オノレ日記帳

2006年5月の記録



  盗作
Date: 2006-05-31 (水)

 芸術選奨をもらった日本人画家の作品の数々が、
イタリア人画家の作品を盗作したらしいという。
確かにその作品を比べると、
盗作といわざるを得んほど酷似しとる。
 ところで絵画の場合はさておき、
役者の演技が『盗演』で問題になった話はあまり聞かん。
それどころかオノレの若い頃、大先輩の役者から、
「ええ役者の演技をよく見て、その芸を盗め盗め」と、
口スッパク言われたものである。
 劇団に属する若い俳優の多くが、
先輩の優れた役者の演技を盗み、
先輩そっくりの演技をするようになる…。
役者の世界でそれは非難されることではない。
 目の前に、生きた役者の、
お手本ともいえる素晴らしい演技がありながら、
それを盗まん役者は、
みすみすお宝に目をつぶっているようなものである!


  願望
Date: 2006-05-30 (火)

 ☆☆グループ・○○公演の稽古は大詰めに入っていた。
初日はすぐ目の前に迫っている。
しかし何故か役者たちの演技には精彩がない。
創造的レベルの低い覇気のない稽古場は、
冬の風が吹きぬけているように寒々しい。
ところが演出家には、この危機を脱却する知恵も工夫もない。
しっかりしたダメも出せず、自信のない顔で、
役者任せに漫然と稽古を見ているだけなのである。
 この現状を目の当たりにし、
遂にプロデューサーの○○は堪忍袋の緒を切らす。
初日まで残された日は少ないのだが、
急遽、無能なる演出家を首にし、別の演出家を起用する荒療治。
ところが、役者でもあるその演出家に交代すると、
稽古場はガラリ一変したのである。
代わった演出家は、残されたわずかな稽古での課題と演出方針、
最終的に目指す舞台の形を役者に説明すると、
自信満々、早速稽古に入った。
 彼の役者への指示とダメ出しは的確で、
そのエネルギッシュで新鮮な演出は皆を仰天させた。
これまでの死んだような稽古場が、
演出と役者の熱気で嘘のように蘇える。
芝居は面白く、生き生きと精彩を放ちはじめ…。

 と、今朝の夢はそこで覚めた。
もちろん夢の中の有能な演出家はオノレなんだが…。 
はたして現実はてえと!?


  気が置ける仲間
Date: 2006-05-29 (月)

 昨日の日曜は久しぶりに新宿で飲んだ。
経師職人で、文学・音楽・映画・落語と、
幅広い知識を有し、独自の鑑賞スタイルをもつE。
老人ホームの送迎バスの運転手で、独身を謳歌し、
あくまでポーカーフェースに生きるS。
自称詩人なんだが、近頃さっぱり書いとる気配のない、
やはり独身ミーハー詩人のK。
この三人は、かつてオノレが参加しとった「読書会」の仲間。
その「読書会」はとうに解散しちまったんだが、
彼らとは、偶に酒を酌み交わす熱き交流を続けとる。
 互いに生きる世界はまるで異なり、
故にそれぞれの仕事のムツカシイ話なんぞ余りしない。
ようするに気が置けない、いや、置ける仲間なんだ。
で、読書・映画・テレビから、政治・社会に関することまで、
丁々発止・喧々諤々、大いに互いの考えを吹聴し、
ついつい酒量も増してボルテージ全開。
肩の凝らない四時間ほどの愉しい酒席で、
オノレはこの世の憂さを大いに晴らした。

 ダービーの余韻をつまむ酒席かな   麦  人


  海外旅行何ぞより…
Date: 2006-05-26 (金)

 身内の夫婦が二十日間におよぶ海外旅行で
スイスやイタリアを巡ってきたという。
 旅先の写真を見せられ、
その風景の美しさにしばし見とれた。
が、それでもオノレは海外へ行く意欲には駆られない。
なにせ異常に飛行機や船に臆病だから、
残された人生においても、
この狭い島国から脱出することはなかろう。
もっとも日本社会の将来は、
貧しき年寄りにとってますます住み辛くなりそう。
一度だけ飛行機に乗る危機的苦痛に耐え日本を脱出、
老人にやさしい他国に移住するのも悪くはないか。
とはいえ現状も、たぶん将来も、
移住して夫婦働かずとも一生他国で暮らせるだけの…、
オゼゼがタメラレン。
 ところで最近のデジタルカメラの精密さには驚くな。
旅行した身内の写真は、去年発売された、
手振れ防止機能付きデジカメで撮ったという。
ホンマ、素晴らしいスイスの山々が、
まるでプロ並の映像で記録されとる。
そのカメラの画素数がいくつか聞きそびれたが、
B5くらいに大きく引き伸ばした写真も全くボケとらん。
オノレが持ってるデジカメなんざ、
撮った八割はピンポケで削除せにゃアカンのじゃ!
「ネエ、ヤマノカミ。海外旅行何ぞより、
手振れ防止のデジカメが…欲しいなあ!?」


  劇作家・小山祐士
Date: 2006-05-25 (木)

 ええ、近所の小さな公園に泰山木がありまして、
毎年、六月になると白い大輪の花を誇らしく咲かせます。
 この木を見ると想いだすのは、
昔、劇団民藝にいた頃出演した、 
「泰山木の木の下で」という芝居。
小山祐士(1982年・没)という劇作家が書いた、
広島の被爆者の悲劇を描く秀逸な戯曲。
 
 瀬戸内海の小さな島に住むハナ婆さん。
九人もの子供を儲けながら、三人の子は戦死。
残る六人の子と夫も、広島の原爆で失ってしまう。
戦後、ハナは助けるつもりで人の子を堕ろすのだが、
ある日、被爆者で不具の子を持つ木下刑事が、
令状をもってハナ婆さんを訪れる…。

 と、まあこんな粗筋。で、オノレが演じた役は、
瀬戸内海の小島を渡るポンポン連絡船の少年船員。
「桃色遊戯」なんてえ古典的形容の台詞があったのを、
40年くらい過ぎた今でも懐かしく想いだすなあ…。
 この芝居は二三年にわたって長期の全国巡演をし、
宇野重吉の演出で、ハナ婆さんの北林谷栄、
木下刑事の垂水悟郎の圧巻の演技に、
オノレは旅の最後まで泣かされとりました。
 福山出身の劇作家・小山祐士さんは、
毒ガスの島を舞台にした「日本の幽霊」、
「瀬戸内の子供ら」「黄色い波」など、
その多くが瀬戸内海を舞台にした戯曲を書いとる。
 小山さんは、誰にも分け隔てない付き合いをする、
人懐っこくて可愛いいジイさん。
アル中のごとく酒を飲み、
酔えば素面でもモツレ気味の舌はさらにモツレ、
苦言を言ってるのか褒めとるのかよくわからん。
まるで子供のような邪気と利かん気にあふれ、
このジイさんにかかっては、
どない悪たれつかれても憎めないという、
まことにオモロイ人徳を具えとった。
 銀髪・ギョロ目で寂しがりやの劇作家は、
人と芝居と酒をこよなく愛しながら、
さりげなく落ちた泰山木の花びらのように、
その一生を終えたような気がする。


  劇団「前進座」創立75周年!
Date: 2006-05-24 (水)

 国立劇場で前進座を観劇。
創立75周年記念公演である。
この劇団の敷地で育ち、一方ならぬお世話になったオノレは、
中村梅之助さんの風雪あふれる口上を聞きつつ、
今は亡き劇団第一・第二世代の方々の姿が脳裏を過ぎり、
思わず目頭が熱くなった。
 今や前進座は、第三世代の俳優・スタッフが座の中核となり、
75年の歳月によって培われた諸先輩の創造的財産を継承しつつ、
新たな息吹とエネルギーが踊躍として湧きはじめている。
今日の「謎帯一寸戸徳兵衛」(鶴屋南北・作)は、
そんな前進座の未来に大いなる可能性を感じる舞台であった。
 この舞台を観ながら、オノレがとくに嬉しく思ったのは、
アンサンブルのよさは当然だとしても、
前進座に入って、初めて歌舞伎の修行をつんだ多くの役者が、
その所作や台詞回しの演技術を着実にものにしていること。
かようなレベルアップが、
舞台全体の創造をより豊かにしつつある。
第二世代と第三世代に移行しはじめの一時期、
チトその舞台成果に翳りを感じて心配したが、
どうやら杞憂に終わりそうで一安心。
 「謎帯一寸戸徳兵衛」は、南北らしい色と欲、
人の内に巣食う悪のおぞましさ満タンの芝居である。
「四谷怪談」の先行作として書かれたらしく、
主人公は団七という、伊右衛門と瓜二つのとんでもない悪党。
この悪党を縦軸に、とにかく破天荒というか、
わかりやすい不条理というか…、倒錯した人と人の絡み合い。
およそ二時間余の時間はアッというまに終わった。
 あえて欲をいえば、余りに不条理なシチュエーションと、
余りに馬鹿馬鹿しく騙し騙される登場人物たちの劇的展開の中に、
馬鹿馬鹿しすぎて、かえって客が腹から哄笑しちまうような毒のある滑稽、
いわばブラックユーモアーに徹した世界が、
さらに色濃く滲む舞台になれば…。
とくに芝居前半、それを感じたオノレである。
「魚屋宗五郎」(河竹黙阿弥・作)との二本立て。
 オノレは、前進座・創立75周年とその創造的成果に、
改めて熱い拍手と祝福を奉げる。
座員の皆さん、また新たな明日への「前進」を!


  自公政権のオソロシイ法案
Date: 2006-05-23 (火)

 《医療制度改革関連法案》を強行採決した与党。
「貧しい年寄りは姥捨山へどうぞ!」
 世論調査で80%が反対する中で、
与党がイヤイヤ見送った、《共謀罪関連法案》。
「納めた短刀(ドス)を磨きなおして出直しやしょう!」
 3兆円もの国民負担になるという、《在日米軍再編特措法》。
「米国に献上する金の明細はアチラ任せで!」
 そして『愛国心』に溢れた方々お待ちかね、
《教育基本法改正案》。
「軍人勅諭と気づかれぬよう草案すべし!」
 小泉・自公政権が次々提出するオソロシイ法案は、
弱者の暮らしを崩壊させ、
表現の自由を束縛し、日本の明日を危うくする!


  2台ピアノコンサート
Date: 2006-05-22 (月)

 昨日の夕方は、友人の鍵盤楽器奏者、
武久源造さんのコンサートへ。
会場は去年の11月にも訪れた荻窪のカン芸館。
そのとき彼は山川節子さんと《ビアノ連弾》をし、
オノレはピアノへの疎い認識をチト深めた。
 今回も息の合った山川さんとのコンビ。
が、連弾ではなく《2台ピアノコンサート》。
源造さんいわく、
「連弾は自転車の二人乗りのようであり、
2台ピアノは宇宙を航行する二つのロケット」らしい。
で、二人のピアノは噴射に成功、
一つの楽譜という軌道を同時進行しながら
丁々発止、互いに探り合っては絡み合い、
反発し呼応する…およそ二時間。
それは胸に響く迫力と、えも言われぬサスペンス、
具象的ユーモアと精神的ロマンに満ちあふれ、
オノレの脳には去年にまして刺激的な時間であった。
 プログラムはブラームスの、
『ソナタ へ短調 op.34.bis』に始まり、
サンサーンスの『動物の謝肉祭』。
そしてモーツアルト『ラルゲットとアレグロ』で終わった。
 『ソナタ へ短調 op.34.bis』は、
ブラームスの恩人・シューマンの妻とともに弾いた曲らしい。
彼は生涯に渡りクララと親しく交流を続け、
結婚はしなかったが、恋愛関係のような時期もあったようだ。
この長い曲を聴きおわり、
オノレは何となくペンをとって走り書きしとった。

 《ソナタの幻想》
 
 君の脈拍 息づかい
 僕の鼓動 血の流れ
 呼応し 乱れ 離反し 交わる
 
 君のリズムと
 僕のリズムが
 湾曲となり 捻れ
 一瞬 
 無重力の中へ飛びこんで
 円くなり 
 回転しつつ
 短い漂泊の旅をする


  走り梅雨
Date: 2006-05-19 (金)

 このところ走り梅雨という天気がつづいて、
オノレの個人的予定はチョコチョコ変わる。
仕事もなく、芝居を観に出る予定でいても、
雨だとつい出不精になり、
一日自宅に閉じこもるようなことになる。
で、有効な時を過ごせるのかといえば、
必ずしもそうはならんのが、
怠惰な人間の悲しい性でありまして…。
 オノレの有意と無為の秤は、
年々無為の側が重くなっている気がせんでもない。

走り梅雨じっと眺めるスニーカー   麦  人


  三十数年ぶりの再会!
Date: 2006-05-18 (木)

 三十数年ぶりに偶然再会という体験を、最近二度も体験した。
オノレが二十代後半頃までお付き合いのあった女優さんと、
旧TVプロデューサーてえ人である。

女優T  「あなた、ホントにテラダ君?(オノレの本名)
     まあ、すっかりオジイさんになッちゃって!」
オノレ  「三つ年上のアナタも大したバアサンになっとります!」

TVP  「あの頃童顔だった君の面影はカケラもないね!」
オノレ  「あの頃黒々しとったアンタの頭髪も残りわずかだ!」
 
 やれやれ…しかしお互いまだガンバッとる。
八十過ぎても元気なら、また再会してみたい。
互いの顔を見ながら、果してどない言葉を発するのであろうか?


  詩人の眼・大岡信コレクション展
Date: 2006-05-17 (水)

 ヤマノカミと三鷹市美術ギャラリーへ行き、
「詩人の眼・大岡信コレクション展」を鑑賞。
 大岡氏は現代を代表する詩人の一人であるが、
美術評論家としてもなかなかの人らしい。
とにかく詩人だけではなく、画家や陶芸家、音楽家など、
国内外にわたる芸術家たちとの交流の広さに畏れ入る。
そしてそのコレクションの数の多さにもタマゲル。
(何でも大岡氏の手元には400点を超える作品があり、
今回はそのうち150点が展示されてるようだ。)
 さて、ギャラリーの中へ入って直ぐ、
一つ一つをじっくり見て歩くには、
これはもう大変なエネルギーがいるぞと思った。
二三時間はアッという間に過ぎることだろう。
そこでエネルギーの少ないオノレは、
じっくり鑑賞する作品と、チラッと鑑賞する作品を、
オノレ好みで選別し、一時間半ほどで退散した。
 出品の展示品は様々。陶器などもあったが、
全体に抽象画が多く、具象的な作品は余りない。
で、絵画鑑賞に自信のないオノレは、
描かれたいろいろな抽象世界を、
オノレなりに空想しながら愉しんだつもりであるが…。
その空想を、この作品群を所蔵する詩人のように、
巧みな言葉で具象化することはとてもとても。
「400点を超える作品を自宅に飾って鑑賞するには、
どないお屋敷に住めばええんじゃろう…」
 これがギャラリーを出てヤマノカミに、
オノレがもらした最初の感想であった!


  緑の衣
Date: 2006-05-16 (火)

 今朝は雨模様の空ではあったが、傘を持たずに出かけた。
昼過ぎの帰宅は、小雨に打たれながら遊歩道を歩く。
目に映える樹木の緑が実に鮮やかで清々しい。
この緑を見ていると、同色なのにそれぞれの木によって、
無限とも思える濃淡のちがいがあることに気づく。
そしてその微妙な個性や味わいの深さに、
思わずため息をついてしまう。
また同種の木であっても、その緑はやはり一色ではない。
一本の木をおおう無数の葉もまた然り。
樹木たちは恵みの雨を受けて、
緑の衣を悠々と濡らし麗々と装う。
その恵みの雨は、とても立派とはいえないオノレの体にも、
今日ばかりは妙にやさしく、淡々と降り注ぐのだ。

           雨は樹木の化粧水   麦  人


  JRは運転手不足?
Date: 2006-05-15 (月)

 たまに朝のラッシュ時、山手線に乗って驚くことがある。
運転手のブレーキのかけ方がひどくギクシャクとして、
乗客は前に横につんのめり不快きわまりない。
乗る度というわけでもないんだが、常に緊急停止のような、
まことに荒っぽいブレーキ操作をする運転手に、
何故かオノレはよく遭遇しちまうんだな。
まあこれが新人ならシャアナイとも思うが、
とにかく多くの人命を預かってるわけでございますからねえ…。
どうか身に覚えのある運転手さんは、
立っとる乗客がつんのめって疲労困憊せんよう、
やさしくスムーズなブレーキ操作を心がけてもらいたい!
 ええ、以前JRの運転手だったOBの方に、
かようなオノレの愚痴をこぼしたことがありまして…。
そのOB氏いわく、たぶんラッシュ時は運行本数が多く、
本来貨物列車の運転手が助っ人としてかり出され、
慣れない客車両の運転をするためではないかと教えてくれた。
客を運ぶ電車と貨物列車とでは、
まるで運転の仕方が変わるという。
う〜ん…、もしこれが事実なら、
JRがその運転手不足を解決せん限り、
我々乗客の両足踏ん張るガマンの日々が続くのネ!


  作品解釈
Date: 2006-05-14 (日)

金の糞しそうな犬ぞ花の陰   一 茶

 この句の「金の糞」は、
「カネのハコ」と読むか、「カネのフン」と読むらしい。
しかし俳人の金子兜太さんは、
敢えて「キンのフン」と読みたいと鑑賞する。
なるほどねえ…。
 読み方一つで俳句のとらえかたてえのはまるで変わるな。
要するに作者の本意がどこにあるかはさておき、
その作品解釈は読み手の自由てえことだろう。
 これは演劇の世界も同じである。
創り手に何の意図もない舞台創りはまずない。
しかし多くの客は創り手の意図通りには観ちゃくれん。
だからこそ、その評が良くも悪くも、
芝居の創造は面白く奥深くオソロシイのだ!
 ところでオノレはこの句を、「カネのクソ」と読んだ。
作品解釈一つにも、
読み手の人品がつい出てしまうなあ…。

金の糞出すなら買おう檻の犬   麦  人
(ええ…「キンのクソ」と読んでくだされ!)


  松井選手の骨折
Date: 2006-05-13 (土)

 ヤンキース・松井が左手首を骨折。
今季の出場が危ぶまれる重症だという。
今では日本のプロ野球にさほど興味のないオノレであるが、
大リーグ・日本選手の活躍はなぜか気になるんだナ。
やはりオノレのDNAのどこかに、
余りあっても嬉しくない《大和魂》の血があって騒ぐのか?
しかしオノレのかような大リーグ・日本選手への関心は、
最近日本国内で妙にウルサイ《愛国心》なんてえものとは、
およそ縁もゆかりもない、素朴な民族的感情であると、
カタク信じておるわけでございますが…?
 いずれにせよ松井のヤンキースと、
イチロー・城島のいるマリナーズの試合は、
衛星テレビ中継が多く、ついついスイッチを入れてしまう。
が、その松井の出とらんヤンキースに余り興味はない。
で、そのぶんテレビの視聴時間が減り、
オノレとしては寂しいようなアリガタイような、
チト複雑な心境なのであります。
 それにつけても松井選手は、
この大怪我で連続出場試合もストップ。
まさに踏んだり蹴ったりの辛い心境でありましよう。
一日も早い回復のうえ、これまで以上の活躍で暴れまわり、
テレビ視聴の有無で、再びオノレを悩ませたまへ!


  麻雀熱
Date: 2006-05-12 (金)

 最近、仕事帰りに麻雀に誘われ、
チト心が動いたがキッパリお断りした。
 さよう、オノレは若かりし頃、
ずいぶん麻雀で無駄な時間を費やし、
まるで裕福ではなかったが、
乏しいゼニを貢がんでもよい人に気前よく貢いだ。
こちらが貢がれた憶えは少ない。
勝率二割にも満たなかった気がする…。
囲碁・将棋に対してと同じく、その才がまったくなかった。
とにかく点数計算さえもしっかり覚えんかったし、
チャンと憶える気もなかった。
オノレが上がれば出来るヤツに数えてもらった。
そう、チンイツなんぞをテンパイすると、
ワクワク・ドキドキ…それと分かる表情がすぐ顔に出る。
役者のくせにポーカーフェースでいられない。
しかも何面待ちか途惑って頭が混乱、焦りに焦り、
その焦りさえ顔に出て敵に見透かされっちまう。
で、当り牌でもない牌を、
「ロン!」と半信半疑口走るてえようなお粗末。
ホンマ、よくチョンボをとられましたねえ…。
それでも懲りずに辞めんかったな。
囲碁・将棋と異なり、
こいつはオモロイ遊びであるとトリツカレタ。
 あるとき、そんなオノレがバカ勝ち。
いつも負けない上手い男が、なぜか一人で大負け。
遂に彼は遊び途中で血が上り、麻雀卓をひっくり返した。
場はすっかり白け、そこで遊びはジ・エンド。
ところがコイツは傲慢にも、
己がユメユメ負けることはあるまいと、
ハナッから固く信じていたらしい。
負けたゼニも、場代さえも用意していなかった。
「次の機会に必ず払う!」
 彼はエラそうに言い放ち、詫びの一言もなく、
真ッ青な顔で仲間に背を向けトン走しちまった。
 かように醜悪な場面と遭遇してから、
オノレの麻雀熱は嘘のように醒めたのである。
もちろん麻雀卓をひっくり返したバカタレとは、
以後、全くお付き合いをヤメタ。
そういえば彼は、あのときの負けも場代も、
未だに清算しとらんわい…。
 まあ、かように愚かなエピソードは、
麻雀の世界では決して珍しくないのかもしれんが…。
人間同士でやる賭け事は、
実(ゲ)にムツカシク、オソロシイのだ!
 それからオノレは人さま相手とのバクチから、
お馬さんの走るバクチへと趣向を変え、
ある日気がつくと地獄の入り口らしいところに、
その片足を突ッ込んでおりました…。
 この大バカタレッ!!


  自由律句 ?
Date: 2006-05-11 (木)

老木伐られた空に烏    麦   人 
(試みにはじめて創った自由律句なのだ)

天寿を全うし朽ち果てた自然林の木
誇らしく土にかえるため
永々(ようよう)として雨を吸う

汚染で殺された自然林の木
無残に折れて臓腑を曝し
杳々(ようよう)と雨にうたれる


  続・認知症
Date: 2006-05-10 (水)

《認 知 症》
医学上は痴呆というが、
痴呆とアホを一緒くたにされるおそれがあり、
高齢者を侮辱するてえことで、
厚生省が認知症と改めたようだ。

《痴  呆》
後天的な脳障害により、
正常に発達した知能が低下した状態。
痴呆症は、アルツハイマー型と脳血管性に分けられるという。
全国の65才以上の痴呆性老人は約165万人おり、
最近ではアルツハイマー型が脳血管性を上回ったという。

《アルツハイマー 》
痴呆の代表的疾患。
語源はアルツハイマーという医師が、
女性の進行性痴呆症患者を報告したことに由来するらしい。
目立つ症状は物忘れ。
進行すると数分前のことも思い出せなくなり、
今日何をしたか、誰に会ったかなど、
その日の出来事さえ思い出せなくなるという。

 一昨日から、痴呆・認知症・アルツハイマーてえ言葉が、
オノレのボケ脳内に居座ってこんがらがり、
何がどう異なるのかインターネットでチト調べた。
要するに認知症は痴呆の別称であり、
アルツハイマーは痴呆の一症例てえことだろう?
 
 さて、本日仕事帰り一杯飲んで帰宅すると、
缶ビールを前にヨーキのオトメを膝に乗せ、
ヤマノカミはボケーッとテレビに見入ッとった。
で、オノレがキッチンに入るってえと、
サウナに入ったような熱さと焦げた臭いでビックラこいた。
ヤマノカミが魚を焼いて取り出したまま、
ガス栓を閉め忘れちまったのである。
彼女はかようなオソロシイ失敗を、ここ一年で数回しておる。
まだ五十代後半てえのに、
ひょっとして若年性アルツハイマーじゃねえだろうな?
《大丈夫ナノデアリマショウカ…!》。


  認知症
Date: 2006-05-08 (月)

 世の中の黄金週間も終わったようだが、
オノレはこの連休中、とりたて普段と変わらん毎日であった。
ただ、長いお付き合いのある劇作家の方と奥さん共々会食し、
チト辛い時を過ごした一日があった。
 七十半ばの劇作家である彼は、
今年に入って認知症が大分深刻化しているようで、
その顔から感情表現がおよそ失せてしまった。
話している相手が誰かも朧なようで、名前も出てこない。
 ご夫婦とは去年の暮れにもお会いし、
このとき彼はオノレの名前も言えたし笑顔もあった。
それからわずか半年、これほど認知症が進行してしまうとは…!
 それでも昔から気丈な奥さんがどうやら元気なので一安心。
とはいえ、一時も目が離せない夫の介護で、
心身共に相当まいっている様子もうかがい知れる。
そう、彼女も夫と同い年のお婆ちゃんなのである!


  黄金週間の一日
Date: 2006-05-03 (水)

 ヤマノカミは山の神を仰ぎに友人と高尾山へ。
ただいま午前九時半。
この日記を書いたら、新聞片手に駅まで散歩し、
ドトールへ行ってコーヒーを飲み、
お昼は自宅でハムトーストを食う。
それから秋公演の準備でワープロとニラメッコ。
 夜は去年の芝居「象」で御一緒した役者のお二人と、
久しぶりにお会いし、飲み屋での同窓会。
 遠出をしないオノレの黄金週間の一日は、
普段の休日とあまり変わりばえのしない過ごしかたで終わりそう。 


  三劇団の芝居三本 !
Date: 2006-05-01 (月)

 先週から今週にかけて慌ただしい日が続いた。
中でも29日(土)は、三劇団の芝居三本を梯子するという、
初体験の離れ技までしちまった。
 午前11時から下北沢のザ・スズナリで、
東京乾電池の「小さな家と五人の紳士」(作・別役実)。
下高井戸へ移動して、午後3時から旧真空鑑という劇団の舞台。
これも別役作品で「舞え舞えかたつむり」。
夜6時からは代々木八幡の青年座アトリエ。
井上ひさし・作「父と暮らせば」を朗読する、
青年座中堅女優の一人舞台。
 どれも一時間から一時間半という短い舞台であったが、
硬めのパイプイスに座ってばかりの観劇でさすがに疲れた。
 「小さな家と五人の紳士」は、
一昨年の独歩プロデュース公演で、オノレが演出した作品。
柄本明という稀有な役者の演出・出演の舞台が、
どのような世界をみせてくれるのか、ドキドキしながら観た。
で、その感想は…ベンキョーになることもありました。