芝居のプロデューサーとは、どういう役割だろう…と、 チト真面目に考えた。 よい作品を企画し、その財源を確保し、 適材適所の人材を集め、よき創造のできる稽古場環境にし、 遂に仕上がった舞台成果を世に問う…。 プロデューサーてえのは、その推進役であり、 核になるヤツてえことに間違いあるまい。 今、日本の社会には、 「己よければそれでよし」てえような人が急増しとる。 かような社会傾向に歯止めをかけるどころか、 ますます増長させるかのごとき、 小泉〜安倍内閣の政治を考えると、 勝ち組になれん大多数の弱者にも、 《美しい国》と思えるような、 明るい未来が待っているのであろうか? で、ここ数年芝居をプロデュースし、 とにかく公演関係者全ての人の持てる力を、 いかにうまく発揮してもらうかに大いに悩む。 その一人ひとりの持てる力を目一杯生かしてこそ、 ブロデューサーとしての重責が果せると思うからだ。 大スターや大演出家が一人突出した力を出しても、 人の心を打つ舞台にはナカナカならん。 台詞のない役を演じた役者さんでも、 この役をしてよかったと思える舞台。 劇場の受付や客席誘導をしてくれるスタッフまでもが、 この芝居に関わってよかったと思ってくれるような公演。 これぞプロデューサーとしてオノレが実現したい理想の姿ではある。 全ての出演者・スタッフの力を結集したアンサンブルの良し悪し…。 これは舞台成果の良し悪しにもオソロシク反映する。 結果如何で、千秋楽の打上が愉しい場にも白けた場にもなる。 さて、プロデューサーとして過去の独歩公演を振り返り、 「己よければそれでよし」てえ考えの役者やスタッフは、 オノレをふくめ、ほとんど「いなかった」と…、 確信しているのではありますが。
|
|