Date: 2005-07-12 (火)
 小平に来てからはや六年目になる。
以前住んどった東小金井のマンションは一階で、
狭いながらも専用庭があり、「土」の暮らしができた。
土に露草があったから、一部を鉢植えに入れ小平へ持ってきた。
毎年この時期、今のマンション五階のバルコニーで、
その露草は元気に花を咲かせとる。
 か細い茎に藍色のしおらしい花。
しかし見てくれのひ弱さに似合わず丈夫な花だよな。
 辞典を調べれば、若葉は食用にされ、
乾燥して利尿剤にも用いられるとある。
一年草で進化が速く、さまざまな生存戦略を使い分け、
環境に適応していく植物らしいから、
そりゃ強かで丈夫なわけだ!

  露草も露のちからの花ひらく  飯田龍太
      (俳句で「露草」は秋の季語。)


  みなさん、気をつけましょう!
Date: 2005-07-11 (月)
 芝居の稽古に無我夢中で毎日を過ごしていると、
新聞に目をとおすのも億劫になり、あまり時間をかけて読まない。
郵政民営化法案が衆議院で採決されたり、都議選があったり、
ロンドンで爆発テロがあったり、
イラクの状況はますます泥沼であったり、etc…。
ホンマ、世の中は相変わらず騒がしく危険に満ちてイヤになるが、
オノレの頭の中は今、「象」の創造でいっぱいである。
しかし、どない自分のことでアップアップしとっても、
やはりオノレの生きている時代の動きに鈍感になってはアカンぜ。
フツウの国民が、政治や社会に無関心になればなるほど、
フツウでない権力者や政治家は「オソロシイ」ことをする。
 みなさん、目をしっかり見開いて、
世の中の動きにくれぐれ気をつけましょう!

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-10 (日)
 役者として、27年振りに人と絡む舞台に立つというのに、
思えばオノレはドエライ作品と大役を選んじまったものである。
別役の「象」という戯曲の世界は、
稽古すればするほどオノレを慄かせる。
骨太で深い人の生き様を、
「オマエはどう形象化するんだい?」と、
オノレの病人役が暇さえあれば問いかけてくる。
今はこの首を真綿で締め付けられるような毎日だ。
しかし泣き言ばかり云うとれん。
こんなオモロイ作品のオモロイ役に挑戦できるオノレは、
ホンマ、役者冥利につきるのだ。
安くないチケットを買って観るお客さんのためにも、
オノレはプロデューサーとして、
お客さんがガッカリしない舞台を、
役者として悔いのない創造をせにゃならん。

 新宿・シアタートップスで、
クラクラ・プロデュース「相談にのってる場合か!?」を観劇。
中島淳彦・作で、オノレの大好きな役者、すまけいさんが出演。
それなり笑って愉しませてもらったが、
劇場を出てからの感動は…、なぜか薄い。
 「タッシャ」な役者さんが多く、勉強になった!

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-09 (土)
 昨日の稽古は芯から疲れた。
心地よい疲れではなく、ただ辛く重たい疲れである。
とにかくおよそ九時間、悩みっぱなしの稽古であった。
 オノレの病人役は長台詞が多いのだが、
ずっと独演・独談ばかりしてきた悪癖か、
どうも長台詞が「語り口調」になってしまうらしい。
演出からも、役者さんからも、
昨日はそのことを厳しく指摘された。
で、悩むのは、
オノレ自身は「語り口調」で言ってるつもりが微塵もなく、
客観的に聞いてる人になぜそう聞こえてしまうのか、
なかなか自覚できないこと。
 どうもこの悪癖の克服が、今、オノレにとって最大の試練だ。
胸突き八丁の日々が続く…。

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-07 (木)
 役者は演出をはじめ、仲間の意見に耳を傾け、
謙虚に己れの演技を検証していく姿勢が欠かせないと、
稽古をしながら改めて痛感する。
オノレではそのつもりで演じていても、
客観的な眼からはそう見えていない事実を、
謙虚な気持ちで受け入れねばアカン。
「その表現はダメだ」
「一人芝居になっている」
「あなたの言うように、観る側には見えてない」
「力みすぎる」ETC…。
 演出家からの次から次のダメ出しに、
ときにムカつき、冷静ではいられなくなったり、
喧嘩ごしの反論もたまにはしたくなる。
が、それを超えて、見えなくなっているオノレのダメな表現を、
「なぜダメなのか」このボンクラ頭がわかるまで、
自問自答を繰り返し稽古をせにゃならん。
さすれば必ず明るい光がみえてくる…はずだ。
 演出家や仲間のダメ出しは、
見えないオノレのダメな姿を映してくれる鏡である!

  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-05 (火)
 ようやくオノレの役、『病人』がどんなヤツか、
基本的キャラクターをつかめたような気がする。
しかしそれをここでバラしては、
観劇してくれる人の興味を削ぐかもしれのでヤメておく。
それに本番で、万一そのキャラクターを、
オノレがしっかり演じることができない場合、
アタフタいろいろ言い訳する破目にもなりかねん。
「オノレ日記帳」をのぞいてくれるみなさま、
本番の「象」の舞台でどない『病人』が現れるか、
ほどほどにご期待ください!



  加藤健一事務所 「ヒーロー」(作・アラン・エイクボーン)
Date: 2005-07-04 (月)
 昨日は下北沢・本多劇場で、
加藤健一事務所「ヒーロー」(作・アラン・エイクボーン)を観劇。
 かつて銀行を襲い、行員の美女の顔面に発砲し傷つけた男が、
服役後、今はテレビのカリスマ的人気スター。
その事件で果敢にも男の銃に立ち向かった男は、
事件後、冴えない行員から一転ヒーローになる。
が、すぐに忘れ去られ、その後、銀行も辞めて貧しい暮らし。
しかし恋焦がれた美女行員を献身的に見舞ったおかげで、
彼女との結婚を成就、それなり二人の幸福な日々を送っている。
そんな男二人の関係に目を付けたテレビレポータの女は、
自分の番組と知名度をパワーアツプさせるため、
二人の「再会」ドキュメンタリー番組をつくりはじめる。
そしてコメディータッチの捻りに捻った展開で、
ドラマは思いがけない最後となるわけだが…。
 およそ三時間、退屈しないで愉しませてもらった。
加藤健一も、飄々と人のよい平凡な役を好演。
オノレが観た彼の舞台の中では一番よかった。
オノレの大好きな大西多摩恵ちゃんも、
相変わらずしっかりした演技で、
客を吸引する魅力を紛々と発散させとる。
カリスマスターの上杉祥三はパワー十分のタッシャな演技。
レポーターの加藤忍もハイテンションの演技でガンバットル。
が、何かズシリと心に残るモノが薄いんだナ。
はたしてこれは脚本のせいなのであろうか?
演出の問題なのであろうか? 
オノレの芝居の愉しみ方に問題があるのか?
オノレにはどうもよくわからん。
とにかく面白かったのではありますが、
ただそれだけ…、という印象なのであります。
え? それだけで十分!
サイデアリマシタカ…。


  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-03 (日)
 あたりまえのことだが、『台詞』は読むのではない。
相手役との会話であり、ときに役の内なる思いの独白である。
それをそのような台詞として、生き生き客席に伝えるためには、
オノレの役の台詞を頭の中で探っていてはだめである。
すべての局面で、当然のごとく相手役と咬みあい、
生きた声になって発せられるよう、台詞を血肉化せねばならん。
であるからして、本読み稽古までは致し方ないとしても、
立ち稽古では、少なくとも自分の役の台詞を、
役者はしっかり頭に入れて参加すべきである。
立ち稽古になってもなかなか台詞を憶えず、
稽古しながら憶える役者さんも少なくないが、
それはオノレに言わせれば傲慢な姿勢である。
しっかり憶えた役者にとっては迷惑このうえない。
まして本番ギリギリまで台本が出来ないような新作ではなく、
すでに劇作家が過去に書いている完成台本を、
稽古開始の何ヶ月も前に渡されている公演であれば、
立稽古までに台詞を憶えていない役者は怠慢というしかない。
厳しくいえば、かような役者は芝居を『ナメテ』いる。
 さて、「象」も立稽古がはじまった。
今回参加の役者さんに、
そういう芝居を『ナメテ』いる方はいません。
と、いうことにしておきます…ハイ。


  『象』 稽古場メモ
Date: 2005-07-02 (土)
 【オノレの役創り・現時点での問題】

☆ 台詞が間接話法になりすぎているようだ。
  もっと大胆に、相手役と『言葉』をぶっつけあうこと。

☆ 情緒的『もの言い』を極力とっぱらうこと。

☆ 喋りのなかであっていい『間』と、
  とらなくてもよい『間』を、さらに緻密につかむこと。

☆ 何となくやっている余計な『仕草』や『表情』を、
  意識的になくしていくこと。

☆ 次から次と問題が金太郎飴のように出てくる。
  それでもとにかくアキラメナイで答えを見つけること!