オノレ日記帳

2007年3月の記録



  桜満開
Date: 2007-03-31 (土)
 昨夜、小平の桜満開。
しかし夜桜を愉しむにはチト寒い。
仕事帰り、馴染みの飲み屋で一杯。
たまに会う客が芝居のチケットを二枚買ってくれる。

ほろほろと花冷えの道独り占め   麦  人

  プロデューサーとは…
Date: 2007-03-30 (金)
 芝居のプロデューサーとは、どういう役割だろう…と、
チト真面目に考えた。
よい作品を企画し、その財源を確保し、
適材適所の人材を集め、よき創造のできる稽古場環境にし、
遂に仕上がった舞台成果を世に問う…。
プロデューサーてえのは、その推進役であり、
核になるヤツてえことに間違いあるまい。
 今、日本の社会には、
「己よければそれでよし」てえような人が急増しとる。
かような社会傾向に歯止めをかけるどころか、
ますます増長させるかのごとき、
小泉〜安倍内閣の政治を考えると、
勝ち組になれん大多数の弱者にも、
《美しい国》と思えるような、
明るい未来が待っているのであろうか?
 で、ここ数年芝居をプロデュースし、
とにかく公演関係者全ての人の持てる力を、
いかにうまく発揮してもらうかに大いに悩む。
その一人ひとりの持てる力を目一杯生かしてこそ、
ブロデューサーとしての重責が果せると思うからだ。
大スターや大演出家が一人突出した力を出しても、
人の心を打つ舞台にはナカナカならん。
 台詞のない役を演じた役者さんでも、
この役をしてよかったと思える舞台。
劇場の受付や客席誘導をしてくれるスタッフまでもが、
この芝居に関わってよかったと思ってくれるような公演。
これぞプロデューサーとしてオノレが実現したい理想の姿ではある。
全ての出演者・スタッフの力を結集したアンサンブルの良し悪し…。
これは舞台成果の良し悪しにもオソロシク反映する。
結果如何で、千秋楽の打上が愉しい場にも白けた場にもなる。
 さて、プロデューサーとして過去の独歩公演を振り返り、
「己よければそれでよし」てえ考えの役者やスタッフは、
オノレをふくめ、ほとんど「いなかった」と…、
確信しているのではありますが。

  正念場!
Date: 2007-03-26 (月)
 2007年・独歩プロデュース公演、
「受付」「虫たちの日」の初日まで後一ヶ月。
ここからはアッという間に一月が過ぎて本番が終わるような気がする。
日々の稽古から、それなりオモロイ二本立てになりそうな手応えはある。
しかしオノレの求める舞台の姿としては、
たぶんようやく下着を身に着け終えたところか。
それぞれの作品が、芝居としてあるべき良い身だしなみを整えるため、
ここから先の稽古は正念場であり、
役者・演出・スタッフにとって、修羅の稽古場になる!

  夢でのカリスマ
Date: 2007-03-24 (土)
 オノレがアングラ・小劇場のカリスマになっとる夢を見た。
オノレは今さらそげなカリスマになりたいとは思っとらんし、
(なれるわけもない!)
とりたて名声や地位が欲しいとも思っとらん。
が、大勢の人々から称賛され悦に入っとるこげな夢を、
眠りながら実に気持ちよく見ていたな。
しかし目覚めてからはまことに気持ち悪かった。
 オノレの内なるどこかには、
まだまだ若き日の野心や名声欲のカスが散乱しとるのか。
 それにしても夢の小劇場の客席は、
あふれんばかりに満席であったぞ。
こればかりは独歩公演でも現として叶うとよいのでありますがね…。
 さて、この夢の舞台でオノレが上演しとった作品は、
たぶんベケットの『ゴドーを待ちながら』である。
そしてオノレは今夜、木山事務所公演、
『やってきたゴドー』を観劇させていただく。
この新作書き下ろしの作者は別役実さん。
okok…否、ワクワク。
(ひらがな変換しないとワクワクはokokなのだ)

  春だなあ…。
Date: 2007-03-23 (金)
春だなあ…。
何だか体がやわらかい。
花見の誘いだ。
行けんなあ…。
芝居の稽古は休めない。
しんどい毎日が続くけど、
妙に浮き浮きする日だよなあ…。

  杉並演劇祭参加 「いのちのたいせつ」
Date: 2007-03-21 (水)
 昨夜、杉並演劇祭参加、
「いのちのたいせつ」という舞台を杉並公会堂小ホールにて観劇。
上演したのはシアター・ブロック。
このグループは、以前「動員挿話」という岸田国土の戯曲を上演し、
オノレの記憶に強い印象を残してくれた。
 木下順二の放送劇「女工哀史」や太宰治・織田作之助の短編、
三好十郎の詩などを構成し、劇的に演じる試み。
その全体の構成はなかなか強か、
構成・演出をした新城聡の知と力の確かさを感じる。
 さて、四人の作家が生きて遺した作品を巧みに構成し、
おのずと透けて見えてきたものは何か…。
それは過去の時代や戦争にたいして、
平成時代に生きる新城の視線のとり方であり、
いくつもの個別な作品が凝縮され連鎖することによって浮上する、
「いのち」という上演テーマの重たさであった。
 箱ウマを並べたり重ねたりする他、
およそ大道具らしいものを使わぬ構成舞台。
その舞台を、二十人余の役者がところ狭しと動きつつ、
時に一人、時には全員で、熱く、
あるいは淡々と語り唱和する。
マスコミに売れとる役者は、たぶんそんなにいないと思うが、
出演者一人ひとりのキャラクターの面白さ、
配役の妙と適確さに、
思わず唸り、忍び笑いを禁じ得なかったオノレ。
この彼らから、上手い下手を凌駕して創造と対峙する、
真摯で熱い心を感じたのはオノレだけではなかろう。
 《見物をあたたかい気持ちにさせたり、
帰りに酒の一杯ものんでいこうかという気持ちにさせる芸を、
今、我々はもちあわせない。》
 新城さんは、こうパンフレットに書いとる。
なんのなんの、オノレは公会堂を出て、
うまい酒を「イッパイ」飲んで帰宅するハメとなった!
★★★★!

  評価?!
Date: 2007-03-20 (火)
 先週土曜日、狛江まで知り合いの女優が出る朗読会へ行った。
その打上に参加させていただき飲むことになった。
やはり出演しとった五十代の男性役者が、
だいぶ酩酊してからオノレと話し始め、
「あなたの舞台を観たことはないが、
たぶんあなたは下手くそな役者だと思う」と、
ご親切に評価してくれた。
この御仁、これまでにシェイクスピアの全作品に出演したとかで、
確かに響きのあるいい声と歯切れのいい語りをする方。
「何はともあれ、一度小生の舞台をごらんいただき、
改めて役者としての評価を拝受したい」と、オノレ。
 まあたぶんオノレはこの御仁の評価のごとく、
下手くそな役者の部類かもしれん。
それでもおそらくこの御仁より、
役者として客席に届けるものは「豊か」である…、
と思っているのでありますが?!

  劇作家・安保廣信…追悼
Date: 2007-03-19 (月)
 安保廣信…劇作家である。
「ブラインドの視界」「風に狂う馬」「五人のセールスマン」、
「この未明」「月賦」「朱己」「響太」…。
 彼が生涯で残した作品の数は多くない。
北海道・札幌出身の彼は、上京してからの半世紀余の人生を、
水道橋で糟糠の妻と共に喫茶店を営み、
そこで生きる糧を得るための肉体労働をしつつ、
かたわら劇作家としての文筆活動に勤しんだ。
 喫茶店のマスターと劇作家…。
彼はこの二つの世界の狭間で、まさに悪戦苦闘しつつ、
故郷の風土にこだわり、己の素性の匂いをこめて、
いくつかの珠玉の戯曲を世に遺し、三日前に逝去した。
 オノレと安保夫妻との出会いは、
オノレが二十代半ば過ぎ、彼らの喫茶店『しろとくろと』で、
アルバイトをすることになった日からである。
四十代から始めたオノレの独演・独談も、
この喫茶店でずいぶん公演させてもらった。
とにかく安保夫妻とお付き合いした何十年間の日々、
オノレは二人から言い尽くせぬ助言と支持を受け、
また熱い芝居に対する互いの思いの中で、
激しい議論やケンカも繰り返した。
 棺の中に納められた彼の顔は、
長く喘息の持病と闘いながら、
ハードな喫茶店の肉体労働に耐えた人生の疲れからも、
ここ数年、心身ともに衰弱していく己の哀しみからも解放され、
まことに安らかそのものと思えた。
しかしまた、わずかに開いて見える唇の奥から、
「もう一本、もう一本の作品だけでも書き上げさせてくれ!」
 そう叫ぶ彼の悲痛の声がオノレに聴こえたような気もして、
思わず落涙の一滴を棺の中に零してしまった。
オノレの落としたその一滴の涙は、
花の中に埋もれた彼の屍と一緒に焼却され、
ひょっとすると、あの世の彼にへばりついているだろう。
 できれば年末までに、彼の書いた作品の一つを選び、
《追悼公演》を実現させたいオノレである。 

  訃報…
Date: 2007-03-16 (金)
 今朝、起きざまに訃報の知らせ。
亡くなったのは、オノレが二十代の頃から何かと世話になり、
深くお付き合いしていた劇作家。
去年あたりから認知症の進行が急で、
オノレからみても体の衰えがひどく危惧しとったんだが…。
 享年七十五歳。

  はいよいよ立稽古
Date: 2007-03-15 (木)
 『受付』『虫たちの日』の稽古はいよいよ立ちに入った。
二作品とも、たぶん全体で五十分ほどの中味を10に分割、
その1シークエンスごとを大まかに、
しかしそれなり丁寧に構築していくところから始めている。
もちろん本読みの段階でイメージしていた動きと、
実際に台詞を言いつつ立って動くものとの落差は大きい。
相手役との立位置関係一つで役者のもの言いは変わってくるのだ。
 当分は役者も演出も試行錯誤のオンパレードが続く。

  「CSI科学捜査官」第6シーズン
Date: 2007-03-12 (月)
 今日から米TV映画シリーズ「CSI科学捜査官」、
第6シーズンの日本語版・音声収録が始まった。
このシーズンを終えると、オノレとブラス警部とのお付き合いは、
スタートレックのピカード艦長とお付き合いした本数より多くなる。
(ピカードさんはシリーズ前半50本、オノレではない)
 アチラでは、すでにCSI・第7シーズンの撮影に入っているとか。
てえことは、オノレが「健康」で、犯罪事件でも犯さぬ限り、
来年もまだまだブラスさんとお付き合いできるてえことかな。
 体ニ気ヲツケテ自重イタシマス。

  「兎と亀」の朗読劇
Date: 2007-03-11 (日)
 井の頭線・東松原駅近くの小スペースで、
「兎と亀」というグループの朗読劇を観る。
兎と亀は、独歩プロデュースの舞台に、
二度も出演している側見民雄さんが主宰しとる。
また、いつも独歩公演の劇場受付を手伝ってくれる、
大塚美代子さんもメンバーの一人で出演しとる。
さらに今回は丸山詠二さんが友情出演。
詠二さんは、去年の「はるなつあきふゆ」で、
一つの台詞もない役であったが、
♪ われは海の子… を熱唱し、
舞台を通り過ぎるだけの役を好演してくれ、
お客様から高い評価を浴びた役者さん。
オノレの舞台に参加・協力してくれたこの三人の方が、
熱い思いで上演する朗読劇、足を運ばぬわけにはいかん。
 朗読した作品は「クラウディア 奇蹟の愛」(村尾靖子・著)。
この話は、去年の一月、
「クラウディアからの手紙」(脚本・演出 鐘下辰夫)
というタイトルで劇化されとる。
世田谷パブリックシアターでそれを観たオノレは、
スパイ容疑でソ連に抑留された男と、
彼に関わる人々の感動的な事実に、ずいぶん泣かされた憶えがある。
 さて、兎と亀の二時間に及ぶ朗読劇から伝わってきたものは、
劇化された舞台を観たときの激烈な感動と異なり、
日本人的情感の琴線にじわじわ迫ってくるような、
まことに静謐でしみじみとした感動であった。
側見、丸山両ベテランの、抑制され淡々とした声の響きが、
語られる世界を客席にしっかり届けてさすがであった。
大塚さんも、セミプロとしては合格点デス。
 ノンフィクションは朗読に適しているような気もしたな。
今日の朗読劇に注文をつければそれなりあるが、
とにかく真摯に取組んで好感の持てる舞台に対して、
★★★+α。

  今やオノレも…。
Date: 2007-03-10 (土)
 仕事帰りの道、自転車に乗った小学四五年くらいの少年が、
「クソババアーッ!」と叫んで逃げていく。
ひょっとすると今やオノレも、「クソジジィーッ!」か…。
 セツナイ。

  苦境時代を知る御仁
Date: 2007-03-09 (金)
 今夜、オノレは吉祥寺に出て、
長くお付き合いをしとる御仁と数年振りに盃を交わす。
彼はオノレより少し年上、
既に大会社を退職し悠々自適の毎日。
しかしオノレのアホな苦境時代を知る、
キチョウな生き証人の一人でもある。
 かつて三鷹駅からほど遠からぬところにて、
オノレは声優の傍ら小さな飲み屋をしとった。
その頃、ギャンブルに狂とったオノレは、
借金まみれになりつつも、五年くらいフンばって、
フンバリきれず、遂に店をやめたというか、
やれなくなって、夜逃げのごとく閉めちまった。
彼はこの店の近くにあった大企業のバリバリ社員で、
ありがたき常連客の一人だった。
 骨っぽく、ヒョロリと痩身のジェントルマン。
なかなかの硬骨漢だが、オノレのごとき胡散臭いヤツとも、
分け隔てなくお付き合いしてくれる、ホンマ、心やさしき人柄。
であるからして、オノレの舞台もほとんど観てくれとる。
 今宵、あの「苦境時代」のことやら何やら、
つきぬ四方山話に酒量が増えてキケンな夜になりそうである。

  食の本質
Date: 2007-03-08 (木)
 オノレの敬愛する殿山泰司親ビンは、そのエッセイの中で、
「食い物なんてえのは、腹を空かせて食えば何でもウマイ」と、
人と食の本質を見抜いとるかのごとく指摘しとる。
それは飽食にあけくれ、食の本質を見失い、
餓鬼道のオソロシサを知らない時代に生きる人間への、
タイチャン流警鐘とも受け取れる。
 さて、近頃何を食ってもあまり旨いと感じないオノレ…。
やはり悪しき飽食時代の病にどっぶり侵されとるのかもしれん。
 昔、母が毎日のように持たせてくれた「ノリ弁当」。
飯の上に醤油をさらした海苔を敷きつめ、
後は梅干一個とタクアンだけ。
いつもいつも空腹を感じていた餓鬼のオノレは、
学校の昼休み、むさぼるようにそれを食って満足しとった。
あれほど「ウマイ」と思って食う感覚が今はない。

  時を忘れる
Date: 2007-03-05 (月)
 声優の仕事をしていると、オノレのごとき役者でも、
たまには色紙にサインを頼まれる。
字や絵が下手くそなので、オノレはかような求めに応じるのに、
いつも多少の戸惑いがある。
とはいえ、強く断る理由もないので、
オノレの芸名を精一杯慎重に、たどたどしくサインする。
しかしときどき、どうせこげに冷汗もんでサインするなら、
名前と一緒に、短い座右の銘のごとき格言でも併せて書けば、
色紙も少しはサマになるのかもしれんなと思う。
が、いざ色紙に向かうと、
気の利いた言葉てえのは、そう易々頭に浮かばんものだ。
 昨日、ボンヤリ道々歩きつつ、そんなことを考えていたら、
ふと、「時を忘れる」という言葉が頭に浮かんだ。
で、その心は、ヒマな時間がタップリあるのに、
何もすべきことがない状況ほど時が気になり、
かようなとき、体はラクでも、精神的には案外辛い。
だからなるべくそういう状況のない日々を送りたい…、てえことかな。
裏返して、芝居の稽古に打ち込んでいるような、
充実した状況に於いては、
余り時の経過は気にならんもんだ。
体は多少辛くても、精神的にはとても愉しい。
そうそう、オモロイ舞台や映画は時を忘れて観とるし、
ツマランものは時計が気になってしょうがない、てえこともある。
 毎日毎日時を忘れて、気がついたら墓場…てえのも、
チト虚しいような気がせんでもない。
それでも自分にとってオモロイ、充実した時間を過ごし、
結果として「時を忘れる」ことが出来れば、
それはオノレにとってまことにシアワセな状況であると思う。
 これから色紙を頼まれたときに書く言葉が見つかった!

  本読稽古終了!
Date: 2007-03-03 (土)
 独歩ゴールデンウイーク公演、
『受付』『虫たちの日』の本読稽古が終了。
十日ばかり休んで、今月十二日から、いよいよ立稽古入りする。
 オノレは本読稽古てえのがどうも億劫で、
毎公演一二度だけ読み合わせをして、すぐ立稽古。
しかし今回は役者さんからの要望もあり、
それなりの本読稽古の回数をこなし、
これはこれでなかなかヨカツタ!
で、これまで読み合わせ稽古を疎かにしとったオノレをチト反省。
 本読みを増やしてもっともヨカッタと思えるのは、
何をいまさらとコワイ先輩に叱られそうだが、
役者も演出も、当然動きを考えての読み合わせをする。
だからその動きのイメージが深まれば深まるほど、
立に入って、役者は芝居を具象化するのにラクに立てるし、
まことに《役立つ》てえことであった…。
ホンマ、これだけでもわかって大いにヨカッタ。
 『受付』組の稲垣・大館コンビも、
『虫たちの日』の今井・麦人コンビも、
だいぶお互いのイキとキャラクターをつかみはじめ、
立に入るのが待ち遠しいオノレである。

  「プラトーノフ」(作/アントン・チェーホフ)
Date: 2007-03-02 (金)
 両国・シアターXで、劇団キンダースペース、
「プラトーノフ」(作/アントン・チェーホフ)を観劇。
構成・脚本・演出を担当した原田一樹によれば、
まともに上演すると八時間を越える戯曲だという。
で、二時間半に縮めて上演したようだが、
その試みはかなり巧みにされているとオノレは思った。
しかし、これはたぶん演出の問題で、
幕開きからずいぶん長い間、
多くの登場人物たちの人間関係が、
オノレにはよくつかめんでイライラした。
その上、これも多分演出の指示なんだろうが、
役者全員、テンションを抑えた、
不自然にナチュラルな演技に徹しとる。
故に前半の舞台はとにかくスカで冗漫、
オノレは思わず時計を見たくなった。
が、二幕になると、舞台はようやく動き出す。
愛憎たっぶりの複雑な人間関係がどうやら見えてきて、
チェホフの企む毒針のような風刺が、
チクリチクリと胸を突ッついてくれたのではあったが、
★★★…。