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台風のおかげで、ほんまに久しぶりの雨。猛暑もひとまずおさまりホッと一息。拙宅の小庭の樹木も雨に濡れ、生き返ったように緑をキラキラさせシャキッとした。 台風や大雨続きも困るが、やはりほどほどに降る雨あってこその晴れ間・・・。我々人のつくりたもうた文明社会は、この「天の恵み」を、正しく世界に循環させる知恵をもたにゃいけん。自然のリズムを狂わせるような、人に都合のええばかりの文明にいつまでものめり込んどると、その恐ッとろしいシッペ返しを必ず受けるで・・・。 このままでは、地球という星に明るい未来はなぁー !!
来月はじめ、四日連続で仕事のなぁー日があるので、この期間、仕事の問合せが来てもお断りし、思い切って休みをとろうと決断した。で、親友の声優・千田光男とオノレ夫婦と三人、佐渡ヶ島へ行くことにした。三泊四日、オノレの車で久しぶりの遠出じゃ。 さて、なぜ佐渡ヶ島か ?これは千ちゃんの希望により決めたので。なぜかようわからん。 とにかくオノレは船が苦手。千ちゃんもアカンちゅう。ほいでも二人は、新潟から佐渡まで、フェリーで佐渡へ「流され」る覚悟を決めた。ま、とにかく死ぬまでに一度は佐渡へ行っておきたい・・・、そような千ちゃんなりの深いわけがあるんじゃろ ? もちオノレも、生まれて初めて渡る鬼・・・、うんにゃ、佐渡ヶ島。笑われようと、バカにされようと、一攫千金、手掘りで「金山」でも掘ってみるか !
歴史に残る記録的猛暑 !果たして秋はくるんかい・・・。こない冷房漬けの毎日を過ごしとって、体にええはずないんじゃろが、それでも冷房なしでこの異常な暑さは凌げん。ほいでまた「地球温度」を上げてしまう悪循環・・・。 土の、樹木の、そよ風の、自然のありがたさをつくづくと思う。 果たして文明は何処へ行く・・・ ? !
先日、管サンと小沢サンの共同記者会見、昨日は公開討論会をテレビで見た。次の民主党代表&総理大臣にどちらがふさわしいのか ?所詮オノレに投票権はなあし、何よりここ一年の民主党政権のひどい迷走ぶりを見せられては、もはやどちらがなったとしても余り大きな期待はもてんわい。 ほいでもせっかくじゃけえ、あえて二人の記者会見をオノレなりに採点すれば、60点と40点で小沢サンに軍配が上がるかな ?メディアの世論調査では、圧倒的に管さんがええようじゃが、残された十日間で逆になる目もあるで・・・。 ま、当てにならんオノレのカンでは、たぶん管サンが負けよる。ほいで、もし小沢サンが総理になったところで、政治の混迷・混乱はとうぶん続き、我々下々の民にとって、明るい展望の持てる社会は当分来ないんとちがうか・・・。 「ああッ !!」
昨夜は吉祥寺の居酒屋で、オノレと森うたう、そして蓮池龍三の三人で、来年二月、武蔵野芸能劇場で上演する、『うたう麦 + 龍三 〜 語りの世界 〜』の打ち合わせ。 諸々制作的打ち合わせをしながら大いに飲んだ。(うたうちゃんは下戸じゃけえウーロン茶) お二人とも「芝居の虫」を絵に描いたような役者じゃけえ、打ち合わせを終えてからは、互いに芝居創りの話に熱が入り、大いに有意義で愉しい時間を過ごしたわい。 龍三君は、太宰治の「トカトントン」ちゅう作品を語る。大いに期待してやってくれんさい !
オノレの舞台を観てくれたお客さまに、「力演でしたね !」といわれると、今はなぜかチト恥ずかしい。〈力演〉ちゅうんは、文字通り力いっぱい演技したことをいうんじゃろうから、こように評価されるのは決して悪いことでもなぁー。役者は誰でも舞台に立てば、自分精一杯の演技をするんじゃけえの。ほいでも〈力演〉じゃった言われると、オノレには、オノレの演技が力みっぱなしではなかったんかいと、そようにお客様には見えとるんじゃなぁーかと冷汗が出てくる。まあ実際、力まにゃ形象できん役どころもあるで、そような演技も全否定はできん。ほいでも今オノレは、基本的に力みっぱなしの演技は余りしたくなぁーし避けたい。〈熱演でしたね !〉も、力演同様、若い頃は言われて嬉しかったが、最近はやはりなぜか微妙に恥ずかしくなるわい。 オノレはここ数年、稽古期間の終盤までは、目一杯の六、七分の力で、役の表現をするよう意識し心がけて役創りをしとる。(心がけてはいても、これがなかなか・・・、思ったようにはいかんのが本音じゃが) とにかく目一杯力んで稽古をしとっては、自身の演技の姿を俯瞰でとらえられず、どうしても一本道ばかりを突っ走る稽古になってしまう。いくつもの表現の道を探求し、よりよい選択をする役創りは、まずオノレの中にある〈力み〉をなくすところから始まる。(ほいじゃけえ、稽古に入る前の準備を怠けてはアカンのじゃ !)
独歩プロデュース公演『父と暮せば』を無事終え、声優としてお世話になっていた所属事務所とも今日でお別れ。オノレにとって激動の八月じゃったが、どうやら九月の明日からは、チイーッと落ち着いた日々を送れるんとちがうか ? それにしても猛暑の残暑はまだまだ続く気配。この体は毎日グジャグジャの汗にまみれとるが、グジャグジャちゅうより、グシャグシャになっとるのが政治の世界。もはや民主党は救い難いほど国民のはかない願いを裏切っとる。管も小沢も鳩山も、このお三方の太鼓もちのような連中も、潔く政治の世界からキエトクレ !
来年二月に立ち上げる《うたう麦》のネーミングは、女優・森うたうとオノレの芸名からとってつけたが、なかなかシンプルかつリリカルじゃとは思わんか ?例えばオノレがプロダクションを創るとすれば、その事務所名にしてもええほどなんじゃが、ま、そような面倒くさい経営をする気はなぁー。 さて、2011年2月、三鷹・武蔵野芸能劇場で上演する、《 うたう麦 + 龍三 〜 語りの世界 〜 》の作品、「今日は死ぬのにもってこいの日」の準備は着々と進んどる。(ゲストの蓮池君の演目はまだ未定)オノレは構成台本の最終手直しをほぼ完了、うたうちゃんも原作の出版社へ、上演許可と協力を求めて奔走。来月頭には蓮池龍三君も加わり製作的諸々のことを中心に打ち合わせをする。 限られた予算と人員の中、オノレとうたう + 龍三の三人で、はたしてどげえキチンとした舞台を創れるか ?三人の新たな挑戦はすでに始まっとる !
一週間ほど前から、オノレの毎日はチト大変な状況になっとる。なひてそようなことになっとるか ? 声優としてのオノレのマネジメントを、七年近く面倒みてくれたプロダクションとお別れし、来月からフリーとして活動することになったからじゃ。つまりこれからしばらくは、オノレの面倒をみてくれるマネージャーはおらん。依頼された仕事の台本やらビデオやらを、今後は自ら制作会社まで足を運んで回収する。もちろんスケジュール調整からギャラ交渉、仕事の請求書の発送など、何から何までも自分でせにゃならん。 ま、オノレはフリーで声優しとった経験が豊富じゃけえ、どないすればこの急場を凌げるか、要領は心得とる。ほいでも、もはや余り若くはないけえ、肉体的にはラクではなぁー。 一昨日の晩は、フリーになった挨拶状作りやら何やらしとって、気がついたら夜が明けとって、仕事場で眠とうてかなわんかった。(もちろん仕事はチャンとやりました !) 独歩も解散、お世話になった声優事務所ともお別れ・・・。今年はそういう巡り合わせの年なのかもしれん。ほいでもこの歳でフリーはシンドイけえ、はよ解消し、どこかの事務所にお世話になるつもりじゃ。万一引き受けてくれるところがなかったらどないしょ ?!
芝居創りにおいて、一期一会といってもよいプロデュース公演では、公演の立ち上げから終わるまでの間、関わった者同士の信頼関係がどれだけ築けるか・・・、これがよい舞台になるか否かの根本じゃなかろうか ? およそ二、三カ月のお付き合いで、役者同士、また役者とスタッフ間の信頼が深まれば深まるほど、その舞台の完成度も高くなる・・・と、オノレは思うとる。 中には稽古が進むにつれ互いの不信感がまし、本番の舞台の完成度を落とす座組みもなくはない。結果、かんばしくない舞台評価に対し、責任のなすりあいみたぁーなこととなり、打ち上げの席で、酔うて派手な大立ち廻り・・・、なんちゅうこともあったりするいうけえ、オッカネエー。(独歩の公演では、一度もそようなジケンは起こっとらんで) ま、劇団であれ、一プロデュース公演であれ、役者であれ、サラリーマンであれ、労働者であれ、アホな政治家であれ、ホームレスであれ、不信の塊の中では、決してよい仕事はできんし、よい創造も生まれん・・・と、オノレは肝に銘じとる。 ほいでも長く生きとると、否応なく「不信の時」ちゅうような状況におちいることもあるけえ、かなわんのう・・・。
つい最近、珍しく酒場の女子に惚れて溺れる夢をみた。どないオナゴじゃったかは定かでなぁーが、魔性の笑みを浮かべ、紬の和服だったんはよう憶えとる。(ヤマノカミではござんせん !) 〈 魔性の女 〉ちゅうと、アベ・プレヴォーの小説、『マノン・レスコー』が頭にうかぶ。遠い昔、思春期のオノレが夢中になって読んだ。 主人公・マノンは、自身の魔性をまったく自覚しとらん。ほいどころか、人を疑うことをまるで知らぬ、純粋百パーセントみたぁーな美女。ゆえに男を虜にし、彼女を愛した男たちは次々破滅していく・・・。 マノンのように〈 魔性 〉を孕む純な女ほど、危うい魅力を発散し、男を虜にする。こげえ女は、己の魔性にはまるで無自覚じゃけえ、より男の性や嫉妬をかりたて、あげくまっことややこしい、始末の悪い顛末を招くことになるちゅうわけじゃろ。 ほいでも今の時代の男どもは、あんまり心配せんでもええんとちがうか ?昨今、魔性もどきを演じる、「似非マノン」はぎょうさんおっても、「真性マノン」は滅多におらんような気がするけえの。まさか「似非マノン」に溺れて破滅するようでは、男として余りにも情けないと反省せにゃいけんで・・・ ! もっとも、似非じゃろうと真性じゃろうと、こような女に出会うて、今やバタとも溺れる心配のないオノレじゃ。かくのごとくわけ知り顔、エラそうに語っても、説得力はまったくナイことを、自覚しとるのであります !
今日は〈処暑〉じゃが、一日猛暑。朝晩シャワーを浴びにゃならん毎日がいつまで続くんじゃろか ?ほいでもオノレの体調は今のところシャキッとしとる !シャキッとせんのは民主党。管だ小沢だとかしましく党内だけで大騒ぎ、国民不在・政策不在のバカバカしい茶番劇をいつまでしとるんかい !? 今朝のテレビで、民主党には綱領がないちゅうことを初めて知り、オノレは我が耳を疑ったが、今のドタバタをみせられたらナルホドとうなずけるわい。つまり民主党ちゅうのは、理念なき組織に烏合の政治屋が集っとる集団だった・・・、そういうことじゃなぁーのか ? 日本の天気はアツクてかなわんが、日本の政治はいよいよオサムイ !!
独歩を看板にして芝居のプロデュースをして七年余、その創造的成果がどれほどのものであったか、詳らかに解明するのはなかなか難しい。ほいでも役者個人のオノレとしては、実りある多くのものを頂戴したのは間違いなあー。ダイコンもニンジンくらいにはなった !? (意味不明) さて、創造的成果はさておき、一個人がプロデュースして舞台を打つのは、経済的にはなかなか厳しい。七年間で11本の作品を上演し、独歩が負った経済的負担は少なくなあ・・・。で、『父と暮せば』上演で独歩にピリオドを打ったわけじゃが、どなたか独歩存続のため、「口は出さんでカネを出す」ちゅう方がおったらご連絡下さいや ! 冗談はさておき、今後オノレ個人の制作で舞台はやらん。一つの企画に賛同し、これに参加したいと名乗りをあげた方々と、その都度、一期一会の公演を立ち上げ全うする。すべて平等・透明な関係で共同制作。ほいで観ていただき悦んでいただける、恥ずかしくない舞台創りに励むつもりじゃ。 その第一弾が、《うたう麦+龍三 〜語りの世界〜》。(来年2月18日〜20日 武蔵野芸能劇場)オノレと森うたうと蓮池龍三の三人で共同制作。一人で全責任を負わず、三人ちゅうのは心強い。「文殊の智慧」にご期待あれ !
オノレと身近な人たちの間では、今ちょっとした「じゃこ味噌」ブーム。じゃこ味噌を広島で知らぬ人は余りなあー。つまり広島の多くの家庭でつくられる家庭料理じゃ。 独歩さよなら公演『父と暮せば』の舞台では、第二場でオノレの演ずる父親の竹造が、娘の美津江のためにじゃこ味噌をつくる。ほいじゃけん、七月の稽古から八月九日の千穐楽まで、オノレは毎回じゃこ味噌をつくっとった。ほいでこのつくったじゃこ味噌を、稽古や本番の舞台が終わった後の飲み席に持ち込み、スタッフやお客さんたちと賞味しとった。 オノレのつくったじゃこ味噌は、酒のつまみとしてまっこと評判がよく、自分も家でつくろうという連中が続出 ?したわけじゃ。(別にオノレでなく、誰がつくっても評判はよかったろうがネ)このところ巷の調理雑貨の店では、すり鉢・すりこぎの売れ行きがええんとちがうか ? つくり方はいたって簡単、シンプルなもんじゃ。すり鉢に適量のジャコを入れすり潰す。ほいでこれも適量の味噌と、(ひしお味噌がベストらしいが、どこにでもある普通の味噌でもじゅうぶんうまい)赤トンガラシ(鷹の爪)を適量加え、潰したジャコと味噌をないまぜにしてする。ほどよく三位一体化したところで出来上がり。 じゃこ味噌だけなめとってもイケルが、キャベツやキュウリにつけて食ってもイケル。ごはんにのせて食ってもイケル。お茶漬にもイケルで !興味のある人は、試しにつくって味おうてみてくれんさいや。
今日また、『父と暮せば』を観た方から、まことありがたいFAXを頂戴したので掲載させていただく。8月7日公演を観て 田中さん(宇都宮在住) お盆前で慌ただしく、随分遅くなってしまいましたが、感想をFAXさせて頂きます。今更ではありますが、読んで頂けたら幸いです。 「父と暮せば」は原作も知らず、劇作家にも疎い私には初めて触れた作品でありましたが、観に行ってよかったと、本当に良かったと心から思える舞台でした。 素直に笑って泣ける素晴らしい舞台でした。気がついたら何度も声を出して笑っていました。気づいたら頬に涙が伝わっていました。 さよなら公演に相応しい、独歩のたくさんの思いやりに溢れた心地の良い空間でした。 会場に入ってまず圧倒されたのは、舞台美術の素晴らしさでした。始まる前から魅入ってしまうほどの繊細な仕上がりと存在感に感動し、薄暗かった舞台が明るくなってお二人が登場すると、一気に生活感が漂い始めて温かみを帯び、不思議な感覚に陥りました。舞台を愛し、舞台に愛される演じ手は、舞台美術にまで息を吹き込み、一瞬にして、そこで生活が出来るのですね。 独歩の舞台を拝見したのは、前回の「海ゆかば水漬く屍」からなので、二回目なのですが、小さな劇場ならではの臨場感や一体感や迫力、温かな血の通った舞台が大好きになりました。私に独歩作品に出会うきっかけをくれたスタッフの方に感謝しています。 今回の舞台の感想に戻りますが、目の前で演じているなんて思えないほどに、自然に繰り広げられていく親子の会話は、(方言なことにびっくりしました)日常会話に聞き耳を立てているかのように感じました。 私が原作を読んだとしても、わからない部分は読み飛ばすことも出来てしまうし、広島の方言のイントネーションは適当なままなんとなく、原爆瓦ですら想像はしても調べることはしなかったでしょう。戦争を題材にした作品を避けたり、大した困難に遭遇した経験のない私には、恐怖や悲しみの想像に限界もあったでしょう。 今回、私の想像など及びもしないほど、リアルにこの作品に触れるとても良い機会に恵まれたと思います。 根底の親子の絆を表現出来てこそのこの作品で、娘を想う優しく時には厳しい麦人さんの竹造を見ていたら、舞台当日、地元の老人ホームにてお囃子を頑張る父の姿とふと重なり、思い出してしまいました。父は舞台を見に行きたいという私に、「子供じゃないのだから応援に来なくても別にいい、行ってきなさい」と送り出してくれました。父は電車が嫌いですが、この素晴らしい舞台を父にも見せたかったです。 麦人さんが熱演していらした一寸法師のお話のとき、安藤みどりさんが演じる美津江の表情がみるみる曇り、涙を浮かべていくシーンが非常に印象的でした。 原爆投下は一瞬でも、たくさんの大切な人達を失った喪失感や、自らの命が危険に晒された恐怖心は、深く抉られた心の傷となって、たった三年くらいではどうしようもないのだと心が痛くなりました。頭の真上に太陽が二つ、なんて恐ろしい兵器でしょう。今までは戦争は恐ろしいことと、そう思ってきました。今は戦争は恐ろしくて悲しいことと、そう思っています。 それでも人は強いですね。広島や長崎は今も立派に存在しているのですから。 私は、美津江のあの日失ったはずの竹造との暮らしを経て、何かが吹っ切れたような、きらきらした笑顔で木下さんを迎えに出る、希望に満ちたラストシーンが大好きです。彼女達のような出会いが、今の広島を作っていったのだと思います。 残念ながら舞台はもう終わってしまいましたが、戦争を軽んじている人には勿論、戦争に関わる人々、生にしがみつかず、安易に自殺をはかろうとする人や、子供を虐待する大人、様々な人達に、この作品に触れることにより、命の大切さと改めて向きあって欲しく思いました。 色々と予定がバタバタしてしまい、観に行けるか不安でしたが、「父と暮せば」を観劇することが出来て、本当に本当に良かったです。 私は独歩に出会えて、お芝居を心から楽しんでいる、麦人さんの笑顔に出会えて幸せだと思います。 日常の生活だけでは得られなかった、たくさんの感動をありがとうございました。 七年間、お疲れさまでした。今後も声優の仕事や、〈うたう麦〉での活動を、お体を大事に頑張って下さい !!
午前中、運転免許証の更新で府中試験所へ。オノレは優良のゴールド。これで五年間は更新せんでもええ。もっとも五年後は、オノレも七十一歳じゃけえのう、今日が最後の更新になるかもしれんなあ・・・。今や遠出するのもシンドイし、チビリチビリと酒を飲んでの列車の方が気が楽じゃ。とにかくこの二年間で四千キロも走っとらん。車利用のほとんどは近所の買物ばかり、車も泣いとるで・・・。ほいでも車をなかなか手放す気にならんのは何でじゃろ ?
独歩さよなら公演『父と暮せば』が終わり、この一週間は、声優としての仕事も多く慌ただしく過ぎた。 オノレの体は元気そのもので、公演後の疲れも感じなあ。ほいじゃが、とにかくこの一週間、四六時中眠とうてならん。電車の中でもコックリコックリ、気がつくと乗り越しとる。スタジオの中でも、オノレの出番間近までコックリコックリ、危うく出トチリしそうになる。自宅で晩酌しとっても、焼酎お湯割り二三杯で瞼が重とうなって、早々に布団の中で大往生、珍しく寝付がええ・・・。 オノレ自身、体に不調は感じのうても、やはり心身共に芝居の疲れが残っとるんじゃろか ?こがあ四六時眠とうては、新たにせにゃならんことがなかなか手につかんけえ、はよこの状態から脱却して、シャキッとせにゃいけんで !
独歩さよなら公演『父と暮せば』を観たお客さまから、今回も多くの感想アンケートやメール、お手紙を頂戴した。その幾つかをご紹介させてもらう。8月9日公演を観て 雪 山【 拝啓 麦人様 その1 】 「父と暮らせば」拝見させて頂きました。芝居とはなんといいものでしょう。舞台人としての苦しみがお有りかと思いますが、麦人さんは役者として選ばれてこの世に生をうけたと思いました。 私も亡き父と久しぶりに心で対話しました。母とはしょっちゅうなのです。 終わりと始まりに乾杯〜。8月7日公演を観て 匡俊【 拝啓 麦人様 その2 】 完成度の高い充実した舞台でした。麦人さんのこの舞台にかける情熱は、大変なものだったと推測できますが、それが気負いや空回りにならず、静かで落ち着いた迫力に繋がっていたと思います。 内容的にはとても重いものでありながら、残酷で悲しい現実を笑い飛ばすような、会話や場面を散りばめることによって、見やすいものにしてあり好感が持てました。当時の人々には被爆後も続く生活があったわけですし、悲しい側面をひたすら強調するだけの描写では、逆に心に響いてこなかったかもしれません。これは原作の力でもあると思うのですが、努めて明るく振舞ったり、実際滑稽で笑える会話があることによって、過酷な現実が、より浮かび上がってこちらに迫ってきたように思います。それでも物語の最後はとても希望に満ちたものになっていて、救われた気分がしました。 自分が登場人物のような強さを持てるかどうかは分かりませんが、とにかく生きて自分が出来ることをやるしかないと、後押しされた気がします。物語や演劇の良い所は、そうして自分なりに解釈したり、メッセージを受け取れるところですね。人の演技に何かを感じて影響を受けながら、結局のところは自分の内面と対話することになる。演技をしている俳優さんたちはどうなんでしょうか。興味は尽きません。 それにしても今回の舞台では麦人さんは当然なのでしょうが、安藤みどりさんの演技が素晴らしかったです。素人目ではありますが、若いのにあの貫禄はなんなのだろうと驚きました。麦人さんの気合いに一歩も引けを取っていなかったように思います。だからこそ二人のコンビネーションで、素晴らしい出来になっていたのでしょう。 麦人さんがプロデュースする舞台はこれで最後とのことで、非常に残念に思います。しかしながら形を変えて、これからも麦人さんが舞台に立つことはあるようですし、そちらを楽しみにしたいと思います。 これまでの活動お疲れさまでした。そして今後の活動も頑張ってください!(保村雪山さんは津軽三味線の奏者であり語り部。匡俊さんは、そのご子息)8月6日公演を観て 篠崎 美智子【「父と暮せば」を見て思うこと】 六十五年前、広島に人類史上初、都市の上に原子爆弾が投下された祈念の日、「父と暮せば」の芝居を観ました。 芝居が始まり、祭り半纏、祭りうちわで押入れからあらわれたおとったん。そのときから六十五年前に引きずり込まれていきました。 このおとったんが、娘の心のときめきから生まれてきたことや、原爆を落とされ、わずか二、三年後であることが、見方によっては、ある種ミスマッチであるかもしれない祭り半纏姿に、見事にあらわされていました。おとったんの剽軽なしぐさ、口ぶり、半纏の祭りの字の赤、手に持ったうちわの赤で、ときめきや、流れる赤い血のあることがよくわかります。 娘の幻想から具現化されたおとったんは、娘の幸せな頃の姿のままで現れ、現在はトラウマにとらわれている娘の、本来の性格である明るさを反映しており、見ている私には、救われる思いと切なさとの、相入れない感情を同時に覚えました。 娘のトラウマとは、ピカから生きのびたことに対するうしろめたさで、幸せになることは罪と思う反面、幸せになりたいと思う娘らしい想いが、押し殺さなければいけないけれどあふれでてくる。これも相入れない感情の心の葛藤であり、見ている私に、切なさを覚えさせます。 当時は広島にも、長崎にも、また原爆とまではいかなくても、大空襲で生きのびた人々すべての心の中には、葛藤があったろうー。何万人ものおとったん、何万人もの美津江が居て、それぞれが心の葛藤をかかえていたのだろう。それに違いないと思うのです。それら一人ひとりの想いのかたまりが、全て麦人さんの演ずる竹造の、血肉の中に入り、口を借り、手足を借りて想いを伝えているようで、その想いの数々が、切なくて剽軽な姿で、舞台上に漂っていたように思えて仕方がなかったのです。 井上さんの云っておられた、「あの地獄を知りながら、知らないふりをするのは、何にもまして罪深いことだ」というメッセージを、独歩の舞台は具現化していたと、観ながらしみじみ感じておりました。 直接的に、攻撃的な激しい言葉やしぐさでなく、剽軽な笑いであらわすこと、そしてお客に、しみじみ心の中に重いテーマを思わせることはとても難しい。 戦争はいけない。人の頭の上に、お日さま二つ分の原爆を落とすことはいけない。そう口で云うのは簡単なことです。そうではない表現で、このことを切実にあらわした舞台を観ることが出来たことは、幸せなことでした。心の底から感謝しています。 ひとつだけ気になったこと。美津江の家で預かることになった、木下青年が集めた原爆の遺品です。 おとったんの最期、美津江が心の奥底に押し込めていた父の最期を、ふき出させるきっかけとなった、溶け崩れた地蔵の頭部と、投下の時間で止まった時をあらわす焼け焦げた時計。それ以外は、あのようなハリボテの山でなく、もっと別のかたちで、観客に想像させるものであって欲しかったと思いました。二場の終わりで、ハリ山のような、剣山のような原爆瓦と、溶けて変形した薬ビンを見ている私には、充分すぎる程、想像出来ると思うのですが。美津江の家の調度品が、あの時代をしっかり思わせるものだったので、あの遺品の山(乱雑な)が、ひどくお粗末で、違和感を感じました。 芝居知らずの一客にすぎない私の感想です。お気に障りましたらごめんなさい。 以上、長々と書き連ね、お見苦しかったかもしれませんが、ご容赦下さいますよう。8月6日公演を観て 宮田 克徳 「父と暮せば」は、まずは劇場に入った瞬間、舞台のセットの作り込みに驚きました。これまでの独歩の作品では、部分的に抽象的な(何もない空間)ところがありましたが、今回は舞台すべてに長屋 ? のセットが作り込まれています。今までとは違う、独歩の意気込みを感じました。 で、お話です。原作が井上ひさしさんだとは、劇場へ来るまで意識していませんでした。独歩の公演を見に行く、それだけしか思っていなかったので。 そして8月6日です。広島に原子爆弾が投下された日です。何かリンクしているのでしょうか。 舞台がはじまり、箪笥の襖が開いて麦人さんが登場したとき、その若々しさに驚きました。痩せられましたか。これまでの舞台と印象が違って見えました。役柄のせいでしょうか ? 美津江役のみどりさんすごいです。落ち着いて見ていられました。麦人さんと堂々と渡り合っていけるのもすごいです。 お話は、笑わせながらもストレートに、見る者に悲しみや想いが入ってきました。 竹造のポジティブなところが、父親の娘を思う優しさを感じます。そしてラストの、娘の迷いを解いてあげるところの、親としての力強さ、感動です。 突然、地上近くに現れた小さな太陽により、一瞬に蒸発してしまった人々。この世に生きていた痕跡が何も無くなってしまった寂しさ。 竹造さんは成仏出来たのでしょうか。8月7日公演を観て 無記名 原水禁世界大会も終わりました。国連事務総長やゲーツ長官の、初めての国際大会参加に象徴される平和への流れの中でも、日本の政治的な平和は不安定で危ない流れです。こんな悲しさの中で、深い感動で涙を流したいと思って、井上作品を観に行きました。以前、藤山直美さんの井上作品をテレビで観て、ジワッとした感動を忘れずにいました。『父と暮せば』は、もう一度出会いたいと思った作品でした。 麦人さんの演技は素晴らしかった。井上氏の表現したい、人間の生きるということの中のユーモア。人間への愛。父子愛。許すことのできない死を受けとめながら語る、子への生への賛歌。心の奥から涙を流すことができました。 最後に挨拶された時の、麦人さんの感動の涙を私は見逃しません。胸の奥からのいい涙でした。 これからもこうした活動をつづけて下さい。私も悲しんでばかりいてはいけないと、自分自身をあきらめないで、頑張れと励ましています。8月9日公演を観て 行平 紫乃 今まで沢山のお芝居を観てまいりましたが、これほど〈泣き笑い〉させてくれるお芝居は初めてでした。魂が揺さぶられる、深い深い感動を、ほんとうにありがとうございました。 麦人さん、安藤みどりさんの名演は生涯忘れません。これからのご活躍を、心から応援いたします。 後悔したことが二つ。一つは初日から行けば良かった事。二つ目はスタンディングオベーションをしたかったのに、立つことが出来なかったこと。(あまりに感動して) 表のスタッフの方々も、とても気持ち良く対応してくださり、感謝申し上げます。8月5日公演を観て 横山 豊 腹の底からせり上がる怒りと、心の奥深くからわく悲しみを押さえることのできない、すばらしい舞台でした。私の前の席の若い女性や、老齢の婦人たちは、終止手にハンカチを握りっ放しのようでした。私は男だから、それに隣には妻もいるから、泣くまいぞと思いつついましたが、アキコさんを思うところ、父娘がジャンケンをしながらの場面は、こみ上げるものを押さえることができませんでした。 麦人さんはさりながら、安藤さん(少し美人すぎると思いましたが)、実によくおやりになりました。ありがとう。 独歩の終幕は、井上さんの伝えたいことをしっかり伝えて下ろされました。(追) 麦人さんくらい、「ステテコのよく似合う役者は少ない」と思いました。森繁・伴淳・山茶花究・殿山タイチャンなど、ステテコの似合う名優たちに、麦人さんが加わったことはこの芝居で明らかです。「イヨー、ステテコ役者・日本一 ! 麦人 !!」8月5日公演を観て 佐木 忍 独歩さよなら公演「父と暮せば」、独歩らしい父と暮せばだったと感動しました。 小空間の中で、装置・小道具も、当時の生活をしのばせてくれましたし、幕間 ー 暗転 ー の中で、人がそれぞれを変えてゆくのも、演出のねらいでしょうか。 うまく書けませんが、終演後、友人とそれぞれの思いを語り合いました。表方の方々が浴衣姿だったのも、ナニカを感じさせました。ありがとうございました。 6日と9日が公演日になっていたことにも、深い意味を感じました。8月8日公演を観て 無記名 戦後の話は正直シリアスで、一本線な感じだと思ってましたが、笑えるところ、感動できるところがたくさんありました。舞台にここまでのめり込んだのは久しぶりです。 広島弁なのに、物語が分かりやすく伝わったし、お父さんのキャラクターが、戦前に生きていた人なのに、あそこまでひょうきんなんてすごいと思いました。しかし逆にそれがリアルなんだと感じました。 とても面白かったです。これからもがんばってください。8月8日公演を観て 高田 裕子 麦人さん、今回も渾身の作品をつくってくださってありがとう。 メッセージ、確かにいただいた気がしています。最後の礼、「あんなに美しいカーテンコールの礼」を初めて観ました。 いい舞台ありがとう。いつまでも応援団です。お元気で。8月4日公演を観て ガンダーリ松本 とても感動しました !涙があふれて止まりませんでした !お二人の存在感あふれる演技にひきこまれてゆきました・・・。 とても大切なテーマだと思います。伝えつづけてゆかなければ・・・。それは悲しみ、怒り、おそれではなく・・・、「愛」を !!つぎつぎにつながってゆく「命」の大切さを感じました。 とても深い深いメッセージを、ありがとうございます !8月6日公演を観て 諏訪部 博 ピカの日、心にひびく劇を観せていただき、ありがとうございました。生きていることが罪という自縛。それを解いてくれるオトッタン。仲良かった友のこと。そのお母さんの一言が胸につきささる。同じ状態の人々が、何万もいたというオトッタンのことば。オトッタンの支えがあったからこそ、美津江は新しい道へ進めたのですね。 時計の針が、ピカ投下の時間に合わせてある。さすがの舞台です。8月9日公演を観て 大西 華織 (尾道市在住)麦人さん さよなら公演「父と暮せば」お疲れさまでした!そして素敵なお芝居をありがとうございました! 話を知った上で観るお芝居は初見のときと全然違って、初めの方から泣きそうでした。竹造がおどけるたびにその意味を考えてしまって、考え出すと悲しくてやりきれない気持ちになっていました。踊ったり歌ったりと動きがつくと、竹造のお茶目さや、和やかな二人の関係がより強調されて、三月に、尾道で麦人さんお一人で、公開朗読稽古を聞いたときとはまた違った印象でした。あの朗読のときは熱い、ちょっとあつかましいお父さんというイメージでしたが、今回のお芝居ではそれプラス、かわいらしさみたいなものがあって、とてもずるいなぁと思いました。(笑) 美津江役の安藤みどりさんのお芝居がとても素敵で、つい感情移入してしまい、美津江が泣き崩れるところで私も泣いていました。嫌がるときとか驚いたりするときの表情がすごく好きです。 もう一度麦人さんのお芝居を見てみたいという思いで、東京に行く決心をして本当によかったと思っています。実は東京に何か用事で行くというのが今回初めてで、麦人さんのお芝居を観る前に色々観光とかもできて、旅行自体も楽しく過ごせました。 再びお会いできる機会を作っていただいて、本当にありがとうございました! これからもお体に気をつけてくださいね。東京はとても蒸し暑かったです・・・。8月8日公演を観て 渡邊喜永子・眞理子(叔母・姪) 麦人さん、安藤さんの迫真の演技に、心を奪われた一時間半でした。美津江さんが再生のスタートに立った時は思わず涙が・・・。公演が終り、麦人さんと安藤さんが、深々と頭を下げられた時も、胸が一杯になってしまいました。「父と暮せば」の内容の重さを観る人に伝えるために、一生懸命にとりくんだお二人の姿が、私の心をゆさぶったのでしょう。 戦争にいいも悪いもありません。殺戮をくりかえし、人間を不幸におとし入れる戦いを、二度と繰り返すことのないようにするため、私のできることは何か、改めて考えさせられました。(喜永子) 父・麦人さんは、優しさ、暖かさ、かわいらしさがにじみ出ていました。 安藤さんは科白のない時でも、何か心にしみ込んできて、気迫のある演技をする女優さんだと思ってみていました。 科白がなく、父と娘がすれ違う時でも、何と表現したらいいのか、いろいろなものを感じて、言葉がみつかりません。 心がふるえました。(眞理子)8月5日公演を観て 伏見 修司 原作もさることながら、演じるお二人から「役者魂」の気迫がみなぎっていて、観ているこちら側まで居住まいを正される緊張感が漂い、実に心地よい時間をすごさせていただきました。話はとても重たいものが根底にあるのですが、なんとなく軽妙でもあり、途中涙の禁じえない場面さえありましたが、何故か観劇後の爽快感は格別!でしたね。 これが「役者魂」のなせる業!なのでしょうか。正直、この素晴らしい芝居、あの会場にいた私達だけと、(私の観た5日は超満員でしたが)あと何回かのマチネに来られる人だけで分かち合うのは、もったいない、もったいなさすぎる、もっともっと沢山の人に観てもらいた〜い!などと帰りのバスの中で思いながら帰りましたね。私にとって一生記憶に残るものが一つ増えたと思います。 麦人さん、期待に違わぬ作品、ありがとうございました。それと、美津江役の安藤みどりさん、素晴らしかったです。魂を揺さぶられる演技、圧巻でした。閉幕後、麦人さんより一足先に出てこられたみどりさんに、思わず「大迫力でした!」などと口走ってしまったほどでした(笑)。これからもご活躍期待しています。 それと、スタッフさん達の舞台替わりの無駄のなさも見事でした。(隠れた見どころ?) まだまだ暑い日が続きますが、お体ご自愛なさって今後もご活躍お祈りしています。☆ 他にもたくさんのアンケート、感想を頂戴しとります。 皆々さま、ほんまにありがとうありました !!
後輩の声優さんが、2チャンネルかツィッターか知らんが、「麦さんは〈左翼の平和ボケ〉って批判されてましたよ」と、ゴシンセツに教えてくれた。いつかオノレがこの日記で、「日本国内に米軍基地がある限り、ホンマの平和はない」、ちゅうようなことを書いたのがカチンときたんじゃろ。オノレにとって、かようなドアホの批判なんざ屁でもないが、名前もアドレスも公開せんで、他人を非難中傷するネット社会はホンマにコワイちゅうか危ない。 今のオノレは左翼ちゅうより、どちらかいえば戦争嫌いの平和主義者じゃ思うとるが、〈左翼の平和ボケ〉てえレッテル貼られてもケッコウ。ほいなら右翼ちゅうんは、戦争好きの平和破壊主義者かいの ?まじめな右翼の方々が怒るで !
神憑りとか、信仰の力とか、霊感なんちゅう世界に、オノレはおよそ無知であり、またそれでええと思うとる。とはいえ芝居の創造に浸かッとるときのオノレは、確かに普段のオノレと違うて、びっくりするほど元気になる。普段ボンクラのこのオツムもチットは冴える。 三日前に終わった『父と暮せば』でも、過去の独歩公演でも、稽古から本番千穐楽の日までおよそ二カ月、一日も欠かさず飲む日々が続き、ほいでも元気そのものじゃった。風邪もようひかん。こいはやっぱぁー、神憑りちゅうより、精神の集中力による、〈気〉みたぁーなもんのおかげじゃろか ? ま、オノレは、人間「大好きなこと」をしていれば、無為にぐうたらな時間を過ごさんで元気なる・・・。それだけのことじゃ思うているんじゃがのう ?!