オノレ日記帳

2006年3月の記録



  劇団昴「チャリング・クロス街84番地」
Date: 2006-03-31 (金)

 昨夜観た劇団昴「チャリング・クロス街84番地」は佳作であった。
主人公はニューヨークに住むドラマ作家の女と、
ロンドンの書店街にある古書店の万事を預かる番頭さんのような男。
 イギリス文学にのめりこむ女・ヘレーンは、
その雰囲気と匂いだけでも感じたいがため、
遠いロンドンの古書店に読みたい本を次から次に注文する。
古書店の番頭フランクは、その注文の手紙に律儀に応え、
在庫のものはすぐ発送し、在庫のないものでも記憶に留め、
また仕入れればその都度送品する。
イギリス人らしい誠実さと感謝をこめた礼状をそえて。
 この二人の、20年に及ぶ古書注文と、
交わされた手紙のやりとりを描いた舞台である。
 原作はヘレーン・ハンフ。彼女の実話小説のようだ。
パンフレットに寄稿した出久根達郎さんの文を拝借すれば、
(出久根さんは「佃島ふたり書房」の直木賞作家。
オノレもこの作品を面白く読んだ一人であるが、
実際古本屋のオヤジでもある。)
《波乱万丈の活劇が展開するわけではない。
甘く、切ない恋が語られるわけでもない。
客と古本屋の手紙で構成されただけの作品が、
なぜ読む者を感動させるのだろうか。》という原作らしい。
 さて、オノレにとってこの芝居は、
人の誠意・信頼・まごころ…みたいなことをしみじみ思い、
冷たいだけではない世の中を感じる暖かい感動があった。
開演から最後の幕が下りるまで、
ほのかに品の良い香水のごとき匂いに満たされた空間、
そんな中で過ごした2時間20分だったような気がする。
 出演者も皆さん好演しとった。演出も良い。
開幕したとき、高い本棚にビッシリ埋まった古書の舞台装置に、
「おおーッ!」と目を剥いたオノレであったが、
風格のある古書の匂いが鼻をつくかのような、
何処か懐かしい雰囲気に、我しらず溶け込んでいたのである。
 そう、ひとつ贅沢な注文をすれば、
20年にも亘る歳月の流れ…。
これをもうすこし感じさせてほしかったな。
 ところで千石の三百人劇場は、
ホント、客にとって観やすいし、
落ち着いて舞台に集中できる空間だよ。
今年一杯で閉鎖・取り壊され、マンションになっちまうようだが、
貧しい日本文化のためにも、何とかならんのかい!


  嬉しい悲鳴
Date: 2006-03-30 (木)

 今月頭から「CSI科学捜査官」第5シーズンの吹替収録が始まり、
明日からは「ロスト」第2シーズンの吹替収録も開始される。
で、この先チト忙しくなりそうな気配のオノレ。
そんな中、桜の開花と合わせたように、
次々知り合いの役者さんたちから公演案内が届く。
可能ならその全てを観劇したいのではあるがそうもいかん。
案内はもらわんでも観たい舞台はあるし、
これからしばらくオノレのスケジュール&フトコロと相談しながら、
どの舞台をいつ観にいくか芝居のチラシと睨めっこ。
チト嬉しい悲鳴をあげているオノレである。
 で、今夜は今年でなくなる千石の三百人劇場で、
劇団昴公演「チャリング・クロス街84番地」を観劇。


  花冷え
Date: 2006-03-29 (水)

仕事なき友の嘆きを携帯で聞きつつ歩く花冷えの道   麦 人

 てえような日であった。


  「デッド・エンド・キッズ」(ライル・ケスラー作)
Date: 2006-03-27 (月)

 どうやら風邪が抜けたようだ。
昨日の日曜日、久しぶりにダブルヘッダーで観劇。
その夜の舞台で大いに泣かされ、風邪の菌も浄化されたか?
「デッド・エンド・キッズ」(ライル・ケスラー作)という芝居。
オーガニックシアターというグループの公演で、六本木・俳優座劇場。
 北フィラデルティアの二人の孤児兄弟と、
やはり孤児の境遇に育ち、
どうも裏社会で生きているらしい男の物語。
 盗みや恐喝でその日暮しのゼニを稼ぐ兄。
暴力的ともいえる愛で弟の面倒をみながら、
恐れを知らぬ無軌道さで必死に生きている。
 幼い頃、喘息で苦しんだらしい弱い弟。
寝ぐらから外へ出ることを兄に禁じられ、
外気に触れることにさえ慄く閉じこもり。
 ある日、一儲けを企んだ兄の誘いに敢えてのせられ、
二人のアジトへやって来る素性の知れない中年男。
しかし男は二人の兄弟を一人前の男にしようと、
柄にもなく父親役を務めはじめる…。
 男の登場によって兄弟の関係が徐々に変化し、
男と兄、男と弟の関係も濃密になり、その濃度が増すほどに、
それぞれの愛や孤独も際立ってくる。
実に巧みで繊細、哀しく面白い作品であった。
 去年の独歩公演「象」で、
被爆者の青年を好演した蓮池龍三君が兄を演じ、
オノレの細目が円くなるほど見事な役の形象をみせてくれた。
役者として、彼はまた大きな糧と力を得たようだ。
この秋の独歩公演にも再び出演してくれる彼の役創りが、
いまから楽しみなオノレである。
 弟と男を演じた役者さんも、それぞれいい持ち味を出して好演。
さらに透明感のあるキチンとした演出が、
泥の中にもある細やかで貴重な「人間愛」のメッセージを、
素直に客席へ届けてくれたような気がする。

 昼に観たのは「行き交い」(ジャンポール・アレーグル作)。
演劇のような、朗読劇のようなフランスの作品。
 様々な人の手紙や、メッセージ、メモ、
通達などのやりとりが、一見脈絡なく飛び交う。
そんな展開の中で、交通事故によって両足切断を迫られ、
たぶん死ぬ運命の少女と、
彼女を深く思いやる祖父との愛が浮き彫りされて…というような構成。
 新宿ミラクルという60人入れば超満員というスペースでの舞台。
まさに超満員の客席、1時間40分ほど…我慢して観た。


  オノレのノルマ
Date: 2006-03-22 (水)

 昨日から風邪気味である。
今年はこれで二回目だったか、いや、三回目かな…。
例年、風邪を三四回ひくのが、
どうもオノレのノルマになっとるような気がする。
もちろん可能なら避けたいノルマなんだが、
ここはあまりネガティブに考えんことにする。
つまりこの夏までにそのノルマを消化しちまえば、
秋の公演を安心して迎えられるというように考えて、
ありがたき感謝の心をもって春の風邪を受けいれよう!
それに花粉症で苦しむよりマシな気もするんだが…。
いやいや、拗らせると命取りにもなるから…、
やはり風邪のほうがコワイ。
 グッシュン!!


  転ばぬ先の杖
Date: 2006-03-20 (月)

 「転ばぬ先の杖」とはいうが、
転んで初めて知る痛さてえのも人生では大切だろう。
ま、命取りになるほどの転倒は避けたいもんですがね。
 オノレのごときアホな役者は、
これまでにもう数え切れぬほど転んで、
自慢したくなるほど同じ過ちを繰り返し、
それはそれは限りある日々を無にした。
(刑務所にお世話されたわけではない)
で、転んでもタダでは起きんくらい強かならまだいいんだが、
オノレの場合差し引きすると、自らの出来の悪さで転んだり、
タダ転んじまったというだけで終わることが余りに多く…、
ここまでの人生、たぶん大赤字だな。
 さて、一つの芝居を立ち上げるとき、
おおよそのプロデューサー・演出家・役者たちは、
しっかりした事前の杖を仕込んで臨もうとはする。
どの杖を用いればチャンと舞台に立てるかを検証し、
余計な枝葉を落としたり、背丈に合った長さに切ったり、
使いやすく削ったり磨いたり、アレコレ迷いつつ、
とりあえず最適と思われる杖を準備する。
さらにもし使い勝手の悪いときのため、
また別の杖を幾つも用意しておく必要もあったりする。
とにかく公演本番までに、最終的に選択せざるを得ない、
最良の創造へと辿りつくための道は、
360度の円形、無限大ともいえる幅の中にあり、
その道を行くための杖は多いほど安心できる。
もちろん杖が多すぎて、最良の選択をするに迷って混乱し、
その重たさにより、致命的に転がッちまうキケンもある。
 いずれにせよ事前の杖を仕込むのは、あくまで本番までの、
最良の道を探索・発見し歩くための介添えである。
お客を前にした舞台では、用意したすべての杖をソデに置き、
オノレの両足でチャンと歩かにゃいかんのだ!


  棚から牡丹餅
Date: 2006-03-19 (日)

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝、
日本が韓国に6―0でやっと勝ッたな。
もっとも「棚から牡丹餅」てえような準決勝進出であるから、
日本はアメリカに勝利したメキシコに足を向けて眠れんぞ。
 さて、日本の今日の勝利は、
予選の戦いで二戦二敗と韓国に打ちのめされ、
敗者の痛みと苦渋を舐めたその経験があったればこそ、
たぶん今日の勝利につながったのだ…とはいえまいか?
オノレは何となくそんな気がする。
もし過去の二戦で、日本が韓国に一勝でもしていタラ、
今日の勝利はなかったかもしれん?
 裏腹に韓国は、ここまでに敗戦の経験を一つでもしていレバ、
今日の負けはなかったかもしれん?
タラ・レバで結果を論じる軽薄を承知で言えば、
オノレは今日の日韓戦をTVで見ながらそんな風に感じた。
しかしオノレは、タラは苦手で、
レバは大好きなのである…関係ねえか!
 いずれにせよ米国にも勝って6連勝し、
7戦目にして初の一敗を喫した韓国野球は強かったぜ。
これはもう素直に脱帽する他ない!
 韓国に1勝2敗と負け越し、
二次リーグでも1勝2敗と負け越し、
それでも決勝でキューバと戦える日本。
この「棚から牡丹餅」で得た球運のためにも、
その牡丹餅を恵んでくれたメキシコのためにも、
さらに牡丹餅を奪われちまッた韓国のためにも、
明後日のキューバとの試合で、
日本は持てる力の全てを使い果たさにゃイカン!
 ところで今回のWBCって、
国を上げて熱狂し騒ぐほどのイベントなんかい?

  勝ち人の気づかぬうちに春の風  ( 麦  人 )


  ものの芽
Date: 2006-03-17 (金)

 〈ものの芽〉とは、名もなき雑草、雑木、
名はあっても、何の芽とも知れない草や木のことで、
俳句では地上を覆う芽立ちを詠むらしい。
であるからして、植物に無知なオノレにとっては、
目に入るほとんどの草木が〈ものの芽〉になってしまう。
その一つ一つの名前や特徴を理解して歩けば、
散歩するにもずいぶん愉しさが増すかもしれんな。
が、まあ、知識なしに、
カッテに〈ものの芽〉の生い立ちや性格を想像し、
人の世の喜怒哀楽に重ねて歩くのも悪くない。
地面のアチコチで顔を出す〈ものの芽〉を見ながら、
チャランポランな人生を過しちまったオノレは思うのだ。
「咲くも人生、咲かぬも人生…」なんてさ。

  ものの芽に心のたけを見透かされ  (麦  人)


  今年の桜の下には…?
Date: 2006-03-16 (木)

 東京の桜開花予想は、この22日頃だそうである。
後一週間もない…。
去年に比べてずいぶん早いな。
オノレは桜の季節になると、いつも坂口安吾を思い出す。
 没後すでに50年以上になるこの破天荒な作家の小説が、
今の時代にどれだけ共感をもって読まれているのかは知らん。
が、日本という国家が戦争に突き進み、
やがて終焉した時代の中で、
安吾の書いた世界には、
人間の本質に根ざした業や虚無を色濃く感じる。
 代表作『桜の森の満開の下』は、
舞台化されてもいるようだが、
おのれはずいぶん前、
麿赤兒の大駱駝艦で観たことがある。
これはまさに舞踏にうってつけの作品世界で、
なかなか面白く見応えのある舞台であった。

「桜の花が咲くのだよ」
「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、
 それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「どういうわけで」
「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」
「花が咲くから、なぜさ」
「花の下は冷めたい風がはりつめているからだよ」
「花の下にかえ」
「花の下は涯(はて)がないからだよ」

 さて、今年の桜の下には、
どんな冷たい風が吹くのやら…?


  深く思考して…
Date: 2006-03-14 (火)

 オノレの自宅は最寄り駅からおよそ徒歩20分かかる。
疲れている日や、風雨の日、寒さの厳しい日には、
歩くのにけっこう辛い距離だな。
それでも健康のため、なるべく歩く努力をしとるんだが、
どうも近頃、タクシーにのる回数が増えてきた。
 さて、20分歩く距離を遠く感じないため、
オノレにとって一番の策は、芝居の台詞を憶えたり、
憶えた台詞をブツブツ声にして歩くことである。
これに熱中すると、
アッという間に自宅へ着いたような錯覚さえする。
時々すれ違う人にオソレられたりもしますがネ。
 次に良いのが、アレコレ深く思考して歩くこと…。
まるで哲学者のようにだ。
ま、オノレが思考するアレコレは、
人様に公表できるような立派なものではないから公表せん。
しかしその姿だけを見ればだな、
チト哲学に苦悩する貧乏学者のごとき風情が…ネエカ。
最も思考に耽って歩くのもほどほどにせにゃアカン。
恐いアンチャンや電信柱にぶつかったり、
車に轢かれてお陀仏しかねんのである。
 いまさら嘆いてもしょうがないのだが、
「アア…デキレバ、エキマエニ、スミタイ!」


  我が右脳
Date: 2006-03-13 (月)

 囲碁をする人は右脳で思考し、
右脳が刺激され発達するという。
オノレはガキの頃から囲碁・将棋はまるでアカン。
何度か教えてもらう機会もあったのだが、
およそ負けるから頭にきてやめた。
つまり我が右脳は、
戦略的にものを考えることが苦手ってえことになる。
さて、役者はその創造的思考を左右どちらの脳でするのか?
右脳を使う囲碁・将棋がダメでも、
役者としてここまで何とか生き延びてきたオノレを考えると、
どうも演劇的思考は左脳のような気がする。
「アンタ、どう思う?」と、恐る恐るヤマノカミに問うた。
「囲碁・将棋の強い名優もたくさんいるでしょ」とのご返事。
 オノレの脳は、左右とも死滅しとるんかい?!


  貧しきものは…
Date: 2006-03-12 (日)

 地方の医者不足は深刻らしい。
三重県・尾鷲市では産婦人科医が一人もいなくなり、
よんどころなく5千万もの報酬を市の予算で計上し、
ようやく産婦人科医一人を確保したという。
日本に医者が何人いるのかは知らんが、
ここにも歪な医療制度を許容し助長してきた、
政治と行政の破綻が垣間見える。
 「赤ひげ」先生のような医者の存在もみあたらんし、
どうもこの国は貧しきものにとって、
病院に行けず死ぬことが、
当たり前の社会になっていくような気がする。


  六本木ヒルズ
Date: 2006-03-10 (金)

 二日前、かの六本木ヒルズで仕事をするため、
はじめて中に入る「光栄」に浴した。
いやもう外部から訪れる者に対して、
そのセキュリティーの厳しいこと。
仕事場へ着くまでに、免許証の提示から始まり、
二重三重のチェックを受けにゃならん。
チェックせにゃならんのは、
株取引やら粉飾決算やらで怪しげな動きをしとる、
ビルの中の企業でねえかい?…と、
つい憎まれ口の一つも言いたくなるネ。
 時代の先端を行くらしいビルの中で、
今をときめくIT長者の方々は、
24時間、他社や他者の進入にビクビクし、
こうして厳しくソワソワ、自己防御せにゃならんのかい?
ゴクローサン!


  一犬虚に吠ゆれば…
Date: 2006-03-09 (木)

 昨日の朝日・朝刊15面、
《漂流する風景の中で》において、
作家の辺見庸氏が小泉政権とマスメディア、
そして我々群集の素速い変わり身について書いている。
今の日本の政治・社会状況の本質を鋭くとらえ、
その説得力にオノレはハタと膝を叩いた。
 「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という、
後漢のたとえから始まるこの記事は、
日本国憲法を御都合主義に解釈し、
自身の政治的行動を肯定する小泉首相の姿勢を批判し、
彼のように憲法を安くあつかい、
ファシズムにもつながりかねない日本の傾向を憂う。
さらにかような政党・政治家に寄り添う傾向のマスメディア。
そのメディアの洪水の中で、
記憶すべき過去を失い、
分析的思考を奪はれていく我々万犬(群集)の、
危うい今を問いかけて終わる。
 ずいぶん以前、この作家の「もの食う人々」という、
食を通してみた民族文明の考察的著書を読み、
その面白さと思考の深さに心打たれた。
オノレと同い年なのであるが、
オノレが恥じ入るほど、オノレに比べて勉強しとる。
我々万犬が政治の世界に、
こういう方をたくさん送りこめれば、
「一犬虚に吠ゆる」ような人物が、
日本のトップに君臨するようなことにはならんだろうに!


  アニメ監督の夢
Date: 2006-03-08 (水)

 いつも忙しい友人のアニメ監督氏は、
劇画のカット割りのような夢をみることが多いらしい。
宙から緑の大地を大俯瞰しているかと思うと、
次には、気味の悪い人の眼球をクローズアップしたり、
小津映画のごとくローアングルで座った人を見ていると、
たちまち人の股間からまた座ったその人を見ていたりする。
とにかく夢は激しくスピーディーにカット変わりし、
かの宮崎駿にも劣らぬ夢の世界が展開するという。
 もちろんオノレの夢にも人のアップやロングはある。
空を羽ばたき街を見下ろすような夢もある。
しかしこのアニメ監督のように、
カットカット、そう激しく変化する夢は見ないナ。
とにかく夢にもその仕事柄があらわれてなかなかオモロイ。
 さて、未だオノレは名優のごとく客席の拍手を浴び、
堂々舞台に立っている己の姿を夢で見とらん。
せめて夢だけでも…ネ。


  黴臭いレッテル
Date: 2006-03-07 (火)

 ドトールで新聞読みつつコーヒーを飲んどると、
背後から聞き捨てならぬ会話。
「あの人、ずいぶん前に辞めたのよ。
ほら、何てったかしら…吉祥寺にあるアカの劇団。
そうそう、前進座?
出演料が安いから食べていけないって」
 盗み見れば三十路半ばくらいかと思える、
なかなか見目麗しい中年女性。
やや年上のオバサン相手にお喋りしとる。
いやはや…、『アカ』なんぞという、
近頃ではチト黴臭いレッテルが、
こんな若き世代の中に未だ健在であったか!
オノレは、たぶんその「アカ」の劇団、
「前進座」の敷地の中で、中学出るまで育った男である。
「アカ」というレッテルの歴史も、
封建的歌舞伎社会から飛び出し、
長い苦難の道程を歩んだ「前進座」の価値も、
さほど理解しているとは思えん、
今風美人の発した何気ない言葉。
不意を衝かれて飛び込んできた、悪意の薄いその言葉に、
何故かオノレは一瞬うろたえ、胸に強い動悸を感じた。
幼き頃受けた差別やいじめの体験が、
妙な懐かしさをともない、
脳内映像にフラッシュバックで再現された。
それはもちろんコーヒーの味や色より苦々しく濃い。
 こらえきれずにオノレは美人の前に立って言った。
「少し前進座と縁のあるもんで、余計なことを言いますが、
この劇団は出演料ではなく、役者も営業も全員給料制です。
それは確かに高くはないと思いますがね。
でも、劇団創立から既に75年になりますが、
その間、例え安月給とはいえ、
劇団員が餓死したという話しは聞かないし、
貧しいながら皆元気に、
よりよい舞台創りのため努力しているんだと思います。
貴女のお知り合いらしい、食えなくて劇団を辞めたという方は、
たぶん『前進座の芝居』というご馳走の食べ方をよく理解できず、
心が瘠せ細って辞めたのでしょう!」
 鼬のオナラよろしく、オノレはそれだけ言ってドトールを出た。
突然、得体の知れぬスキンヘッドのタコオヤジにまくしたてられ、
お二人の淑女はさぞかしビックラコイタことであろう。
オノレも決して悪意はなかったのであります…お許しあれ!
 ところで、食えなくて劇団を辞めた役者さん。
男か女か存じませんが、現在役者で食えとりますか?


  《酒は憂いの玉箒(たまははき)》
Date: 2006-03-06 (月)

 人間社会の交際では、
仕事での付き合いから個人的に親しくなることが多い。
ところが互いにその仕事を忘れ、
プライベートに親しく付き合うのは案外難しい。
同業者なり同僚なりと個人的に飲み食いしても、
つい仕事の延長線上の中での飲み食いになったりし、
味を愉しむどころか胃が痛くなったりもしかねん。
とはいえ、長く仕事での付き合いはあったのに、
親しい付き合いのなかった人と飲む機会をもち、
仕事場とはまた別の、その人のくつろいだ顔や、
本音の一面をかいま見ることもまた愉しいのである。
 一昨日の夜、某役者氏と初めて親しく盃を交わし、
そんな愉しい酒を呑んだ。
彼とはずいぶん長く一緒にする仕事の機会はない。
が、ブライベートに忌憚なく語り合えば、
それなり歳を重ねてしまったお互いの、
一般的にはタメにならない、アホとも思える人生談が、
旨い肴にもまして味のあるツマミになる。
 オノレはしばしこの夜、
《酒は憂いの玉箒》てえような、心地よい時を過ごした。


  蛇穴を出づ!
Date: 2006-03-04 (土)

 「春だな」と実感できるような今朝の陽気。
このところ公私ともに暇気味で、
ついつい春眠をむさぼる時間の多いオノレである。
しかし自分の力だけではままならぬ公の仕事はさておき、
秋の独歩プロデュース公演に向けての準備には、
そろそろ本腰を入れて取り組まにゃならん。
配役・スタッフもあらかた決まり、
今月末にはその具体的ご案内をこのHPに載せる予定。
 そろそろ寒さで固まった体を柔軟にし、蛇穴を出るか…!
でも、

 穴を出し蛇のはや嫌はる々 (蔭山一舟)

なんてえことはねえだろうな?


  賢いオトメ
Date: 2006-03-03 (金)

 ヨーキーのオトメが我が家の一員になっておよそ40日。
親バカ承知でいうとなかなか賢い。
生後3ヶ月と二週間にして、
はや「オスワリ」「マテ」「オテ」を、
チャンとするようになった。
(エサでツルとドン欲に覚える)
何? 
「生後三、四ヶ月にもなれば、
どんな犬でもそれくらい覚えるでしょ」と、
ヤマノカミにたしなめられた。
あら、さいでしたか…。
ま、それはさておき、我が家で誰が一番「エライ」のかも、
だいぶ理解してきたようだな。
「犬のアタシの序列は、やはり最下位なのね」
てな感じでさ。
さてオトメのつけた序列トップは…、残念ながらヤマノカミ。
恥ずかしながらオノレは二番目。
幸いなことにオトメに同格とは思われとらん。
エガッタ!
 さてさてヤンチャなオトメであるが、
ヤマノカミのしつけはまことにキビシイ。
もし我が家に人の子あらば、
ヤマノカミをずいぶんオソレたであろう…。


  図に乗って…。
Date: 2006-03-01 (水)

 佐佐木幸綱さんという俵万智さんの師匠は、
「五七五七七、それだけが、短歌の決まり」だという。
とはいえ字余りの有名な短歌もけっこう多い。
俳句も字余りや字足らずの有名な句が多いし、
そのあたりをどう考えればいいのか、
門外漢のこちとらにはさっぱりわからん。
しかしそんな素人のオノレでも、
ときどき俳句を作ってみたくなるし、
きのうは初めて短歌のようなものをモノにした。
暇なときかような文学的創作を試みるのはなかなかオモロイ。
とくに短歌には季語の決まりがないのがウレシイ。
で、図に乗って今日もひとつ…。

あら不思議攻める野党の顔つきが守る与党の顔に豹変  (麦 人)