オノレ日記帳

2005年11月の記録



  くわえ煙草
Date: 2005-11-30 (水)
 東京はこのところ好天続きで、明日からは十二月。
公園や遊歩道のあちこちで、
道一面の落葉を片づける人の姿をみかける。
オノレは今朝、そんな人たちを目にしつつ、
くわえ煙草でプラプラのんきに散歩していた。
と、せっせと落葉をかき集め小山にしとる、
姉さん被りの婆さんとすれちがいざま、
おそろしい眼差しで睨まれた。
オノレは慌てて携帯灰皿に煙草を押しつぶし、
「この吸殻は道に捨てたりしませんのヨ」という顔で、
ニコッと軽い会釈をし婆さんをみた。
それでも彼女のおそろしい目つきに変化はなく、
不道徳なオノレが立ち去るまで、
徹底監視するかのようであった。
さよう、婆さんとすれちがっても、
しばらくオノレの背中は、
その鋭い眼光に射抜かれとったな。
 家にもどってホッと一服吸いながらヤマノカミに、
「モウ、アルキナガラノ《クワエタバコ》ハ、
コンリンザイ、ヤメヨウトオモウ」
そう報告すると、やはり恐い眼差しでオノレを睨み、
「シンジラレナイ」と、ただ一言。

  新国立中劇場公演 「母・肝っ玉とその子供たち」
Date: 2005-11-28 (月)
 新国立中劇場でベルトルト・ブレヒト作、
「母・肝っ玉とその子供たち」を観劇。
叙事的演劇の代表作ともいわれる壮大なドラマだ。
その作品力に応えるべく、
新国立の舞台もなかなか壮大に創っとる。
奥行きも幅も高さもある大きな空間。
荒廃の戦場をイメージさせる大きな装置。
終始大砲の音を重く発する音響効果。
くっきり陰影をつけた大きな照明、生バンドの音楽と、
仕掛けは十分スペクタルでたっぷりオカネをかけとった。
が、そのスペクタルに比して、ドラマとしての感動が、
今ひとつオノレには薄く感じたのはなぜであろう?
 展開されるドラマの背景は、
ドイツを舞台に荒れ狂った三十年戦争(1618〜48)。
これは旧教と新教(ルター派)の対立、
神聖ローマ皇帝とドイツ諸侯との対立で起きた、
まことに複雑な戦争だったらしい。
この戦争の軍隊は傭兵が多く、
その多くは戦利品や掠奪を目当てに従軍した連中で、
勝てば戦勝のほうびに掠奪を公認され、
負ければ逃げるついでにやはり掠奪したという。
おかげで長い戦争の主舞台となったドイツは、
悲惨な荒廃に見まわれてしまった。
その戦火をものともせず、
戦場で兵隊相手の商売をする、
「肝っ玉おっ母」と呼ばれる女がこの作品の主人公。
簡単にいえば、男勝り、強かに生きる女の側から戦争を捉え、
彼女とその子供たちの悲劇的顛末を描いた反戦劇だな。
で、大竹しのぶが肝っ玉母さんを演じ、
それはエネルギッシュに力演しとって、
その強さ元気さに呆れるほど感心はしたんだが、
その力演しっ放しのゆえか、いかんせん全体が一本調子。
台詞のメリハリに欠けて役としての陰影が薄い。
それは彼女だけでなく、出演者の方々の多くがそういう創りで、
大きな舞台・客席では、かように声を張り上げ、
力演しないとダメなのかもしれん。
それでも張れば張るほど、まくしたてればたてるほど、
どない台詞を言ってるのか、
このオノレには理解できなくなるんだナ。
たぶん、戯曲を読んどらん多くの客も、
台詞全体の二三割くらい、
その意味を理解していないのでは…と、
理解できなかったオノレと同じレベルに他のお客様を考えて、
余計な心配をしちまった。
そう、オノレは劇中に歌われる歌も、
役者の歌い方が悪いのか、
オノレの耳と頭がよくないのかわからんが、
詩の内容があんまり理解できんかった…まことに無念。
 しかし大よそドラマの展開はつかめたし、
ブレヒト劇の凄さも感じて、三時間退屈はしなかったぜ。
 最後にもっとも痛切に思ったこと…。
オノレにはこんな大きい劇場で、こんな大きい作品も、
大竹しのぶのごときエネルギッシュな表現も、
おそらく出来ないし、やれば稽古の段階で卒倒しとる。

  人という動物は…
Date: 2005-11-27 (日)
 仕事帰り、チトお付き合いのある飲み屋に立ち寄ると、
話題のトップはやはり姉歯一級建築士の事件。
常のごとく政治家の介入も明るみになり、
関係設計事務所の社長も自殺。
しかし呑み助たちの中で、
強い批判の対象としてヤリ玉にあがったのは、
民間の検査会社・イーホームズ。
で、さらに強い怒りの鉾先は、
天下り役人たちでなるこのインチキ検査会社を認可した、
国の大インチキ行政に対して向けられた。
呑み助たちは酔って赤くなるそのまえに、
怒りの一気飲みで顔が真っ赤に染まっとッたぜ。
 ところで、かような怒りでモリアガル飲み屋のママも、
数人いる客も、実は皆これが一戸建ての持ち家でさ。
マンション暮らしはオノレだけなの。そしてみなさん、
「ムギさんのマンションはダイジョウブカイ?」と、
一見心配するかのようなもの言いで、
オノレを気遣ってくれるんだが、
なぜかその顔は嬉しそうにホコロンでいるんだよな。
「そりゃ不安だよ。ローンが九十過ぎまであるしさ…」
苦渋に満ちてオノレが言うと、
ケタケタ腹抱えて笑う御仁までおる。
やれやれ…人という動物は、
他人の不安がこげにウレシイものなんかい?!

  偽造・マンション構造計算書
Date: 2005-11-24 (木)
 一級建築士のマンション構造計算書の偽造はあまりに酷い。
震度5で倒壊することを承知で偽造したこの建築士も、
おそらくそれを了解しつつ建築し分譲した連中も、
それを怠惰に見逃した民間検査会社のヤツラも、
かようなことを許す「改革」をした国の政治家・役人も、
一網打尽、殺人未遂で逮捕されておかしくない。
 この事件があきらかになって、
やはりマンション暮らしをしているオノレは、
「自分のところは大丈夫かいな?」と、深刻な不安に襲われる。
とにかく九十過ぎまで住宅ローンを払わにゃならん。
そのローンを既に五年半ほど払い続けとるが、
未だわずかな元本が減っただけ。
ほとんどは利息ばかりという金を、
毎月キュウキュウとして払っとる。
それでもローン返済をキチンとしている限り、
追い出される心配なく暮らせる終の棲家として購入した建物が、
震度5で崩壊する骨抜きの欠陥マンションであったとしたら…。
めったなことでメゲないオノレも、
我が肉体のテッキン、バラバラ崩れて、
たぶん生ける屍と化すであろう。
 ワライゴトデハナイ!!

  スティービー・ワンダーの発言
Date: 2005-11-23 (水)
 音楽DNAの足りないオノレではあるが、
スティービー・ワンダーの名前くらいは知っとる。
新作の宣伝のため来日したという彼のインタビュー記事が、
今朝の朝日朝刊に掲載されており、
その発言にオノレは大いに共感したな。

 私にできるのは、私ができることについて、
私がベストを尽くす。それだけです。
この《アルバム》が大ヒットしなかったら、
悲しくなるだろうか?
ノー。すごいハッピーでしょう。
それは私がベストを尽くしたから。
世の中に受けいれられたら幸せだけど、
世間は私を壊すことはできない。
自分がしたいことにベストを尽くすという私の信念は、
ヒットして《グラミー》を取りたいという私の欲望より、
大きいんです」

 彼の発言の《アルバム》を《芝居》に、
《グラミー》を《演劇賞》に置き換えていただくと、
それはそのまま今のオノレの創造的姿勢となる。
しかしオノレはワンダーのようにカシコクないし、
たぶんその努力も、大いにタリナイ。 

  武久源造・山川節子のビアノ連弾コンサート
Date: 2005-11-22 (火)
 20(日)の武久源造・山川節子さんのビアノ連弾コンサート、
「20の指のシンフォニー」を鑑賞し、
その一時間数十分、オノレは激しく引き込まれた。
およそ音楽的DNAに欠けると自認しているオノレではあるが、
この夜ばかりは楽器の力、作曲の力、
弾き手の力が一体となって生み出す世界に、
ときに空を飛び、大地を走り、海を泳ぎ、
戦い、傷つき、過ぎた日々を回想しとった。
 しばらく瞼を閉じて聴いていたオノレは、
ふと目を開き、一台のピアノに並んで座り連弾する、
二人の演奏者の姿を凝視した。
すると二人の姿は、思いがけない自然の風景と重なりはじめ、
オノレの瞳孔の中を廻りはじめた。
演奏者二人が合わせたように左右に揺れると、
群生した枯ススキが風になびいている風景がみえた。
前後に体を屈み伸ばして演奏すれば、
寄せては返す波になり、
その波間を飛跳ね、そろって沈む鯨になった。
ひょっとしてこれは、
連弾なればこそ生まれた芸術的世界なのかもしれんぞ。
音楽のDNA貧困なるオノレも、
演奏者二人の肉体的パフォーマンスに救われ、
チト音楽的教養を深めることができた…カモしれん!?
 演奏会終了後、武久夫妻、
連弾の相方である山川さんらと、
旨い鹿肉をいただけるお店で演奏会の成功に乾杯!
演奏で疲れきったであろう源造さんの、
豪快な呑みっぷりと話っぷりにも、
オノレは完敗。

  昼はマラソン・夜はコンサート
Date: 2005-11-20 (日)
 高橋尚子復活!
東京国際女子マラソのTV中継を観た。
いやはや、ホンマに右足肉離れかいなと疑っちまうほど、
その走りは「新車」のようであった。
優勝インタビューの受け答えがまた立派で、
あまりにそつがなさすぎてチト心配になるほどだ。
しかしどこまでも明るく、
驕らず謙虚なそのキャラクターはやはりアイせる。
まだ33歳。
彼女なら、北京五輪でまた金メダルなんてえことも、
不可能ではないような気がする。
ガンバレQチャン!
 今夜は鍵盤楽器奏者・武久源造さんのビアノ連弾コンサートを、
荻窪にある「かんげいかん」という空間で鑑賞する。
で、チャイコフスキーの「悲壮交響曲」を演奏するらしい。
源造さんに頂戴したメールによれば、
この作品は、ピアノ連弾で演奏されることは殆どないそうで、
とんでもなく深くて鮮烈な曲だという。
ある戦争で落命した一兵士の人生と死を作曲したもので、
「悲壮」という作品名もそこから生まれているようだ。
かような予備知識をいただいたので、
その辺を想像しながら、あまり悲愴にならず鑑賞してこよう!

  NHKスペシャル「高倉健が出会った中国」
Date: 2005-11-19 (土)
 NHKスペシャル「高倉健が出会った中国」を見た。
心打たれるドキュメンタリーであった。
 中国の張芸謀(チャンイーモウ)監督の映画、
「単騎、千里を走る」(来年1月公開)で主役を演じる、
高倉健の中国滞在中の姿を追ったドキュメンタリー。
 このドキュメンタリーで見せる健さんの素顔は、
数々の映画で主演した彼の魅力を超えて、
さらに魅力的であった。
そして健さんに劣らず、張芸謀監督も、
出演した中国の人たちも魅力的であった。
来年一月、オノレは必ずこの映画を観る。
 さて、太平洋戦争における日本のアジア侵略を正当化し、
その戦犯を祀る靖国神社。
毎年そこへ性懲りもなく参拝し、
近隣アジア諸国との摩擦を厭わない日本の政治家が、
この番組を見ているとしら、
はたしてどのような感想をもったであろうか?
 健さんは、2カ月間に及ぶ中国滞在で感じたことを、
記者会見でこう話したという。
 「戦後60年の間に、
自分も含めた日本人が忘れてきたものが、
いかに多いかを痛感した。
中国のスタッフが伝えてくれた思いの強さは、
もしかすると、
日本人が忘れてきたとても大きなものではないか」と。

  タイシタモノ
Date: 2005-11-17 (木)
 松井選手が62億円で、
ヤンキースと4年の再契約をしたという。
1億を見ただけでも(見たことはないが)ビックラこくであろう、
オノレのごとき金にご縁のないヤカラにとって、
62億なんてえゼニは、まるで現実離れした世界である。
しかし、まあその報酬は、
彼が一生懸命プレーして客を喜ばせ、
その稼ぎに見合う働きをした結果に他ならん。
タイシタモノデアル。
さよう。オノレだってオノレの舞台を一生懸命創造して、
少しは観客を喜ばせているつもりなんだが、
それに見合う報酬はナイ。
それどころか毎公演少なからぬ赤字が出る。
それでも泣き言はいわない…。
タイシタモノデアル。
それにしても松井選手とオノレの、
タイシタモノの落差はあまりに大きい。

  痛い教訓
Date: 2005-11-16 (水)
 実は一昨日、とんでもないアクシデントに見舞われた。
真昼間だというのに、歩道の街灯鉄柱に右顔面を激突!
目から火花とは、まさにこのことをいうのであろう。
オノレの顔は金属で造型されとらんはずなんだが、
ぶつけた瞬間、「コッキ〜ン」という金属音がしたぜ。
打ち所が悪かったら、この世とオサラバしたかもしれん。
 何故こんなアクシデントに見舞われちまッたのか…。
歩道の左側敷地にマンション・モデルルームがありまして、
その駐車スペースから歩道に向かい、
建物完成予定図の大きな看板が立っとる。
このマンション、オノレ自宅付近に建築中で、
只今工事の真ッ最中。
そんな興味もあった故、
オノレはソロソロ歩きつつ看板を見やり、
何階建てか、戸数はいくつか、
「フムフムフム…」と数えとったら「コッキ〜ン」。
オノレに立止まって看板を見る思慮さえあれば、
まず避けられたはずのアクシデント。
衝突したのが車でなくってホンマにエガッタ。
 その晩帰宅し、ヤマノカミに事の顛末を話した。
ところが我が同居人は、
オノレの顔面を心配する様子のカケラもない。
さよう、ただ腹を抱えて笑うのである。
あげくの果てに、
「まわりにいた人がビックリしたでしょ?」なんぞと、
何事もない赤の他人サマを心配してオッシャル。
「余り人もおらんかったが…、
三メートルほど後ろにいた若いアベックは、
ビックリしないで顔を見合わせ、
『クスッ! 』と笑っていやがった!」
 オノレが憮然として答えると、
ヤマノカミはさらに腹を抱える。
いやはや女房という人種は、
亭主の不幸をこれほどオモロク笑うもの《難解》?
いや、ナンカイ?
オノレはチョイと寒気を感じて思った。
「まさか我が家にタリウムはあるめえな…」と。
 鉄柱激突の当日、右目上に鈍い痛みはあったが、
“ウツクシイ”オノレの顔に大きな異変はなかった。
が、やはり内出血していたのである。
昨日の昼あたりから右目まぶたとその周辺が腫れてきて、
夜には皮膚の一部が痣のごとく変色。
ま、四谷怪談のお岩ほど酷くはなっとらんが、
見てくれはチトオソロシイ。
 教訓…外で何かを見るときは、チャンと立止まるべし。

  吹替えではありますが…
Date: 2005-11-15 (火)
 今日は皇族のお姫さまが平民のお役人と結婚され、
晴れて平民となられるそうだ。
メデタイこっちゃ。
 中東では相変わらず自爆テロが続いて、
毎日のように多くの命が奪われとる。
悲惨なこっちゃ。
 さて、やはり「平民」だと思われるオノレは、
これから都内のスタジオに終日こもり米映画の吹替え。
で、フィリピン・ゲリラの「悪玉」の声を当て、
憎ッくきアメリカとバンバン撃合い、
アメリカの「正義」によってメデタク殺される。
映画とはいえ哀れなこっちゃ!
 それでは見事「コロサレ」にいってまいります。

  ゴミオヤジはダダイスト
Date: 2005-11-14 (月)
 今朝のテレビで、ゴミを集めて自宅敷地内に山積みしている、
ご近所迷惑このうえない御仁が紹介されとった。
で、ふと考えちまったナ。
日常オノレなんぞも、
おおよそゴミ同然と化したモノに囲まれ暮らしとるのではないか…とね。
二度と読まなくなった本。二度と見なくなったビデオ。
二度と聴かないCD。まるで使わない食器類。
まるで着ない衣服。他にもあるわあるわ、etc…。
それらのモノは、何となく整然と片付けられているから、
何となくゴミに思わないだけで、
いずれオノレとヤマノカミがこの世とオサラバした暁、
まちがいなく、ほとんどゴミとして処分されちまうであろう。
このほとんど活用されない我が家のゴミの価値は、
本来何もない殺風景な部屋を埋める装飾として、
ま、家庭らしい雰囲気をチト増してくれる程度かな?
 なるほど、今朝のテレビに出たゴミオヤジのゴミの山は、
殺風景な自宅の敷地を埋める、
一つのシュールなオブジェかもしれん。
そうか!
ゴミオヤジは今は懐かしい、
立派なダダイストの継承者なのかもしれんぞ…!?

  謎の女
Date: 2005-11-13 (日)
 最近みる夢にはどうにも不可解な現象が一つある。
いかなる夢をみても、
得体の知れない三十代くらいの女が必ず姿をあらわすのだ。
しかし彼女はオノレにまるで憶えのない女である。
粋な和服姿、丸顔の中肉中背、
決して美人ではないが、なかなか愛嬌のある顔。
で、その女はいっさい口を開くことはなく、
脈絡なく展開するオノレの夢を遠めに眺めつつ、
ほのかな微笑を浮かべいつまでも佇んでいる。
それが火事の夢であろうが、芝居の夢であろうが、
いかにハチャメチャな夢であろうが、
いっさい我関せずとでもいうように、
夢の事象に自身が関ろうとはしない。
だからオノレに絡んでくることもまったくない。
涼しげに闇を背中に佇み、微笑と沈黙の風情で、
ひたすらオノレの夢の光景を客観的にみているだけなのである。
 夢から覚めたオノレは、彼女が何者か、
自分の過去に何か関わったことのある女か、
あれこれ必死に考えるのだが、
思い当たることなく、その実体は漠としてつかめない。
目覚めれば、みた夢のおおよそを忘れてしまうオノレであるが、
最近の夢に必ずあらわれるこの女の残像だけは、
脳裏にしっかり焼きついて目覚め、
これはあまり寝覚めがよいとはいえない。
 はたしてオノレは彼女の正体を、
いずれ解明できるのであろうか?
そしてこの謎の女は、いつまでオノレの夢にあらわれ、
不思議な沈黙と微笑を続けるのであろうか?

  来年の今頃
Date: 2005-11-12 (土)
 2005年8月の独歩プロデュース公演が終わり、
せっかちなオノレは、既に次の公演に向けてアタフタしとる。
2006年は十一月二日初日の一週間公演なんだが、
残すところ早一年を切ってしまったではないか!
来年度上演作品は、
三年続けての別役実・作「はるなつあきふゆ」。
 この冬が過ぎて、春・夏・秋と廻り、
立冬過ぎて間もない来年の今頃、
プロデュース公演を終えたオノレは、
いかなる状況の中にいるであろうか?
たぶん2007年の公演準備に向けて、
やはりアタフタしとるにちがいない。
「はるなつあきふゆ」公演で、
大きく躓き、深いダメージを受けなければ…だが。
 「はるなつあきふゆ」のキャスティングも、
二役を残して全て決まった。
スタッフも演出助手を残して全て決まった。
できればこの12月中に、
「はるなつあきふゆ」のコーナーを、
オノレのHPに設けて皆様にお知らせしたい。

  新国立小劇場の 「動員挿話」
Date: 2005-11-08 (火)
 新国立小劇場で、
「屋上庭園」「動員挿話」(岸田国士・作)の二作品を観劇。
「動員挿話」は、
先月六日にシアター・ブロックというグループが上演し、
その感想はこのオノレ日記帳に掲載させてもらった。
創り手が変わろうと、
作品そのものの凄さにいささかの変わりもないが、
やはり新国立の舞台はシアターブロックの舞台とは、
その創りに大きな違いがあったな。
しかし純粋に一観客として心打たれた度合いを測れば、
オノレは先月の公演に軍配をあげたい。
 新国立の舞台を演出した若い方は才能もあり、
たぶんその才能ゆえか、斬新大胆な構成であった。
で、その「仕掛け」も一部理解できるし面白いのだが、
やはりこの作品は奇を衒わず、
素朴に正攻法に取り組んでこそ、
より強い訴求力を客に与える作品ではないだろうか?
出演者はそろって「今風」達者な演技で、
惚れ惚れするほど柄がよい。
しかしこの若い演出家や役者さんの優れた資質も、
作品や登場人物の根幹をなすもの、
時代状況なり役の本質を、
見てくれではない、内面の深さでしっかり創らんと、
表現の武器として有効にならない。
人の胸を打つ衝撃度はかなり弱まる。
とはいえ岸田作品の重みは、
大樹のごとくどっしり舞台に存在していたのだが…。

  立冬
Date: 2005-11-07 (月)
 立冬の今日は五月中ごろの暖かさ。
俳句歳時記の中に掲載された句の中に、
《忍びよることなく冬の来たりけり》というのがある。
しかし近年、季節の移ろいはこのように激しく変わる感がない。
よくいえば気がつかぬほど穏やかに、
悪くいえばだらしなくずるずると四季が移ろう。
暦はしっかり季節の変わりを教えてくれても、
自然はその暦を嘲笑うかのように臍を曲げて追従しない。
近未来、暦から冬がなくなりそうな気さえする…。

  立冬に窓開け放ち一眠り   麦  人

  ここだけの話
Date: 2005-11-05 (土)
 「ここだけの話」と言って密かに交わされる話しは、
その場が解散したとたん、「ここだけの話」ではなくなる。
「ここだけの話」に、あまり前向きな話はない。
およそ話している本人にとっても、
耳欹ててそれを聞く者にとっても、
実は何の役にも立たない職場の批判や人間関係の中傷、
誰かがヤラレタ、誰がヤッタというような内容が多い。
にもかかわらず、我々人間は「ここだけの話」が大好きなのである。
それはつまり「ここだけの話」をする者にとって「ここだけの話」が、
「ここだけで終わらせたくない、ここだけの話」であるからに他ならない。
ゆえに「ここだけの話は」、次から次に「ここだけの話」として、
また新たな話し手と聴き手に受け継がれ、
野火のごとく広がっていく。
 およそ第三者に話せぬほんとうに大事な話は、
滅多に「ここだけの話」の遡上に載ることはない。
つまり「ここだけの話」に、
ほんとうに大事な内容というのはあまり期待できないのだ。
だからこそ「ここだけの話」は、
日頃の憂さを晴らす治療薬として世界の巷に氾濫する。
喫茶店で酒場で電車の中で、
「ここだけの話」は盛りあがり、
その中身にまったく関係ない赤の他人の耳にまで、
「ここだけの話」は無鉄砲に聞こえてくる。
 かく言うオノレも「ここだけの話」が、
キライトハ イエナイ。

  未経験の症状
Date: 2005-11-04 (金)
 二週間ほど前から肩や背中の筋肉というか、筋が妙に痛み、
バソコンのしすぎが原因であろうと思っていた。
しかしパソコンを控えても痛みは治らず強まるばかり。
さらに三日ほどまえから腹まで痛くなりはじめ調子が悪い。
で、昨夜はついにお粥を食べて早々布団に入った。
夜中、どっと寝汗をかいて、
今朝起きると腹の痛みはおさまり、
肩と背中の痛みもだいぶとれた。
 ヤマノカミは風邪だと言ってるんだが、
咽喉が腫れたり咳が出るわけでもなく、
頭痛も鼻水も鼻づまりもまったくない。
もしこれが風邪ならば、
オノレが未経験の、チトおそろしい症状のカゼだな。
しかし風邪でないとすると…もっとおそろしい気がする。
 みなさま、お気をつけあれ!

  どうでもいいけど…
Date: 2005-11-02 (水)
 今朝の郵便受けに「冠婚葬祭互助会」からの勧誘葉書。
アンケート形式で、
「結婚式と葬式のどちらに関心がありますか?」だと…。
ドチラモナイワイ!
質問に答えてその葉書を送り返すと、
何やら粗品を進呈してくれるそうな。
 どうでもいいけど、経帷子一式でも届くのなら、
芝居で使えそうな気がするなあ?!

  人の縁(えにし)
Date: 2005-11-01 (火)
 昨夜はオノレの次兄の結婚を祝う、身内だけのささやかな宴。
65歳にして3度目の結婚である。
相手の女性がどない人で、どないイキサツでこうなったのか、
昨夜までオノレは全く知らんかったのであるが、
宴の会場へ行って兄に紹介され、いやはやビックラコイタ!
そのヨメさんになるお方は、
オノレと20年以上も付き合いのある、
ドキュメンタリー・演出家の姉上であった。
彼女も再婚であり、
中学・高校の息子二人と社会人の娘と息子をもつ。
兄にもすでに立派な大人の息子が二人おる。
で、その子供たち全てが昨夜の席に出席し、
熟年再婚した二人を心から祝福しているのであった。
それはオノレにとってまことに感慨深い、
チト胸の熱くなるシーンであった。
 人の縁の不思議さと世の狭さをつくづく感じた宴の酒に、
したたか酔ったオノレである。