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独演・独談の世界







 ウソとホンマ  −独談「タイチャン」上演にあたって− 

殿山泰司のエッセイは、愛とエロスと笑い、
そして涙に満ちた大河エッセイである。
自分がこれを読んだときの衝撃とヌクモリは筆舌につくし難い。
これは生涯バイプレーヤーに徹した、独りの稀有な役者の自伝であり、
大正末期から昭和の激動の時代を生きぬいた、
権力や地位にご縁も執着もない、やさしくスケベで気の弱い男の、
血を吐くような一庶民史であった。
 その、コチトラ足もとにもおよばぬ大先輩のお話しを、
厚顔にも、ホンマ、三文役者の自分が人に語る。
「なんちゅうアホな、大それたことをしてくれるんや」
 と、天国からトノヤマサンに叱られるような気もするが、
その畏れにあえて挑む。
 とはいえ、たくさんの映画に出演し、
多くの人に愛され、ささえられたトノヤマサンと、
そうではないオノレとの落差は余りに大きい。
トノヤマサンと付き合いもなく、
映画の画面や、著作によってしかその実像に迫れないオノレが、
ホンマのリアルなトノヤマサンになり代われるはずもない。
で、かように不遜で無ボーともいえる努力はヤメマシタ。
 我がタイチャンは、残念ながら二十一世紀まで生きちまってる、
オノレの感じたタイチャンを目ざす。
腹から笑い、目頭を熱くし、胸を衝かれた原作の力を頂戴し、
三文役者にもある「三分の役者魂」で語ろうと思う。
で、あるからして、
トノヤマサンのトレードマークであったジーパンはあえてはかない。
しかしオノレも愛用するサングラスは、
「お客さまのオソロシイ視線防御によかろう」という、
三文役者のカザカミにおける理由により使うことにした。
 自分にとって、ともかく辛い作業は構成台本作りであった。
断腸の思いで、あの世のトノヤマサンに手を合わせ、許しを乞うた。
そして文庫本二冊の大長編を、それこそ不遜にもオノレの独断と偏見で、
およそ二時間内におさまるようダイエットさせていただいた。
またまた「なんちゅうアホな・・・」と、トノヤマサンの声がきこえてくる。
いや、そう自責するほど、カットした他の部分もメチャ面白いのだ。
ミナサマ、是非一読してごろうじろ。ワタシの辛い気持ちがわかります。
 トノヤマサンの敬愛し畏れた新藤兼人氏と殿山さんとは、
独立プロ「近代映画協会」を創立した同志であり、
活動屋の世界で共に闘い苦楽をナメあった、いわば戦友である。
監督のトノヤマサンへの想いは深く、
ホンマの愛にあふれ、ホンマの信頼に貫かれている。
役者としてこのような監督とめぐりあえ、
生涯をかけて仕事の出来た殿山泰司さんが心底うらやましい。
そして役者として、そのような監督と出あえなかった愚かなオノレが心底悲しい。
新藤監督は、その著書「三文役者の死」(岩波文庫)で、こう書いている。
―――『三文役者あなあきい伝』は、幼年期、役者への道、
青春時代、出征、弱兵戦記、捕虜記、と自伝風にまとめてあるが、
ウソとホンマが半ハンの好読物―――
 幸か不幸か、自分にはトノヤマさんの半ハンのウソとホンマを見抜くことはできない。
であるからして、オノレのタイチャンは、
書かれていることすべてホンマモンと信じて語る。
 殿山泰司は三文役者どころか、売れっコの名脇役であった。
心やさしく人を愛し、映画を、ジャズを、ミステリーを、
そして「うまくない酒」を愛しながら、
一九八九年、北の桜も散る頃に人生の幕を閉じた。
享年七十三歳。
 そしてオノレは、うまくもない酒を飲むちゅうところだけ、
ホンマのトノヤマサンとチイーッと似ている、
ホンマの三文役者なのである。あア・・・

 私に「タイチャン」の上演を、二つ返事で承諾してくださいました
「近代映画協会」プロデューサー、井端康夫氏に、心から感謝いたします。


(2000年 十二月   麦  人)



 殿山泰司(とのやまたいじ) 略歴 


1915年10月17日東京の銀座生まれ。
36年築地劇団入団、初舞台。42年松竹太秦撮影所入所。
同年徴兵されて中国へ。
戦後は47年頃から新藤兼人脚本=吉村公三郎監督コンビ
作品で売れっ子となる。50年近代映画協会創立に参加。
以後今村昌平、大島渚監督作品など数多くの作品に出演。
ジャズとミステリを愛する。89年に73才で死去。
主な著書に『三文役者あなあきい伝』『jamjam日記』
ほか多数。


  



 オノレの自己紹介 麦人 


 1944年、劇団「前進座」五代目・故嵐芳三郎の三男として生まれる。
中学校を出てから、劇団「民藝」、マスコミプロダクション等に所属し、
およそ18年間、舞台・映画・テレビ等でそれなりに活躍!代表作は・・・ナイ。
三十台前半で、思うところあり、顔出し(マスコミ)・商業演劇などから撤退。
いや挫折でありましたか・・・足を洗う。そして声優・ナレーションの世界へ
ワラジを脱ぐ。また四十台から独演活動を勝手にはじめ、現在に至る。声優の
代表作としては「新スタートレック」艦長・ジャンリュック・ピカードか。
有名とまではいかんが、知る人ぞ知る。また「新・アンタッチャブル」
カポネの役も凄い!と、オノレは勝手に思っとる。近頃はアニメでも、
若いチャンネーたちに囲まれたスタジオで、ギャワギャワ吼えながら、
チョクチョク活躍しとる。独演「ごびらっふの死」は1986年に初演であった。
おおよそ60回以上は公演したと思うが数えてない。数えるのはキライなので
あります。そして2001年、いよいよ独談「タイチャン」を世に問うて、
今後の日本の社会・文化に大きな影響をあたえる・・・こともない・・・・アア無情


  





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