オノレ日記帳

2007年10月の記録



  鄭義信・作「たとえば野に咲く花のように」
Date: 2007-10-31 (水)
 新国立・中劇場で、
鄭義信・作「たとえば野に咲く花のように」を観劇。
ギリシャ悲劇のアンドロマケの悲恋物語を、
1951年、朝鮮戦争当時の日本に変えてのドラマだ。
鄭義信は、今オノレがもっとも注目し評価する劇作家&演出家。
 九州の港町にあるダンスホールを舞台に、
そこで働き、出入りする男女たちの愛憎に満ちた世界が、
作者の戦争や差別にたいするメッセージをこめつつ描かれとる。
しかしそのメッセージの客席への伝わり方は、
これまでオノレが観た鄭作品に比べ、
オノレには、ちとインパクトが弱かった。
「アンドロマケ」の話の骨格に縛られ、それを壊さぬために、
この作家の豊かで奔放な創造力がやや削がれたか?
その一例として、朝鮮人の女に一目惚れする男と、
その男の婚約者との関係が今ひとつ理解しにくく、
オノレにはどうもピンとこなかった。
 主演の七瀬なつみはしっかりした演技で感心。
しかしその他の出演者の中に、ミスキャストなのか、
あるいは役のキャラクターのつかみ方の問題なのか、
オノレが首を捻るような役創りがあった。
もっともこれは演出家の考え故かもしれん。(演出・鈴木裕美)

「典型とは表現される限りにおいては、特殊でなくてはならない。
そして伝わってくるものに普遍性があることである。
そこに観客のおどろきがあり、笑いが生じるのだと僕は考える。
逆に類型とは、ともかく誰でもやりそうな表現をする。
そのくせ普遍性が感じられない。」

 改めてマルセ太郎の語った言葉の深さを想う。
もう一つ感じたこと。
新国立・中劇場のようなでっかい器の空間は、
ひょっとして鄭義信の作品世界とそぐわんのかもしれん?
彼の生み出す登場人物の放つ泥臭い汗や体臭…。
この体臭が客席に漂うことを、
我々の税金によって運営されとる国立劇場という官僚的空間は、
どうも拒否しちまっているような、そんな気さえする…と、
生意気を重々承知でオノレは思う。
 鄭さん、カッテにホザいてオユルシアレ!

  加藤健一事務所公演「コミック・ポテンシャル」
Date: 2007-10-30 (火)
 昨日は下北沢の本多劇場で、
加藤健一事務所公演「コミック・ポテンシャル」を観劇。
アラン・エイクボーンという劇作家のラブ・コメディ。
近未来のロボットに、人間が恋をしてしまうというお話。
奇想天外な話がスピーディーに展開し、
なかなかうまく創られとったのでけっこう楽しめた。
主役のロボット女優を演じた加藤忍が素晴らしい!
彼女に恋する青年を演じた蟹江一平もよかった。
そしてオノレの友人・辻親八もケッタイな老け役で出演しており、
なかなか見事に化けとってオモロカッタ!
この公演のドン・加藤健一は、その演出に才の冴えを感じるが、
役者としてはあまりサエていなかった。
 この芝居、ずいぶん地方の演劇鑑賞団体に売れているようだ。
加藤健一事務所公演を観るたび思うこと。
加藤健一の上演する作品の質のよさ、企画・制作能力、
つまり、彼のプロデューサーとしての才は、半端ではない!

  三畳一間
Date: 2007-10-29 (月)
 四十半ばにもなる男性が離婚し、二人の子供さんとも別れ、
古い木造アパートの三畳一間で暮らしはじめたという話を聞いた。
部屋には蒲団以外におよそ何もない現状だという。
もちろん共同便所。
自転車で遠くまで行かないと銭湯がなく、それが辛いという。
これはまるで二十年前のオノレの状況と余りにもそっくり。
オノレは思わず苦笑を禁じ得なかった…。
 オノレは四十代はじめの三年間ほど、
吉祥寺の東急デパート近くのオンボロ木造アパートに住んだ。
当時のオノレは、自らの放蕩三昧というか自堕落な生活が続き、
借金だらけ、破産寸前の状態で、
まさに自業自得のアリ地獄に落ちて喘いでいた。
そういえばオノレの住んだボロアパートの近所には銭湯があり、
銭湯にはコインランドリーもあって、
これはまことに有難かったな。
 しかし今振り返っても、あの三年余の三畳暮らし、
オノレにとっては人生のまことにタメになる試練となり、
「一から出直す」よいキッカケになったような気がする。
あの三畳間で、オノレは役者として、
改めて芝居と真摯に取組もう…、
そう思考し、自己点検し、再出発したのだ。
 ところで、このボロアパートの大家てえのが、
決して悪い人ではなかったが、シッカリモノで、
いかにも典型的ボロアパートの家主てえような、
オモロイ風貌の婆さんだった。
梅干のごとく顔面に刻まれたスッパイ皺…。
あの深い皺をオノレは忘れたくとも忘れられん。
引っ越したその日、
火事でも出されてはかなわんと思ったのか、
「使わないんだろうから、いいね」と、
ハナッから決めつけ、
ガスの元栓を勝手に締めちまったのには驚いたな。
が、まあ、半間もない狭い流しで、
自炊する気もなかったから、
オノレは婆さんの一方的決定を素直に受けいれた。
で、電気ポットでお湯を沸かし、
即席ラーメンばかりよく食った。
 根っから楽天的というか、アホなオノレは、
そんな三畳暮らしでも、余り落ち込んだり、
暗い顔で毎日を過ごし、道を歩いていた憶えはない。
ただ思い出すたび胸が痛く、目頭が熱くなるのは、
かようなオノレの現状を心配し、
ちょくちょく部屋を訪ねてきた、我が老母の姿。
お茶の葉や饅頭を持ってきてくれたり、
丁寧に拭き掃除をしてくれたり、
必ず帰りには、アパート隣の家主の自宅へ立寄り、
梅干婆さんに低い頭をさらに低く垂れて挨拶しとった…。
 あのボロアパートの三畳一間を想いだすたび、
不肖の息子に親不孝の限りを尽くされ、
何一つ親孝行らしきことをされなかった、
オノレの老母の色濃き憂いの残影が、
この瞼に浮かんでは消えるのだ…。 

  すべて思いどうりには…
Date: 2007-10-27 (土)
 台風20号の影響で強い風雨の一日。
喜ぶべきか、残念というべきか、仕事がオフでタスカッタ。
明日は快晴らしいが、一日スタジオにこもって洋画の吹替え。
残念というべきか、ありがたいというべきか。
 11月は、ずいぶん暇な時間がありそうな現状況で、
二三泊の旅にでも行けそうな気がする。
ありがたいというべきか、チト辛いというべきか…。
すべてオノレの思いどうりにいくという人生はない。

  風邪は抜けつつある
Date: 2007-10-25 (木)
 ほぼ風邪は抜けつつある。
今日は仕事もオフで、午前中は大リーグのワールドシリズをTV観戦。
余りに一方的なレッドソックスの勝試合となり、途中で観戦中止。
ドトールコーヒーへ行き、コーヒーとパンの昼食。
 午後は、この日曜日に収録する米映画のリハーサル。
三時間ちかくある大作で、夕方過ぎまでかかってしまった。
これがどんな映画であるか説明したいところだが、
うっかりHPに書き込むと、
販売元や音声制作会社にお目玉をくらう。
書き込みの了解を頂いてから…てえことになる。

  「空と星と風 そして 鶴」
Date: 2007-10-21 (日)
 鼻ッ風邪ですむかと思った風邪は、
チャンとした風邪になってしまい、
昨夜から今日はほんとうにシンドイ。
それでも午後、水道橋の在日本韓国YMCAのホールへ、
親しい芝居仲間が大勢参加しとる舞台を観に行った。
在日本韓国YMCA創立100周年記念演劇、
「空と星と風 そして 鶴」(作・李 盤)という舞台。
演出は独歩プロデュース公演、「象」を演出した伊藤勝昭。
照明は独歩のこれまでの公演全てを担当している明日英勝。
さらに出演者31人のうち14人が、
日頃オノレが懇意にしていただいとる役者さん。
これはもう、風邪くらいで観に行かぬわけにはいかん。
 さて、舞台は1905年から現代、
さらに未来に至るまでの時間を経る作品。
「韓半島と日本の間に重く横たわる、
過酷な歴史的事実を直視した壮大な叙事詩劇」。
(パンフレットの演出家説明)
ということで、役者の語る言葉の多くが、
過去の歴史的事実の説明のような台詞になっとる。
つまり、まことに劇的葛藤を表現しにくい、
演出にも役者にも、なかなか厄介な作品だと思う。
下手に創ると、シュプレヒコールのような、
客を一方的にプロパガンダするような舞台にもなりかねん。
しかし演出は、重々その危険を承知していたようである。
プロパガンダの押し付けにならぬよう、
客が退屈せず最後まで舞台を観るよう、
あれこれ工夫し仕掛けてガンバッタ。
また役者衆も、日常的でない、難しい説明的台詞を、
血のかよう人の言葉として表現するためガンバッタ。
もちろん照明も大いにガンバッタ!
で、この舞台が訴える難しいテーマの今日的価値と、
関係者のガンバリを認め評価した上で、
オノレは生意気にも思うのだ。
演劇においては、出来得れば、
やはり「劇」を観たいな〜と…。
 とにもかくにも、皆さん、お疲れさま!

  三つの夢
Date: 2007-10-20 (土)
  秋雨やむ気配感じて深爪   麦 人

 昨日の夕方あたりからチト鼻ッ風邪気味。
慌てて常備薬の小青竜湯を飲む。
そんな体調の故か、真夜中に酷い夢で二度ばかり目が醒めた。
 一つは酔っ払い運転で自転車の男を跳ねてしまい、
同乗のヤマノカミとオロオロしている夢。
 もう一つは、乗車した中央線の電車が、
レール無き軌道を突ッ走り、
次から次に人を轢死する、まさに悪夢。
それは荻窪から、途中、なぜか井の頭線の久我山を経由し、
新宿まで猛スピードで続いた。
 さらに今朝方、もう一つ馬鹿馬鹿しい夢を見る。
指でバネを弾く昔のパチンコをしているオノレが大勝。
次から次に溢れ出てくるパチンコ玉を、
でかい木製の杓文字のようなものに入れ、
落とさぬよう慎重に、ヨタヨタ街中を歩いとる。
もちろん行き交う人々の嘲笑を浴びながらだ…。
 それにしてもオノレの車が夢で跳ねた、
自転車男の血まみれの顔の怖ろしいことったら!
ユメユメ、現で酔っ払い運転をしちゃなりませぬ。

  【ドッポ 死す…】
Date: 2007-10-19 (金)
 我が家のペットでもっとも婆さんの小桜インコが、
突然この世とおさらばした。
昨日の午前中まで、
「ドッポチャン、ドッポチャン」と自分の名を言いながら、
いつもと同じ様子で元気にエサを食べとった。
ところが、オノレとヤマノカミが、
昼を挟んで四時間ばかり外出し帰宅すると、
オリの中の小さなカゴに横たわっとる。
それはまるで涅槃のポーズをとって微動だにせぬ、
木彫りの小鳥のごとしであった。
享年・九歳半…。
 オノレとヤマノカミは、
まだかすかに匂う、ベランダの金木犀の鉢の土に埋葬し、
我が家の世界に存在していた一つの命とおさらばした。
 チト哀しい…。

  敗者の醜悪!
Date: 2007-10-18 (木)
 時流にのって余り考えたくないのだが、
先日の「WBC世界フライ級タイトルマッチ」、
内藤大助&亀田大毅戦での反則と、
その反則行為をした亀田側に対する、
JBC(日本ボクシングコミッション)の処分問題。
 世間に最も公式謝罪すべきは、
視聴率競争や新聞・雑誌販売競争の格好の材料として、
亀田親子を称え、持ち上げ、煽り、
虚構のヒーローに仕立て上げたメディアである。
その代表として、TBSとあきれたもんだ…、
いやいや、みのもんたが公式謝罪会見をすればよい。
次に公式謝罪すべきは、ボクシング人気復興のためか知らんが、
亀田親子のごときボクシングとパホーマンスに目を瞑り、
やくざまがいの言動とスタイルをこれまで容認しつづけた、
JBCと日本ボクシング協会である。
 亀田親子と、彼らが所属する協栄ジム会長の謝罪会見。
今朝、オノレはその一部をみた。
心底謝罪しているようには思えぬ「おざなり」会見であったが、
大人の操り人形というか、木偶坊(でくのぼう)と化し、
沈黙のまま二分ほどでその場を去った、
18歳の悪ガキ(大毅選手)の姿が、妙に哀れで痛々しい。
「これまでのボクシングスタイルやパフォーマンスをどう思う」、
との記者の問いに、金平会長の答え。
「勝てばよし、結果がすべて。
負けたのだから、どんな批判も仕方ない」
 この先、こんな考えの会長の下で亀田兄弟がボクシングを続けるとすれば、
この兄弟たちに明るい未来はなさそうだ。
「勝てば」よいのではない。「結果がすべて」でもない。
たとえ「勝って」も許されぬことがあり、
「結果」にいたる過程にこそ、人として大切なものがある。
他人の力、その力に対する尊敬と気遣い、礼節と厳しさ…、
かようなことを理解せず、
自己本意のみの価値感に酔う者が負けた試合では、
「敗北の美」が放つ光の、そのカケラも見えぬ。
「敗者の醜悪」な、後味の悪い姿が放つ腐臭が、
ただただリング上に漂うばかりだ!

  出来の良い心臓
Date: 2007-10-17 (水)
 このところ観劇させてもらった芝居では、
オノレの心が揺さぶられる舞台が少ない。
そういう芝居を観て特に気になるのは、
役者の過剰な感情表現と身体的動きである。
 客にとって辛い舞台になる最大の要因は、
おおよそ脚本の出来の悪さによると、オノレは思う。
そのため演出や役者は、それを少しでもカバーしようと、
あれこれ工夫し、しやかりきに稽古をするにちがいないのだ。
ところが心臓部の脚本の出来が悪いのであるから、
そこをしっかり手術せずに創造の仕方を誤ると、
およそわざとらしくリアリティーのない、退屈な芝居になる。
 ここ数年、オノレは役創りのはじめは、
とにかく「無」から入ることにしている。
具体的に言えば、無感情に、色をつけず、
「棒読み」で喋りながら台詞を憶える過程が相当長い。
台詞が入り、自然に口から出てくるようになってから、
必要と思える感情や間合いなどを考え、
それでもそれに凝り固まって定着しないよう、
おそるおそる喋るようにしている。
 立稽古に入っても、最初は出来うる限り動かない。
演出の要求や、相手役との関係を諮り、
「棒立ち」から、徐々に必要な動きを考え、
体にじわじわと浸透させていくようにしている。
 さて、オノレがこんな役創りができるのも、
出来のよい心臓(脚本)を選んでいるからこそかもしれない。
出来の悪い心臓を選んで舞台に立つ場合、
はたしてこんな稽古過程を踏んで役創りができるか…、
まことに疑わしく、自信を持てない。
 芝居は、くれぐれ出来のよい心臓を選び、
己に悔いない、納得できる表現で客にお観せするべきである。

  角帯
Date: 2007-10-16 (火)
 ずいぶん長いこと着物を身に着けてない。
角帯を結ぶのに四苦八苦している夢を見た。
はたしてちゃんと結べるかチト不安になる。
頭の中で結び順を確かめてみるがハッキリしない。
急遽ヤマノカミに角帯を出してもらい結んでみる。
大丈夫!
頭で忘れていても手は憶えていた。
ヤレヤレ…。

  異なる価値観
Date: 2007-10-15 (月)
 来年の独歩は、5月に下北沢「劇」小劇場で、
「おたまじゃくしはかえるのこ」(別役実・作)。
12月に中野「劇場MOMO」で、安保廣信追悼公演、
「夕暮れどき」「ブラインドの視界」
(安保廣信・作 麦人・改訂&演出)の二本立てと、
2回のプロデュース公演を《決行》する。
これはオノレにとって、まさに決行という感じで、
来年の大晦日、年を無事に越せるかどうか…、
まことにキケンこのうえない。
しかしそのキケンを怖れていては、
〈創造の悦び〉を味わうことはできんからな。
 スポンサーもなく、金もなく、名声もなく、地位もなく、
招待券で観にくる劇評家もほとんどいない、
オノレのごときアホなプロデューサー&役者は、
算盤勘定の帳尻を考えて公演することはできん。
黒字の公演しかやらないとすれば、
たぶん一度としてオノレは自分のプロデュース公演をしてないだろう。
 ときどき、わけ知り顔の役者や声優から、
そんな赤字を出してまで公演する気持ちがわからん…とか、
オカネとユトリがあるんだねえ…とか、
マスターベーションしてるようなもんだろう…とか、
なかなか手厳しいご意見・ご忠告をされたりもする。
ま、かような揶揄を含んだ讒言に近い言葉に、
このごろはあまりムキに言い訳もしないし、
さほど痛痒を感じなくなってきたから、
少しはオノレも大人になった!
ただ、同じ世界に生きる仲間としては、やはりチト寂しい。
かような御仁たちに、ケイザイ的価値ではない、
自身の創造と表現能力に挑戦する価値もあることを、
出来得れば、オノレ自身のプロデュース公演を観ていただき、
少しでも理解してもらいたいと心から願う。
そうそう…、一つの創造の生みの苦しみと悦びの終わりには、
共に舞台創りで苦労した仲間と飲む酒の旨さ、苦さ、
挑戦した成果を、大いに語り酔いしれる愉しさもある…。

  北川冬彦全詩集
Date: 2007-10-14 (日)
 インターネットの古本屋サイトで購入した、
「北川冬彦全詩集」が届く。
20年前、1988年に発行されている厚さ5cmにもなる大冊。
本に値段表記がなく、当時いくらで発売されたのかわからん。
で、今回のオノレの購入額は一万二千円。
決して安い買い物ではないが、
それに値する価値のある本だとオノレは思っとる。
 北川冬彦は(1900年〜1990年)日本を代表する詩人。
オノレは三十代に長編叙事詩「氾濫」を読んで強烈な感動を覚えた。
父親が満州鉄道に勤めており、冬彦は中国で育つ。
もちろんそこでの生活が、
詩人としての彼に大きな影響を与えている。
「氾濫」は、その中国や朝鮮、モンゴルを舞台にした壮大な叙事詩だ。
軍国主義日本を生きた詩人の一字一字が、
植民地的民族差別や戦争の実態を叙事的に告発する。
人間洞察鋭い冬彦の並々ならぬ想いが全編から伝わってくる。
 オノレは長年、この「氾濫」をいつか諳んじ、
人前で語りたいと考えているのだが、実現させる自信は…ナイ。

《戦争》 北川冬彦

 義眼の中にダイヤモンドを入れて貰つたとて、何にならう。
苔の生えた肋骨に勲章を懸けたとて、それが何にならう。

 腸詰をぶら下げた巨大な頭を粉砕しなければならぬ。
腸詰をぶら下げた巨大な頭は粉砕しなければならぬ。

 その骨灰を掌の上でタンポポのやうに吹き飛ばすのは、
いつの日であらう。

  《生きた台詞》
Date: 2007-10-13 (土)
 多くの役者は《生きた台詞》を喋る難しさを理解している。
そのために七転八起の稽古を積み重ねる。
一つ一つの台詞の意味をいくら深く解釈しても、
その解釈を客に説明しつつ台詞は喋れない。
一つ一つの台詞を丁寧に解釈することを否定はしないが、
より大事なのは、ドラマ全体を貫く流れであり、
その中で果すそれぞれの役の役割をつかむことである。
オノレのごとき鈍い役者は、
そのために飽きるほど繰り返し台本を読み、
ひたすら稽古するより他に術はない。
そんな日々を繰り返すうち、
少しずつドラマの流れと自分の役の役割が、
自ずと台詞の喋りに反映し浸透してくる…ような気がする。
それはたぶん役の《生理》や《感情》が、
理屈抜きで自然に言語化されているのだ…と、オノレは思う。
(思っているのはオノレだけかもしれない)
 とにかく役者は理屈や解釈を演じるのではない。
血も涙もある、生きた人間を演じなくてはならんのだ。

  芝居仲間と飲む酒は…
Date: 2007-10-12 (金)
 寝室の窓からさわやかな秋風が入ってくる。
二日酔い気味の目覚めの朝。
 昨夜は親しき芝居仲間たちが、
一週間後に幕を開ける舞台の稽古場を訪ねる。
稽古後、十数人でチト飲みだし、チトがダイブとなり、
ダイブがヒドク飲むこととなってしまった。
 芝居仲間と飲む酒は愉しくもコワイ!

  《典型》と《類型》
Date: 2007-10-11 (木)
 今は亡きマルセ太郎は俳優の表現について、
《典型》と《類型》の違いを次のように書いている。

「典型とは表現される限りにおいては、特殊でなくてはならない。
そして伝わってくるものに普遍性があることである。
そこに観客のおどろきがあり、笑いが生じるのだと僕は考える。
逆に類型とは、ともかく誰でもやりそうな表現をする。
そのくせ普遍性が感じられない。」

 まことに鋭く含蓄のある定義ではないか?
しかし役者がこの典型的表現をつかむのは容易いことではない。
本人は、これぞ特殊で普遍性のある典型的表現だと思っても、
客観的にみるとただわざとらしい表現で、
結局類型の範疇の表現という場合が多い。
 さて、オノレも典型を表現できる役者ではありたいのだが、
アマリ自信ハナイ…。

  ベトちゃん…
Date: 2007-10-08 (月)
 1975年にベトナム戦争が終わり、
その6年後に下半身のつながった双子児兄弟が生まれた。
ベトちゃんとドクちゃん…。
米軍の散布した枯葉剤に含まれたダイオキシンによって、
二人は過酷な肉体をもって生きる破目となった。
彼らは戦争というものの本質と、
人間の悪魔性、残虐性を生きながらに告発する存在であり、
かつ人の生存の尊厳と強さをオノレに見せつけた。
その兄のベトちゃん死去の報。
二十六年の生涯をベッドの上で終えた。
 ベトナム戦争が終結して35年、ベトナムは復興を続け、
その経済成長には目ざましいものがあるという。
しかし豊に成長する時代の前のベトナム戦争は余りに悲惨だ。
南北ベトナム人民の戦死者、200万余。
米軍も5万8千人以上の戦死者を出している。

  一家団欒の夢
Date: 2007-10-04 (木)
 久し振りに一家団欒、夕食の夢を見る。
すでにあの世の父と母と長兄と、
まだ生きている次兄と姉とオノレがいる。
四角の食卓上に置かれた七輪の中には炭火。
網の上には美味そうな赤味の肉。
なぜかその肉は鯨で、つまり鯨朝鮮焼肉。
鯨はオノレの大好物だが、朝鮮焼肉風で食べたことはない。
 次から次に皆の箸が肉をつまむ。
オノレも遅れじと箸を差し出す…と、突然次兄から叱責の声。
「パチンコばかり上手くなりやがって!」
続いて長兄からも非難の声。
「お前一人が勝ち過ぎて、みんなが迷惑している!」
 要するにオノレのパチンコ上手、その勝ち過ぎに対し、
兄たちは怒り心頭のようだ。
 確かに若い頃、オノレはよくパチンコをした。
掌に玉の塊を入れ、一個づつ親指で玉を押し出し、
台の穴へ送り込み、バネで弾いていた時代にである。
しかしおよそ勝てぬとわかってから、
もう三十年以上、パチンコをしとらん。
が、とにかく兄貴二人は怒っている。
怒りつつも、美味そうに焼けた鯨肉を次々と口へ放り込む。
父や母や姉も、息子たちのやりとりに我関せずで肉を摘まむ。
二人の兄に怒られ、シュンとしているオノレだけが、
箸を出すに出せず、家族から一人取り残され、
焼ける鯨肉とくすぶる煙を恨めしげに眺めているのだ。
 さて、夢から醒めて、まずオノレが思ったこと…。
もし鯨の生肉を手に入れたら、絶対炭火の網焼きにし、
朝鮮焼肉のタレにつけて食ってやるぞ!