オノレ日記帳

2006年9月の記録



  金木犀
Date: 2006-09-27 (水)

 午後三時頃、ようやく晴れた。
朝、家を出て駅に向かう小雨の道でも、
金木犀の強い匂いは消えずにあった。
 小さな公園から、
「いい、におい」という、幼い女の子の声が聞こえた。
それがひどくオマセなもの言いだったので、
オノレは思わず振り返り公園に目をやった。
 女の子は、若い母親の指差す金木犀を見ながら、
ほんとうに嬉しそうに、ヨチヨチ歩いとった。


  戦いの場
Date: 2006-09-25 (月)

 オノレは平和が好きである。
であるからして、芝居の稽古を戦争に例えたくはないが、
それはまさに生身の人間がぶつかりあう戦いの場…といえる。
出演者やスタッフがいつも和気藹々、
愉しく創造できるにこしたことはない。
が、そうもいかん状況にもなる。
いつもきれいごとだけではすまない世界なのである。
とにかくみんながトンカチ握ってコチンコチン、
しっかりした柱を建てつつ、
汗水垂らしてよい「家」を創らにゃならん!
稽古場の明るい雰囲気だけは失わずにネ。


  粗立ち
Date: 2006-09-22 (金)

 19日から「はるなつあきふゆ」の立ち稽古に入った。
まだ粗立ちとはいえ、本読みだけではつかめない諸々のことが、
立ちに入ると立ち上がり、立体的に見えてくる。
面白いのは、読みでは余り目立たなかった役者でも、
立ちに入ると俄かに生彩を放ちはじめたり、
裏腹に戸惑いをみせはじめ、
その良さを失ってしまう役者もいる。
つくづく芝居は「生きもの」なんだと実感する。
 さて、オノレをふくめ、この16人の悩める出演者は、
舞台でいかにしっかり生きることができるであろうか…?!
演出の確かな目と、役者の感性が問われてくる!


  「知られざる渥美清」
Date: 2006-09-15 (金)

 大下英治という人が書いた実録本、
「知られざる渥美清」を読む。
もちろんオノレは、映画やTVで活躍した役者・渥美清の大フアン。
しかしこの本は、そういう渥美清だけではない、
人間・渥美清の実像を丁寧に取材し書いており、
なかなか面白く読み応えがある。
なぜか書店に山積みされとる、
風が吹けばソヨソヨ飛んでなくなりそうなタレント本ではない。
 売れはじめた渥美に、マネージャーが危惧を感じ、
「テレビに出すぎるのは気をつけたほうがいいのでは」と言う。
渥美が答える。
「おれの住んでいる四畳半の部屋の壁にはな、
こう、おれを取り囲むように一面に紙が張ってあるんだよ。
その紙にはな、一年のスケジュールが全部書き込めるようになっている。
売れないときには、この紙が真っ白のままでね。
それは、さびしいよぉッ。
おれは畳の上に寝そべって、それを見ながら、
いつかはこれをまっ黒にしてやるんだっていい聞かせてきた。
ところが、どうだい。いまや、スケジュールは、まっ黒だ。
でもな、なんか、これじゃあいけないような気がしたんだ。
今度は、逆に、白いところ多くしようって、
考えなおしていたところなんだ」(一部省略)
 自分のマネージャーのアドバイスに耳を傾け、
それに誠実に答える渥美の、
人間としての器の大きさを感じると同時に、
役者としての資質の深さをも感じるエピソードである。


  六十路を過ぎてから…
Date: 2006-09-14 (木)

 昨日で「はるなつあきふゆ」の本読みが終わった。
五日ほど休んでいよいよ立ち稽古に入る。
演出として、本読みから得た感触はなかなか良い。
 それにしても六十路を過ぎてから、
こんなに芝居創りが面白くなるとは…。
二三十代の頃なんざ、役者としてただ「売れたい」だけ。
そのための手段としての演技ばかりしとった。
当然かような「エエカッコし演技」は、
磨きに磨かれ生まれたものではないから、
薄っぺらで何の魅力もなく「カッコ悪い」。
結局大して「売れる役者」にはナランカッタわい…。
ハンセイ!
 あの若かりし頃から芝居の面白さに目覚め、
享楽に溺れず、例え役者として売れずとも、
確かな役創りをするための「技」を磨いとったら、
オノレの人生もずいぶん変わっていたかもしれん。
もっともオノレにとって、
そんな修行僧のような日々が幸いであったかは、
まことに疑わしい気もするのでござんすがネ…。


  真夜中の天変地異
Date: 2006-09-11 (月)

 今朝未明、小平方面では凄まじい雷が続いた。
オノレの過去の記憶にないほど長時間、
たぶん一時間くらい暴れに暴れ狂った。
不規則な間をおいて闇をつらぬく照明弾のような稲光と、
砲撃のような雷鳴…。
思わずヤマノカミに冗談を言った。
「日本でついに戦争が始まったぞい!」
 イラク・レバノン・アフガニスタン…。
地獄の光と音の中で生きる人々を思わずにはいられない、
真夜中の天変地異であった。


  問答有用
Date: 2006-09-08 (金)

 国会の質疑応答てえのは、ことの本質をはぐらかすような、
《問答無用》の類が多くてうんざりするが、
芝居の稽古においての、役者と演出、役者同士、
あるいは演出&役者&スタッフを交えた議論・質疑応答は、
創造を深めるため、まことに《問答有用》である。
 台詞の解釈一つとっても、
役者と演出の意見が異なることは多い。
そして演出の意見が全て正しいはずもない。
とくにオノレのごとき凡才演出家は、
しばしば役者やスタッフの解釈の凄さに舌を巻き、
オノレの読みの浅さに恥じ入ること多々である。
偉そうにふんぞり返って演出なんぞしとれん。
で、とにかく誠実に演出プランを提示し、
もしそこに間違いあらば、「ゴメンナサイネ」と、
恥かくことも厭わぬ姿勢をもたねばアカン。
 演出が不勉強でリーダーシップを失い、
あの道、この道をフラフラする迷走状態は許されんが、
すべてにおいて演出家が絶対である必要もなかろう。
 凡才演出家は、面倒でも忍耐強く、
共に創造する一人ひとりが納得するまで、
真摯な問答を尽くし、よりよい道を選択しつつ、
着実に前進するほかないのである!


  「美しい国、日本」
Date: 2006-09-06 (水)

 小泉首相の後継は安倍官房長官でほぼ決まりだという。
で、このお方は我々の社会を、
「美しい国、日本」にしてくれるのだという。
つまり今日の日本社会が、いかに「美しくない」か、
長期間、現政権の中枢にいる政治家として自認しとるわけだ。
 五日の朝日朝刊《政態拝見》のコラムを書いた人によれば、、
安倍氏はその著書『美しい国へ』で、戦中の特攻隊に触れ、
「自分のいのちは大切なものである。
しかし、ときにはそれをなげうっても、
守るべき価値が存在するのだ」と、宣われておるそうな。
たぶん安倍氏は、空に散ったかの特攻隊員は、
その命より守るべき価値のために死んだのであり、
かような精神を「美しい」と考える御仁なのであろう。
オノレはかような本を、
大切なオゼゼ使って購入し拝読する気など毛頭ない。
であるからして、ひょっとして誤った推測かもしれんが、
そうであったら…ゴメンチャイ。
 それにしても安倍氏が、
自民党総裁選立候補で披瀝した「決意」の、
何と具体性の乏しく、白々しい醜き言葉の羅列。
《文化、伝統、自然、歴史を大切にする国》
《「自由」と「規律」を知る、凛(りん)とした国》
《未来に向かって成長するエネルギーを持ち続ける国》
《世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国》
 いやいや、『美辞麗句』の見事なお手本として、
チットは価値がありそうだな!


  稽古初日の本読み。
Date: 2006-09-04 (月)

 先週の土曜日、「はるなつあきふゆ」の稽古初日の本読み。
演出の立場としては上々の滑り出しであった。
おおよその役者さんが、
自分の役の基本的デッサンをしっかり描いて、
この日の稽古に臨んでくれたように思う。
しかし本番初日までの道のりはとてつもなく険しい。
出演者それぞれがこの日に発芽したものを、
しっかりした実のある大樹に育てるための、
地道で厳しい稽古の日々が続く。


  いざ、出陣!
Date: 2006-09-02 (土)

 いよいよ今日から、11月・独歩プロデュース公演、
「はるなつあきふゆ」(作・別役実)の稽古がはじまる。
といっても、今日の本読み稽古が終わると、また十日ほど稽古はない。
今月の稽古は十日間あるだけで、
エンジン全開は十月に入ってからになるだろう。
とはいえオノレにとって稽古初日は、
今後の創造的成果を測るうえで大切な日である。
素晴らしいスタートを切る人、チト出遅れ気味の人、
いろいろあるだろうが、役者それぞれの考えている方向性、
できればその個性とクセを可能な限りつかみたい。
 今朝はオノレ自身に気合を入れるため、
まず風呂に入り、頭を剃髪し、昨日までのアカを落とした。
 いざ、出陣!


  温泉もいいけれど…。
Date: 2006-09-01 (金)

 天高く馬肥ゆる秋はまだ先だが、暦の上では秋も半ば…。
慌ただしく一年の三分の二が過ぎちまった。
この夏もどこへも遊びに行かず、
今年遠出したのは、正月にヤマノカミの故郷・青森へ行っただけ。
一週間くらい、のんびり山中の温泉にでもこもりたいのだが、
明日から「はるなつあきふゆ」の稽古もはじまり、
11月半ばまでは何処へも行けない。
ま、温泉もいいけれど、
湯に浸かる愉しみは先にとっておくとして、
当分創る悦びにどっぷり浸かって満足するわい!