梅雨の晴れ間。 このところ、知人の役者やスタッフの参加する公演が実に多い。 で、あちこちの劇場へ可能な限り足を向けとる。 が、残念ながらこのページで絶賛したい舞台はない。 オノレも年に一二度、お客様に芝居を観ていただく立場である。 一つの公演を成し遂げる仲間の苦労と難しさは、 それなりよく理解してるつもりだ。 であるからして、覗いてくれる人は膨大な数とはいえんが、 一応公になっとる、この「オノレ日記帳」で、 親しい仲間の公演を批判したり、 論うようなことは、できるだけ避けたい。 明日はわが身…、てえこともあるしな。 それでも一つ、気になることを記しておきたい。 近頃、オノレの観た芝居に限れば、 若い劇作家の書くドラマに劇的「力」がない。 テレビのホームドラマやバラエティーと、 およそ変わらぬ発想ばかりがきわだつ。 社会や人間をとらえる、 劇作家としての「深い眼差し」が希薄なのだ。 一見、日常的リアリズム風を装い、 軽い会話を達者にまとめ、 客席を安易な「笑い」で満足させるような質の作品が多い。 かような作品ばかり大量生産しとる若い劇作家に、 オノレは余りその将来を期待できない。 (もちろん、オノレに期待してもらっても詮ないのだが…。) これから旬の時代を迎える、若き才能ある劇作家よ。 半月、一月で書きあがるような、 老練作家風、手錬な戯曲を次から次に書きまくるな。 創作中、腸捻転を起すくらい苦しんで、 懐貧しくとも、時間をかけ、一語一語深く深く考えて、 井上ひさしや別役実に劣らぬ、骨のある戯曲を書いてくれんか! さて、今日の午後は、池袋・あうるすぽっとへ足を運び、 久々に劇団昴の公演を観劇する。 残念ながら、若い日本の劇作家が書いた創作劇ではない。 大シェイクスピアさまの書かれた、 「ジュリアス・シーザー」。 演出はニコラス・バーターという方。 英国王立アカデミーの校長さんだという。
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