オノレ日記帳

2010年1月の記録



  HPの〈 お答えします 〉に・・・
Date: 2010-01-29 (金)
 オノレのHP〈 お答えします 〉コーナ宛てに、
めずらしく演劇志望の学生さんからメールを頂戴しよった。
この〈 お答えします 〉は、1999年12月27日が最終更新日じゃけえ、
オノレ自身、こげなコーナーがあったことさへ失念しとった。
 このコーナのメールアドレスは、
オノレのHPを管理してくださっとる〈 ビーグル 〉さんで、
届いたメールは、ビーグルさんを介してオノレに転送されとる。
まことにややこしい流れになってしもうて申し訳なァのだが、
このコーナーを設けた当時、
いろいろ困ったメールやら、なんやらがたくさん送られてきおって、
オノレが直接返信をしないですむようにしてくれちゅうて、
ビーグルさんに我がままオネガイしたちゅうわけで・・・、
ホンマ、もしこの十年間、誠実な内容のメール送っても返事がこんで、
ずんど怒っとる方がいたとしら申し訳なァ・・・。
オノレに免じて勘弁してくれんさい。
 ほいで今日このコーナーに届いた学生さんのメールじゃが、
まことオノレが励まされ嬉しゅうなる内容。
あんまり嬉しいけえ図にのって、
ご本人にお断りしとらんのじゃが転載させていただく。
もしご本人さんが削除を希望されるなら、
ご面倒でもビーグルにメールしてくれんさい。
すぐ削除いたしますけえ !

 はじめまして、K.Bと申します。
突然すいません。
ずっと前から、麦人さんの公式ホームページがある事は知っていて、
毎日のごとく、麦人さんのオノレ日記帳を拝見させて頂いております。
 独歩プロデュース公演「海ゆかば水漬く屍」を観て、
別役実さんの作品で初めて笑い、感動することができました。
本当にありがとうございます。
実は私は大学で演劇を学んでおり、別役実さんの作品は今までに、
『天才バカボンのパパなのだ』『マッチ売りの少女』
『マザー・マザー・マザー』など観てきましたが、
お恥ずかしいのですが、集中力が続かず眠ってしまい、
最後まで観れず、正直、別役さんの作品は少し苦手でした。
しかし「海ゆかば水漬く屍」を観て、
上演する方々のセンスが優れていれば、
苦手な作品も面白く見れるのだと教えて頂きました。
それともう一つ、芝居のすごいところは、
観終わった後の数日間、頭の片隅で、
まだ自分の見た麦人さんの芝居の事を考えるように なりました。
一番、印象深かったシーンは麦人さんがクライマックスで、
仲間に首を締めさせて、その後に出た言葉、
「いや、よかったよ。」が今でも鮮明に覚えています。
 私は小学生の頃から声優に憧れていましたが、
麦人さんが吹替えをされた海外ドラマ、
『スティーブン・キングのイット』に出てくる、
ピエロのペニー・ワイズに、今までに無いほどの強い刺激を受けました。
その時から声優というより役者として、自分の中にある内面の部分を、
思いっきり使って演技をしてみたいという気持ちが強くなり、
高校時代から役者を目指しています。
 麦人さんに質問なのですが、
新しい役のために台本を読む時、どう取り組まれているのか、
どのように役作りされているのか教えて頂いてもよろしいでしょうか。
また麦人さんの好きな俳優や映画があれば、
是非、教えて頂きたいのでよろしくお願い致します。
(一部省略させていただいとります)

 こげえな内容で、オノレはちいっと照れくさいちゅうか、
穴があったら入りたいような気がせんでもなあ。
じゃけんど、上演した本人としちゃあ、
「海ゆかば水漬く屍」を観てくれんさっただけでもありがたァのに、
こうような心のこもった感想を、若い演劇志望の方から頂戴し、
もう嬉しゅうて嬉しゅうて・・・マイアガットル !
 このK.Bさん、
『オノレ日記帳』をよく覘いてくれよっとるらしいけえ、
この場を借りて御礼・感謝を申し上げるとともに、
あまりうまく答える自信はなあが、
オノレなりにセイジツに回答させていただくわい。

〈 新しい役のために台本を読む時、どう取り組んでいるか、
どのように役作りしているのか・・・。〉

 とにかく台本初見のときに感じたことを大事にしちょります。
初見のとき、笑ったところ、泣いたところ、
衝撃を受けたところなどをしっかりマークしておき、
稽古の過程において、なぜそうような感情になったのか、
またよく解らんところはどないしてなんじゃろかと、
オノレのオッム精一杯をめぐらして考えちょります。
ほいで暇さえあれば台本をひたすら読み込む・・・。
ええ台本には、わからんことの答えが必ずかくされとるけんのう。
 とにかく創造するちゅうことは、宝島の宝探しをするように、
困難かつ愉しいもんだと思うて、いつも役創りしとるんですが・・・。

〈 好きな俳優や映画があれば、是非、教えて頂きたい 〉

 好きちゅうか、尊敬する役者さんはぎょうさんあっとてじゃ、
ほいで好きな映画もたくさんあっとってじゃが、
K.Bさんと世代が違いすぎるけえのう・・・。
ほんでも、やはり黒澤明の初期の頃の作品はみんな好きじゃ。
「生きる」「酔いどれ天使」「七人の侍」etc・・・。
そいに出とられる役者さんたちも、ごっつうすごい人たちばかりじゃ !
ほいでもなあ・・・、ただ一人、
尊敬しとる好きな役者の名前をどうしてもあげいわれたら、
前進座という劇団におった中村翫右衛門というお人。
もう亡うなって二十年ほどになる思うが、
ほうじゃ、今テレビで活躍中の、中村梅雀のお祖父さんじゃが。
このお方かいのう・・・。
 K.Bさんのご質問にうまく答えられたんじゃろか・・・?
ちいッと心もとなァオノレだが、
とにかく嬉しいメール、ありがとうござりゃんした !! 

  地元の新年会
Date: 2010-01-28 (木)
 昨夜は東小金井、地元での新年会。
うちと近所で、親しくお付き合いしとるご夫婦のマンションで、
そのご夫婦のお知り合いの方々たちとの交流じゃ。
ほいでその余興として、この八月の独歩さよなら公演、
「父と暮せば」を、オノレが朗読するちゅうことになった。
 さて新年会に顔を出した皆さんは、
日常、市民文化運動に熱意と理解のある方々ばかり。
拙いオノレの朗読じゃが、とにかく心打たれる作品じゃけえ、
この皆さんのお力をぜっぴお借りしたい。
今夜聞いてくれよったこの方々が、
八月、一人でも多くの友人や知人に声をかけて、
独歩公演の観劇を、薦めてくれんさればええ・・・と、
オノレはそがあに思うたわけじゃ。
 そうようなわけで、およそ一時間二十分、
十人ばかりの方々を前に、
皆さんにチビリチビリ、ビールや酒でノド潤してもらいつつ、
オノレもときどきチビリチビリと飲みながら朗読したわい。
 ま、「父と暮せば」の台本を、
はじめて人前で読んだオノレの朗読レベルはさておき、
後の宴席での皆さんの感想はまことによかったけえ、
オノレもホッと一安心。
本番に向けての手応えをズシリと胸に感じたよのう。
 中途から最後まで涙がとまらんかったいう、
オノレと同年代のオジサンは、愛媛出身の方じゃいうとったが、
母親が被爆しておって、自分も胎内被爆者であるちゅう。
 原爆の悲劇は未だ続いとる !!

  ひょんなことから・・・
Date: 2010-01-27 (水)
 オノレの住んどるマンション1階には、
16平米ほどの専用庭があっとってじゃが、
これまで植わっとった古木や枯木を三本ほど取ッ払い、
新たに猫柳と白槿の若木を植えてもうた。
 実際の作業をしてくれたんは、
澤口君ちゅう、まだ二十八の若い植木職人さんなんじゃが、
この彼がなかなかの好青年。
まるで「父と暮せば」のヒロイン・美津江が恋する、
木下青年(実際の舞台には登場しない)のようじゃった。
ほいじゃけえ、すぐ親しゅうなっていろいろ問答しとったら、
植木職人のかたわら、絵と小説を書いとるちゅう。
ほいで、手作りした自分の作品の本を、
二冊もオノレにくれよったで !
 その晩、早速襟を正して拝読させてもろうたが、
いやこれがごっつうレベルの高いなかなかのモノでビックラこいたで。
 頂戴した本には、三つのお話が収められとって、
二つは大人の童話ちゅうか、ちいッとブラックな寓話。
イソップちゅうか、どちらかいえば・・・、
そうじゃ、別役実の童話作品に似ているような感じがせんでもない。
で、この二作品は、メルヘンの雰囲気を漂わせつつ、
摩訶不思議な風景と出来事の中で展開するお話で、
オノレのオツムで理解するには、
やや時間がかかってもうて、すんなりとは読めんかったの。
 オノレがとにかく感心したのは、
「水槽の底 砂の桟敷」という短編じゃ。
 水槽に土を入れ、蟻を飼うとる貧乏青年の話で、
少ない字数の中に、興味深い青年の意識空間、
心象風景、現実の生活状況が、実に見事に語られとる。
 いずれにせよ、作家・澤口聖の三作に共通して感じることは、
文章表現に作者独自の世界と個性が漲り、
その一語一節に、磨かれつつある資質、才能を感じるちゅうことじゃ。
 いやはや、まこと人間ちゅうんは、どこで、どんな機会で、
ひょんなことから嬉しい出会いをするかわからんもんよのう。
 澤口君は、八月の独歩さよなら公演を、
必ず観てくれると約束してくれよったが、
その前にでも、どこぞ機会を見つけて一杯飲もうや !!

  卒業公演
Date: 2010-01-24 (日)
 昨夜、初めて座・高円寺という劇場へ行った。
杉並区の建てたなかなか立派な中劇場じゃったが、
芝居を上演する側にとっては、
管理規則がいかにもお役所的運営で、
使用するになかなか苦労するちゅうことじゃ・・・。
 芝居ちゅうんは、コンピュータで計算するように、
アッというまに予定通り全てのことが進行するわけではなあー。
いい意味、融通無碍な管理をしてくれんとやっとられんけえ・・・。
この劇場の運営理事長をされとるちゅう劇作家・斎藤憐さん。
もともとアングラに理解のあるはずのお方じゃけえ、
芝居ちゅうもんについて、
区の担当職員を、これからしっかり教育してくれんさいや !
 さて、観劇したのは桐朋学園短期大学専攻科演劇専攻修了公演。
つまり役者の卵さんたちの卒業公演じゃ。
 作・演出はこの大学の講師をされとる福田善之さんの、
「私の下町 − 母の写真 ー」。
 これから演劇のプロになろうちゅう諸君にとって、
うってつけの芝居であるかどうかはようわからんが、
休憩を挟み二時間五十分ほどの力作ではあっとったよのー。
 昭和十一年から東京大空襲までの、
東京下町にある宿屋のお話。
その宿の女将を核にして、
当時の下町に暮しとったいろんな人間が、厳しい時代に翻弄され、
右往左往しつつもたくましく生き抜く・・・。
まあ、そんな展開の芝居じゃった。
 チト懐かしくなるような昭和初期の歌と踊りがふんだんにあって、
まるで「ミュージカルかいの ?」てえような舞台でもあったが、
こうような肉体表現部分については、
やはり今の若きゃーもんは、
オノレの若い頃よりはるかに上をいっとるで。
 演技表現についちゃァー、
この先プロになってからのことじゃ思うが、
磨けばどんどん輝きをましそうな卵もいくつかあったで。
 とにかくこの若者たちん中から、
一人でも多く、日本の演劇文化の未来を担う役者が出てほしい・・・。
素直にそう願いたくなる、清々しい舞台じゃったわい !

  二人の訃報 !
Date: 2010-01-19 (火)
 一昨日、ゴッチ(声優・郷里大輔)が死んだちゅう。
まだ五十七歳でェー !?
ほいも自殺いうんじゃから、俄には信じられん・・・。
 最近こそ、仕事で会う機会が余りのうなったが、
声優として、ゴッチと仕事上でのお付き合いは長い。
そうじゃ、二十年くらい前には、
オノレの演出した芝居にも主演してくれてのう・・・。
あの頃はよう一緒に飲み歩き、意気軒昂に吼えまくったが。
 ほいでもなあ・・・。大柄の躯体と野太い声・・・。
その肉体と裏腹、精神的にはまっことナイーブな一面があったけえ、
この閉塞感漂う時代の何かが、
ひょいと彼を、無の世界へと誘ってしもうたのかもしれんなあ・・・。
やれんわい。
 ゴッチの死んじまった四日前、
十三日には田のさん(声優・田の中勇)も、
心筋こうそくのため亡くなったちゅういう。
七十七歳・・・。
 そうじゃ、「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじじゃ。
オノレと個人的お付き合いはなかったが、
スタジオではいつも飄々のマイペース。
何を思うとるんか、チトつかみどころのなぁー、
裏声みたいちゅうか、不思議で稀有な声を出す先輩じゃった。
 ゴッチも田のさんも青二プロ所属じゃけえ、
ここしばらく、青二のスタッフも大変じゃろう。
 やはり世界は諸行無常てえことかいのう・・・。

  吉祥寺駅で・・・
Date: 2010-01-18 (月)
 夕方の混雑している吉祥寺駅。
「ムギヒトさ〜ん !」
「・・・ ? !」
「しばらくです、そのせつは・・・」
「いや、どうもどうも・・・ ?」
「お芝居のほう、いかがですか ?」
「ええ、昨年の十二月にやりまして・・・」
「なかなか観る時間がとれなくて失礼いたしました・・・」
「何のなんの・・・」
「また懲りずにご案内くださいませね・・・」
「ええ、今年八月が独歩のさよなら公演ですので、ぜひ !」
「まあ、そうなんですの・・・、それは必ずお伺いしなければ !」
「よろしくお願いします !」
「すいません。先を急いでおりますので、また改めて・・・」
「ええ、ええ、またゆっくりと・・・ ?」
「ごめんくださいね・・・」
 ついにお名前を聞きそびれてしもうた。
アタフタと去った四十代の快活な女性。
はて、どこのどなただったんかい・・・ ?
顔にも余り見覚えがなあ・・・。
かように冷や汗かくような人との出会いが近頃ようある。
 歳はとりたくないもんじゃのう・・・ !!

  検察と小沢サンとマスコミと・・・
Date: 2010-01-17 (日)
 オノレは昨日の日記で、
小沢幹事長に関わる政治資金規正法違反の件で、
小沢サンに潔く幹事長・議員辞職をオススメしたんじゃが、
そいは検察側を全面的に信頼しとるからちゅうわけではなあー。
 一部マスコミやジャーナリストの見方によれば、
今回の検察捜査には、
犯罪として立件するにはどうも無理筋な面もあるちゅう。
検察上がりの郷原何某さんちゅう方なんざ、
完全に検察の捜査矛盾とその手法を強く指弾しとった。
なぜか小沢憎しの検察が、その権力誇示の面子をかけて、
無理やり立件に向けて突っ走とるんかいのう ?
 オノレはオギャーと生まれて二十代まで、
共産党員や左翼的人々に囲まれた環境に、
幸か不幸か否応なくどっぷり浸かって生きてきた。
故に昭和二十年代の左翼に対する国家権力、
とくに特高警察の弾圧の酷さは、
幼少時代のオノレの目にフィルムのように焼きつき、
未だオノレの不安や恐怖を煽る瞬間があるわい。
軍隊や検察や警察が我がもの顔に天下を闊歩し、
犯罪をかってにデッチ上げ、
国民を弾圧するような社会になったら最悪の暗黒国家じゃ。
 オノレは昨今の報道ジャーナリズムやマスコミ全体に、
どうも検察サイドに偏った報道が目立つように感じる。
マスコミは検察権力も小沢サンもおそれず、
緻密に確かな取材をしよったうえで、
民主主義の正しい報道姿勢の原点を守り、
真に国民の側に立ち、毅然として報道せにゃいけん !!

  タメ息ばかり・・・
Date: 2010-01-16 (土)
 中南米のハイチを大地震が襲いよった。
世界の国の中でも最貧国といわれる国をのう・・・。
TVの映像で見る限り、その惨状はまさに地獄じゃけえ。
ほんまにやれん・・・。
民主党政権は、深刻な不況とはいえ、未だ最貧国ではない国として、
出来得る限りの人的・物的援助を火急速やかにせにゃいけん !
 その民主党の大将である鳩山さんの政権も、
このところドエリャーことになっとる。
昨夜はついに小沢幹事長の子分が、
政治資金規正法違反の疑いで、三人も逮捕されてもうた。
さすがの小沢さんも崖っぷちに立たされたんかいの ?
何億もの怪しいカネの出入りを、
「記載ミス」てえな釈明で納得するほど国民はアホとちがうで。
だいたい五千万だ、一億だと、
企業が清く美しい心で政治団体にカネを出すわけがニャー。
ま、しょせん小沢さんちゅう人も、自民党の連中と同床異夢、
田中角栄時代のカネまみれ体質から抜け切れん、
旧いボスタイプの政治家じゃったいうことかいのう。
 小沢さんよ、一日も早く幹事長、否、議員辞職して、
潔く政治の世界から足を洗ったほうがええで。
あんたの力で実現したかもしれん鳩山内閣じゃが、
その内閣の、昨今落ち目の支持率も、
あんたが身を引けばちーッとは上がると、
オノレは思うておるんじゃがのう ?!
 ほんまにこのところ、世間もオノレもやれん、やれんと、
出るのはタメ息ばかりじゃわい・・・。

  あなたに・・・
Date: 2010-01-14 (木)
  あなたに・・・

惜別の心深くても
惜別の心なく
今から骸になるあなたの前で
どんな顔をすればよいのだろう

病に臥すまでの
弁天のようなあなたの顔と心意気
でもわずか半年で
あなたは一気に歳を重ねた
まるでとてつもない時が流れたように・・・
この短く深い時のなかに
あなたは人生のまるごとをつめこんだのか
永遠に黙の世界へ運ぶため

あなたの逝った朝
曇天から小雪が舞った
あなたを見送る今日
冬の木漏れ日が暖かい

惜別の心深くても
惜別の心なく
今から骸になるあなたの前で
なんといえばよいのだろう
わたしはあなたに
あなたに・・・

  いづみちゃん・・・
Date: 2010-01-13 (水)
 昨日になって間もない午前一時、
ついにいづみちゃんが逝ってもうた。
 オノレ十代からの付き合い。
二十代、三十代、会う機会は余りのうたが、
四十代に入った頃から、付き合いが頻繁になった。
彼女が三鷹に「尋」という、
小さいながら、なかなか洒落た飲み屋をはじめたけえ、
当時三鷹に住んどったオノレは、
そこへよう顔を出し、ノンダクレして甘えたわい。
以来彼女は、
オノレがはじめた独演・独談、独歩プロデュース公演を、
体調を崩しんさる前の一昨年・十二月まで、
欠かさず、すべてしっかり観てくれんさった。
オノレの独演「ごびらっふの死」、初演の衣装は、
いづみちゃんが生地を選んで、
その手で縫うて作ってくれたもんじゃわい。
 いづみちゃんは、この二十数年、
挫けそうになったり、弱音を吐いたりするオノレを、
いつもやんわり叱咤激励しちゃー、
心の底から応援してくれんさった。
ほんま、オノレの数少ない、力強い味方の一人じゃったけえ・・・、
ツライ。
 ほうじゃ・・・。
いづみちゃんは、ずいぶん昔に離婚しよって、
ほいからは女丈夫に、
独り、凛とした生き方を貫きよったんじゃ。
 ほうじゃ・・・。
いづみちゃんは、紬で縞の和服がごっつう似合う、
オノレより四ッつ年上の、
粋できれいな姐御じゃったんじゃ・・・。
 ほうじゃー・・・。
去年の十二月二十三日、いづみちゃんのアパートへ、
これが最後になるかもしれんなーと、秘かに憂いつつ、
ヤマノカミとお見舞ゃーに行った。
その別れぎわ、八月のオノレの舞台《父と暮せば》を、
「独歩サヨナラ公演だし、
それまでガンに負けずにガンバッて、
まこちゃんのこの舞台だけは、車椅子に座ってでも、
這いつくばってでも観にいくからね !」
 いづみちゃんはそがいに言うて、
オノレとヤマノカミに約束してくれんさったんじゃが・・・。
「なしてその約束ば守らんかい !!」
 明日はお別れに行かせてもらうが、
もの言わぬ貴女と会うても、
オノレはさよならをよういわん。
冥福も祈らん。
「いずみちゃん。
とりあえず、お疲れさんでござりゃんした。
しばらく眠っとッてくれんさいや・・・」
 そがァー、いおう思うとる。

  共に暮して二十年・・・
Date: 2010-01-12 (火)
 オノレとヤマノカミは平成元年に夫婦となった。
つまり共に暮しはじめて、はや二十年を過ぎてもうた。
四半世紀の銀メダル、否、銀婚式までもそう遠くはない。
ほんま、互いにようアキンかったわい。
アキッポイ、かつてのオノレを考えれば、
「ドエリャー、ガマン強くなったもんよのー」と、
オノレはオノレに表彰状をやりたいような気持ちにもなるでェ !
すかさず「コッチガ、モライタイ」という、
おかやんの声がとんできたような気がする。
「イヤ、アリガトウ、アリマシタ・・・」
 さて、このおかやんとの共同生活で、
いつの間にやらオノレの身についた生活習慣は多いんじゃが、
どえりゃー変わったのは、
およそ「朝風呂」になったちゅうことかいな。
朝風呂も習慣になってしまうとなかなか気持ちええもんじゃ。
風呂上り、とにかく眠気がとれてシャキッとするけえ、
今日一日「ガンバルゾ」ちゅう気にはなる。
 ところで今の住まいのガス風呂は、
自動温度機能も、一定温度の保温機能もついとらんけえ、
この冬場、なかなか湯加減がムツカシイ。
浴槽はチメテェーし、湯も入れ始めのしばらくはチメテェー。
四十二度くらいにガスを設定して入れても二、三度はすぐ下がる。
そこへチメテェー体のオノレが入ると、また一、二度はすぐ下がる。
わしゃアチ過ぎるのもかなわんが、ぬるま湯はもっとかなわん。
湯に入り、アクビ連発ちゅうくらいの温度がちょうどええ。
「ガス温度を四十五、六度にして入れんかい !」とオネガイしても、
「体に悪い !」ちゅうて、ヤマノカミはぬるま湯にこだわるけえ、
こちらのオネガイをよく忘れ、浴槽に低めの湯を満たしおる。
「オノレが風呂へ入るんは、体を洗うちゅうことよりも、
湯の中で、死にてえほど気持ちええアクビを、
何度も何度も繰り返したいタメじゃけえの !」
と、口酸っぱくヤマノカミにいうても、テキさん曰く、
「何いうんかいね。
アタシャ、湯船でアクビなんぞしたことはなあー。
アクビは布団の中ですればええが !」。
 わしとおかやんは、はたして銀婚式までモツんじゃろか ?

  大きい社民党の存在 !
Date: 2010-01-09 (土)
 どうも鳩山内閣がバタバタしとる。
藤井財務相が健康上の問題 ?で辞任し、
後任に菅直人副総理が就任しおった。
 菅直人ちゅうと、その昔、市川房江の事務所代表だったり、
第1次橋本内閣で厚生大臣を努め、薬害エイズで大ナタを振るい、
官僚の鬼めらを退治する、
市民派代表の桃太郎さんちゅうような印象があっとってじゃ。
ほいじゃが近頃では、だんだん当たり前の政治家面になってきおって、
権力争いではしじゅう話題の中心にゃーおるが、
余り市民の方へ顔を向けとるようにも思えんがのー。
ま、メデタク財務相に就任したんじゃけえ、
国家の財布を預かる重責を、真に国民のために全うしてくれんさいや !
 とにかく民主党・社民党・国民新党の連立政権が誕生し、
オノレもそれなり期待しちょるんじゃ。
少なくとも自公政権時代の腐敗体質と異なる、
オープンで弱者に目配りする政治の変革を期待しとるんじゃ。 
そいじゃけえー、このところ毎日のように報道されちょる、
鳩山サンや小沢サンやらが有する、
庶民感覚からは想像もでけんオカネの額にゃブッタマゲルデ。
つづまり民主党の中心にいる連中も、
自民党とさほど変わらん体質の奴バラちゅうことかいなァー。
 沖縄の普天間米軍基地移設問題でも曖昧な鳩山内閣。
こげえ民主党政権の今後を考えるちゅーと、
連立を組む社民党の存在はまことに大きいわい。
いまいち頼りなげに見えるフクシマサンは大丈夫じゃろか ?
連立離脱覚悟でガンバッテクレンサイ !

  ウザギとカメ
Date: 2010-01-08 (金)
 役者として、オノレの役創りの道程は、
ウナギ・・・ではニヤァー、ウサギタイプである。
とにかく可能な限り早いうちから準備を始め、
台本を睨みニラミ、台詞をこのボケナスオツムにタタキこむ。
ほいでカメ(共演者)さんたちとの稽古初日に臨む。
しかもオノレはウサギのように休むことはでけん。
こんだけオノレ精一杯の準備をしとっても、
けっきょく稽古過程のどこかで、
しっかりと歩き続けるカメさんたちに並ばれ、
エンヤッと追い抜かれてしまうんじゃけえのー・・・。
 とにかくオノレはそれぐらい、、
オノレをブキッチョ役者だと自覚しとる。
台詞もうる覚えのごとき準備不足で、
共演者さんたちとの稽古に入ったひにゃァー、
不安で不安で、それこそ毎晩のようにように寝つかれんわい。
 ホンマ、たまにゃー稽古初日までには、
すでにお山のテッペンまで上っとッて、
後からヒイーヒイー喘いで登ってきよるカメさんたちを、
のんび〜りかまえ、ゴロ〜リ眠って待ちたいもんじゃが、
そんなことはまずあり得ん、ユメの中の夢じゃとみんさい !

  あかるい娘ら
Date: 2010-01-07 (木)
 この八月にオノレが上演する、
井上ひさしの「父と暮せば」を読んどったら、
「あかるい娘ら」という中野重治の詩が、
ふと頭に浮かんできよった。

わたしの心はかなしいのに
ひろい運動場には白い線がひかれ
あかるい娘たちがとびはねている
わたしの心はかなしいのに
娘たちはみなふつくらと肥えていて
手足の色は
白くあるいはあわあわしい栗色をしている
そのきやしやな踵なぞは
ちようど鹿のようだ

 「父と暮せば」の主人公・美津江は二十三歳の被爆者じゃが、
女学生時代、陸上競技部のお転婆さんじゃったけえ、
たぶんこの詩の娘たちのごとく、
ふっくらと明るい女ごん子(おなごんこ)だったにちがいなァー。
戦争以前の広島、いんにゃ日本全国の女学校の運動場では、
こげえ娘たちの黄色い嬌声やら笑顔やらが躍動しとったことじゃろう。
 太陽の下をとびはねる思春期の女ごん子たちの、
のびやかで美しい身体を想像するほどに、
その風景をかなしい心で眺めている男の心象が、
オノレにはいっそうかなしいものに思えてくるわい。
 もちろん2010年の女学校の運動場も、
こげえ女ごん子たちの、眩しい明るさにあふれるんじゃろうのう ?

  オノレ晩年の人生絵図
Date: 2010-01-06 (水)
 多くの人は人それぞれの、
それぞれなりの人生絵図を実現させよう思うて、
日々汗水たらしてガンバットル。
そいじゃが、それは思うたところでなかなか容易いことではなァ・・・。
 多くの凡人は、遂に己の絵図を未完成のままに海の藻屑となり、
生命の根源であるもの言わぬ世界へと消えて逝くちゅうのが現実じゃなあか ?
 その凡人の一人であるオノレにも、
かつて描き目指した人生絵図があったし、今もまだ無くはナイ。
人生の終りに入りはじめた今のオノレが描くそれは、
むろん後世にまで残る金字塔のごとき偉大な発明でも事業でもなァー。
この世界の広さからみればチリ一つにもならんほどハカナイもんじゃ。
どないしても舞台化したい芝居を、
自らの力でプロデュースし、演出し、演じ、公演する。
ほいで、その日一期一会の舞台を観てくれんさったお客様と、
オノレや仲間の創造について一杯やりつつ語らう。
「人生の最後まで、こげえー日々が過ごせればええのう」と、
ま、そのていどのハカナイ絵図じゃ。
ほいじゃが、どうやらその絵図を実現できるのも今年でお終い。
舞台化し、演出し、演じたァー役はまだ指の数の倍はあるけえ、
つづまりオノレの人生絵図は未完成のまま終わるちゅうことかいのォー ?
いんにゃ、オノレは図々しく九十ぐらいまでは生きたーから、
こいまでたァーまた異なる、新たな創造的人生絵図を描かにゃいけめん。
 さてさて今年八月、独歩さよなら公演「父と暮せば」終了後、
オノレは鉛筆ナメナメ、タリナイオツムを逆さに捻って、
マズシクとも実現可能なオノレ晩年の人生絵図を、
ヤマノカミと晩酌しつつ、大けに愉しみながら描いちょるわい !
 アラタメテ ヨロシク オネガイ イタシマス ヤマノカミサマ。
(本日から、八月上旬までの日記は、
何となくエエカゲンなヒロシマ風でゴザリャン)

  初夢
Date: 2010-01-05 (火)
 今朝は初夢。
舞台は声優の仕事のオーディション現場。
オノレが挑戦したのはロボット役の声。
青年・中年・熟年の三世代の声を求められた。
で、本番では、その三世代の声をミックスし、
ロボットさまに喋らせるのだという。
 もちろんオノレは自信満々。
ひばりのように透きとおった青年の声。
ピカード艦長そのままに落ち着き払った中年の声。
そして酒ヤケしたごときバリトンの老声。
この三つの声音を見事に出して台詞を言ったつもりだったが・・・。
見事失格 !
夢とはいえ、オノレのどこがイカンいうんじゃ、審査員 !!
 「こいつァー、ハルから『演技』がワルイ・・・」。

  2010年。
Date: 2010-01-04 (月)
 2010年。
《オノレ日記帳》を覘いてくださる皆々様、
遅まきながら今年もよろしくお付き合いのほどを・・・。
 さて、年を跨ぎ、半月ほど日記の更新をサボッておりましたが、
とりたて深い事情があったわけでもなく、
ようするにただただサボッていただけなのであります。
去年の年末には、人並みにいくつかの忘年会にて飲み喰らい、
まことに愉しい語らいのひと時を過ごしましたし、
一昨日、昨日は箱根駅伝のテレビ中継に現を抜かしとりました。
とにかくいろいろ無必要なものまで詰まッちまい、
血の巡りの悪くなった頭の不純物を清掃しようと、
およそ何も考えずに過ごしとったオノレの正月。
前向きな行為といえば、この八月の独歩さよなら公演、
「父と暮せば」の台本の活字を、飽きずにナメとっただけ・・・。
好天続きの毎日てえのに、外出時間はきわめて少なく、
ただただモグラのように狭い自宅に閉じこもっておりました。
 世間は今日から仕事始め。
オノレの仕事始めはまだまだ先の先・・・。
近々の予定としては、明日所属事務所の新年会。
八日にも親しき仲間との新年会。そんな予定ばかりなのであります。
 ホントウニ コトシノシゴトハ アルンカイ ?!