オノレ日記帳

2008年2月の記録



  嘘の上塗り
Date: 2008-02-29 (金)
 海自のイージス艦と漁船の衝突事故。
「嘘の上塗り」のいきつくところは防衛相の辞任しかない?
芝居なら、風刺の効いたオモロイ喜劇になりそうな展開だが、
どんな決着で終わるにせよ、
未だ海を漂う漁船の親子は浮かばれぬ。
それにしても、総理大臣さまは何しとるの…?

  詩に曲がつく!
Date: 2008-02-26 (火)
 昨日の日記に掲載したオノレの詩を、
武久源造氏にメールで送ると、早速ご返事のメール。
な、なんと、大変気に入ってくれたようで、
早速曲創りにかかったそうな!
 オノレは、ワクワク一人悦んどるが、
源蔵氏本来の仕事に差し障りなきよう、
オノレの詩のメロディー創りは、
ほどほどのところでお願い致します。

  《いのち》
Date: 2008-02-25 (月)
《いのち》  麦  人


ある日 生まれた
ひとつの いのち
いくとせ うけつぎ
土に 水に すみついて
空もいきかう いのち
ほら
ひとつ 生まれる いのち
ほら
ひとつ 生まれた

ここに 息づく
みんなの いのち
人間 獣 
鳥に 魚 木や花も
光あふれる いのち
ほら
みんな 息づく いのち
ほら
みんな 息づく

ある日 はかなく
ひとつの いのち
千年 万年
風に のって 天に舞い
星になるのか いのち
ほら
ひとつ はかなく いのち
ほら
ひとつ はかなく

 真夜中、突然目が醒めて、つらつら言葉が浮かび、
かような詩をつくってしまった。
我ながら、オノレに似合わぬ「やさしい」言葉にあふれとる…と、
チト気恥ずかしさを感じないでもないが…。
 今年に入り、若い友人のおめでたい出産がいくつかあったり、
何人かの知人の訃報を耳にしたりで、
かような詩を書いてしまったのかもしれん。
友人の作曲家・武久源造さんの詩を読んで、
潜在していたものが触発されたような気もする。
 そうだ。この詩を、音痴のオノレでも歌えるよう、
源造さんにお願いして、やさしく作曲してもらおう。
それをCDにするてえのもオモロイナ。
 何とも疑わしき眼差しで、ヤマノカミがオノレを睨んどる!

  チラシのゲラ
Date: 2008-02-23 (土)
 独歩プロデュース・5月公演、
「おたまじゃくしはかえるのこ」の、
チラシのゲラが出来上がってきた。
今回縁あって、津川絵里ちゃんという、
本職は雑誌の編集だが、
写真撮影にも長けている若い女性に、
5月公演のチラシデザインをお願いした。
 白黒だけのシンプルなデザイン。
リリカルで、かつ具象になりすぎず、
オノレは大変満足しとる。
 さて、去年も一昨年も失敗した、
文字の誤植なきよう、万全の点検をせにゃならん。
これからヤマノカミとオノレの四つ目で、
しばらくゲラと睨めっこ!

  「海ゆかば水漬く屍」
Date: 2008-02-22 (金)
 二日前、赤坂のレッドシアターで、別役実・作の芝居、
「海ゆかば水漬く屍」を観劇した。
 戦争の時代を生き残り、
傷病兵姿でさらに戦後を生きている男の、
背負っている過去や悔恨を通して、
人間の原罪、国家はもちろん、
個々の戦争責任をも問うているかのような、
数ある別役戯曲の中でも、
オノレが大好きな作品の一つである。
 実は来年(2009)の12月、
独歩でも、この芝居の上演をすでに決めている。
オノレは、今年の5月と12月、来年も5月と12月、
計4回の公演を決行する。
しかしその収支によっては、
来年12月の「海ゆかば水漬く屍」公演が、
独歩プロデュース最後の《玉砕公演》になるやもしれん。
で、この戯曲は、いかにもオノレが玉砕するにふさわしい内容で、
万一玉砕する破目に遭遇しても、
たぶんオノレに悔いは残らんだろう。
 さて、一昨日観た「海ゆかば水漬く屍」は、
渡辺正行主催、〈日本演劇えりすぐり その1〉という企画での公演。
新作ばかりではなく、既にある良い脚本を上演し、
年一本ぐらい上質の芝居を創っていきたい…。
渡辺氏のそんな言葉がパンフレットに書かれており、
オノレはその意とするところ、大いに共感。
彼のかような姿勢を反映してか、お笑いの得意な出演者たちが、
笑わせるためだけのテクニックを抑制し、
正攻法に、真摯に作品と格闘している舞台には好感がもてた。
 この芝居を、来年12月にオノレもやるのだと想うと、
開演前から妙に緊張、終始襟を正して観ていたような感じなんだが…。
終演後、来年この芝居でオノレとコンビを組む、
劇団昴の北川勝博君と軽く飲んだが、
彼もオノレと同じ緊張感の中で観ていたらしい。
 一昨日の舞台は、その出来上がりの良し悪しはさておき、
来年独歩が上演する上で大いに参考となり、
もちろん役者としても学ぶべきことがあり、
見逃さず、観ておいてホンマによかった!

  予測し創る
Date: 2008-02-18 (月)
 独歩プロデュース・五月公演、
「おたまじゃくしとかえるのこ」の稽古開始まであと一ヶ月。
オノレの台詞はホボ頭に入った。
オノレと絡む別役の台詞も、
少しはプロンプできそうなくらい憶えた。
 さて、ここから稽古開始までの一人稽古は、
ドラマの流れをしっかり掴み、
他の役とオノレの役との関係を、
これまでより、さらに深く探らねばならん。
で、実際の稽古に入って、それぞれの役の動きや喋りが、
どのような創りになっていくかを、
オノレなりに予測しつつ稽古しておくのだ。
もちろん、オノレの頭だけで解釈し導き出す予測である。
稽古場で生身の役者さんたちと実際に絡むと、
オノレの予測したことのマチガイや考えの甘さに、
多々気づくことになり、その都度見直すことになる。
また演出の意図と、オノレの予測が異なり、
戸惑い慌てる場面も、たぶんアレコレ出てくるだろう。
しかし、かような予習稽古をスッポカスと、
まことに密度の薄いところから、
実際の稽古を開始することになりかねん。
ただ段取り稽古のためだけに、
多くの時間を費やすことになりかねんのだ。
 稽古場で、オノレのマチガイをはっきり自覚するためにも、
芝居の全体的創りを予測する、一人稽古の過程は欠かせない!

  詩の朗読
Date: 2008-02-17 (日)
 オノレは来月の23日、
友人の作曲家・鍵盤楽器奏者、武久源造さんの詩を朗読する。
で、彼の書いた二編の、深い心の世界を感じさせる中篇詩を、
今ジワジワと、この記憶力の弱いオツムに刻印しとるんだが…。
(彼の詩を拝読し、源造さんは詩人でもあったとオノレは感嘆!)
 さて、詩を憶えるのまでの過程は、
芝居の台詞とオツムの中の格納場所が違うのか、
記憶するのになかなか厄介で手強い。
芝居の台詞は、多少の「てにおは」や、もの言いをトチッても、
(もちろんトチらんほうがよいのだが)何とか対処できる。
が、詩はその短い一行一語に、
書き手のぬきさしならぬ想いと意味がこめられており、
うかつに言い違えることは許されん。
朗読する者を襲うこの呪縛というか、緊張感が、
オツムの記憶回路をはなはだ狭めてしまうような気がする。
ま、演歌の歌詞でも憶えるように、
調子のよいメロディーに合わせて歌うがごとく、
軽い気分で詞を口ずさめば、案外簡単に憶えることができるのかも…。
しかしである。その詩人の感じた全ての感性、叙事・叙情…。
いわば詩人の全思想・哲学が、
選りすぐり、凝縮された一語一語で紡がれた詩なのである。
(演歌の詞がダメだと言っているのではございません!)
朗読者がただ気持ちよく陶酔し、
軽い気分と調子で憶え朗誦しては、
作品の深い世界を、聴き手にしっかり届けるのは難しい…と、
オノレは理解し、この足りないオツムを悩ましとる。
 オノレが人前で詩を朗誦するのは、たぶん十五六年ぶりか?
いやいや、この歳で、また新たな挑戦の機会を得、
今、この心は緊張しつつも愉しみながら弾んどる!

  独り言…
Date: 2008-02-14 (木)
 生きているということは、
次から次に辛い経験をするということかもしれません。
しかし、かような経験をしてこそ、
その辛さに耐えられる悦も生まれるのでしょう。
自ら招いた困難な状況は、自ら克服するしかないのだから、
辛い状況を乗り越えて、
その先にあるかもしれない悦びを求めて、
とどまらず、一歩一歩、歩を進めよう!

  ボヤキ…
Date: 2008-02-12 (火)
 この五月、独歩プロデュース公演の稽古開始まで、
はや四十日を切った。
が、ここにきて、メインに予定していた役者さんが降板し、
オノレにとってチト辛い状況。
ま、人生山あり谷ありだが、ついボヤキが口をつく。
 芝居をプロデュースし、無事千秋楽を迎えるということは、
苦しい山登りに耐えて上を目指す、
アルピニストのようなものかもしれん!
でも芝居には、テッペンがないからなぁ…。

  劇団一跡二跳公演 「夏の夜の貘」
Date: 2008-02-9 (土)
 池袋・シアターグリーンで、劇団一跡二跳の舞台、
「夏の夜の貘」(脚本・演出 古城十忍)を観劇。
 新しくなったシアターグリーンで芝居を観るのは今日が初めて。
ずいぶん立派な劇場に変わってビックリ。
吉祥寺シアターに似た傾斜のある客席はなかなか観やすい。
 さて、一跡二跳の舞台をオノレは初めて観たのであるが、
休憩なしの二時間、演劇の面白さを堪能させていただいた。
なぜか一跡二跳は七月の公演で解散してしまうそうだが、
今回はじめてその舞台を観たオノレとしてはまことに残念。
が、それはともかく、今日の舞台を観て、
古城さんという方は、なかなかの書き手であり、
実にしたたかな演出家であるとオノレは知った。
 新築の家を買った五人家族が崩壊し、
アッというまに離散してしまう話である。
八歳の少年を軸にして(置き去りにしてともいえる)、
ドラマはテンポよく展開する。
少年の精神は、なぜか成人の域に達しており、
登場する大人の誰よりも大人である…。
というこの企みが鋭く、オノレは意表を突かれた。
 時間の経過に従い、家族の亀裂は深刻となり、
やがて、惚けの祖父は死に、父母も離婚。
別れた二人はそれぞれ新しい相手と所帯を持つ。
少年は祖父のヘルパーについた若い女に恋をするが、
そのヘルパーは兄と結婚。絶望的な少年の未来…。
 かような流れの合間合間に、小学校のシーンが挿まれ、
この形象というか、見せ方もなかなか巧みで優れている。
ともすると重い芝居になりがちなテーマの作品であるが、
舞台はあくまでエネルギッシュに熱い。
叙情を排し、シニカルに展開。
この演出の意図を受けとめて闘う役者の健闘も光る。
 それにしても母親役を演じた山下夕佳の感性のよさに、
またまた目を見張った。
今年二度ある独歩公演に出演してくれるので、
彼女に『目をつけた』オノレとしては、大いに心強く愉しみである。

  「求めない」
Date: 2008-02-08 (金)
 「今の人たちは強く求めすぎて自分が苦しくなったり、
求める世界だけに取り巻かれて
自分を見失って不安になったりしているのかな」
 「自然の中にいると誰も私を求めない。
自然は何も求めないからね。
求められない世界にいると自分も求める心にならない」
 「蛇行しながらだんだん太くなっていけば、
いつか自分の潜在能力が出てくる」
 「自分の一番したいことを願い、それを手放さなければ
生きる意味を実感できるだろうよ」

 これは昨日の朝日朝刊・文化欄で、
八十五歳の詩人・加島祥造さんが語っている言葉である。
加島さんの詩集『求めない』は、
39万部のベストセラーだそうである。
 「求めて」ばかりで失敗する、日頃のオノレをチト反省!

  人生はオモロイのだ!
Date: 2008-02-04 (月)
 昼、新宿・シアタートップスで、
劇団昴公演「親の顔が見たい」(作・畑澤聖悟 演出・黒岩亮)を観劇。
 私立女子中学校内で、いじめにあった女子生徒が自殺し、
その加害者である生徒たちの父兄と、動転する教員たちの一夜話。
 昴が上演した、この劇作家の芝居を観るのはこれで三本目。
今回の作品がもっとも面白く、演出も役者もなかなかよかった。
学校の「いじめ」問題が、家庭崩壊、教育崩壊、
子供もふくめた社会の倫理崩壊なんだと痛切に感じる。
では、いかなる策があれば、この問題に光明は射すのか?
残念ながらこの舞台で、その解決策の答えまで教えてはくれません…。
 夜、ルーテル市ヶ谷センターで、
「淡野弓子・メゾソプラノリサイタル」へ。
淡野さんはこの日が七十歳の誕生日だという。
とてもそのお歳とは思えぬほど若々しい美声であった。
淡野さんのバックでは、オノレの友人、鍵盤奏者・武久源造ちゃんと、
ピアニスト・ウォン・ウィンツァンさんが伴奏。
 武久・ウォン両氏が作曲したマザーグースや、
山川弥千枝という十六歳で病死した少女の詩の独唱などが前半。
 後半は歌人・小説家である岡本かの子の短編小説の音楽化?
淡野が朗読しつつ歌い、即興ヴォカリーズを挿み、
それに武久のオルガンとウォンのピアノが、
これも即興的演奏でいろいろ絡む。
三人の大いなる「バクハツ!」で、
丁々発止のコラボレーションと絶賛したいところなんだが…、
集中して聴くのになかなか骨がおれ、チトくたびれちまったな。
ゴメンナサイ!
 リサイタルが終わった会場で、
昔からのオノレの知人、カメラマンの風間久和ちゃんとバッタリ。
聞けば、本日の出演者三人とは長い付合いで、
特に淡野さんと、ずいぶん交流が深いらしく、
彼女のステージ写真の撮影をよくするのだという。
 風間ちゃんとは、去年の暮れの某忘年会でワイワイやったばかり。
しかしここでの奇遇。飲まずに帰すわけにはいかん。
けっきょく日が変わる頃までアレコレ話して大いに飲んだ!
 人と人との思わぬ繋がり…。やはり人生はオモロイのだ。

  ヒマなればこそ!
Date: 2008-02-02 (土)
 あまり大っぴらに「告白」したくないのであるが、
一月のオノレは、オノレもビックリするほど「仕事」にあぶれた。
遂にオノレも声優業界の「窓際族」か…と、
そんな気分になりかねん毎日であった。
たかがひと月、されど一月…。
仕事をせずに自宅にこもる一日一日はまことに長い。
月が変わってどうなることやら…、さすがにオノレもチト不安。
 さて、ヒマの時間潰しにはやはり読書。
新たに本を買いにいくのは面倒だしカネもかかる。
で、もっぱら棚に寝ているだけの、昔読んだ本の再読。
このところ松本清張の短編小説を次々に再読しとる。
で、読むもの全てが初読みのごとく新鮮でオモロイ。
とにかくオノレのオツムは、過去に読んだはずの小説の内容を、
カケラも記憶しとらんのだ。
この事実により、オノレは自らの記憶力の悪さに改めて愕然。
しかし同時に、これは実にありがたい状況であると、
このボンクラ頭にしては上出来の思考にいたった。
この先、新たに本を買わずとも、この本棚に既にある、
ホコリを被っている全ての本を再読するだけで、
オノレの残された人生のヒマの相当部分を潰せるな…と。
 ヒマな時間と記憶力の悪いオノレのオツムは、
「イダイ」で、貴重な発見を、オノレに贈ってくれたのである!